※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、近代~現代篇」(2020年)「大東亜戦争」の章(235-314頁)
(77)百田氏の誤り①:沖縄戦開始時に日本軍は7万7千で、米軍は18万8千だった! (297頁)
R 百田尚樹『日本国紀』は、「日本軍は沖縄を守るために、沖縄本島中心とした南西諸島に18万の兵士を配置した」(百田401頁)と述べるが、これは誤りだ。
R-2 百田氏の誤り①:「沖縄戦開始時には、18万も兵は配置されていない。」レイテ戦との関係で1945年1月に「精鋭の第9師団」は台湾に転出してしまい、「牛島軍司令官(中将)の配下の兵(第32軍)は7万7千で、沖縄本島に上陸したアメリカ第10軍の18万8千と戦うことになった」。(浮世297頁)
(77)-2 百田氏の誤り②:「日本は沖縄を守るために最後の力をふり絞って戦った」と言えない!(297-299頁)
R-3 百田氏は「戦後の今日、『日本は沖縄を捨て石にした』と言う人がいるが、これは誤りだ。日本は沖縄を守るために最後の力をふり絞って戦ったのだ。もし捨て石にするつもりだったなら、飛行機も大和もガソリンも重油も本土防空および本土決戦のために温存したであろう」(百田401頁)と述べる。
R-3-2 百田氏の誤り②:「日本は沖縄を守るために最後の力をふり絞って戦った」と百田氏が言うのは誤りだ。その理由を以下、列挙しよう。(浮世297-299頁)
(ア) 1945年4月 沖縄本島に上陸したアメリカ軍18万8千人に対し、日本軍は7万7千人(第32軍)にすぎなかった。(既述)(※「沖縄を守るために最後の力をふり絞って」いない。)
(イ)圧倒的兵力差を見て牛島中将は沖縄にあった二つの飛行場を放棄。本島南部での「持久戦」へと方針変更した。かくて米軍はあっさりと飛行場を占拠した。(※「沖縄を守る」ことを放棄した。)「沖縄の飛行場をアメリカと日本、どちらが押さえるか」が沖縄戦のポイントと考えていた大本営は驚く。昭和天皇が「現地軍はなぜ攻勢に出ぬか」と「疑問」を呈したこともあり、大本営は第32軍に攻勢の要望を出すが、結局大損害を被る。
(ウ) 「陸軍は、すでに本土を最終決戦の場と定め、沖縄戦を本土決戦のための『出血持久的前哨戦』とみなし、航空戦力のすべてを投入しようとしなかった。」(※つまり陸軍は「沖縄を捨て石にした」!)「このため、沖縄決戦を主張する海軍と激しく対立している。」(浮世298-299頁)
(エ)なお昭和天皇が沖縄戦の動向に関心を持ち「航空機だけの総攻撃か」と「御下問」があったので、海軍は、豊田連合艦隊司令長官が、戦艦大和などからなる海上特攻隊に沖縄突入を命じた。(『戦史叢書』)(※つまり海軍は「沖縄決戦」を行うと決定した。)昭和天皇の「疑問」や「御下問」がなければ「海軍は沖縄戦に航空戦力しか投入しなかったかもしれない」。
(エ)-2 海上特攻隊は戦艦大和・巡洋艦矢矧(ヤハギ)・駆逐艦4隻が沈没し、連合艦隊の海上戦力は事実上消滅した。しかし連合艦隊は「指揮下一切ノ航空戦力ヲ投入シ総追撃」ヲ続け、特攻を行い、ロケット推進の「桜花(オウカ)」も投入した。
R-3-3 特攻機は2,393機が投入され、大本営は「空母22~25隻、戦艦4隻、巡洋艦24隻を撃沈破した」と発表した。これは虚偽で、撃沈は、空母0隻、戦艦0隻、巡洋艦0隻、その他36隻だった。(浮世299頁)
(77)百田氏の誤り①:沖縄戦開始時に日本軍は7万7千で、米軍は18万8千だった! (297頁)
R 百田尚樹『日本国紀』は、「日本軍は沖縄を守るために、沖縄本島中心とした南西諸島に18万の兵士を配置した」(百田401頁)と述べるが、これは誤りだ。
R-2 百田氏の誤り①:「沖縄戦開始時には、18万も兵は配置されていない。」レイテ戦との関係で1945年1月に「精鋭の第9師団」は台湾に転出してしまい、「牛島軍司令官(中将)の配下の兵(第32軍)は7万7千で、沖縄本島に上陸したアメリカ第10軍の18万8千と戦うことになった」。(浮世297頁)
(77)-2 百田氏の誤り②:「日本は沖縄を守るために最後の力をふり絞って戦った」と言えない!(297-299頁)
R-3 百田氏は「戦後の今日、『日本は沖縄を捨て石にした』と言う人がいるが、これは誤りだ。日本は沖縄を守るために最後の力をふり絞って戦ったのだ。もし捨て石にするつもりだったなら、飛行機も大和もガソリンも重油も本土防空および本土決戦のために温存したであろう」(百田401頁)と述べる。
R-3-2 百田氏の誤り②:「日本は沖縄を守るために最後の力をふり絞って戦った」と百田氏が言うのは誤りだ。その理由を以下、列挙しよう。(浮世297-299頁)
(ア) 1945年4月 沖縄本島に上陸したアメリカ軍18万8千人に対し、日本軍は7万7千人(第32軍)にすぎなかった。(既述)(※「沖縄を守るために最後の力をふり絞って」いない。)
(イ)圧倒的兵力差を見て牛島中将は沖縄にあった二つの飛行場を放棄。本島南部での「持久戦」へと方針変更した。かくて米軍はあっさりと飛行場を占拠した。(※「沖縄を守る」ことを放棄した。)「沖縄の飛行場をアメリカと日本、どちらが押さえるか」が沖縄戦のポイントと考えていた大本営は驚く。昭和天皇が「現地軍はなぜ攻勢に出ぬか」と「疑問」を呈したこともあり、大本営は第32軍に攻勢の要望を出すが、結局大損害を被る。
(ウ) 「陸軍は、すでに本土を最終決戦の場と定め、沖縄戦を本土決戦のための『出血持久的前哨戦』とみなし、航空戦力のすべてを投入しようとしなかった。」(※つまり陸軍は「沖縄を捨て石にした」!)「このため、沖縄決戦を主張する海軍と激しく対立している。」(浮世298-299頁)
(エ)なお昭和天皇が沖縄戦の動向に関心を持ち「航空機だけの総攻撃か」と「御下問」があったので、海軍は、豊田連合艦隊司令長官が、戦艦大和などからなる海上特攻隊に沖縄突入を命じた。(『戦史叢書』)(※つまり海軍は「沖縄決戦」を行うと決定した。)昭和天皇の「疑問」や「御下問」がなければ「海軍は沖縄戦に航空戦力しか投入しなかったかもしれない」。
(エ)-2 海上特攻隊は戦艦大和・巡洋艦矢矧(ヤハギ)・駆逐艦4隻が沈没し、連合艦隊の海上戦力は事実上消滅した。しかし連合艦隊は「指揮下一切ノ航空戦力ヲ投入シ総追撃」ヲ続け、特攻を行い、ロケット推進の「桜花(オウカ)」も投入した。
R-3-3 特攻機は2,393機が投入され、大本営は「空母22~25隻、戦艦4隻、巡洋艦24隻を撃沈破した」と発表した。これは虚偽で、撃沈は、空母0隻、戦艦0隻、巡洋艦0隻、その他36隻だった。(浮世299頁)