あつしが行く!!

日本共産党前福島県議会議員・長谷部あつしが日々の活動を綴ります。

ひたすら…/リーフ/ペロ

2007年01月31日 | 日々の活動
おととい夜からののどのひりひり感から始まり、きのうは受診してかぜ薬セットを処方してもらい、きょうはついにダウン。

ひたすら寝ていました。



私の新しいリーフレットができ、けさ、たずねてきてくれた友人へもお願い。

久しぶりのペロの登場。


医師不足の原因/小集会

2007年01月30日 | 日々の活動
自民党のある国会議員が、医師の勤務先を10年間国家が管理するようにしたい、みたいな話をし、関係者から総すかんを食った、という話をその場にいた知人から聞きました。

現在の深刻な医師不足をもたらした原因は、1986年、当時の厚生省が設置した「将来の医師需給に関する検討会」が、1995年をめどに「医師の新規参入を最小限10%削減する」という最終意見をまとめたことです(『「医療改革法」でどうなる、どうする』新日本出版社、国民医療研究所監修)。

失政を棚上げしたまま手をつけないのでは話になりません。
私たちは、医師が自発的に働きたいと思う医療環境整備を行政が主導することを提言しています。



夕刻に、ご近所の後援会員宅をお借りして小集会。10人が参加され、医療のこと、増税で暮らしが圧迫されていること、県にはこれ以上ムダづかいの事業を続けてほしくないこと、などなど、切実な思いが噴き出ました。

「中学卒業まで医療費無料に」要望/予定候補交流

2007年01月29日 | 日々の活動


来年度の県予算案の発表を前に、「こどもの医療費を中学校卒業まで完全無料化すること」などを求めて知事に要望書と署名を提出し、懇談しました。
対応してくれたのは、保健福祉部理事と子育て支援グループ参事。

市民運動として継続してとりくんできたかたや議員45人が全県から参加しました。
提出した署名数は、年末年始をはさんだ実質1か月間で集めた3万2,644筆。

参加されたかたがたが、各地で住民から寄せられた声を伝えました。

私は、県議会の「次世代育成支援対策特別委員会」が、昨年の11月議会でこどもの医療費無料の対象年齢引き上げを要望し、議会の総意となっていること、知事自身が「子育て家庭の経済的負担の軽減」を言っていることから、強くその実現を求めました。



予算案発表前ということもあり、子育てと仕事を両立できる環境づくりといった考え方は示されましたが、要望のすべてに応えることはむずかしい、具体的施策については最終的な詰めの作業中、という話にとどまりました。

要望行動後は、県議予定候補の活動状況を交流しました。


訪問・街宣/同級生のラーメン屋さん

2007年01月28日 | 日々の活動


きょうは終日、高橋あき子市議と訪問・街宣行動。
昼過ぎには、スーパー前での党支部による「こども署名」行動にも合流しました。
そのスーパー前の街宣では、お店の入口や駐車場から話を聞いてくださるかたがた。話し終えると、駐車場からは拍手がありました。ありがとうございます。

昼食は高校同級生の友人が営むラーメン屋さん。「大喜」といって、ホームページも開設しています。



きょうは、人気ナンバーワンのねぎラーメンのミソ味に煮卵をトッピングしてもらいました。



きょうから2月14日までは「カップルバレンタイン特別企画」で、カップルでお食事のお客さんに食後のプリンをサービスしています。

こども署名/郷ヶ丘交歓会/小名浜「新春のつどい」

2007年01月27日 | 日々の活動
午前中は私が住む郷ヶ丘で、「こども署名」にとりくみました。
高橋あき子・渡辺ひろゆき両市議をふくめ、22人のかたがたが参加しました。
私は、宣伝カーで辻つじを「署名をお願いします」と言ってまわり、3か所の街頭から訴えました。
140軒での対話で250人分の署名が集まりました。



午後は、医療生協理事会に出席後、郷ヶ丘自治会連合会新年交歓会でごあいさつし、その後は小名浜後援会の「新春のつどい」に参加しました。



「つどい」の余興では、和太鼓のオープニング、祝い歌、親子ハーモニー、ピアノ・オカリナ合奏、日本舞踊、社交ダンス、健康体操と多彩でした。
私はカラオケで「乾杯」。

農家での対話/「流し」と街宣/市労連旗開き

2007年01月26日 | 日々の活動


午前中は、小川地域で農家を40戸ほど訪問して対話しました。
率直な意見が次つぎと寄せられました。
「自民・公明は、農業をいっぺんにつぶせないからじわじわつぶそうとしている」「国にお金がないわけじゃない、現にムダづかいが横行している」「政党が税金にたかる政党助成金は廃止すべきだ」「県政談合汚職事件を見ても、けっきょく共産党にがんばってもらうしかないじゃないか」などなど。
「応援する」「期待している」「がんばれ」とおおいに励まされました。

長年にわたって梨を栽培している農家では、せん定と「たなしばり」の作業をしながらの対話でした。

午後は渡辺ひろゆき市議と、好間(よしま)や平地域のけっこう広範囲にわたって私が「流し」の宣伝をしながら、5か所の街頭でも訴えました。



夕刻からはいわき市労働組合総連合の旗開きでごあいさつしました。


街宣回数/インフルエンザ流行

2007年01月25日 | 日々の活動


渡辺ひろゆき・いわき市議が、ブログ日誌で昨年の街頭宣伝回数を報告しています。朝の「定時定点」126回を含めて345回だそうです。

そこで私も自分の日誌の記録をひっくり返してみました。
知事選挙で候補者といっしょに訴えたり、「みんなで新しい県政をつくる会」の宣伝カーからのものも全部ひっくるめると、243回でした。そのうち朝の「定時定点」は18回。
市内にいない日も多く、県議としては多いんだか少ないんだか。
「顔を直接見る」「声を直接聞く」という基準で見れば、圧倒的に少ないでしょう。
今年はきょうまで40回。

ところで、福島県のきのうの発表によると、インフルエンザ患者数が21日までの1週間の報告数が前週の4倍近い259人だそうで、「今季の流行が始まった」とのこと。
わが家にも患者が発生しています。
みなさん、十分なご注意を。




岩谷徹銅版画展/ELICONA/「急傾斜地」

2007年01月24日 | Weblog
案内をいただいていた「エリコーナ」での「岩谷徹銅版画展」を鑑賞してきました。
郡山市出身で、日本を代表する銅版画家のいわきで初めての版画展です。約50点が展示されていて、今度の日曜日までです。
鋭い刃を持つ道具で版面に縦横に傷をつけるという「メゾチント技法」による銅版画だそうですが、きわめて繊細な感じです。
昨年の作品の「被爆の聖母子」や、96年の「Crucifixion 磔刑」は、戦争や虐殺の告発作品だと私は受け取りました。




昨年の12月30日にホームページの「ブックトーク」で紹介した若松紀志子さんのメッセージ集である『ELICONA』は、ここで販売しています。



午後はみぞぐち民子市議に相談があった三崎公園近くの民家の「がけ崩れ危険箇所」をいっしょに視察。
市の支所や県の本庁にも調べてもらうと、「急傾斜地指定」がすぐ隣りまでらしい。
大雨で現に倒木があり、いまもいかにも倒れてきそうな木があり、また大雨があればがけそのものが崩れてきそうな気配の場所です。
住んでいる家の玄関のまん前の様子です。
現地を直接見てもらう必要があります。


湯川博士生誕百年/『旅人』/訪問

2007年01月23日 | 日々の活動


1949年度のノーベル賞を日本人として初めて受賞した湯川秀樹博士の生誕百年がきょうです。
昨年は朝永振一郎(1965年ノーベル賞受賞)の生誕百年で、この2人を記念した行事が昨年から今年にかけて各地で行なわれているそうです。

いま手元に、私が中学生のときに読んだ(はずの)、湯川秀樹の自伝『旅人』(角川文庫1974年35版、初版は1960年)があります。
この本の最後に、湯川が27歳だった1934(昭和9)年のことが書いてあります。
「十月初めのある晩、私はふと思いあたった。核力は、非常に短い到達距離しか持っていない。それは、十兆分の二センチ程度である。このことは前からわかっていた。私の気づいたことは、この到達距離と、核力に付随する新粒子の質量とは、たがいに逆比例するだろうということである。こんなことに、私は今までどうして気がつかなかったのだろう」。

ここで言っている「新粒子」の研究が、「十月初めの」10月9~12日の4日間に集中的に練り上げられたらしいことが、ご本人の日記からわかった、と「朝日新聞」が報じています。
興味深い話です。年内に日記抄録が朝日新聞社から刊行予定だそうです。

さてきょうは午前中は会議、午後は、私が住む地域で、医療生協でお世話になっているかたがたなどを訪問し、ごあいさつしました。

健診異常なし/訪問/硫黄島遺品

2007年01月22日 | 日々の活動
昨年末の健診結果を聞きました。
「今回は何も異常はありません」と医師。これで一安心。
ただし、肝機能も異常はないものの、適量の酒量と休肝日についての忠告を受けました。

市議団会議に参加して、先日の知事申し入れの内容をかいつまんで報告しました。

その後は、元教員のかたと、かつての同僚やお知り合い、「赤旗」読者を訪問し、ごあいさつしました。
「裏金を手にしながら口をつぐむ議員は許せない。共産党がもっと大きくなってしっかり働いてほしい」と複数の元校長先生から励まされました。



地元紙が報じて知った硫黄島戦没者遺品である日章旗が展示されているいわき市暮らしの伝承郷に寄りました。
昨年3月にアメリカから返還され、いわき出身者の所有であったと思われるものの特定できず、いわき市平遺族会からいわき市教育委員会に寄贈された日章旗です。
職場の同僚や友人が名前や短歌を寄せ書きし、戦地へむかう人へ贈ったもののようです。