岐阜県下呂病院時代の恩師(整形外科)に会うため2泊3日で広島旅行に行きました。
尾道
原田知世の「時をかける少女」の舞台です。大林宣彦監督の尾道三部作の影響もあり、行ってみたい所でした。去年のしまなみ海道サイクリングの時に通過しましたが、今回、恩師と福山で会うことになったので、夕方までの時間を利用して行ってきました。
車は福山(家から2時間半)のホテルに置いておいて、電車で尾道へ。早速、腹ごしらえのため、昔の銭湯のあとを食堂にしている「大和湯」で尾道ラーメンを食べました。
その後、散策へ。
階段が風情あります。何度も線路を渡りますが、踏切がありません。志賀直哉の旧宅にも寄りましたが、彼はこの線路で電車に撥ねられたのでしょうか?(「城崎にて」)
観光ポスターのマネをして変顔・・・
福山
その後、福山に戻り、福山城へ。戦災で焼けたため、鉄筋コンクリートで再建してあり、博物館になっています。
夕方から市内の日本料理屋で懐かしい思いい出話に花を咲かせました。
呉
翌日は、呉へ。車で約1時間でした。
まずは大和ミュージアムへ。
いきなり戦艦陸奥の主砲です。後で行った江田島には砲塔(2門)が設置してあり、その大きさはビル3階分くらいありました。
10分の1スケールの戦艦大和です。館内では、当時の日本の技術力の凄さを感じました。そのおかげで、戦後の復興、高度成長ができたのでしょう。他にも、零戦、回天が展示されていました。
江田島
大和ミュージアム横の呉港から、海軍兵学校のあった江田島へ高速艇(約10分)で移動しました。現在は、海上自衛隊幹部候補生の学校です。
大正時代に建てられた講堂。2000人収容可能だそうです。内部も見学します。
幹部候補生学校。明治時代建築で、見事なレンガ造りです。
内部の廊下。床は船の床と同じ板張り。天井のライトは欧米の応接室で使用するタイプだったそうで、それを廊下のライトとして使用することで欧米を凌駕する気概を高めたそうです。
中庭のようす
資料館です。大理石でできています。立派な建物です。
内部は撮影禁止。特攻した隊員の手紙などが展示されています。
江田島の建物を見ると、当時の高揚感ある勇ましい日本の雰囲気を感じることができました。
しかし、学徒動員され、特攻していった若者たちの気持ちを絞り出すような手紙を見ると、複雑な気分がします。
彼らが命を懸けて守ってくれた日本を大切にしなければなりません。
広島
宮島にも行こうか悩んでましたが、平和祈念館にじっくり時間をかけたので、今回は厳島神社は行きませんでした。
核兵器ほど非人道的な兵器はないでしょう。西洋諸国は、中国を情報統制していると非難しますが、アメリカもいいかげん、原爆の被害がどのようなものであったか、はっきりアメリカ国民に教育すべきでしょう。以前、スミソニアン博物館での展示を取りやめたりしたこともありました。
終戦間近には迎撃されることもなく、日本上空に飛来しており、広島にもさまざまなビラを撒いていたようですが、原爆に関する情報は一切なかったそうです。それは原爆の被害を”正確に”把握したかったからだそうです・・・。
原爆開発計画を大統領に進言したのは、アインシュタインです。もちろん、アメリカが開発していなければドイツか日本が開発していたかもしれませんので、彼一人が悪いわけではないですが、科学者というものは一番になりたがり、暴走しうる存在であることは忘れてはいけません。遺伝子操作もそうですが、科学者は、数学や物理ばかりしていて、哲学や思想的には未熟である可能性があることも肝に銘じておかねばなりません。
話が逸れてきましたが、ウィルスミスの「アイアムレジェンド」もあながちあり得ない話ではありません。善意の塊のような研究者でも、結果として人類を滅ぼしてしまうかもしれません。