今朝、畑を見回っていると、隣地でミカン農家の老夫婦が八朔の収穫をしていた。
<隣地の八朔:木の高さは背丈の3倍以上>
米寿を迎えたという農家の「ご老人」と話をした。
「せなアカンという気はあるんやけど、体がついていかん」と言いながら、腰を下ろし、いろんな話をしてくれた。
ご老人:「車を運転して畑に来るだけで、何もようせんのや。そやから、家内にいつも怒られてばっかりや」
自分:「そんな歳で畑仕事に来てる人は、オイヤンぐらいしかおれへん。畑に来るだけでも凄いことや」
隣の地区に住む農家なので、我が地区の顔見知りの人の安否をアレコレ聞かれた。
今はコロナ禍で、葬儀をしても家族葬なので、JA有線電話放送もしないから他地区のことがわからない。
聞かれるたび、「その人、去年の6月に亡くなった」「その人、腰が悪化して歩かれへんようになって家の中ばっかりみたいやで」「その夫婦、80ぐらいやけど、二人で達者にミカン作っている」「隣地の人、この1月に亡くなったで」と。
答えるたびに、ビックリされたり、溜息をついたり、会いたいんなあと言われたりと感慨深げだった。
・・・・・・・
話をしながら、ふと見ると、80代半ばの奥さんが「高枝鋏」を使って背丈の倍以上も高いところの八朔を一つ一つ収穫していた。
自分:「あんな高いところ、息子さんに採ってもらったらいいのに」
ご老人:「休みの日に来てくれると言うてくれてるんやけど、ほっとかれへん」 ⇒ 農家の性根を垣間見た
その間、奥さんは、1人で黙々と収穫し、コンテナに入れた八朔を台車で軽トラの置いてある場所まで運び、また畑に戻っていった。
・・・・・・・
この老夫婦の頑張りぶりをみると、いつも頭が下がる。
真上を見上げながら、高枝鋏で一つ一つ八朔を採る老婦人の作業を見ているだけで感動した。
元気ももらえた。
我が勝手気ままな家庭園芸、恥ずかしくなってくる。