カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

マスメディアの公平さについて

2014年10月03日 06時24分02秒 | 社会

5ヶ月ほど前の記事ですが、

「報ステ、NEWS23、サンモニは政治的に公平か?」:産経ニュース 2014.5.25 18:00 [高橋昌之のとっておき]

なるものがあり、いろいろと考えさせられました。

 

テレビ朝日系列の「報道ステーション」

そういえば、先日、テレビ朝日の社長が「おわび」する騒ぎがありました。九州原発に関する番組で不適切な内容があったというものです。ほとんど見ていないものの古館なりに一生懸命にやっているという印象でしたが、やはり朝日特有の問題なのでしょうか。まぁそうとも言えませんが(笑)。

以前には久米宏が「ニュースステーション」としてやってましたがCMタイムについてふざけすぎて降板しましたね。

TBS系列の「NEWS23」「サンデーモーニング」

ここも過去に問題を起こしていますが、名前を変えてかなりの長寿番組になっているようです。毎日系は朝日よりはマシなところも朝日と似たような所も感じます。もちろん読売・産経にも問題が多いですね(笑)。

 

上記3つのテレビ番組名を挙げて「報ステ、NEWS23、サンモニは政治的に公平か?」と記事にしたのが産経ニュースですから、フジテレビ系列の番組が入っていないのはごく自然でもあり、産経系の番組も入れていないというのは、別の意味では残念だとも言えます(笑)。

 

この種の「政治的に公平か?」とする問いかけのことですが

  • マスメディアは、公平になれるか
  • マスメディアは、公平でなければならないか
  • 「マスメディアは公平だ」と信じてもいいか

などを問いかけているようで、おもしろいですね。 まぁこの記事の著者がそう考えていたかどうかは別として(笑)。

上記ニュース記事は、

産経新聞の記事ですから、「テレ朝系列やTBS系列の番組が公平ではないという前提で書かれている」と見て、まず問題はないでしょう。

つまり「~は公平か?」という問いかけは、「~は公平ではない」と主張したいとき特有の書き始めかも知れず、フジ系列のマスメディアが掲載する記事としては、自分のことは棚に上げてでもいいから、「テレ朝やTBSの番組は公平でない」と言わねばなりません(笑)。

「マスメディアの公平さ」についての私の考えは、明確ではありませんが・・・・次のようなものです。

公平になれるか、といえば

まず無理だろうと思います。保守なり革新という言葉は古くさいものですが、世間が貼っているレッテルには関係なく、思い通りにやればよく、何か問題があればできるだけ早めに訂正と謝罪をすること、これだけです。

マスメディアは自社としては公平なつもりでいいでしょうが、実際には公平とは言えないことが多すぎ、このため複数のマスメディアに目を通さなければならない、という結論に至ります。

公平でなければならないか、といえば

マスメディアは、自社のことを公平だと思っていても、残念なことにそれぞれの色眼鏡をかけているからこそ、個性が出てきます。それでいいのです。

一つの利益団体を代表するかのような記事・番組ならあきらかに偏向していますが、偏向してはいないと見せかけるのも、これまた編集上のテクニックで、いかに公平を装うかを各社が競っています。

つまり「公平でなければならない」と思うのは常識ある社ならば共通した考えですが、その公平のあり方に、大いなる差があると言えます。

そのマスメディアの大株主が、妙に頑固なオーナーなのか、どこのチェーン店組織に属するのか、も無視できないでしょう。

しかし視野の広い視聴者なら、「マスメディアは公平でなければならない」とは思わないでしょう。各マスメディア自身に「公平にやっている」という信仰があるし、私自身にも「公平でなくても十分に価値がある」という信仰がありますから。

賢明な視聴者なら、それでも、不公平なマスメディアの多くに目を通しながらも、それに左右されることなく、少しずつ自分なりのものの見方をつくってゆくのでしょう。

ですから、視聴者が自分の判断力に「妙でもいいから」少しでも自信があるならば、「マスメディアは公平でなければならない」とまでは思わないのではないか。

逆に言うと、テレビは1社のみしか見ない、新聞も同じ系列の1社しか読まない、という人ならば、「まともなマスメディアは公平だ」と信じているはずであり、「公平でなければならない」のは自明の理なのでしょう。

新聞は読まずテレビはNHKだけ、というのも同じ意味で危ないし、日テレ系のテレビと読売新聞だけを視聴するというのも危ないし、もうきりがありません(笑)。

多いだけが取り柄ではないとしても、危険分散のため、できるだけたくさんの種類の食材を食することが大切、というのに似ているかも知れません。

 

「~は政治的に公平か?」という問いかけに興味を示すならば、それはそれで結構なことであり、可能性としては2つあると思います。

一つは、新しい発見をして自分のものの見方が変わる可能性があるし

もう一つは、自分がひいきにするマスメディアを否定する論調をどう擁護するかの視点で視聴するため、ものの見方が変わる可能性はない、

この2つです。 

結論として、「~は公平か」とは、

  • 健全な懐疑心を失わない人には、興味のある問いかけ
  • 何も疑わない人にとっては自明過ぎて、興味のない問いかけ

なのでしょうか(大笑)。