※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、近代~現代篇」(2020年)「大東亜戦争」の章(235-314頁)
(61)百田氏の誤り①:第二次大戦で英仏が「本心は戦争する気がなかった」と百田氏が判断するのは、根拠がなく誤りだ!(244-245頁)
C 百田尚樹『日本国紀』は、「第二次大戦は不思議な戦争だった。イギリスとフランスはドイツに対して宣戦布告したものの(1939年9月)、実際にドイツに攻め込むことはしなかったからだ。」「8か月間、陸上での戦いはほとんどなかった。そのためイギリスでは『まやかし戦争』、フランスでは『奇妙な戦争』と呼ばれた。つまりイギリスもフランスも、建前上、ドイツに宣戦布告したものの、本心は戦争する気がなかったのだ」(百田379頁)と述べる。
C-2 百田氏の誤り①:英仏とも、「本心は戦争する気がなかった」と百田氏が判断するのは、根拠がなく誤りだ。「誤認」だ!(浮世245頁)
(ア)「まやかし戦争」と言われるのは「『西部戦線』の一時的状況」であって、「初期の状況全般」の話でない。(※ドイツは、ソ連と1939年8月独ソ不可侵条約を結び、1939/9/1ポーランドに侵攻。英仏は9/3ドイツに対し宣戦布告。他方、9/17ソ連がポーランドに侵攻。1か月でポーランドは、ドイツ軍とソ連軍に敗れ、ナチスドイツとソ連に分割占領された。)
(イ) 「宣戦布告をしても具体的な戦闘が始まらなかった」のは、イギリスの場合、「ドーバー海峡を挟んでヨーロッパ大陸と対峙していた」ことが一つの要因だ。
(イ)-2 フランスは「戦闘準備状態」に入っていたが「マジノ要塞線」を堅持し、ドイツ側の「ジークフリート戦」を挟み、「にらみ合い」の状態だった。
(ウ) イギリス首相チェンバレンは、「早期の和平実現」を開戦直後の方針とし、「経済的圧力によってドイツを疲弊させ、領土拡大がドイツの利益にならないとヒトラーに思わせる作戦」を考えていた。チェンバレンは「第一次世界大戦」のような「西ヨーロッパが主戦場となる戦争」を回避する計画を立てていた。
(エ)「ソ連がフィンランドに侵攻した」時(1939/11月-1940/3月)、英仏は「フィンランド支援の軍を派遣し、ノルウェー北端のナルヴィック港を占領し、ドイツへの鉄鉱石供給地のスウェーデンのキルナなどを攻撃する準備も進めていた」が、ソ連とフィンランドの早期講和で実現しなかった。英仏はドイツと「戦争する気でいたがそれを隠していた」。(浮世245頁)
(61)百田氏の誤り①:第二次大戦で英仏が「本心は戦争する気がなかった」と百田氏が判断するのは、根拠がなく誤りだ!(244-245頁)
C 百田尚樹『日本国紀』は、「第二次大戦は不思議な戦争だった。イギリスとフランスはドイツに対して宣戦布告したものの(1939年9月)、実際にドイツに攻め込むことはしなかったからだ。」「8か月間、陸上での戦いはほとんどなかった。そのためイギリスでは『まやかし戦争』、フランスでは『奇妙な戦争』と呼ばれた。つまりイギリスもフランスも、建前上、ドイツに宣戦布告したものの、本心は戦争する気がなかったのだ」(百田379頁)と述べる。
C-2 百田氏の誤り①:英仏とも、「本心は戦争する気がなかった」と百田氏が判断するのは、根拠がなく誤りだ。「誤認」だ!(浮世245頁)
(ア)「まやかし戦争」と言われるのは「『西部戦線』の一時的状況」であって、「初期の状況全般」の話でない。(※ドイツは、ソ連と1939年8月独ソ不可侵条約を結び、1939/9/1ポーランドに侵攻。英仏は9/3ドイツに対し宣戦布告。他方、9/17ソ連がポーランドに侵攻。1か月でポーランドは、ドイツ軍とソ連軍に敗れ、ナチスドイツとソ連に分割占領された。)
(イ) 「宣戦布告をしても具体的な戦闘が始まらなかった」のは、イギリスの場合、「ドーバー海峡を挟んでヨーロッパ大陸と対峙していた」ことが一つの要因だ。
(イ)-2 フランスは「戦闘準備状態」に入っていたが「マジノ要塞線」を堅持し、ドイツ側の「ジークフリート戦」を挟み、「にらみ合い」の状態だった。
(ウ) イギリス首相チェンバレンは、「早期の和平実現」を開戦直後の方針とし、「経済的圧力によってドイツを疲弊させ、領土拡大がドイツの利益にならないとヒトラーに思わせる作戦」を考えていた。チェンバレンは「第一次世界大戦」のような「西ヨーロッパが主戦場となる戦争」を回避する計画を立てていた。
(エ)「ソ連がフィンランドに侵攻した」時(1939/11月-1940/3月)、英仏は「フィンランド支援の軍を派遣し、ノルウェー北端のナルヴィック港を占領し、ドイツへの鉄鉱石供給地のスウェーデンのキルナなどを攻撃する準備も進めていた」が、ソ連とフィンランドの早期講和で実現しなかった。英仏はドイツと「戦争する気でいたがそれを隠していた」。(浮世245頁)