あつしが行く!!

日本共産党前福島県議会議員・長谷部あつしが日々の活動を綴ります。

「高原好日」/信州浅間山麓/今と未来を見据える回顧

2009年03月31日 | 日々の活動


『高原好日』(加藤周一著、ちくま文庫)を読みました。

04年7月に信濃毎日新聞社から発刊された本の文庫化です。
文庫の「解説」を成田龍一さんが書き終えた08年11月3日のひと月後、加藤さんは12月5日に89歳で亡くなられました。

解説の「追記」で成田さんは、「戦後知識人として日本国憲法の精神について訴えかけ、それが根付きあたりまえになることを図っていた」と、04年の「九条の会」結成について記しています。

本書の舞台は、加藤さんが少年のころから夏を過ごしていた信州浅間山麓の追分村(現軽井沢町追分)。



ここで出会った多くの人々との愉(たの)しい交わりが語られます。登場するのは61人。

時にはこの地にゆかりの島崎藤村や佐久間象山との「会話」を楽しんだり、「平家物語」が描く巴御前も登場します。

ともかく、これだけの豊かな交友を回顧しながら、今と未来を見据えて語ることができる人生を私も創りたい。





「医療の社会化」/次代に次ぐ時代に生きる

2009年03月30日 | 日々の活動


「社会は絶えざる発展の道程を辿りつつある。しこうして診療機関もまた一般の社会状態の変化にともない不断の変化をなしつつある。遠くは貴族公卿の医師より次いでは武士の侍医となり、民間開業医制を経て健康保険法へと。しかも、そこに注意すべきは、独占より一歩一歩社会化し来れるその道程である」。



1926年、当時の若い学生たちによって発刊された『医療の社会化』に記されている言葉だそうです。

先週土曜日に除幕式をした「医療社会化の道標」には、その冒頭にこの言葉が紹介され、「医療の社会化」のための運動に参加されたいわき市出身の人びとの名を刻み、「その偉業と功績を永く後世に伝えたい」と結んでいます。

「医療の社会化」の内容や質が国家や行政とのかかわりで問われる21世紀初頭、21世紀を次代に次ぐ時代に生きる者として、心が洗われる思いです。


「中小企業のための経営改善術」

2009年03月29日 | 日々の活動



『中小企業のための経営改善術』(梶原陽二・柴谷真治著、時事通信社)を読みました。

著者の一人の梶原さんは、かつて同じ会社で働いた仲。「ヒマなときに読んで」と送ってくれました。

04年に中小企業診断士登録し、今は大阪商工会議所経営相談員も務め、同い年で00年から診断士の仕事をしている柴谷氏との共著。

中小企業の悩みや問題の解決に毎日取り組んでいると、「この施策を知っていれば、もっと違った方向に進んでいたのに」と思うこともしばしばだそうです。

国による支援策は、個別企業を中心とした施策から、企業間連携、異業種間連携など、複数の企業が共同して取り組む事業に対しての施策が増加しているそうですが、本書では、中小企業が直面する経営上の課題で頻繁に直面するジャンル、そしてできるだけ新しい施策を中心に、すぐに役立つ、賢く使って経営活力向上につながる支援策をピックアップしています。

第Ⅰ部が支援策を7章にわたって紹介し、第Ⅲ部がインターネットなどによるその情報源で、私がいちばん参考になったのが第Ⅱ部の「知っておきたい事業計画の作成方法」です。

事業計画は「自社の存在理由・存在価値を維持し高める方法や変革行動を組み立てたもの」ですが、これはいろいろ使えます。





アリオス・プランツ/「いわきの医療を考えっぺ」/「医療社会化の道標」/最長老

2009年03月28日 | 日々の活動


いわき芸術文化交流館(アリオス)で「アリオス・プランツ!フェスティバル」がありました。

「アリオスから発芽する出来事」をテーマに、アイディアの「種」(プランツ)を持ち寄って、話し合いながら発芽させるプロジェクトです。

このイベントに、いわき青年会議所市民協働委員会が「いわきの医療を考えっぺ!」のブースを出している、と聞きつけたのでかけつけました。

今年度の委員会委員長とひと月半ほど前に地域医療について懇談する機会があったので、激励する気持ちもありました。懇談後の市立病院改革プラン動向などについて意見交換することができました。



フェスティバルでは、子ども会のじゃんがら踊りも披露されました。

午後は小名浜生協病院の小楢林前で「医療社会化の道標」記念碑の除幕式後、理事会。
生協法改定後、初めての総代会へ向けた日程や議案づくりなどについて検討・確認しました。

会議が終わるや医療生協最長老の総代さんから実にタイミングよく、「ウチに寄ってきな」と電話。今年94歳ですが、シャキシャキとしておられ、「生きてる限りは総代をするのがオラの務めか?」と。返す言葉もありません。



ゆうべの夕食のおかずのひとつ、ヤーコン。

「モデルケース」/つどい/戦前を繰り返すな

2009年03月27日 | 日々の活動
こんな話を小耳にはさみました。

いわき市に出向していた国の職員が数年前に総務省にもどり、今は公立病院改革を担当し、いわき市の市立病院改革を「モデルケース」にしたい意向をいわき市に伝えているとか。

来年4月民間譲渡を頑として変えようとしない理由はその辺にある、というのです。

仮にほんとうだとすれば、とんでもない話です。



きょうは午後、仕事を休み、私が育った団地内の集会所で「国政・県政・市政の報告と懇談のつどい」がありました。

東北比例予定候補の宮本しづえさん、宮川県議、みぞぐち市議とともに参加しました。

懇談では北朝鮮の「人工衛星打ち上げ」が話題になり、軍事的対応先にありきの日本政府の姿勢に批判の声。とくに同期卒業生100人中40人が戦死したという戦争体験者は、軍部情報だけで戦争に突き進んだ戦前を繰り返させてはならない、と訴えられました。

県内一高い介護保険料、ムダ使いの人工島造りや県営高速道路造りにもおおいなる疑問が寄せられ、やっぱり住民の暮らしに目を向けた税金の使い方をする政治に変えましょう!

バタバタ準備/社保委員会/党と語るつどい

2009年03月26日 | 日々の活動
来週はもう新年度。事業所では新入職員を迎える時期であり、医療生協でも、今年度の中途採用者を含めて「新入職員オリエンテーション」が予定されています。

私も昨年に続き、社会保障・平和・民医連をキーワードにした話をします。話す内容の集団的検討をする機会や時間をもつ余裕もなく、バタバタと準備するのが実情です。

午後は職員社保委員会。あらためて市立病院民間譲渡問題を切り口に、1980年代からの国の医療費抑制政策を、「需要抑制策」と「供給抑制策」の両面から検証しました。



夕刻は平(たいら)の地域で高橋あき子市議と「党と語るつどい」。

市立病院問題から入って、市の医療に対する姿勢、企業献金、民主党の不明朗な態度、政党助成金と、共産党への注文を含め、時間切れとなる「討論会」となりました。


市民の健康と命に責任をもつとは/講演会/楽寿会

2009年03月25日 | 日々の活動
きょうの地元紙の報道によると、市が来年4月に民間譲渡を計画しようとしている市立常磐病院について、市医師会が運営の引き継ぎを検討している、とのこと。

きのうの医師会通常総会の冒頭のあいさつで、「考えのひとつ」として医師会長が言及したそうです。

ただ、市が譲渡時期を来年4月としている計画のスケジュールは「ストレートに受け入れるわけにはいかない」とも。

「方向性を探ることで、地域医療に穴を開けずに済むのではないか」とのことですが、いわき市の地域医療を最前線で支える現場の苦渋の「考えのひとつ」と受け止めざるをえません。

私は、「住民の福祉の増進を図ることを基本」としているいわき市こそがこういう立場で悩むべきだと思います。市立病院民間譲渡案でなぜ医師会が「地域医療に穴があく」と真剣に悩むのか、本来、市民の健康と命に責任をもつ市自身の問題のはずです。

市が医療の現場の声を聞かないからこういうことになるのだと思います。



午前中、その常磐地域のある長寿会の主催で「市立常磐病院の存続のために」の講演会があり、常磐病院の足元に住む医療生協理事長と、私が話をさせていただきました。

「私たち高齢者が安心して医療を受けられるようにするのが市の責任だ」「常磐病院に20年勤めた。今のすばらしい院長のもとで市立病院をなくしてはならない」「市立病院を存続させる署名運動をしたい」と、切実な声が相次ぎました。

午後は社会福祉法人・楽寿会の役員会に出席。
今年度最後の補正予算、来年度の事業計画・予算を審議・承認しました。

木星に少し感激/WBCに大きな感激

2009年03月24日 | 日々の活動


きのう早朝の三日月右下に輝く星が気になって、国立天文台のホームページを見てみました。

「今日のほしぞら」で「福島」の「3月23日5時」にあわせてみると、南東の空に月と木星が重なっていました。

夜空を惑う星を追ったこともなく、金星か火星が話題になるとながめる程度だったので、「あれが木星だったのかぁ」と少し感激。

WBCでは、9回に同点に追いつかれたダルビッシュが10回に最後の打者を三振でしめたことといい、10回表にイチローが2点勝ち越しタイムリーを放ったことといい、こちらは大きな感激でした。




5時前の三日月/交流集会反省会/健診・予防医学

2009年03月23日 | 日々の活動



きょうは臨時の日刊「しんぶん赤旗」の配達。

朝5時前ぐらいの三日月と、そのすぐ右下に見える星がきれいでした。

肉眼で見るもっとみごとだったのですが…




2月の東北ブロック組合員活動交流集会の浜通り医療生協推進委員会の反省会をしました。

浜通り独自に作成した「手作り名札」に東北各地から「感激した」「記念に保管したい」「参加者の一体感がもてた」の言葉にみなさんも感激でした。

話の流れで、健康診断や予防医学に意識的にとりくむ医療生協の歴史的・現実的利点をもっと活かした活動を広げよう、の提案に全員一致、賛同です。

昨年6月から具体的に始まった交流集会関連の会議もきょうが最後でした。

会議で自分が話す姿を写真で見ると、「こんなジェスチャーをしてるんだなぁ」といつも思います。

「政治改革」/国民の怒りと共産党の存在

2009年03月22日 | 日々の活動



今の目の前の政治の閉塞状況をつくった要因を考えています。

小沢一郎さんは、93年に自民党を飛び出し、細川「非自民」連立政権をつくりました。

その政権のもとで、「政治改革」の名のもと、政党助成金や小選挙区制を導入させました。

政党助成金は、企業・団体献金を廃止する方向に踏み出すことが前提のはずでした。

小選挙区制は、社会党の解体・再編、自民党の改造、そして政権交代があってもアメリカと財界が安心していられる「二大政党制」の構築が目的でした。

自民党の改造というのは、中選挙区制のもとで自民党議員同士が地元農民や中小業者などの要求を持ち寄って争うことで、中央の統制がきかない政党ではなく、財界・アメリカの要望に忠実な「中央集権」政党への改革です。

要するに中身は、「構造改革」を遂行できる政党をめざしたのではないかと私は思います。

小泉さんが首相になった当時、民主党は当時の鳩山代表を先頭に、「改革が遅い」「改革を進めるなら応援する」と言って「構造改革」を後押ししていたことがその証拠です。

ご自分がしたかった「構造改革」を小泉自民・公明政権でされてしまったものの、今やその政治が国民を窮地におとしいれ、政治とカネの問題はいまだに引きずってしまい、けっきょく、小沢さんが構想した政治が今の閉塞状況を作り出しているように思います。

昨年の「大連立」騒動の際、小沢さんは「民主党に政権担当能力はない」と言いましたが、民主党は、いろいろな人がいすぎて、アメリカと財界を心配させない中央集権政党ではない、と言っていたように思います。

彼の構想に決定的に欠けていたのは、「構造改革」がもたらす国民の怒りと、共産党の存在だったのではないでしょうか。

ともかく私は、自民党を飛び出したときに構想した方向で日本の政治を動かしたものすごい政治家が小沢さんだと思います。

こんな政治と決別のときです。