犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

江花優子著 『君は誰に殺されたのですか ― パロマ湯沸器事件の真実』

2009-02-17 21:47:26 | 読書感想文
p.208~

パロマは社員や、パロマに関係するサービスショップもそれに関与していないと断定しています。もしそれが事実なら、パロマは自社製品を危険な修理をされて、死者まで出したわけですから、その「犯人」を、探さなきゃいけないでしょ。自社製品が殺人マシーンに変わったんですよ。それを、さも人ごとのように言い捨てる。そんな気持ちですから、通り一遍の注意書きを業者向けに配っただけなんでしょう。これが名の知れた企業のトップの姿勢だから、ここまで被害が拡大したんですよ。危険な器具を扱っているという認識の低さ、無責任さが今回のような事態を招いたことをあの社長は自覚しているのでしょうか。今回の一連の回収や点検によって、会社が赤字に陥り、その結果社員の削減。なんて愚かなトップでしょう。被害者は末端の社員まで及びますか……


p.225~

当該7機種の点検・交換などの対策費用は、200億円を超える見通しになる。また、8月初旬の販売台数は、前年度に比べ小型湯沸器が約50%の減少、ガスコンロも30%から40%の落ち込みがあった。そのため、名古屋市、岐阜県恵那市など4工場で働く非正規社員約100人を、9月中に解雇する方針を明らかにした。パートさんたちが解雇されるのは、私のせいなんやわ。みんなそれぞれに家族がいて、生活がある。この不景気な世の中で職を失って、どうなるんやろうか ―。そう聰子は自分を責めていた。そして、自分のとった行動が、これほどまでに世間を大きく揺るがしたと、恐れを抱くようにもなっていた。


p.249~

幾度となく、パロマにも電話をし、抗議や質問もしてきました。だからといって、どうしたいのか、自分でもわかりません。どんなことをしても、敦は帰ってきません。ただ、そんな行動をして、自分で納得したいだけなのかもしれません……。お子さんがいて殺されたら、どんな解決を望まれますか? 解決なんてありませんよ。いったい、この争いで、何が解決できるのか……。


p.276~

ママはただ、あっちゃんが何故死んだのか、それだけが知りたくて、それだけだった。それがこんな事に発展しようとは、思ってもいなかったよ……


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2月15日の読売新聞に、この本の書評が載っている。「大企業や警察、行政当局に単身で立ち向かう母親の執念に驚いた」。「真相が明らかにされる過程は、推理小説の謎解きのようでスリリングだった」。しかし、このような書評にはどうしても違和感が残る。山根敦さんの母親・石井聰子さんの意志は、恐らくこのようなものではない。石井さんは何も、大企業や警察、行政当局に好きで立ち向かっているわけではなく、このような人生を歩まされていること自体が耐えがたい苦しみである。それでも、息子の敦さんの人生を元に戻してほしいという唯一の願いを追求するためには、論理的にこれ以外の方法は考えられない。問題解決型の政治経済の理論は、どうにもこの種の問いをそのまま捉えるのが不得手である。

戦っている相手もよくわからない。解決策は見えない。取りあえずの解答も見えてこない。なぜ死ななければならなかったのか、それだけが知りたい。立ち直りも信頼回復も社会変革も虚しい。人の命はそんなに軽いものではない。このような形而上の生死の問いは、問う者の生活に支障を生じさせるのみならず、周囲にも支障を生じさせる。特に、この不景気な世の中で非正規雇用者を解雇することにつながれば、多くの人々の恨みを買う。ゆえに、この種の問いは抑えられ、無理やりに曲げて解釈される。そして、遺された者が怒りを通り越して諦めに達したとき、それは立ち直りであると勘違いされて評価される。現代社会の実利主義は、「最後に10分だけでも会いたい」「5分でも会いたい」「1分でもいい」という純粋な願いを、どれだけ邪険に扱ってきたことか。