宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

アイリアノス『ギリシア奇談集』:「闘鶏の起源」(人間は殺し合いをする愚かな生き物だ)!「プラトン」(人生における出会い)!

2021-04-09 20:01:29 | Weblog
※アイリアノス(200A.D.頃)『ギリシア奇談集』(第1~14巻)岩波文庫

第2巻(28)「闘鶏の起源」:人間は殺し合いをする愚かな生き物だ!
ペルシア戦争(BC499-BC449)に勝利を収めた後、アテナイ人は「毎年1回、国が主催して劇場で鶏を闘わせること」を法で定めた。理由はこうだ。テミストクレスが国軍を率いてペルシア軍に向かおうとするとき、鶏が喧嘩しているのを見た。それが気合の入った喧嘩だったので、彼は全軍を立ちどまらせて言った。「この鶏どもは、祖国のためとか、神々のためとか、先祖のために戦うのでもなければ、名誉や自由や子孫のために戦うのでもない。ただ銘々が《負けたくない》、《相手に屈したくない》、その一心からなのだ。」彼はこのようにアテナイ人を激励し、そして彼らは勝利した。(※BC480サラミス海戦で勝利!)テミストクレスは彼らを鼓舞した事件「闘鶏」を、記念として残すことにしたのだ。

《感想1》人間は殺し合いをする生き物だ。しかも人間は同一種内で大人同士が殺し合う。これは人間に特有だ。人間は愚かな生き物だ。(ア)人間は「ホモ・サピエンス」(知恵ある人)で殺しの道具を発展させる。しかし平和を築く技術・智恵をなかなか生み出せない。(イ)人間は「ホモ・ルーデンス」(遊戯する人)として文化を創り出すが(Cf. ホイジンガ)、殺戮を「遊戯」として楽しむ残虐な生き物だ。(Ex. 無人兵器の操作による他の人間の殺戮。Ex. 狩り。)
《感想1-2》現代では、殺し合いの手段・方法も悪辣になり、カネがある国同士はロボット・無人兵器で互いに戦うが、カネがない国は肉体を持つ人間が、ロボット・無人兵器と戦うしかない。ジェノサイド(民族大量虐殺)だ。
《感想1-3》核兵器の使用はジェノサイドそのものだ。
《感想1-4》人間が殺し合いをせずに生きられる日は来るのか?「戦間期」という平和の期間があるだけだ。
《感想1-5》戦う当事者(兵士・軍人)以外の「銃後」は殺し合いを避けることが可能だ。しかし無差別爆撃や核兵器攻撃で「銃後」もジェノサイドの対象となる。
《感想1-6》人間は殺し合いをするだけでなく、他の人間を奴隷化し、また虐待・殺戮して楽しむ。人間は残虐な生き物(動物)だ。この宇宙に人間が存在することが、人間にとって価値あるor意味あることかどうか、不明だ。
《感想1-7》しかし人間としてとして生まれてしまった限りは、幸せにならねばならない。人間は幸せになるために生きる。(Cf. 幸福追求権)

第2巻(30)「プラトン」:人生の初期における、人や物事との出会いは、しばしば人生を決める!
プラトン(BC427-BC347)は、(a)初め詩作を志し「英雄詩」を書いた、しかしホメロスにはるかに及ばないとして、自作を火中に投じた。(b)次にプラトンは「悲劇」を書き、4部作まで完成させ、俳優に作品を手渡し、大ディオニュシア祭の演劇コンテストに参加する予定だった。(c)ところがその前にたまたまソクラテスの話を聞き、たちまちその弁舌の虜(トリコ)となり、演劇コンテストに欠場し、終生「哲学」に専念することとなった。

《感想2》人生における、とりわけその初期における、人や物事との出会いは、しばしば人生を決める。
《感想2-2》だが会社勤めが、非正規雇用(Ex. 日雇い)ばかりで、企業がいつ潰れるかわからずリストラが常態のこの時代、「家業」があるなら、「家業」との出会いを大切にし、それを引き継ぐのが賢明な選択だ。

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浮世博史『もう一つ上の日本史、近代~現代篇』(63)-3 百田氏の誤り④:日独伊三国同盟の締結に対する「新聞」批判は「一面的」だ!「一大慶事」と情報操作したのは軍部(陸軍)と松岡外相だ!

2021-04-09 13:53:53 | Weblog
※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、近代~現代篇」(2020年)「大東亜戦争」の章(235-314頁)  

(63)-4 百田氏の誤り④:日独伊三国同盟の締結に対する「新聞」への批判は一面的だ!(浮世255-256頁)
E-5  百田氏は「1940年9月、近衛文麿内閣は『日独伊三国同盟』を締結した。朝日新聞は、これを一大慶事のように報じた」(百田380頁)と述べる。
E-5-2 百田氏の誤り④:日独伊三国同盟の締結に対する「新聞」への批判は「一面的」だ。「一大慶事」であるかのようにドイツとの同盟を説いてきたのは、軍部(陸軍)、また近衛内閣の松岡外相だ。百田氏が、「前途明るい日独伊三国同盟であるというプロパガンダをしていた政府や陸軍の情報操作」を批判せず、「マスコミの報道を一方的に批判するのは適切ではない」。(浮世255-256頁)
E-5-3 第1次近衛内閣(1937/6-1939/1)から日独伊三国同盟締結(1940/9)までの経緯。(浮世255-256頁)
(ア)ドイツとの連携がアメリカとの対立を深めることは、第1次近衛内閣(1937/6-1939/1)の時に理解されていたはずだ。《参考》「東亜新秩序」建設の表明(1938/11)は、東アジアにおける「自由貿易圏」の確立をめざしていたアメリカ・イギリスを刺激した。当然、日米間の貿易額はここから減少し始める。(浮世253-254頁)
(イ)だから阿部内閣(1939/9-1940/1)も米内内閣(1940/1-1940/7)も欧州大戦には介入せず、欧米との対立で、これ以上の輸入が減らないようにしてきた。《参考》阿部信行内閣、米内光政内閣が「欧州大戦不介入」の立場をとったのは、日中戦争遂行のための資源・軍需物資の調達に関し合理的だ。日本がドイツと連携すれば、米英との対立が深刻となり、資源・軍需物資の調達が得られなくなるからだ。(浮世254頁)
(ウ)ところが軍部(陸軍)がドイツの優勢を見て、アメリカ・イギリスとの衝突覚悟で方針を転換させ、1940年7月、第2次近衛内閣を成立させた。《参考》第2次近衛内閣(1940/7-1941/7)は「欧州大戦介入」・「ドイツ・イタリア・ソ連との連携」・「積極的南方進出」を3つの内閣の基本方針として組閣された。そして1940年9月、日独伊三国同盟を締結した。(浮世253頁)
(エ) 日独伊三国軍事同盟が締結に持ち込まれた背景には、駐独大島大使と松岡外相の交渉および不正確な政府への説明があった。
(エ)-2 松岡外相は「ドイツと同盟を結んでも、参戦するか否かは秘密議定書で日本が選択できている」と御前会議や枢密院会議を説得。米英との対決を避けたい海軍もそれでしぶしぶ賛成に回った。
(エ)-3 しかしこれは実はドイツのシュタマー特使が「私信」で松岡に提案したことにすぎず、同盟締結を成立させるために松岡が独断で「約束」と表現した。
(エ)-4 「ドイツとソ連の開戦はない」「アメリカは日本との戦争にふみきらない」と松岡は主張していた。

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