※稲垣えみ子(1965-)『アフロ記者が記者として書いてきたこと。退職したからこそ書けたこと。』2016年、朝日新聞出版
(11)「君が代条例」&「思想及び良心の自由」!
2011年、維新の会が、君が代の起立斉唱を教職員に義務づける全国初の「君が代条例案」を議員提案した。「リベラル」「反戦」「護憲」の朝日新聞としては見過ごせない問題だった。橋下徹大阪市長(当時2011年)は「公務員なら決まりを守れ」と平易な論理だ。(Cf. 国旗・国家法1999成立。)(Cf. 憲法19条:「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」。)「維新の会」に投票した人に記者が街に出て聞くと30人中26人が「君が代条例に賛成」だった。「当たり前のルールを守れない人が先生をしていること自体おかしい」という。(122-125頁)
《感想11》稲垣氏は、「リベラル」「反戦」「護憲」が「良心的な世論」であるべきだと考えていたが、「リベラル」・「護憲」の立場からの「条例反対」は、「時代から完全に取り残されたアナクロな存在なのかもしれない」(125頁)と述べる。だが、「思想及び良心の自由」の観点から「君が代条例」に反対することは「理想・理念」の問題だ。「アナクロ」でなく、「時代」が、「理想・理念」に反した方向に向かっているのだ。
(12)「既得権者」としての「リベラル」への攻撃:橋下徹氏!
「今世間は、インテリ業界が戦後の長い時間のなかでためてきた澱(オリ)のようなものを敏感に感じ取っている。きれいごとを言い、上から目線で、一皮めくれば既得権化しているのに偉そうに説教をたれる。」橋下徹氏は、「既得権者」として「リベラル」と呼ばれる「インテリ業界」を攻撃する。「リベラル」の親玉が朝日新聞だ。(136-137頁)
《感想12》大学教員、朝日新聞記者は収入が多い。つまり成功者だ。成功者は妬まれる。「他人の不幸は蜜の味」なのに、あいつらは成功者だ。それだけで「非成功者」は腹が立つのだ。
《感想12-2》また「リベラル」の普遍主義への反対もある。ナショナリズム(国家主義)だ。
《感想12-3》橋下徹氏は、選挙戦術として「非成功者」の「妬み」に訴え、票を獲得する。
(13)「成長」がすべてを癒した時代は終わった!
「成長がすべてを癒した時代は終わった。」(153頁)「声の大きな者、力の強い者」が限られたパイの多くを奪う。(154頁)
《感想13》「希望」のない時代だ。食っていけない。子供も産めない。結婚もできない。こじゃれたデートもできない。
(a)真面目に勉強しても就職する会社がない。日雇い(非正規雇用)のみだ。研究者でさえ日雇いだ。
(b)弱肉強食の時代!「敗者」は「無能」で「無価値」と言われる。
(c)上層の「再生産」、下層も「再生産」、中層は下層化していく。
(d)上層は財産を持ち、それゆえ子弟は教育投資(塾・家庭教師・留学・授業料等々)され高学歴となり、あるいは家産・家業・工場を引き継げる。
(e)だが財産なく、教育投資されず、高学歴を獲得できない下層出身者も多い。
(f)成功者が「敗者」を「無能」と呼ぶ根拠はない。競争条件が公正・公平でない。
(g)そもそも「無価値」の人間はいない。人間はそれ自身が「価値」だ。
(13)-2 「マスコミの『反権力』」は「ガス抜き」だった:経済成長の時代!
「経済成長の時代は、世の中はもっと簡単だった。マスコミは万年与党の悪口を言い、スキャンダルを掘り返し、ケシカランと拳を振り上げていれば誰も傷つけずに正義の面をかぶることができた。」「みんなも安心して拍手を送ってくれた。それは誰もが明るい未来を夢見ることができた例外的な時代だったからだ。」「マスコミの『反権力』」は「ガス抜き」だった。(156-157頁)
《感想13-2》中選挙区制から小選挙区比例代表並立制へと、94年1月、非自民の細川連立政権のもとで移行して以後、政治はつまらなくなった。自民党の「諸子百家」「百家争鳴」的側面が消えてしまった。「経済成長の時代」は1990年に終った。小選挙区比例代表並立制になって「失われた30年」が始まった。
(13)-3 成長が終わり落ち目になった日本:今日もまた犯人探しが続く!
今や「成長が終わり落ち目になった日本では、誰もが『いつまでも報われない』怒りを抱え、どこかにいる犯人を探している。・・・・寄ってたかってのバッシング」。「不倫」、「不謹慎」、「偉そう」、「偏っている」とかなんだとか。だがそうやって誰かを叩いても、自分が報われるわけでもないし、世の中が良くなるわけでもない。「みんな薄々わかっている。」「それでも他にどうしていいかわからない。だから今日もまた犯人探しが続く。」(157頁)
《感想13-3》「失われた30年」(1991-2020)の内、2010年、日本のGDPは中国に抜かれ、世界3位となった。(日本のGDPは、1968年以来、米国に次ぐ世界第2位だった)。なお小泉政権(2001-2006)の構造改革路線で2004年、労働者派遣法が改正され製造業への派遣が可能となり非正規雇用が増大していった。(現在は4割。)
(13)-4 人とは、「誰かのために、何かをしたいと願ってやまない存在」!「親切な存在」!
朝日新聞社をやめて「お金のない生活」にチャレンジした稲垣氏。すると、「『どうも金がないようだ』と思った相手に対しては、人は親切なのだ」と彼女は知ることとなった。「人とは本質的に、どこまでも親切な存在なのだと改めて思うのです。人とは実のところ、誰かのために、何かをしたいと願ってやまない存在なんじゃないか。いま世の中は閉塞し、人々は罵り合い、傷つけ合い、分捕りあっているばかりのように見えるけれど、本当にそれが人の本質なのだろうか?と思うのです。」(186頁)
《感想13-4》私見では、人に本質はない。状況によって人はどうにでもなる。一方で、人は敵・外集団に対して邪悪・残忍・残虐になる。他方で、人は味方・内集団に対して親切・善良・善意になる。
(11)「君が代条例」&「思想及び良心の自由」!
2011年、維新の会が、君が代の起立斉唱を教職員に義務づける全国初の「君が代条例案」を議員提案した。「リベラル」「反戦」「護憲」の朝日新聞としては見過ごせない問題だった。橋下徹大阪市長(当時2011年)は「公務員なら決まりを守れ」と平易な論理だ。(Cf. 国旗・国家法1999成立。)(Cf. 憲法19条:「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」。)「維新の会」に投票した人に記者が街に出て聞くと30人中26人が「君が代条例に賛成」だった。「当たり前のルールを守れない人が先生をしていること自体おかしい」という。(122-125頁)
《感想11》稲垣氏は、「リベラル」「反戦」「護憲」が「良心的な世論」であるべきだと考えていたが、「リベラル」・「護憲」の立場からの「条例反対」は、「時代から完全に取り残されたアナクロな存在なのかもしれない」(125頁)と述べる。だが、「思想及び良心の自由」の観点から「君が代条例」に反対することは「理想・理念」の問題だ。「アナクロ」でなく、「時代」が、「理想・理念」に反した方向に向かっているのだ。
(12)「既得権者」としての「リベラル」への攻撃:橋下徹氏!
「今世間は、インテリ業界が戦後の長い時間のなかでためてきた澱(オリ)のようなものを敏感に感じ取っている。きれいごとを言い、上から目線で、一皮めくれば既得権化しているのに偉そうに説教をたれる。」橋下徹氏は、「既得権者」として「リベラル」と呼ばれる「インテリ業界」を攻撃する。「リベラル」の親玉が朝日新聞だ。(136-137頁)
《感想12》大学教員、朝日新聞記者は収入が多い。つまり成功者だ。成功者は妬まれる。「他人の不幸は蜜の味」なのに、あいつらは成功者だ。それだけで「非成功者」は腹が立つのだ。
《感想12-2》また「リベラル」の普遍主義への反対もある。ナショナリズム(国家主義)だ。
《感想12-3》橋下徹氏は、選挙戦術として「非成功者」の「妬み」に訴え、票を獲得する。
(13)「成長」がすべてを癒した時代は終わった!
「成長がすべてを癒した時代は終わった。」(153頁)「声の大きな者、力の強い者」が限られたパイの多くを奪う。(154頁)
《感想13》「希望」のない時代だ。食っていけない。子供も産めない。結婚もできない。こじゃれたデートもできない。
(a)真面目に勉強しても就職する会社がない。日雇い(非正規雇用)のみだ。研究者でさえ日雇いだ。
(b)弱肉強食の時代!「敗者」は「無能」で「無価値」と言われる。
(c)上層の「再生産」、下層も「再生産」、中層は下層化していく。
(d)上層は財産を持ち、それゆえ子弟は教育投資(塾・家庭教師・留学・授業料等々)され高学歴となり、あるいは家産・家業・工場を引き継げる。
(e)だが財産なく、教育投資されず、高学歴を獲得できない下層出身者も多い。
(f)成功者が「敗者」を「無能」と呼ぶ根拠はない。競争条件が公正・公平でない。
(g)そもそも「無価値」の人間はいない。人間はそれ自身が「価値」だ。
(13)-2 「マスコミの『反権力』」は「ガス抜き」だった:経済成長の時代!
「経済成長の時代は、世の中はもっと簡単だった。マスコミは万年与党の悪口を言い、スキャンダルを掘り返し、ケシカランと拳を振り上げていれば誰も傷つけずに正義の面をかぶることができた。」「みんなも安心して拍手を送ってくれた。それは誰もが明るい未来を夢見ることができた例外的な時代だったからだ。」「マスコミの『反権力』」は「ガス抜き」だった。(156-157頁)
《感想13-2》中選挙区制から小選挙区比例代表並立制へと、94年1月、非自民の細川連立政権のもとで移行して以後、政治はつまらなくなった。自民党の「諸子百家」「百家争鳴」的側面が消えてしまった。「経済成長の時代」は1990年に終った。小選挙区比例代表並立制になって「失われた30年」が始まった。
(13)-3 成長が終わり落ち目になった日本:今日もまた犯人探しが続く!
今や「成長が終わり落ち目になった日本では、誰もが『いつまでも報われない』怒りを抱え、どこかにいる犯人を探している。・・・・寄ってたかってのバッシング」。「不倫」、「不謹慎」、「偉そう」、「偏っている」とかなんだとか。だがそうやって誰かを叩いても、自分が報われるわけでもないし、世の中が良くなるわけでもない。「みんな薄々わかっている。」「それでも他にどうしていいかわからない。だから今日もまた犯人探しが続く。」(157頁)
《感想13-3》「失われた30年」(1991-2020)の内、2010年、日本のGDPは中国に抜かれ、世界3位となった。(日本のGDPは、1968年以来、米国に次ぐ世界第2位だった)。なお小泉政権(2001-2006)の構造改革路線で2004年、労働者派遣法が改正され製造業への派遣が可能となり非正規雇用が増大していった。(現在は4割。)
(13)-4 人とは、「誰かのために、何かをしたいと願ってやまない存在」!「親切な存在」!
朝日新聞社をやめて「お金のない生活」にチャレンジした稲垣氏。すると、「『どうも金がないようだ』と思った相手に対しては、人は親切なのだ」と彼女は知ることとなった。「人とは本質的に、どこまでも親切な存在なのだと改めて思うのです。人とは実のところ、誰かのために、何かをしたいと願ってやまない存在なんじゃないか。いま世の中は閉塞し、人々は罵り合い、傷つけ合い、分捕りあっているばかりのように見えるけれど、本当にそれが人の本質なのだろうか?と思うのです。」(186頁)
《感想13-4》私見では、人に本質はない。状況によって人はどうにでもなる。一方で、人は敵・外集団に対して邪悪・残忍・残虐になる。他方で、人は味方・内集団に対して親切・善良・善意になる。