※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、近代~現代篇」(2020年)「大東亜戦争」の章(235-314頁)
(75)百田氏の誤り①:「1943年段階」では東条内閣は「講和など一切考えていない」!(291-293頁)
P 百田尚樹『日本国紀』は「1943年時点で、日本の国内経済はすでにガタガタになっており、生産力は著しく低下し、戦争の継続の見通しは立たなくなっていたが、アメリカの本格的な反攻がないため、講和の画策もしなかった」(百田398-399頁)
P-2 百田氏の誤り①:百田氏は「1943年時点」で日本(東条内閣)が「講和」を考えていたように言うが、これは誤りだ。「1943年段階」では東条内閣(1941/10-1944/7)は「講和など一切考えていない。」(浮世292頁)
P-2-2 1943年2月上旬、日本軍はガダルカナル島から「転進」したが、中国では1943年以降(ア)~(エ)の軍事作戦を展開し、戦果を挙げている。「戦争の継続の見通しは立たなくなっていた」との百田氏の見方は誤りだ。
(ア)江北殲滅作戦:1943年に入って長江北部、武漢西方に第11軍を展開し、中国の守備隊を壊滅させた。
(イ)江南殲滅作戦:同5月に洞庭湖西方、長江南部に第11軍は進軍し、民間人を含む中国軍3万人を殲滅。
(ウ)常徳会戦:同11月、湖南省北部で中国軍と激突。(これについては、成功か失敗か意見が分かれる。)
(エ)打通作戦:1944年からの中国大陸縦断作戦。中国内陸部の連合軍基地の破壊、仏印への陸路を開くことを目的とした。投入総兵力50万人、戦車800台、騎兵7万。作戦距離2400キロ。この作戦は成功した。
(75)-2 百田氏の誤り②:「1943年時点」で「アメリカの本格的な反攻がない」との見方は誤りだ!アメリカは「着々と日本の勢力範囲を奪って縮めていって」いる!(293頁)
P-3 「1943年時点」で「アメリカの本格的な反攻がない」との百田氏の見方も誤りだ。アメリカは既に1942年3月「ウォッチタワー作戦」(東南アジア・太平洋諸島奪還作戦)を開始した。
P-3-2 かくて1943年2月ソロモン諸島のガダルカナル島が奪われ、5月北方でアリューシャン列島のアッツ島全滅、7月キスカ島脱出。11月南方のギルバート諸島のマキン島・タラワ島で日本軍全滅。アメリカは「反攻準備を着々と整えていた」(百田399頁)のでなく、「着々と日本の勢力範囲を奪って縮めていって」いる。(浮世293頁)
(75)百田氏の誤り①:「1943年段階」では東条内閣は「講和など一切考えていない」!(291-293頁)
P 百田尚樹『日本国紀』は「1943年時点で、日本の国内経済はすでにガタガタになっており、生産力は著しく低下し、戦争の継続の見通しは立たなくなっていたが、アメリカの本格的な反攻がないため、講和の画策もしなかった」(百田398-399頁)
P-2 百田氏の誤り①:百田氏は「1943年時点」で日本(東条内閣)が「講和」を考えていたように言うが、これは誤りだ。「1943年段階」では東条内閣(1941/10-1944/7)は「講和など一切考えていない。」(浮世292頁)
P-2-2 1943年2月上旬、日本軍はガダルカナル島から「転進」したが、中国では1943年以降(ア)~(エ)の軍事作戦を展開し、戦果を挙げている。「戦争の継続の見通しは立たなくなっていた」との百田氏の見方は誤りだ。
(ア)江北殲滅作戦:1943年に入って長江北部、武漢西方に第11軍を展開し、中国の守備隊を壊滅させた。
(イ)江南殲滅作戦:同5月に洞庭湖西方、長江南部に第11軍は進軍し、民間人を含む中国軍3万人を殲滅。
(ウ)常徳会戦:同11月、湖南省北部で中国軍と激突。(これについては、成功か失敗か意見が分かれる。)
(エ)打通作戦:1944年からの中国大陸縦断作戦。中国内陸部の連合軍基地の破壊、仏印への陸路を開くことを目的とした。投入総兵力50万人、戦車800台、騎兵7万。作戦距離2400キロ。この作戦は成功した。
(75)-2 百田氏の誤り②:「1943年時点」で「アメリカの本格的な反攻がない」との見方は誤りだ!アメリカは「着々と日本の勢力範囲を奪って縮めていって」いる!(293頁)
P-3 「1943年時点」で「アメリカの本格的な反攻がない」との百田氏の見方も誤りだ。アメリカは既に1942年3月「ウォッチタワー作戦」(東南アジア・太平洋諸島奪還作戦)を開始した。
P-3-2 かくて1943年2月ソロモン諸島のガダルカナル島が奪われ、5月北方でアリューシャン列島のアッツ島全滅、7月キスカ島脱出。11月南方のギルバート諸島のマキン島・タラワ島で日本軍全滅。アメリカは「反攻準備を着々と整えていた」(百田399頁)のでなく、「着々と日本の勢力範囲を奪って縮めていって」いる。(浮世293頁)