※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、近代~現代篇」(2020年)「大東亜戦争」の章(235-314頁)
(59) 百田氏の誤り①:中国人に「お灸をすえてやる」ために支那事変(日中戦争)が始まったのでない!(239頁)
A 百田尚樹『日本国紀』は、支那事変(日中戦争)について「中国人の度重なるテロ行為に、お灸をすえてやると言う感じで戦闘行為に入った」(375頁)と述べるが、これは誤りだ。
A-2 一方で「日本が華北に対し、分離・支配を明確に示して兵力を動員しつつあり」、他方で「中国は『抗日』への民族的統合を進める」。これら政治的・軍事的・社会的動きの「接点」として、日中は「戦闘行為に入った」と言うべきだ。
(59)-2 百田氏の誤り②:「通州事件」について、百田氏が「背景」にまったく触れない点で、歴史的事件のとらえ方として誤りだ!(240頁)
A-2 1937年7/29の「通州事件」について百田氏は「中国人部隊が、通州にある日本人居留地を襲い、女性や子供、老人や乳児を含む民間人233人を虐殺した残虐な事件である」(240頁)と述べる。この場合、百田氏は、「背景にまったく触れていない」。その限りで歴史的事件のとらえ方としては誤りだ。
A-2-2 まず(a)盧溝橋事件(1937年7/7)の結果、中国全体で抗日の気運が高まり、上海・長江流域での抗日運動は日本側の予想を上回るものになった。
(a)-2 抗日運動の激化に驚いた関東軍が飛行隊を出撃させて華北一帯を爆撃した。
(a)-3 その際に、日本の傀儡であった冀東(キトウ)防共自治政府の兵舎を誤爆した。この誤爆に対し、防共政府の中国兵(保安隊)が、抗日運動に連動して反乱を起こした。(Cf. 防共自治政府は1938/2/1解消。)
(b)他方、中国民衆は、通州でアヘンの密売が行われていたことにも不満と憤激を覚え、保安隊の反乱に乗じて通州への暴挙に出た。
(c)日本軍はその後、「誤爆」や「通州でのアヘン売買」に触れずに、通州事件の残虐性を宣伝し、「反中意識」を高めた。(浮世240頁)
A-2-3 《参考》百田氏は「通州事件」で「民間人233人」が殺害されたと述べるが、これは誤りだ。冀東(キトウ)防共自治政府の保安隊は、日本守備隊、特務機関などを襲撃、軍人や冀東政府関係者を殺害し、同時に日本居留民も殺害した。その合計が233人だ。したがって百田氏が「民間人233人」を殺害したと述べるのは誤りだ。
(59)-3 百田氏の誤り③:佐藤中佐は「黙れ!」の発言の後、議員たちの猛反発を受け、「不適切発言」として自ら取り消した!(241-242頁)
A-3 国家総動員法の衆院委員会での法案審議中、1938年3/3趣旨説明をした佐藤賢了(ケンリョウ)陸軍中佐が、議員たちの抗議に対し、「黙れ!」と発言した。これについて、百田氏は「議員たちの脳裏に2年前の2.26事件が浮かんだことは容易に想像できる、佐藤の恫喝後、誰も異議を挟まなくなり、狂気の法案はあっという間に成立した」(百田375頁)と述べる。だがこれは誤りだ。
A-3-2 (ア)佐藤の「黙れ!」の発言に対し「黙れとは何だ!」と議員たちは猛反発した。(イ)佐藤はこの発言を「不適切発言」として、その場で取り消した。(ウ)翌日3/4、杉山陸軍大臣が、前日の佐藤の発言に異例の「陳謝」をした。
(59) 百田氏の誤り①:中国人に「お灸をすえてやる」ために支那事変(日中戦争)が始まったのでない!(239頁)
A 百田尚樹『日本国紀』は、支那事変(日中戦争)について「中国人の度重なるテロ行為に、お灸をすえてやると言う感じで戦闘行為に入った」(375頁)と述べるが、これは誤りだ。
A-2 一方で「日本が華北に対し、分離・支配を明確に示して兵力を動員しつつあり」、他方で「中国は『抗日』への民族的統合を進める」。これら政治的・軍事的・社会的動きの「接点」として、日中は「戦闘行為に入った」と言うべきだ。
(59)-2 百田氏の誤り②:「通州事件」について、百田氏が「背景」にまったく触れない点で、歴史的事件のとらえ方として誤りだ!(240頁)
A-2 1937年7/29の「通州事件」について百田氏は「中国人部隊が、通州にある日本人居留地を襲い、女性や子供、老人や乳児を含む民間人233人を虐殺した残虐な事件である」(240頁)と述べる。この場合、百田氏は、「背景にまったく触れていない」。その限りで歴史的事件のとらえ方としては誤りだ。
A-2-2 まず(a)盧溝橋事件(1937年7/7)の結果、中国全体で抗日の気運が高まり、上海・長江流域での抗日運動は日本側の予想を上回るものになった。
(a)-2 抗日運動の激化に驚いた関東軍が飛行隊を出撃させて華北一帯を爆撃した。
(a)-3 その際に、日本の傀儡であった冀東(キトウ)防共自治政府の兵舎を誤爆した。この誤爆に対し、防共政府の中国兵(保安隊)が、抗日運動に連動して反乱を起こした。(Cf. 防共自治政府は1938/2/1解消。)
(b)他方、中国民衆は、通州でアヘンの密売が行われていたことにも不満と憤激を覚え、保安隊の反乱に乗じて通州への暴挙に出た。
(c)日本軍はその後、「誤爆」や「通州でのアヘン売買」に触れずに、通州事件の残虐性を宣伝し、「反中意識」を高めた。(浮世240頁)
A-2-3 《参考》百田氏は「通州事件」で「民間人233人」が殺害されたと述べるが、これは誤りだ。冀東(キトウ)防共自治政府の保安隊は、日本守備隊、特務機関などを襲撃、軍人や冀東政府関係者を殺害し、同時に日本居留民も殺害した。その合計が233人だ。したがって百田氏が「民間人233人」を殺害したと述べるのは誤りだ。
(59)-3 百田氏の誤り③:佐藤中佐は「黙れ!」の発言の後、議員たちの猛反発を受け、「不適切発言」として自ら取り消した!(241-242頁)
A-3 国家総動員法の衆院委員会での法案審議中、1938年3/3趣旨説明をした佐藤賢了(ケンリョウ)陸軍中佐が、議員たちの抗議に対し、「黙れ!」と発言した。これについて、百田氏は「議員たちの脳裏に2年前の2.26事件が浮かんだことは容易に想像できる、佐藤の恫喝後、誰も異議を挟まなくなり、狂気の法案はあっという間に成立した」(百田375頁)と述べる。だがこれは誤りだ。
A-3-2 (ア)佐藤の「黙れ!」の発言に対し「黙れとは何だ!」と議員たちは猛反発した。(イ)佐藤はこの発言を「不適切発言」として、その場で取り消した。(ウ)翌日3/4、杉山陸軍大臣が、前日の佐藤の発言に異例の「陳謝」をした。