hiroの花便り

我が家に咲く花や日々の暮らしを綴っていきたいと思います

足柄万葉公園から矢倉岳

2018-03-17 | ハイキング・ウォーキング
2018年3月11日(日)
今週の息子のトレイルランの練習は箱根の金時山とのこと。
山音痴の私たちに、息子が勧めてくれたのは、足柄万葉公園から登る矢倉岳。
矢倉岳の標高は870mだが、足柄公園の標高が740mなので
私達にも無理なく楽しめると思ったのだろう。


目指すは矢倉岳

家を出たのは8:23。
途中ガソリンを入れ、海老名ICを経由して東名高速に入る。
9:00に大井松田ICを下り、神奈川県道78号線を南足柄方面に進み、
竜福寺交差点を右折(足柄街道)
道なりに進む。
途中、地蔵堂の駐車場に寄り、(バス2台、乗用車も多く駐車していた)
南足柄市の足柄万葉公園の駐車場には9:32に着いた。



足柄万葉公園の駐車場
駐車場に6台 路肩に3台駐車可能。



駐車場の横から、朝のうちは見えなかった富士山が顔を出した。



足柄峠についての案内板



矢倉岳にはどの道から入ったらよいのだろうと案内板を見ていると
あとから来たご夫婦が、道を教えてくださった。
少しだけご一緒し、
「地蔵堂から登ろうかと迷ったのですが、標高差がありそうなので、こちらからにしました」
と話すと、
「こちらからでも200m位下ってまた上がるのでそれほど変わりませんよ」
とのこと。

えぇっ!!!せっかく上まで来たのにまた下るの・・・



ここからも矢倉岳が見える。

鳥の鳴き声が聞こえるので、写真を撮ろうとしたが、
夫には見えても私にはなかなか探せない。
その間に、道を教えてくださったご夫婦の姿は、視界から完全に無くなっていた。
だいぶ時間をロスした。



手作り感が素敵!



足柄万葉公園内の歌碑



万葉公園の脇を歩いている時は日当たりが良かったのだが、
それを過ぎると杉の木が多くなる。
杉木立の中の道は、下から冷たい風が吹き上げてきて寒い。



緩やかな下りが続いていたが、少し開けた所から矢倉岳が見えた。
あとどれくらい歩いたら山頂に着くのだろう。



木の橋が3か所あった。
気を付けて渡らねば。



何しろ杉が多い。手が冷たい。
鞍部を過ぎたあたりから登りの道となる。



標識を見て気が付いたが、地蔵堂まで45分とある。
カメラの調節をしたり
(連写モードになってしまったので、直そうとしたが、画面が揺れて
決定のスイッチが思った場所に押せない。
写真のサイズが変わった。)
のんびりと写真を撮りながら歩いてきたのに、ここまで要した時間は1時間。
普通に歩けば45分位で着いていたかもしれない。
ということは、道を教えてくださった人の言葉は本当のようだ。

左側の標識には山伏峠の横に20分と薄い字で書かれていたが、
20分で山伏峠につくのでしょうかねぇ~。

山伏峠の標高は730m



山伏平からは急な登りが続く。



木は杉から落葉樹に代わり、木立の間から富士山が見えた。

雲が流れてきていたので、頂上ではどう変わるかわからないので
少し歩いては富士の写真、少し歩いては富士の写真を撮っていた。



ズームで



矢倉岳山頂に到着(標高870m)
まずは祠に参拝。



南には箱根の山々が見える。

私たちが休んでいる目の前には
お湯を沸かしてカップラーメンを食べているファミリーがいたが、
とても美味しそうだった。
夫はその道具が欲しいと言っていた。

東側には相模湾がぼんやりと見えた。
(写真なし)



そして西側の富士山。
予想通り雲隠れが始まっていた。
20分ほど休憩して、同じ道を引き返したが、その時は完全に雲隠れしていた。

帰る途中、金時山のトレイルランが終わり、矢倉岳まで足を延ばしていた息子とすれ違う。
そしてその先で、下山中の息子に抜かされた。
金時山でも登山中のシニア男性を追い抜き、まだ頂上に達していないその男性を
下山ランでも追い抜いたので、本当に頂上まで登ったの?と声をかけられたそうだ。
駐車場に着くと息子は着替えを済ませ、お昼も済ませ、清々しい顔をしていた。
矢倉岳は眺望もよく、それほど疲れず、山登り経験の少ないシニア夫婦には最適な山だった。
息子よ、ありがとう!!!

登山に要した時間(往復3時間10分+休憩20分 合計3時間30分)
万歩計 14340歩 9.9km(一日の合計)

おまけ画像(寄り道)





竹之下合戦史跡 足柄明神



新羅三郎義光笛吹石
奥州の乱に出兵した兄の八幡太郎義家の援軍として
足柄峠に差し掛かった新羅三郎義光。
自分は戦死するかもしれないと悟り、塚に腰かけて、豊原時元の子・豊原時秋に、
笙の笛の秘曲を伝授し、豊原時秋を京に帰したと伝えられている。



足柄城址
静岡県小山町と神奈川県南足柄市の境の足柄峠付近にある北条家が築城した城
永禄11年(1568)、武田信玄の侵攻にともない改修が加えられ、
さらに天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原攻めの前に大改修され、
大規模な山城となった。



足柄峠から見ると、比高は10mある。



玉手池
本丸の北側にあり、雨乞い池、底知らずの池とも言われている。


足柄城址からの眺め



雲がなければ石塔の後ろにそびえ立つ富士山が見えたはず。



高い山が息子がトレイルランをした金時山



足柄峠の上にかけられた橋
足柄城の本丸はその左手にある。

「足柄の関所趾」もこの近くにあったようなので行ってみたかった。
コメント (12)
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