朝食づくりが何年も続いている。
「飽きっぽくて長続きしない勝手気ままな性分なのに、なぜ朝食づくりだけ続けられているんやろか?」
初心なんて忘れたし、年の初めだし、寒さで縮こまった脳が動いてくれるのかどうかも気になって、あれこれ思い返してみた。
1.家内の朝は社長出勤だけに、待っていたらお腹が辛抱できへん。「腹が減っては戦は出来ぬ」とばかり、本能が作らせ続けているのかも・・・
2.定年後、せめて少しの家事ぐらいは手伝わなくっちゃという「義務感」が働いているのかも・・・
3.かつて、家内が重い更年期障害で約1年半ほど、買い物どころか料理も作れなくなった時期があった。それがきっかけとなり、復調後、「朝食」だけが取り残されたのかも・・・
4.自分では気づかなかったが、潜在していた「料理好き遺伝子」が目覚めたのかも・・・
・・・・・・・
脳が勝手に話題から脇道にそれ始めた。
a.当たり前のように朝食を作り続けている自分、昔だったら、「男子、厨房に立つべからず」と非難されていたかも知れない。
b.「衣食足りて礼節を知る」が思い浮かんできた。「人は生活が豊かになり、余裕が出てくると礼儀が生まれ、しっかり節度をわきまえることができるようになるものである」と。
我が衣食住、不足はないが豊かではない。ただ「清貧」なだけ。
「武士は食わねど高楊枝」ということわざもある。我が家の祖先は武家ではなかったかも知れないが、自分はやっぱり日本古来の遺伝子を受け継いでいる気がする。
・・・・・・・
結局、初心がどうだったのか、なぜ続いてきたのかが思い出せなかった。
無理もない。昨日のことさえチョクチョク忘れることもあると言うのに。何年も前のことなんて思い出すはずもなかった。
経緯はどうあれ、ここ最近の「朝食コック」ぶりを振り返ってみた。
<家内の所望で「パン食」中心>
<時には、自分の分だけ「ご飯食」を作ることも>
・・・年の初めにあたって・・・
つくづく思う。
朝食づくりは、毎朝、似たり寄ったりの簡単メニューでもいい。
でも、昼食・夕食となると、そうはいかない。同じメニューにする訳にはいかない。
家族の健康状態や栄養バランスや好き嫌いを考えなくちゃならないし、料理のレパートリーも必要だし出来栄えや味も問われる。
毎回のメニューを考えるのも大変だ。材料も買いそろえなきゃならないし・・・
やっぱり、昼食・夕食を作り続けている家内は、凄い。
年の初め、自分に言い聞かせた。
「元気なうちは、せめて朝食ぐらいは作り続けなくっちゃ!」