「後期高齢者医療制度のしくみと目的」の08年3月バージョンをホームページに掲載しましたので参考にしていただけると幸いです。
75歳以上のかたがたに保険証とパンフレットが届き始め、ご本人だけでなく、同居されているお子さんやお孫さんまで「なにこれ!?」と驚かれている話が私のところにも伝わってきます。
そのパンフレットを見ただけで「要するにもう医者にかかるな、ということか」、「早く死んじまえ、ということじゃないか」と受け取るのですから、こんなふざけた制度はやめさせないといけません。
大切なことは、高齢者を差別するしくみというのは、生まれてくるすべての人を対象にしている、ということを認識することだと思います。
ペロといっしょに午前中、泉町下川の桜の名所に行ってみましたが、きょうあたり開花ではないでしょうか。
小名浜漁港を背景にたたずむペロ。
わが家の近くのいわき公園の開花はあと数日後のようです。この鳥は?
75歳以上のかたがたに保険証とパンフレットが届き始め、ご本人だけでなく、同居されているお子さんやお孫さんまで「なにこれ!?」と驚かれている話が私のところにも伝わってきます。
そのパンフレットを見ただけで「要するにもう医者にかかるな、ということか」、「早く死んじまえ、ということじゃないか」と受け取るのですから、こんなふざけた制度はやめさせないといけません。
大切なことは、高齢者を差別するしくみというのは、生まれてくるすべての人を対象にしている、ということを認識することだと思います。
ペロといっしょに午前中、泉町下川の桜の名所に行ってみましたが、きょうあたり開花ではないでしょうか。
小名浜漁港を背景にたたずむペロ。
わが家の近くのいわき公園の開花はあと数日後のようです。この鳥は?
医療生協の現在の職場(組織部)の責任者になった今年度の組合員活動の「まとめ」と、4月からの「方針」の案文をまとめました。きのうまで、組織部内で、表現をめぐってケンカみたいな議論もしながらたどり着きました。
案文は、「組織委員会」で議論して決定後、「案」が取れます。
きょうは小名浜のある班が、「葬式班会」を組合員センターで開きました。
全国の医療生協ではけっこう開かれている話を聞いていましたが、わが医療生協では、少なくとも私がこの職場に来てからは初めてです。
葬儀社に勤めるかたにボランティアで来ていただき、葬儀の全体の話をしてくれ、質疑もすごい具体的でした。「営業」にかかわるようなところはふれてもらわないようにしましたが、広めたいテーマです。
小名浜地域のある婦人会から医療生協に「健康チェック」の要請があり、職員と出かけました。
チェック集計の合間に私が「こんなものと保険証が届いていませんか?」と、県後期高齢者医療広域連合のパンフレットをかざすと、「来た、来た、どういうことなの?」「なるべく早くいってしまえ、ということなの?」「どういうことなのか聞かせて」と、即席勉強会になりました。
「自民党には裏切られた」「政権を変えないともうダメね」「今度時間をとって聞かせてほしい」と、ものすごく盛り上がりました。
夕刻には、労災病院労働組合の福島労災病院支部定期大会があり、ここでは党を代表して連帯のあいさつをしました。
「医療構造改革」が、医療費削減方針のもと、労災病院の統廃合を進めると同時に、後期高齢者医療制度という非人道的制度で目的を達しようとしていること、これは自然の現象ではなく、人為的な税金のムダ使いや税金の集め方の誤りが原因であり、その転換を訴えました。
職場に組合員さんから電話があり、「後期高齢者医療保険証が届いた。中止・撤回の署名をしたし、凍結とも聞いていたが、けっきょく始まるのか?」と。
現況をお伝えしましたが、これから保険料の通知が届き、4月に振り込まれる2・3月分の年金から4・5月分の保険料が引かれ、命を縮めさせるような制度の姿が具体的に現れ、「こんな制度はやめろ!」の世論はさらに広がらざるをえません。
そうしなければなりません。
社会福祉法人・楽寿会の役員会がありました。いつものように、四倉(よつくら)の海。サーファーと船が見えました。
楽寿会は、楽寿荘という特別養護老人ホームが中心で、元県知事の故木村守江氏が創立した法人です。
介護保険収入は伸びませんが、人件費や、給食の食材を安全・安心なものとするためにコストアップするなど、経営的にはますますきびしさがまします。
医療・福祉をないがしろにする政治を根本から変えないとならないと、つくづく思います。
現況をお伝えしましたが、これから保険料の通知が届き、4月に振り込まれる2・3月分の年金から4・5月分の保険料が引かれ、命を縮めさせるような制度の姿が具体的に現れ、「こんな制度はやめろ!」の世論はさらに広がらざるをえません。
そうしなければなりません。
社会福祉法人・楽寿会の役員会がありました。いつものように、四倉(よつくら)の海。サーファーと船が見えました。
楽寿会は、楽寿荘という特別養護老人ホームが中心で、元県知事の故木村守江氏が創立した法人です。
介護保険収入は伸びませんが、人件費や、給食の食材を安全・安心なものとするためにコストアップするなど、経営的にはますますきびしさがまします。
医療・福祉をないがしろにする政治を根本から変えないとならないと、つくづく思います。
「医師を増やそう。」のポスター掲示を依頼し、きょうは8病院を訪問しました。
いわき市病院協議会は、市内の病院がもちろん中心ですが、1病院だけお隣の広野町にあります。初めて訪問し、常務理事さんと懇談しました。
医療には異質な「効率」を求める政府の誤った考え方、医療費を抑えようとして医師養成を抑えた誤り、「いのちを大切にする」ことを医療政策に真に生かすとき、など、医療現場のみなさんの思いは共通していることを実感します。
病院へもどってデイケアの庭に寄ると、春の気配。視線では撮れない角度で撮ってみました。
帰宅すると、ペロが追いかけっこを催促。「捕まえられるもんなら捕まえてみろ」みたいに誘うので、ついこちらも「こら! ペロ」とか言って追っかけています。
いわき市病院協議会は、市内の病院がもちろん中心ですが、1病院だけお隣の広野町にあります。初めて訪問し、常務理事さんと懇談しました。
医療には異質な「効率」を求める政府の誤った考え方、医療費を抑えようとして医師養成を抑えた誤り、「いのちを大切にする」ことを医療政策に真に生かすとき、など、医療現場のみなさんの思いは共通していることを実感します。
病院へもどってデイケアの庭に寄ると、春の気配。視線では撮れない角度で撮ってみました。
帰宅すると、ペロが追いかけっこを催促。「捕まえられるもんなら捕まえてみろ」みたいに誘うので、ついこちらも「こら! ペロ」とか言って追っかけています。
午前中は、昨年の11月8日にも勉強会をした同じ地域の長寿会主催で、後期高齢者医療制度の中止を求める勉強会でした。
小雨の中、集会所のご近所から約30人の参加。
「国民が知らないあいだにこんなものをつくってしまい、ぎりぎりまで知らせない政治のしくみがおかしい」、「若い人たちが、年寄りが生きることをうらむような世の中にしたいのか」、「年をとる前に死んじまえ、といっているような制度をやめさせたい」、「60歳前後の人たちの運動がいちばん必要じゃないか」と。
まったくもって、もっともです。
夜7時からは、地域の新日本婦人の会の班が主催した「後期高齢者&特定健診」の学習会。会場の公民館に男性6人を含め20人ほどのみなさんが参加。
こちらでも、廃止法案の審議入りを求めて、署名や学習会開催をもっと進めて世論を広げようと意気高い学習会となりました。
きのうの半日のうちの7時間超にわたる自家用車の運転は、心身ともに影響を受けたようです。朝6時半のテレビ体操にも起きられず、昼間もなかなかピリッ! としませんでした。
娘は、兄が1人暮らしを始めることに「いいなぁ~」ときのうはつぶやいていましたが、きょうは「友だちと遊ぶ」といって朝から不在。
昼は夫婦2人で私がつくった、白菜・ワカメだけを具にしたインスタントラーメンが食事。
それはともかく、これまでの新聞をひっくり返していると、3月12日の「朝日新聞」に「福島空港 止まらぬ赤字 苦境」(「福島 浜通り」版)、同紙17日3面(13版)には「地方空港 苦闘」。
「道路」の「あぶくま高原道路」、「港湾」の小名浜人工島(「小名浜港東港」)、そして地方空港のこの「福島空港」。税金のムダ使い事業3点セットです。
「空港があることによる経済効果は大きい」、「港が大きくなれば大型船も大量のコンテナも入ってくる」、「高速道路がつながれば車がたくさん通る」。
あとさきを考えているとは思えない「土木の夢」は無邪気で果てしなく、暮らしへのそのツケも果てしなく、では、何のための行政か、ということです。
娘は、兄が1人暮らしを始めることに「いいなぁ~」ときのうはつぶやいていましたが、きょうは「友だちと遊ぶ」といって朝から不在。
昼は夫婦2人で私がつくった、白菜・ワカメだけを具にしたインスタントラーメンが食事。
それはともかく、これまでの新聞をひっくり返していると、3月12日の「朝日新聞」に「福島空港 止まらぬ赤字 苦境」(「福島 浜通り」版)、同紙17日3面(13版)には「地方空港 苦闘」。
「道路」の「あぶくま高原道路」、「港湾」の小名浜人工島(「小名浜港東港」)、そして地方空港のこの「福島空港」。税金のムダ使い事業3点セットです。
「空港があることによる経済効果は大きい」、「港が大きくなれば大型船も大量のコンテナも入ってくる」、「高速道路がつながれば車がたくさん通る」。
あとさきを考えているとは思えない「土木の夢」は無邪気で果てしなく、暮らしへのそのツケも果てしなく、では、何のための行政か、ということです。