hiroの花便り

我が家に咲く花や日々の暮らしを綴っていきたいと思います

①三浦・岩礁のみち(前編)

2018-03-04 | 関東ふれあいの道・神奈川県



2018年2月27日(火)晴
9:30
京急三浦海岸駅着

早咲きの河津桜が美しい。
ちょうど「三浦海岸桜まつり」開催中で、
駅前には地元産の野菜や魚介類を売る屋台や
本マグロの直売所が出ていた。
時間があったら、帰りに立ち寄ってみよう。



9:44
剱崎経由三崎東岡行に乗車(バス代260円)

スタート地点の松輪に行く三浦海岸駅のバス停は、
改札口を出て右手の駅下をくぐってすぐのところにある。
乗り場は②、バス系統34.35



少し走ると海岸に出る。
三浦国際市民マラソン大会が近いらしく、
それを知らせる旗がたなびいている。
夫は40代から50代の頃、この大会に10回出たそうだ。
参加賞で貰った大きな三浦大根を思い出す。
「あの砂浜で着替えをしたんだよ」
「混雑していて、帰りの電車に座れなかったのが辛かった」等と夫。
月日の経つのは早いものだ。

10:00
約15分で松輪バス停に到着





バス停から少し戻ると交差点があり、
右折したところがスタート地点となる。
(↑の写真がそれを示す看板)

10:10
交差点の向かい側のヤマザキデイリーストアでおにぎり等を買い
ウォーキング・スタート



三浦半島といえば三浦大根で有名だが、
今ある大根は、ほとんどが青首大根だった。
大根の収穫が終わった畑は、キャベツに植え替えられ、
白や青のネット掛けられていた。
夏は一面のスイカ畑になるそうだ。
(ヤマザキデイリーストアの裏から写す)



かすかに見える陸地は房総半島。



間口漁港に向かう道端には猿田彦大神の石碑や庚申塔などが多く、
写真以外でも何か所かで見られた。

猿田彦大神は昔、神様の先導を務めたことから道の神、
旅の安全を司る神様として、庶民に愛されてきたそうだ。

庚申塔は、中国から伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて
建てられた石塔のことで、庚申講に参加する人々によって、
死後の安楽を願って造立された。
60日ごとにめぐってくる庚申の日に、その夜を眠らずに過ごして、
健康長寿を願うというもので、
江戸時代以降に農村で流行した庶民信仰とのこと。



霜が降りないせいか、マーガレットなどが生き生きと咲いていた。
(我が家のは今にも枯れそうで元気がない)
道端のオキザリス・セルヌアも綺麗。



10:30
間口漁港に到着。
漁港をぐるっと回ると、南端の防波堤の脇に小さな隙間(入り口)がある。



中に入ると海岸で、ここから江奈湾までの3㎞は岩礁歩きとなる。
目の前の小さな灯台は間口港灯台。



右手前方の岬には剱埼灯台(つるぎさきとうだい)が見える。
剱崎灯台は、1866年(慶応2年)に、アメリカ・イギリス・フランス
オランダの4か国と結んだ江戸条約に基づき、
明治政府が 1871年(明治4年)に設置したもので、関東大震災後に再建された。

剱埼灯台と対岸の千葉県館山市の洲埼灯台までを結ぶ線が浦賀水道で、
東京湾と太平洋の境界となっている。



10:42
剱崎の碑

地名は1660年頃、徳川幕府の官財を積んだ船が難破し時、
岬の突端から、海南神社の官主が剣を海に投じ、
龍神の怒りを鎮めたことから生じたといわれている。
神奈川の景勝50選に指定されている。





海水の浸蝕でできた洞窟なども数多く見ることができた。







右側の橋は幅が狭く、渡るのが怖かった。



猫の鳴き声がするので、辺りを見回すと釣り人がいた。



一瞬のシャッターチャンス!
頬が白いのでホオジロだろうか?



漁船が数隻だけの小さな入り江もあったが、ほとんどが起伏の激しい岩場。
トレッキングシューズを履いてきたのは正解だった。
暑くなったので、夫はダウンを脱ぐ。
海は雄大だが、シニア夫婦には景色を楽しんで歩く余裕はない。
「岩礁の道」とはよく言ったものだ。



11:30
江奈湾だぁ~~~
コメント (10)
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