犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

ある無罪判決の後の検察庁の光景 その1

2010-03-18 23:49:08 | 実存・心理・宗教
 殺人事件で無罪判決が言い渡された直後の検察官の顔は、とても見られたものではない。被害者遺族が傍聴席で絶句し、立ち上がれないでいるのを横目に、声も掛けられずに戻ってきた公判検事の表情は、驚きと絶望と後悔と怒りをすべて1か所に寄せ集めたようでもある。
 ところが、地検の控訴審査で吊るし上げられ、針のムシロに座らされ、起訴検事と公判検事が相互に「下手クソ」と罵り合ううちに、その苦悩は対象を変える。それは、有罪率99%を誇る精密司法の担い手としての出世レースからの脱落、自らの経歴に取り返しのつかない傷が残ったことに対する自尊感情の葛藤である。

 彼(検察事務官)が被害者遺族に対する説明の役割を命じられたのは、地検の控訴断念の意向が正式に決まった2日後、控訴期限の前日のことであった。すでに庁の方針として決まったことに対して、あくまでも控訴を求める遺族に説明を尽くすことは、職務の優先順位として上位に来るものではない。しかも、すでに検事が電話で直接説明しており、これ以上多忙な職務の合間を縫って時間を割く合理性もない。
 彼は、検察官がこれ以上遺族に会う必要もなく、会ってはならないとの理屈はその通りだと思った。また、出世レースからの脱落に打ちひしがれている検察官よりも、自分のほうが適任であるとも思った。

 彼は、地検を訪れた2人を前に、高裁でも勝ち目がない理由を繰り返した。2人とは、妻を殺された夫、母親を殺された娘である。
 犯人は強盗目的で侵入し、被害者に騒がれたため、とっさに彼女の首を絞め、顔面を数十回殴りつけて殺害した。その後、犯人は現場に放火して証拠隠滅を図ったため、指紋もDNAも全く残らなかった。被告人は、逮捕された当初は全身を震わせて反省の言葉を述べたが、公判段階で否認に転じた。裁判では通行人の目撃証言や、被告人が金に困っていたことなどの情況証拠の積み上げにより、捜査段階での自白調書を裏付けようとした。しかし、裁判長は「被告人の犯行とするには合理的な疑いが残る」と判示し、いわゆる灰色無罪となった。これ以上、有力な証拠の出現は期待できない……。

 被害者の夫は、彼に向かって言った。「やっぱり、私が外出した時に、外から鍵をかけなかったのがすべての原因なんですね。本当に申し訳なくて……」。彼には返す言葉がなかった。娘も彼に向かって述べた。「私も遊んでないで、早く帰ればよかったんです。毎日後悔しています。私のせいです。自分を責めるなというほうが無理です……」。彼には、やはり返す言葉がなかった。
 彼はこれまで何百人もの被疑者・被告人と接し、自らの欲望を満たすために犯罪を犯しては、その原因を世の中や他人に求める理屈を強制的に聞かされ、人間の言葉に対する免疫を養ってきた。しかしながら、本来責任を負う筋合いのないものに責任を感じる人間の言葉には、彼は何も対応できなかった。ただただ、2人の偉大な人生と、人間の尊厳に押し潰されていた。

 数分の沈黙の後、彼は言葉を選んで語り出した。「常識的にはどう見ても、あの被告人が犯人です。でも、裁判の有罪・無罪は、『疑わしきは被告人の利益に』というルールで決まるんです。証拠を隠滅しなかった者が有罪になり、証拠を隠滅した者が無罪になるんです。おかしいですけど、そうなんです」。彼の言葉は、徐々に苛立ちを含んだものになっていた。理解して下さい。わかって下さい。私にもどうしようもないんです。彼の真意は、確実に2人に伝わった。
 今度は、2人のほうが沈黙してしまった。2人の目が「わからないけどわかる」と語っていたのであれば、彼にも救いはあった。しかし、2人の目は、「わかるけどわからない」と語っていた。彼には、これ以上新たに言うことは何もなく、これでは話が永遠に終わらないと直感した。物わかりの悪い人達だと思った。そして、数分前の尊敬の視線が、正反対の憐れみの視線に変わっていることに自分自身で気がついた。

(その2に続きます)

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フィクションです。