犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

香山リカ著 『知らずに他人を傷つける人たち』

2009-07-31 23:59:47 | 読書感想文
p.17~
最近では、上司と部下、先輩と後輩、といったはっきりした権力関係がないのに、一方が他方にひどいいやがらせや意地悪などのハラスメントをする、というケースが増えているのである。立場や権力の違いがなくても、いやがらせをする。これが、モラル・ハラスメントのひとつの特徴だ。モラハラをされ続けると、被害者は独特の心理状態に陥ってしまう。被害者の多くは、「悪いのは私のほうではないか」「私に問題があるから、こういういやがらせをされるのではないか」と思ってしまう。

p.87~
離婚を避ける理由が経済的な問題でないならば、やはり引っかかっているのは愛情か、と思ったこともあった。何だかんだ言いながら夫を愛しているからこそ、彼女たちは「別れたくない」と思っているのではないか。しかし、「私はいくら夫に無視されても、やっぱり彼が大好きなんです」という答えが返ってきたことは、ただの一度もなかった。彼女は「夫にニコニコしていろ、と言われたので、ニコニコできる方法を教えてほしい」という理由で診察室にやって来た。決して「困った夫をなんとかしてほしい」という相談ではないのだ。「悪いのは夫ではなくて、夫をそうしてしまった私のほう」と自分を責めるようになる。これが、実は最大のモラハラ被害なのだ。

p.166~
モラハラの司法的救済の試みは厄介なことになる。なぜならモラル・ハラスメントの違法性を明らかにするためには、繰り返された「些細な出来事」の主張・立証をいくつも積み上げなければならないが、それは「些細な出来事」であるだけに客観的な証拠が存しないばかりか、具体的な日時・場所・態様の特定さえ困難であることが少なくないからである。さらに、「些細な出来事」の積み重ねをもって裁判所が想像力豊かに被害の構造に思いを致し、不法行為その他の責任原因たり得るものと見てくれるか甚だ心許ない。


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モラル・ハラスメント(モラハラ)とは、「言葉や態度、文書や身振りなどによって、他人の尊厳や人格を傷つけたりすること。また、精神的または肉体的に傷つけ、その相手がどうしようもなく悩んでしまうような状況に追いやったり、相手の気分を害すること」と定義されています。これは、フランスの精神科医、マリー・フランス・イルゴイエンヌによって1999年に提唱された造語です。近年は似たような新語の誕生が著しく、セクハラとモラハラはどう違うのか、パワハラやDVとモラハラはどう違うのか、改めて問われると、なかなか専門家以外にはわかりにくい状況になっているようです。

ある行為がモラハラに該当するのかしないのか、個々の行為をあてはめてガイドラインを作ることは、言語使用の場においては不自然な方法であり、入口が逆転しているように思います。人間は、言葉を辞書で定義してから使っているわけではないからです。新たな単語が表れる瞬間には、何かモヤモヤした「その言葉によって言いたいこと」が先になければなりません。そして、その新語が広く共有されるためには、何よりもその言葉にならないモヤモヤが人々の間で広く共有されていることが必要となります。「なぜ、セクハラでもパワハラでもDVでもなく、モラハラと言わなければならなかったのか」。この問いを問うことなしに、学問的に「モラハラとは何か」という問いを立てても、香山氏が述べるところの「被害者の独特の心理状態」を直観的に掴むことは難しいように思われます。