犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

ある警察官の苦悩

2009-07-20 21:42:38 | 実存・心理・宗教
「おい、また来たぞ」。彼は上司から突然呼ばれて、目の前の仕事を中断せざるを得なかった。また来たというのは、いつもの女性である。彼女の娘が男からストーカー被害に遭っており、待ち伏せされたり、拉致されそうになったりして、身の危険を感じるということであった。上司は彼に向かって言った。「おい、アポ無しで来させるなって言っただろう? お前の責任で対処しろよ」。もちろん女性からは、娘の命が危ないという緊急事態であり、一刻の猶予も許されず、電話で予約する余裕はないと言われるに決まっていた。そして、彼女が何回も警察署を訪れているのも、彼がこれまで絶対に告訴状を受け取らなかったからである。彼はつくづく損な役回りを押し付けられていると思った。彼は何度も、告訴状を受理して捜査を開始するように上司に訴えたが、決裁は通らなかった。そして、署において告訴状を受理しない方針が固まっているのに、彼の一存で受理してしまっては、それこそ大変なことになる。答えは最初から決まっていた。

彼が相談室に入ると、彼女は机の上に告訴状を置き、これを渡すまでは絶対に帰らないという殺気立った表情で、彼をにらみつけてきた。彼も心を決めた。いつまでもダラダラしていてはらちが開かない。この相談で時間を取られては、今日も深夜まで残業だろう。一刻も早く自分のデスクに戻り、溜まっている捜査報告書を仕上げなければならない。時間は有限だからである。俺の体力と精神力にも限界がある。この女性には、二度と警察署に来ないように、完全に諦めさせた上で帰ってもらわなければならない。これは職務命令だ。俺は本当は、告訴状を受理した上で捜査を開始すべきだと思っているが、そんなことは彼女の前では口が裂けても言えない。うっかり言ってしまっては、言質を取られて攻撃されるからである。やる気のないお役所仕事、正義感も公徳心もないと責めるなら責めればいい。「民事不介入」とは「仕事を増やしたくない」の別名だと揶揄するなら揶揄すればいい。全くその通りだからである。誰に俺の気持ちがわかるというのか。彼女には、机の上に置かれた告訴状をバッグにしまって帰ってもらわなければならない。

「あの後も嫌がらせメールが来るんです。見て下さい。『○月○日にどこで殺す』って書いてあるでしょう?」と言って、彼女は携帯電話を差し出した。彼はそれをはねのけるように、語気を強めて言った。「こんなものは証拠になりませんよ。犯罪にもなりません。『殺す』なんて、誰でもメールで書いてるでしょう? いちいち捜査できるわけないじゃないですか。自分の都合の言いようにメールを読まないで下さいよ。私はあなたとここで議論する気はないですから」。彼の大きな声と立派な体格は、このような場面では大いに役立った。もちろん上司は、彼のそのようなキャラクターを利用して、告訴に来た人の追い返し役に彼を抜擢していたのであった。同じことを言うのでも、体格と声量によって明らかに説得力が違うからである。そして、最後に温厚そうな同僚が出てきて、怒っている彼をなだめた上で、怯えている相手に対して優しくお引き取りを求める。これは、良く知られた作戦であった。彼はこの方法によって、これまで何人も追い返すことに成功していた。彼は、このような作戦に自分が利用されるのは不快であったが、職務命令に逆らうわけには行かなかった。

彼女は一方的に彼の迫力に押される中で、泣きそうな顔をしながら言った。「私と娘の会社まで電話がかかってきて、気がおかしくなりそうなんです」。彼は最後まで聞き終わらないうちに、彼女の言葉を遮って言った。「そんなこと、口で言われてもわからないでしょう。何月何日の何時何分、会社の誰が電話を取ったか、何を言われたか、それを一覧表にして、会社の人の上申書も付けてもらわないと、こちらとしては話になりませんよ。そうでしょう。その上で最低限、電話は全部テープに録音して、それをあなたのほうで全部文字にして持ってきてもらわないと、こちらは当然受け取れないわけですけどね。そうでしょう」。彼は、いつもの決まり文句をスラスラと言いながら、自分は段々と自身の言葉に酔うようになってきたなと思った。自分の口から立て板に水で言葉が飛び出すようになれば、それ自体が圧倒的な自己肯定感をもたらし、言葉の内容の真偽はいちいち検証されなくなる。彼はさらに、彼女に口を挟ませないように、いつもの台詞を続けた。「国民の税金は、あなたの個人的なことに無駄遣いできませんからね。当然のことながら、わかって頂いてますよね」。彼は、ある種の良心の呵責が鈍感さを帯びる過程は、独特の恍惚感を伴うものだと思った。

彼女は、信じられないと言った表情で涙を流しながら、彼にすがるように訴えた。「ですから、あの男の家を捜索して、そういう証拠を差し押さえて、あの男を逮捕するのが警察の仕事じゃないですか?」。これも彼にとって想定内の質問であった。「あなたね、捜索とか逮捕とか言いますけど、そう簡単にできるものではないんです。捜索は住居権の侵害、逮捕は人身の自由の侵害です。憲法に定められた人権の重大な侵害なんです。人一人の人権を公権力によって侵害するのは、それほど恐ろしいことなんです。日本は法治国家ですからね、この辺はわかって頂かないと全くお話になりませんよ」。彼はこれまで、自分が権力を振るっているという認識はなかった。この追い返し役ですら、一般の会社と同じ組織の論理において、サラリーマンとしてやっているだけである。仕事だから仕方ない、上司の命令には逆らえないという意味においては、公権力は何の関係もない。しかしながら、このような文脈において「権力の危険性」を論じることができるのであれば、やはり自分は権力の恩恵を受けていざるを得ないのではないか。その意味で、権力とは「力」ではなく、「気」のようなものではないか。彼は、無力感に打ちひしがれている彼女の顔を見ながら思った。


(フィクションです。)