宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

浮世博史『もう一つ上の日本史、近代~現代篇』(70)-3 百田氏の誤り③:日本の「フィリピンの独立」の承認は「軍事・外交・経済等ニ亙(ワタ)リ帝国ノ強力ナル把握下」にすぎない!

2021-04-22 15:29:12 | Weblog
※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、近代~現代篇」(2020年)「大東亜戦争」の章(235-314頁)

(70)-3 百田氏の誤り③:日本による1943年の「フィリピンの独立」の承認といっても、1935年にはすでに、M.L. ケソン大統領の独立準備政府が成立しており、1944年に独立の予定だった!(浮世278-279頁)
K-5 フィリピンについて百田氏は日本が1943年「10月14日にフィリピンの独立を承認している」(百田392頁)と述べるが、(ア)そもそもフィリピンは長い独立運動のもと、1934年にアメリカから10年後の独立を約束されていた。そして翌1935年にはすでに、M.L. ケソン大統領の独立準備政府が成立しており、1944年に独立の予定だった。
(イ)1942年のコレヒドールの戦いの後、ケソン大統領はオーストラリアに脱出してアメリカへの亡命を余儀なくされた。(※日本は独立準備政府を認めなかった。つまり日本は「フィリピンの独立」のために戦ったわけでない。)
(ウ)1942年マニラを占領した日本は、「南方占領地行政実施要領」・「南方経済対策要綱」にもとづき「軍政」を敷いた。(※つまり日本は「フィリピンの独立」を認めない。)
(ウ)-2 そして軍票・南発券の乱発で経済が混乱、さらにサトウキビ・綿花の強制作付けが行われた。(※つまり日本の占領で、フィリピンの人々はひどい目にあっただけだ。)
(ウ)-3  1942年「バターン死の行進」では多くのアメリカ兵・フィリピン兵捕虜等が亡くなった。
(エ) 日本の「軍政」による支配・圧政に対し、元フィリピン兵は山中に籠ってパルチザン活動を行う。1942年3月に抗日人民軍(フクバラハップ、Hukbong Bayan Laban sa mga Hapon)が結成された。
(オ)  日本が1943年「10月14日にフィリピンの独立を承認している」といっても形だけにすぎない。つまり1942年7/8の「軍政総監指示」によれば「此ノ独立ハ、軍事・外交・経済等ニ亙(ワタ)リ帝国ノ強力ナル把握下ニ置カルベキ独立ナル点特ニ留意ヲ要スル」とある。

K-5-2 百田氏は「1943年には東京で、中華民国、満州国、インド、フィリピン、タイ、ビルマの国家的有力者を招いて『大東亜会議』を開いている」(百田392頁)と述べ、日本がアジアの人々に「植民地支配からの解放」をもたらそうとした実例とする。(浮世277頁)しかしこの会議で「マレー、スマトラ、ジャワ、ボルネオ、セレベスは帝国領土」と宣言されている。日本は「石油・天然ゴム・スズなどの戦略物資の産出される地域の独立は認めない」。(浮世279頁)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする