犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

東野圭吾著 『さまよう刃』 その2

2008-09-14 23:07:21 | 読書感想文
p.159~ 長峰重樹の手紙

 伴崎敦也殺害事件を担当しておられる警察関係の皆様へ。
 私は、先日荒川で死体となって発見された長峰絵摩の父親、長峰重樹です。どうしても皆様にお伝えしたいことがあり、筆をとらせていただきました。
 すでに御明察のことと存じますが、伴崎敦也を殺したのは私です。
 動機は、これまたお話しする必要もないかもしれませんが、娘の復讐です。

 妻を何年も前に亡くした私にとって、絵摩は唯一の肉親です。かけがえのない宝でした。彼女がいたからこそ、どんなに苦しいことも耐えられましたし、これからの人生に夢を抱くこともできました。
 そんな何ものにも代え難い宝を、伴崎敦也は私から奪いました。しかもそのやり方は、残忍で、狂気に満ちたもので、人間性のかけらさえ感じることができません。私の娘を、まるで家畜のように、いいえそれ以下の、ただの肉の塊として扱ったのです。
 私はその様子をこの目で見ることになりました。人間の皮をかぶっただけのけだものたちは、絵摩を蹂躙する様子をビデオカメラにおさめていたからです。
それを目にした時の私の気持ちをわかっていただけるでしょうか。
 私が悲しみのまっただ中にいる時、伴崎敦也は戻ってきました。彼にとっては最悪のタイミングだったわけです。しかし私にとっては、恨みを晴らす絶好の、そして唯一のチャンスでした。
 彼を殺したことを、私は少しも後悔しておりません。それで恨みが晴れたのかと問われますと、晴れるわけがないとしか申せませんが、もし何もしなければ、もっと悔いることになっただろうと思います。

 伴崎は未成年です。しかも、意図的に絵摩を死なせたわけではなく、たとえばアルコールや薬の影響で正常な判断力が損なわれていた、などと弁護士が主張すれば、刑罰とはとてもいえないような判決が下されるおそれがあります。未成年者の更生を優先すべきだ、というような、被害者側の人間の気持ちを全く無視した意見が交わされることも目に見えています。
 事件の前ならば、私もそうした理想主義者たちの意見に同意したかもしれません。でも今の考えは違います。こんな目に遭って、私はようやく知りました。一度生じた「悪」は永遠に消えないのです。たとえ加害者が更生したとしても(今の私は、そんなことはあり得ないと断言できますが、万一あったとしても)、彼等によって生み出された「悪」は、被害者たちの中に残り、永久に心を蝕み続けるのです。
 もちろん、どういう理由があろうとも、人を殺せば罰せられることはわかっております。すでに私はその覚悟ができています。
 しかし、今はまだ逮捕されるわけにはいきません。復讐すべき人間は、もう一人いるからです。もはやそれが誰かということも警察は掴んでいるだろうと想像します。

 私は何があっても復讐を果たします。それまでは捕まらないつもりです。そのかわりに、復讐を果たした時には、その足で即座に自首いたします。情状酌量を求める気はありません。たとえ死刑が宣告されても構いません。どうせ、このまま生きていても意味のない人生なのです。
 こんなふうに書いたところで、何の意味もないことはよくわかっております。今頃皆様は、私の行方を追っておられることでしょう。その方針が、この手紙によって変更されることなど期待しておりません。
 ただ、私の知人、友人、そして親戚に対する、不必要に厳しい捜査は遠慮していただきたいのです。私には共犯者はおりません。すべて私が一人で考え、行動していることです。定期的に連絡をとっている者もおりません。
 これまで私たち父娘は、様々な方に支えられてきました。その皆さんに、御迷惑をかけたくなくて、このような手紙を書きました。
 この手紙が無事に、捜査の第一線におられる方々の手に渡ることを祈っております。


***************************************************

この手紙が実際の裁判で問題になる場合

長峰重樹が伴崎敦也の殺害を自認した部分は、「被告人が作成した供述書で被告人の署名のあるもの」であり、かつ「その供述が被告人に不利益な事実の承認を内容とするもの」と認められるため、これを証拠とすることができる(刑事訴訟法322条1項本文前段)。また、その他の部分も「特に信用すべき情況の下にされたもの」と認められるため、これを証拠とすることができる(刑事訴訟法322条1項本文後段)。もっとも、単なる感情の吐露に止まるため、量刑資料としてはともかく、要証事実に対する証拠価値は少ない。

また、関連性が認められなければ証拠能力のある証拠とはいえず、公判廷で取り調べることが許されない。関連性とは、自然的関連性と法律的関連性に分けられるが、証拠が要証事実の存否の証明に役立ちうる性質のことである。長峰の手紙については、筆跡鑑定や指紋鑑定が問題となる。そして、技術と経験のある鑑定士によって正確な機械が使用され、鑑定の過程にも不正がなく、検査結果の保管も厳重であり改竄がみられないといった要件が充足されれば、筆跡鑑定や指紋鑑定の結果に証拠能力が認められる。その他、長峰には不当な圧力は掛けられていないため、違法収集証拠にはあたらない。


・・・法治国家における刑事裁判は、1つのフィルターとなって、1つの世界を表出させる。これらを構成する概念は、一旦形成されてしまえば、そこからしか物事を見ることができなくなる。日常用語は専門用語に比べて曖昧であり、不正確であり、論理的に劣っているとのパラダイムが、実に多くの言葉を殺してきた。