犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

ある裁判所書記官の苦悩

2009-07-09 23:55:23 | 実存・心理・宗教
その期日変更は、判決の5日前に突然決まった。マスコミを騒がせた汚職事件の法廷警備で人手が足りず、その他の小さな事件はどうしても後回しにせざるを得なくなったからである。判決言渡しの期日が延期されたのは、ある自動車運転過失致死罪の裁判であった。裁判官の頭の中ではすでに執行猶予の結論が出ており、事実関係に争いはなく、被告人も保釈中であり、特に人権上の問題もないとの判断であったらしい。彼(裁判所書記官)は裁判官から、期日延期の手続きをするように命じられた。

彼の脳裏には、前回の公判期日の時に、傍聴席で涙を流していた被害者の両親の姿が目に浮かんでいた。一人息子を事故で失った両親は、裁判が終わってもしばらく立ち上がることができなかった。彼が何とか頭を下げて、廊下に出てもらったのである。両親は彼に対して、判決の日を何度も確認し、手帳にメモをしていた。恐らく今日も、判決を息子さんに報告する日が迫っているのを、張り裂けそうな思いで待っているのだろう。書記官の仕事は、検察官と被告弁護人の意見を聞いて承諾を得ることのみである。そして、被害者参加人ではない被害者には連絡を取る必要はないし、取ってはならない。彼は、担当の検察事務官が、誠意を持って被害者の両親に説明をしてくれることを祈るしかなかった。

5日後の朝、裁判所の書記官室に、2人の中年の男女が息を切らして飛び込んできた。彼が近付いてみると、あの被害者の両親であった。2人とも顔が真っ青であり、目が血走っていた。裁判所の入口の開廷表にも判決期日の記載がなく、法廷に行っても誰もいなかったので、どうしたらいいのかわからなくて、とにかく担当部署に駆け込んだということらしい。彼は一瞬、言葉に詰まった。そして、わざとらしく開廷表を確認し、落ち着き払ったような様子を装いつつ、「平成○年第○○○号、自動車運転過失致死罪の判決期日は、○月○日の○時からに延期になっております」と述べた。実に堂々とした対応であった。彼は、自分が心底卑怯だと思った。

彼がそのように述べた瞬間、両親は呆気にとられたような表情となり、その数秒後には顔が紅潮し、唇を震わせながら、彼に向かって言った。「それは一体どういうことですか!」。お役所仕事で事務的な裁判所は、被害者遺族に冷たい。彼はそのような批判の中に、自分まで一括りにされるのは心外だった。裁判所の中にも、このような期日変更に心を痛めている人間がいることを知ってほしかった。しかし彼は、本心とは別のことを、意識的に厳しい口調で述べた。「裁判所には、当事者でない者に対して期日変更を連絡する義務がありません」。これは、数日前の当事者対応研修において、クレーマーに付け入られるのは職員の側に問題があるとのことで、何回も練習させられたものである。

彼の言葉を聞きながら、両親は憎悪と軽蔑の視線を彼に向けていた。彼は、「本当はこんなことは言いたくないんです」という言葉が喉まで出かかっていた。これが出なかったのは、紛れもない保身であった。どんなに組織人としての責任、仕事の厳しさといった美辞麗句を並べて誤魔化そうとも、その実体は小心者の保身以外の何物でもない。そして彼は、一人息子を亡くした両親の目の前で、自分は何と小さなことで心をざわつかせているのかと苛立った。そして、その先を考える余裕はなく、考えると足元が崩れてしまうように思った。しばらくの沈黙が続いた後、両親は「そうですか・・・。仕方ありません」と述べて、肩を落として出口に向かった。彼には、これは社会人としての責任、職務倫理とは全く次元の違う話のように感じられた。そして、両親の後姿に向かって、思わず言ってしまった。「申し訳ございませんでした」。

彼が自分の席に戻るや否や、主任書記官の怒号が飛んだ。「何だ今の対応は! 裁判官が決めた期日変更を、書記官が勝手に謝る権限はないだろう! お前は組織人としても社会人としても失格だ! 甘えるんじゃない!」。彼は頭が真っ白になった。全くその通りだった。しかし、彼の心に深く突き刺さっていたのは、仕事に失敗した自責の念ではなく、それが失敗であるとされる構造に対する絶望であり、しかもそれに抵抗することもできない我が身の卑小さだった。先輩の書記官が、すかさず彼にフォローを入れてくれた。「そうやって失敗しながら、当事者対応を覚えて行くんだよ。皆そうやってタフになって、立派な書記官として成長して行くんだから」。彼は苦笑いしつつも、何かが決定的に違うと思わざるを得なかった。

マスコミを騒がせた汚職事件に比べれば、被害者1人の交通事故は、裁判所にとって小さな事件である。そして、一人息子を亡くした両親が直面している現実を想像して絶句しているようでは、大量の事件を次から次へと効率的に処理しなければならない書記官の仕事は務まらない。しかし、目の前で紛れもない人の生死が問題になっているところで、その問題の所在すら把握する能力を失うというのでは、プロの厳しさでも何でもなく、単に人間が鈍感になっただけではないのか。死刑と殺人を扱う重い職責などと大真面目に述べつつ、それがゆえに人の死に対する感受性を失うならば、それは組織的な茶葉劇ではないのか。彼が割り切れない気持ちを抱えているところに、裁判官が法廷から戻ってきた。「今廊下で、死にそうな2人組が歩いてたぞ。誰だっけ。判決を延期した交通事故? おい、そんな事件あったか?」

(フィクションです。)