犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

ある法律事務所事務員の苦悩

2009-07-10 23:39:31 | 実存・心理・宗教
その事件の争点は、非常に細かい所に入り込んでいた。自動車と自転車の衝突事故であり、目撃者は誰もいなかった。自動車の運転手は、自転車が赤信号を無視して横断歩道に入ってきたと一貫して主張している。信号は赤か青か、この認定によって過失割合は正反対となり、賠償額にも格段の差が出る。一人娘を失った両親は、弁護士の前で、「私達の娘は慎重な性格です。信号を無視することなど絶対にあり得ません。娘の名誉のために、真実を究明してください」と繰り返していた。弁護士は両親の涙ながらの訴えを聞くと、いつも無言で深くうなずき、真実究明への決意を示すのであった。そして両親は、そのような弁護士の姿勢を見て、いつも沈痛な表情をわずかに崩して、深く頭を下げるのであった。

彼(法律事務所事務員)は、弁護士が無言で深くうなずいている間、本当は困って何も言いようがないことを知っていた。実際のところ、娘さんは慎重な性格であったと言われても、裁判の場においては何の証拠価値もないからである。弁護士の無言は、「早く帰ってくれ」という意思表示であった。これに対して、弁護士が逸失利益・賃金センサス・平均余命などの専門的な話をする時はいつも得意気であり、両親は必死で理解しようと大量のメモを取っていた。彼にはその両親の姿が、何をやっても娘は戻らないという現実に直面して、興味のない話にも興味を持ち、絶望によって狂気を抑え込んでいるように見えた。それだけに彼は、両親が深く頭を下げて事務所を去った後、弁護士が何事もなかったように債権回収や相続争いの事件に戻るのを見て、何ともやり切れない思いがしていた。

裁判所からの期日延期の連絡は、判決期日の2ヶ月前にあった。彼が電話を取ると、書記官はいきなり「期日を1ヶ月先に延期しますので期日請書をお願いします」と伝えたのである。彼が弁護士にそのことを伝えると、弁護士は苦笑いした。どこの裁判所にも、判決が遅くて有名な裁判官がいて、そのような人に当たると日常茶飯事らしい。特にこの事件は争点が非常に細かくなっており、裁判官は判決を書きたくなさそうのが一目瞭然で、和解を執拗に勧めていた。恐らく、他の事件に押されて判決を書き始めるのが遅れ、どうにも間に合わなくなったのだろう。弁護士は彼に対し、裁判所に対する期日請書と、依頼者である両親への連絡書を起案するように命じた。彼は、裁判所に抗議しようともしない弁護士にガッカリしながら、文章の作成に取りかかった。

裁判所に対しては、彼は次のように書いた。「原告はその日に向けて色々なことを段取りしていたのに、総崩れとなりました。原告はカレンダーに印をつけ、あと何日、あと何日と数えてきました。その日が少しでも早く来てほしいという気持ちと、永遠に来ないでほしいという気持ちが共存する中で闘ってきました。期日変更は仕方なく受けますが、裁判所はあまりに軽く考えすぎのように思います。原告は、精神的な崩れから立ち直ることができません・・・」。彼はまた、依頼者である両親へは次のように書いた。「私共はあくまで、当初の期日に判決言い渡しをすべきことを求めて参りますが、裁判所の期日変更は絶対であり、恐らく受け入れられることができないと思われます。私共の力不足につき、大変申し訳なく存じます・・・」。彼は、命を賭けた裁判をしている両親に対して、これらの文面は代理人を引き受けた者の精一杯の礼儀であると考えた。そして、自信を持って弁護士の決裁に出した。

しかし、弁護士は彼の書面を見て激怒した。「誰がこんなことを書けと言ったんだ! 余計なところは全部削れ!」。先輩の事務員は、彼が書いた書面を見て苦笑いし、「裁判所にケンカ売ってどうするんだよ。明日から外を歩けなくなるぞ」と言った。結局、裁判所に対する書面は、「変更された○月○日の判決期日に出頭致します」という無難なものに収まった。また、両親への連絡書は、「判決期日は○月○日に変更されましたのでご注意ください」という素っ気ないものになった。彼はこの文面を見て、上司と部下との「見解の相違」などではない、深い絶望を感じざるを得なかった。一人娘を失った両親の気持ちを考えない裁判所の組織を批判して満足することは、明らかな自己欺瞞である。他方で、裁判所を批判しようとしない事務所の組織を批判して満足することも、別の自己欺瞞である。彼は、自らが抱えている絶望が、仕事に対する不平不満であったならば、どんなにか救いようがあっただろうと思った。

連絡書を投函して2日後、彼は両親からの電話を恐れながら仕事をしていた。彼の心は、「あの連絡書を見てご両親はどんなにショックを受けたことか」という痛みよりも、「期日変更を受け入れたことへの怒りの電話が来たらどう答えようか」という不安に支配されていた。彼は、自分の心がこのような動きをしていることを情けなく感じ、このままでは自分は腐ってしまうという直感があった。しかしながら、その現実をそのまま捉えるならば、それは感傷に酔って絶望から目を背けていることに他ならず、どちらに転んでも行き止まりであった。事務所の電話は次々と鳴り、悪徳商法に500万円を騙し取られた老人との打ち合わせ、消費者金融との債務の値切り交渉、家賃を払わない賃借人を追い出すための家主との作戦会議などが続き、彼は忙しい仕事に追われて、いつの間にか期日変更のことを忘れかけていた。彼はふと、「社会の厳しさ」とは「人生の厳しさ」を覆い隠すための錯覚なのではないかと思った。

(フィクションです。)