※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、近代~現代篇」(2020年)「大東亜戦争」の章(235-314頁)
(69) 百田氏の誤り①:ハル・ノートが日本側に手交された1941/11/27以前、日本は1941/11/05の御前会議で「対英米蘭戦争ヲ決意」している! (270-274頁)
J 百田氏の誤り①:百田尚樹『日本国紀』は「ハル・ノートを受け入れれば、日本は座して死を待つことになる」(百田386頁)、つまり《「ハル・ノート」が日米開戦の引き金となった》と述べるが、これは誤りだ。ハル・ノートが日本側に手交されたのは1941/11/27だが、それ以前、1941/11/05の御前会議で「此ノ際対英米蘭戦争ヲ決意シ、左記ノ措置ヲ採ル」とすでに決定している。「ハル・ノート」が日米開戦の引き金になったわけでない。(浮世271頁)
J-2 「左記の措置」とは「(一)武力発動ノ時期ヲ12月初頭ト定メ陸海軍ハ作戦準備ヲ完遂ス」「(ニ)対米交渉ハ別紙ノ要領ニ依リ之ヲ行フ」。「別紙ノ要領」は甲案と乙案があったが、野村大使は「甲案」をハル国務長官に提出した。(浮世271-272頁)
J-2-2 「甲案」は「北支及蒙疆(モウキョウ)ノ一定地域海南島」への25年間の駐兵を含むもので「アメリカの要求をすべて退けているのに等しく、アメリカ側から見れば甲案を最後通牒と見做しても不思議でない。」(浮世272頁)
J-3 「日米交渉」は、しょせん「日本とアメリカの帝国主義的角逐だ。・・・・ハル・ノートの内容が日本を追い込んだとか、日本は戦争をするつもりが本当はなかったとか、そんな弁解をする必要はない」。(浮世271頁)
(69)-2 百田氏の誤り②:「日本は座して死を待つ」などありえない!
J-4 上述のように、百田氏は「ハル・ノートを受け入れれば、日本は座して死を待つことになる」と述べるが、「日本は座して死を待つ」という判断は誤りだ。「ハル・ノート」は日本の中国からの撤退を要求するが、「満州」は除いている。(浮世262-266頁)
J-4-2 日本は戦後、台湾も朝鮮も満州も失ったが「座して死を待つ」ことはなかった。日本は世界有数の経済大国となった。これから類推すれば、「ハル・ノートの受け入れは『座して死を待つ』のと同じだ、という主張も、戦争遂行を正当化する当時のプロパガンダの一種にすぎない」。(浮世272頁)
(69)-3 百田氏の誤り③:ダグラス・マッカーサーの発言には、政治的文脈がある!
J-5 百田氏は「ダグラス・マッカーサーは1951年、アメリカ上院軍事外交合同委員会の場において『日本が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのものだった』と述べている。つまり侵略でなはなく自衛のための戦争であったと言ったのだ」(百田387頁)と述べる。
J-5-2 百田氏の誤り③:だがダグラス・マッカーサーの発言には、政治的文脈があるのに、百田氏はそれを無視している。その点で誤りだ。
J-5-3 朝鮮戦争の方針をめぐって、マッカーサーはトルーマン大統領に1951/4月、解任された。もともとトルーマンとマッカーサーはなにかとソリがあわなかった。(マッカーサーが1948年、共和党の大統領選挙の予備選候補となったところから対立が始まっていた。)(浮世273-274頁)
J-5-4 「解任後、共和党はマッカーサーを民主党政権の攻撃に使えると考え、民主党の太平洋戦争中の諸政策を批判するのに利用していた」。「したがって先の委員会での発言は、ローズヴェルト政権およびトルーマン政権の戦争政策・外交を攻撃する流れを受けてのものだ」。(浮世274頁)(※1952年、共和党のアイゼンハワーが大統領選で当選する。)
J-5-5 「この頃共和党は、ローズヴェルトの戦争政策を批判するためさまざまな手段を用いていた。それが現在『日米開戦はローズヴェルトが画策した』という『陰謀論』の温床となっている。発言元の多くは、対立していた共和党の元大統領や議員の言葉だが、そこに見られる日本に有利な発言をつまみ食いして、陰謀論が構成されている場合が多い」。(浮世274頁)
(69) 百田氏の誤り①:ハル・ノートが日本側に手交された1941/11/27以前、日本は1941/11/05の御前会議で「対英米蘭戦争ヲ決意」している! (270-274頁)
J 百田氏の誤り①:百田尚樹『日本国紀』は「ハル・ノートを受け入れれば、日本は座して死を待つことになる」(百田386頁)、つまり《「ハル・ノート」が日米開戦の引き金となった》と述べるが、これは誤りだ。ハル・ノートが日本側に手交されたのは1941/11/27だが、それ以前、1941/11/05の御前会議で「此ノ際対英米蘭戦争ヲ決意シ、左記ノ措置ヲ採ル」とすでに決定している。「ハル・ノート」が日米開戦の引き金になったわけでない。(浮世271頁)
J-2 「左記の措置」とは「(一)武力発動ノ時期ヲ12月初頭ト定メ陸海軍ハ作戦準備ヲ完遂ス」「(ニ)対米交渉ハ別紙ノ要領ニ依リ之ヲ行フ」。「別紙ノ要領」は甲案と乙案があったが、野村大使は「甲案」をハル国務長官に提出した。(浮世271-272頁)
J-2-2 「甲案」は「北支及蒙疆(モウキョウ)ノ一定地域海南島」への25年間の駐兵を含むもので「アメリカの要求をすべて退けているのに等しく、アメリカ側から見れば甲案を最後通牒と見做しても不思議でない。」(浮世272頁)
J-3 「日米交渉」は、しょせん「日本とアメリカの帝国主義的角逐だ。・・・・ハル・ノートの内容が日本を追い込んだとか、日本は戦争をするつもりが本当はなかったとか、そんな弁解をする必要はない」。(浮世271頁)
(69)-2 百田氏の誤り②:「日本は座して死を待つ」などありえない!
J-4 上述のように、百田氏は「ハル・ノートを受け入れれば、日本は座して死を待つことになる」と述べるが、「日本は座して死を待つ」という判断は誤りだ。「ハル・ノート」は日本の中国からの撤退を要求するが、「満州」は除いている。(浮世262-266頁)
J-4-2 日本は戦後、台湾も朝鮮も満州も失ったが「座して死を待つ」ことはなかった。日本は世界有数の経済大国となった。これから類推すれば、「ハル・ノートの受け入れは『座して死を待つ』のと同じだ、という主張も、戦争遂行を正当化する当時のプロパガンダの一種にすぎない」。(浮世272頁)
(69)-3 百田氏の誤り③:ダグラス・マッカーサーの発言には、政治的文脈がある!
J-5 百田氏は「ダグラス・マッカーサーは1951年、アメリカ上院軍事外交合同委員会の場において『日本が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのものだった』と述べている。つまり侵略でなはなく自衛のための戦争であったと言ったのだ」(百田387頁)と述べる。
J-5-2 百田氏の誤り③:だがダグラス・マッカーサーの発言には、政治的文脈があるのに、百田氏はそれを無視している。その点で誤りだ。
J-5-3 朝鮮戦争の方針をめぐって、マッカーサーはトルーマン大統領に1951/4月、解任された。もともとトルーマンとマッカーサーはなにかとソリがあわなかった。(マッカーサーが1948年、共和党の大統領選挙の予備選候補となったところから対立が始まっていた。)(浮世273-274頁)
J-5-4 「解任後、共和党はマッカーサーを民主党政権の攻撃に使えると考え、民主党の太平洋戦争中の諸政策を批判するのに利用していた」。「したがって先の委員会での発言は、ローズヴェルト政権およびトルーマン政権の戦争政策・外交を攻撃する流れを受けてのものだ」。(浮世274頁)(※1952年、共和党のアイゼンハワーが大統領選で当選する。)
J-5-5 「この頃共和党は、ローズヴェルトの戦争政策を批判するためさまざまな手段を用いていた。それが現在『日米開戦はローズヴェルトが画策した』という『陰謀論』の温床となっている。発言元の多くは、対立していた共和党の元大統領や議員の言葉だが、そこに見られる日本に有利な発言をつまみ食いして、陰謀論が構成されている場合が多い」。(浮世274頁)