本会議での質問は、今度の9月議会で6回目になります。
議会開会前後のスケジュールが選挙後に入ったりして、今回ほど準備のための時間がとれないのは初めてだと思います。
きょうも自宅に一日こもりました。本心は質問にかかわるさまざまな現場に足を運びたいのですが、ままなりません。
国政でもなく、市政でもない、というあたりまえのことですが、市町村が住民の暮らしを支える施策をすることをいかに支援する県政にするか、知恵の出しどころです。
議会開会前後のスケジュールが選挙後に入ったりして、今回ほど準備のための時間がとれないのは初めてだと思います。
きょうも自宅に一日こもりました。本心は質問にかかわるさまざまな現場に足を運びたいのですが、ままなりません。
国政でもなく、市政でもない、というあたりまえのことですが、市町村が住民の暮らしを支える施策をすることをいかに支援する県政にするか、知恵の出しどころです。
「ユビキタス」という言葉が会津大学中期目標案にあり、IT関連の専門用語なのだろうと思って、あまり気にしていませんでした。
雑誌『経済』に「『ユビキタス社会』は未来へつながるか」の一文が掲載されていたので読ませていただきました。
「ユビキタス」の概念は、1988年にアメリカのマーク・ワイザーという人が提唱したそうです。その本質と理念は、「意識することなくその利便性を享受できること」にあり、「優しく穏やかに人間の営みを支援する技術」のこと。
総務省の文書では、「コンピュータをどこにいても活用できること」がユビキタスの意味であり、自分たちが言う「ユビキタスネットワーク社会」はワイザーのものより上位の概念だ、と位置づけているらしい。
そうしたもとで日本は、技術の開発と商品化に専念する一方で、基盤となるネットワークの信頼性が軽視されている。個人情報保護、ウイルス感染が家電製品まで広がる恐れ、過疎地では「高料金・低サービス」…
「ユビキタス」が富める者をいっそう優位にするための手段とされていないか、と警鐘を鳴らしています。
雑誌『経済』に「『ユビキタス社会』は未来へつながるか」の一文が掲載されていたので読ませていただきました。
「ユビキタス」の概念は、1988年にアメリカのマーク・ワイザーという人が提唱したそうです。その本質と理念は、「意識することなくその利便性を享受できること」にあり、「優しく穏やかに人間の営みを支援する技術」のこと。
総務省の文書では、「コンピュータをどこにいても活用できること」がユビキタスの意味であり、自分たちが言う「ユビキタスネットワーク社会」はワイザーのものより上位の概念だ、と位置づけているらしい。
そうしたもとで日本は、技術の開発と商品化に専念する一方で、基盤となるネットワークの信頼性が軽視されている。個人情報保護、ウイルス感染が家電製品まで広がる恐れ、過疎地では「高料金・低サービス」…
「ユビキタス」が富める者をいっそう優位にするための手段とされていないか、と警鐘を鳴らしています。
議案が届きました。気になったところはすぐに関係部署から資料をもらったり、説明を受けたりしました。本格的にはこれからです。
質問原稿は5分の4ぐらいまでたどりつき、いわきへ二日ぶりにもどり、市議のみなさんなどと宿泊慰労会に参加しました。
質問原稿は5分の4ぐらいまでたどりつき、いわきへ二日ぶりにもどり、市議のみなさんなどと宿泊慰労会に参加しました。