2日にたずねたシベリア抑留体験者から、その「戦友」を案内していただき、お話をうかがいました。
最初はシベリア松の種を持ち帰ったかたのお宅。すでにご本人は故人で、お連れ合いのお話をうかがったのですが、「毎日シベリアの話を聞かされた」とのことで、ご自分の体験談のように話される様子には驚くばかり。
抑留中の仕事は貨車からの荷降ろしや木の伐採。故人は帰国してからその様子を絵に描いたり、記録に残されていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/da/8c86c431ea4bfb0814a1dfb1e76d26bf.jpg)
庭には、1947年に持ち帰った松の種が翌48年春に芽を出し、61年目のいまや杉の木のようにまっすぐと育っています。もっと高く伸びたそうで、剪定したそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/94/5bf60b938dcd097b8c1b3b268f2e26e3.jpg)
この木の種が、きょう案内してくれたかたのお宅や近所の神社、そして各地の戦友宅で育っているそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/72/af53f6a04da96d3ecea4401cbffd2932.jpg)
もうお一人のお宅でも、平均してマイナス30度、最も低いときでマイナス50度の地で暮らし、やはり伐採作業に従事させられた様子を、ノコギリの形などを「図解」してもらいながら、「よく生きて帰れた」と。
案内していただいたかたは「けっきょく話はここになる。見ず知らずの者どうしが殺しあう戦争など二度とすべきじゃない」とポツリ。
ともかく私が驚いたのは、当時の話をし始めると、終わりそうになっても次の話が次々と続き、目が輝いてくること。
その目の輝きは、「ダメなことはダメ、と体験を残す」の言葉につきます。
最初はシベリア松の種を持ち帰ったかたのお宅。すでにご本人は故人で、お連れ合いのお話をうかがったのですが、「毎日シベリアの話を聞かされた」とのことで、ご自分の体験談のように話される様子には驚くばかり。
抑留中の仕事は貨車からの荷降ろしや木の伐採。故人は帰国してからその様子を絵に描いたり、記録に残されていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/da/8c86c431ea4bfb0814a1dfb1e76d26bf.jpg)
庭には、1947年に持ち帰った松の種が翌48年春に芽を出し、61年目のいまや杉の木のようにまっすぐと育っています。もっと高く伸びたそうで、剪定したそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/94/5bf60b938dcd097b8c1b3b268f2e26e3.jpg)
この木の種が、きょう案内してくれたかたのお宅や近所の神社、そして各地の戦友宅で育っているそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/72/af53f6a04da96d3ecea4401cbffd2932.jpg)
もうお一人のお宅でも、平均してマイナス30度、最も低いときでマイナス50度の地で暮らし、やはり伐採作業に従事させられた様子を、ノコギリの形などを「図解」してもらいながら、「よく生きて帰れた」と。
案内していただいたかたは「けっきょく話はここになる。見ず知らずの者どうしが殺しあう戦争など二度とすべきじゃない」とポツリ。
ともかく私が驚いたのは、当時の話をし始めると、終わりそうになっても次の話が次々と続き、目が輝いてくること。
その目の輝きは、「ダメなことはダメ、と体験を残す」の言葉につきます。