カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

生誕100周年

2018年03月19日 18時56分24秒 | 生き方

生誕100周年というと、そうそうたる人物を思い浮かべます。

  • 夏目漱石(1867年02月09日-1916年12月09日)
  • カラヤン(1908年04月05日-1989年07月16日)
  • 岡本太郎(1911年02月26日-1996年01月07日)
  • 沢村栄治(1917年02月01日-1944年12月02日)

ちょっと思い出すだけでも以上が挙げられ、該当年度にはきっと華々しく催し物が開かれたのでしょう。 

ところで今年2018年の「生誕100周年」に該当する人は誰でしょうか。 

  • 1918年03月21日 - 升田幸三、将棋棋士
  • 1918年04月04日 - 塩月弥栄子、茶道家
  • 1918年04月17日 - W・ホールデン 米俳優「戦場にかける橋」など
  • 1918年05月03日 - 柏戸秀剛、大相撲力士
  • 1918年05月04日 - 田中角栄、内閣総理大臣
  • 1918年05月27日 - 中曽根康弘、内閣総理大臣 存命中!
  • 1918年07月14日 - I・ベルイマン、映画監督
  • 1918年08月17日 - 六代目笑福亭松鶴、上方噺家
  • 1918年08月25日 - L・バーンスタイン、指揮者、作曲家 
  • 1918年08月30日 - T・ウィリアムズ、野球選手
  • 1918年09月09日 - 高橋圭三、司会者・アナウンサー
  • 1918年10月04日 - 福井謙一、化学者

あさって 2018/03/21 が升田幸三(ますだ こうぞう)の生誕100周年となるそうです。

その1その2その3その4

死んでしまうと、生前のことはちゃんと伝わらなくなるものです。

升田幸三も生きていたうちは、下品で嫌がられたものですが、将棋界では奇才とされました。このことが、多くの人を将棋から遠ざけましたが、また近づけたりもしました。

死後しばらくして、その下品さは語られなくなり、当世に通用することだけが引用されるようになります。このようにしてその時代が必要とされる「美化」がおこなわれ、過去の人物は「美しいところだけ」が使われ、「その人を否定する」ようなことはタブーになるのでしょうね。

升田幸三賞は、将棋の技術において「常識にとらわれない」手や戦法を編み出した人に対して与えられるようで、それなりに立派なことです。

生まれ育った土地にずっと住み続けている人にとっては、若い議員(市会議員・村会議員など)の本人だけではなくその親の現役時代が重なって見えるようで、場合によっては、さらにその前の世代も加味されます。親に反発する場合もあろうし、親の看板を引き継ごうとしているだけで実際には異なる人物かも知れず、はたまた親そっくりの場合もあるでしょうが、とにかく子孫には迷惑な話となることがあるということです。

これが儒教社会であり、日本にも各地にこれが残っております。移り住んだ人には、過去にとらわれないで判断できる強みがありますが、詳しく知らないのがよかったのか悪かったのか、なんとも言えません。

しかし「親やがそうだったから、子もそうだろう」という勝手な思い込みの見方だけは避けたいものです。

ただし升田幸三の「新手一生(しんていっしょう)」の意味を

本来の「生きている限りずっと常識を疑うような手を追究する」という意味ではなく

「新しい手を編み出せば1生それで食べていける」と誤解している人がいるようですね。

もっとも

韓国では自分に不都合なこと(つまり自分と異なる意見のこと)はけしからんことなので何でもかんでも自分と異なる意見に対して「~を美化している」と言いたがるのですが、これはお話にならないほど馬鹿げています

韓国では「権威常識を疑うという習慣がない」ため、いつまで経ってもみんなが言っていることに逆らえず、したがってそこにまともな歴史が育つはずもなく、悲しいことに「儒教のしがらみ」にうろたえる状態を続けておりますが。

いや、そんなことはない、韓国にも民主主義が根付いている、と頑張る人がいますが、それはみんながそういっているだけのことで、韓国では少数者が認められるなんてことはありえず、従ってあれほど対立の多い社会となっています。

こういうのは既得権者にとって、とても生きやすい環境でしょうが、逆に言うならば、新しい時代を作ろうとする人たちにとっては住みにくい土地がらなんでしょう。

もしも新しい価値観をもった人が台頭しようとしても、それが国家の権威社会常識に合致しない限り、まず新しい価値観は生まれてこないでしょう。

どの時代にもどこでも、長い間かけて語られることがあるのです。

メキシコでは、それまでのスペインの征服よりも、対アメリカに向けられる怒りのほうが大きい人もいます。

中東でもヨーロッパでも各地に伝わる伝説のような歴史は、いずれも一方的なものでしょうが、それを利用したい人が大勢を占める限り、ずっと続くことでしょう。 


ところで、升田幸三で思い出したのですが

世の中は、2人のライバル同士をでっちあげ、もてはやすものです。

1人は天下をとった人で、もう1人は天下人よりも才能があったという人です。そのほうが社会的な合意を得られるとみなしています。

そして

大鵬ー柏戸

大山ー升田

もそう語られてきました。

それぞれの側に愛好者がいたようで、才能という面では柏戸や升田に軍配があがったものの、その世界を制覇したのは大鵬や大山だったというのです。

さてさて、皆様はどう思われますか。 


将棋A級順位戦プレーオフ 豊島将之×-○羽生善治

2018年03月19日 00時39分49秒 | 将棋

将棋A級順位戦プレーオフをインターネット無料中継(abemaTV)で視聴していました。

A級ではトップ棋士11人による総当り戦があり、A級に限って同星の場合、プレーオフの規定がありますが、なんと史上初のことですが、6人が6勝4敗で並び、6人によるパラマス方式のプレーオフとなり、本日勝ち進んだ豊島将之がその第4局目を戦いました。相手は待ち受けていた羽生善治です。6人のうち最下位の豊島が4局とも対局前の振り駒ですべて先手という幸運にも恵まれました。

今年からA級に昇級した豊島で、プレーオフ6人のうち最下位の豊島はプレーオフで5連勝しなければ挑戦権を得られないという厳しい条件だったのです。

朝10時から始まった対局が23:01先手豊島将之の投了で終わりました。対局が終了し45分ほどの感想戦も終わってまだ1時間ほどしか経過していません。

昼食休憩や夕食休憩を含めて11時間の死闘。後手の羽生善治が84手で勝ったのですが、本割り2回戦では豊島将之に負けていたものの「さすがに読みの入った手」を続けて勝ち切りました。

解説の深浦九段も呆気にとられていた「△48」でしたが、なんと羽生がぎりぎりで勝っていたのです。感想戦は、肝心の「△48」に触れることなくその手前で終了し、45分ほどで切り上げています。

私は初めてこの対局を昼過ぎからちらちらと見ていて、19時ごろからは実に真剣に視聴しました。解説者の解説では、2転3転したものの、「△33金」ではなく「△48」としたときには、羽生が負けではないかと思っていただけに、羽生の読みの深さに驚いた次第です。

羽生はこれで、本割りの8回戦で負けている稲葉陽と3月21日にプレーオフ第5戦(最後の闘い)を戦うことになりました。 

文字にすると何でもないのですが

いやいや久しぶりに感動の4時間でした。

見ているだけで凄いと思ったのは、久しぶりです。

さてさて、皆様はどう思われますか。