あつしが行く!!

日本共産党前福島県議会議員・長谷部あつしが日々の活動を綴ります。

高校サッカー/富岡敗退/「こんなニッポンに誰がした」

2008年12月31日 | 日々の活動
娘が早朝、第87回全国高校サッカー選手権の富岡高校1回戦の試合応援に出発。

キックオフは午後0時5分で、わが家でも妻と二人でテレビ中継につきっきり。前半の前半は押したものの、その後はずっと押され気味。
後半に2点を入れられ、残念ながら敗退。

まぁしかし、創部3年目で全国大会出場ですから、誰がどう見てもこれからでしょう。

娘もきょうの試合で全国の雰囲気を感じ取ったようで、「女子もこのままではいられない」と勇ましいです。



『こんなニッポンに誰がした 森永卓郎の政治経済学講座』(大月書店)を読みました。

今年10月に発刊されて、手元には置いていたのですが、今頃になりました。

05年3月から今年8月までにウェブサイト「マガジン9条」に連載したコラムをまとめたものです。

05年9月11日の小泉内閣下での「郵政選挙」、「小泉旋風」、安倍政権下での「右旋回」などの真っ只中で、森永さんの「当時の私の危機感、焦り」がありありと感じられます。

森永さんの思いは「平和と平等を守り、まじめにきちんとモノ作りやサービスづくりに励むという、当たり前の経済社会をもう一度つくるということです」。

平和と平等が壊され、当たり前でない経済社会をつくってきた政治家への批判が鮮明なので、この言葉に説得力を感じます。



ふだん、家に一人ぼっちのペロは、日当たりがいい日は日向ぼっこをしているようです。

社会保障と消費税/日本の米

2008年12月30日 | 日々の活動



『社会保障拡充の方向と消費税』(日野秀逸著、本の泉社マイブックレット)、『いま、日本の米に何が起きているのか』(山本博史他著、岩波ブックレット)を読みました。

「社会保障」は今年10月に、「消費税廃止東京各界連絡会」と「東京社会保障推進協議会」が共催した「医療・福祉から消費税を考える」大学集・交流会での講演の記録。

1963年老人福祉法、82年老人保健法、06年「高齢者医療法」(後期高齢者医療制度の根拠法で、正式名は「高齢者の医療の確保に関する法律」)では、条文上、‘高齢者は社会に貢献してきた尊敬されるべき人たち’→‘高齢者は自分の健康に気をつける義務がある’→‘高齢者に医療費削減の協力を義務づける’と、考え方を変えてきていることがよくわかります。

その背景に、「金銭的な損得勘定に従って行動するのが合理的な人間で、それができないのは自己責任」とする人間観=新自由主義的人間観があります。

小泉・竹中の政策の思想が典型で、麻生首相までその基本を変えようとはしていません。

「日本の米」は、足りなくなっても外国には頼りようがない国際米市場の激変を含め、米の最新事情と、生産者本人が有機稲作、米の生産から酒造りをする酒蔵、冷凍和菓子造りなどを生きいきと語っています。

「太陽と水と空気、土地・土壌の生産力を活用する農業」、「環境に守られ、生き物に守られる農業」といった言葉は、たんに言葉の問題でなく、産業としての農業の根本的見方の問題と思います。

スパリゾートハワイアンズ/仕事納め/来年の総選挙

2008年12月29日 | Weblog
スパリゾートハワイアンズで、医療生協・東北ブロック組合員活動交流集会の今年最後の打ち合わせ。

宿泊者数、分科会会場、プロジェクター準備、館内案内掲示、集会本部室、救護室、ついでに売店販売菓子の確認、などなど。

たまたまきょうは「今年最後」になっただけで、来年2月の当日まで打ち合わせは続きます。



職場のほうは「仕事納め」。
仕切り役の病院事務長から「乾杯の音頭をしてもらうので、話は短く」と。

3分以内におさめれば「短い話」と受け止めましたが、実際にはコップを持って3分は長いかも。

ともかく私は職員のみなさんに、市内の市立病院や労災病院の医師たちから「医療再生署名」がここに届けられたことを直接報告し、来年の総選挙では私たち医療従事者の声を必ず反映させる結果を出そうと話しました。



「道路をどうするか」/道路利権の解体へ/散歩/700字

2008年12月28日 | 日々の活動



『道路をどうするか』(五十嵐敬喜・小川明雄著、岩波新書)を読みました。

このコンビによる岩波新書はこれで八冊目だそうです。

公共投資の国際比較では、国土面積から山岳、森林、原野、湖沼、河川などの面積を引いた「可住面積」という言葉が使われるそうですが、日本の高速道路の可住面積1平方キロあたりの延長は90.8m。先進七か国のダントツで、第二位がドイツの52.3m、アメリカは16.5m、イギリスは22.5mです。

国土面積の1平方キロあたりの全道路延長も日本は3.16kmのダントツ。2位がフランスの1.73km、アメリカは0.95km、イギリスは1.60km。

日本にはこれら道路統計に載らない広域農道やスーパー林道もあり、世界に冠たる道路王国になっています。

にもかかわらず、道路計画は果てしなく、「私たちは道路の社会的な費用はもちろん、実際の事業費も無視して、道路といえば歓迎していたのではないでしょうか」。

結論的には、「自民党に、政権の座からまず退場願わなければならないのは明らかだと筆者たちは考えました。しかし、残念ながらほとんどの政治勢力が同党の延命に手を貸してきた経緯があります」。

市民生活を脅かす道路利権の解体を提言する本書の結論がここにいたる調査報告書といっていいと思います。



いわき公園へペロと散歩に行ってきました。

午前中は、年明けの「かけはし」あいさつの文章づくり。700字程度にまとめるのはなかなか難儀です。


野中・畑田対談/戦争を知らない私たち

2008年12月27日 | 日々の活動


「日本平和委員会」の「平和新聞」(12月25日・1月5日合併の09年新春特別号)で、野中広務さんと畑田重夫さんが対談しています。

野中さんは小渕内閣時代の内閣官房長官で、元自民党幹事長の83歳。

畑田さんは日本平和委員会代表理事で85歳。1987・91年の東京都知事選挙に共産党推薦で立候補した国際政治学者です。

戦前、京都府の旧制園部中学校(現園部高)でいっしょに学んだ仲だそうです。

野中さんは、小泉内閣時、「こんな内閣と同じ時代にバッジを付けていたら後世恥ずかしい」と5年前に政界を引退したんだそうです。

若い人たちへのメッセージを、との畑田さんの求めに応じ、野中さんは、「…政治家たちが、過去の歴史認識が完全に欠落したまま、再び誤った道に走っていこうとしています。それにブレーキをかけてくださるのが、平和新聞の読者のような人たちであると思います。…この国をもう一度蘇らせて平和を探求する国にすることが、戦争で死ななかった我々の残された最後の仕事じゃないかと思っております」と答えています。

日本の軍隊である自衛隊内で、過去の日本の戦争を誤ったものとして「反省」していては意気高く出兵できない、などという風潮をつくり出そうとする人物が要職についたり、なによりその土壌をつくる政治家がいるいま、戦争を知らない私たちの世代の役割もきわめて重大だと私は思います。




今年最後の事務局会議/同じく平和レストラン

2008年12月26日 | 日々の活動
医療生協の東北ブロック組合員活動交流集会の今年最後の事務局会議。

郡山医療生協からの職員は雪と凍結道路の郡山市を抜け出して、快晴のいわき市へやってきました。

東北各地からの参加申し込みは、見込みを少し上回る状況です。

各係の仕事内容を文字にしたもの、参加者全員に講演・分科会・全体など計4回書いていただく感想文用紙、当日必要な準備物などを確認、年明けにさらに詰めることとしました。




「平和レストラン」も今年最後。きょうはクリニックと在宅部門が担当で、カレーライスと大根サラダ。

いつものことですが、レストラン会場には入りきらず、吹き始まった寒風の中を各職場へ持ち帰る職員も多数。

「常磐病院がなくなる」/人工島と介護保険

2008年12月25日 | 日々の活動


いわき市には現在、市立総合磐城(いわき)共立病院と市立常磐(じょうばん)病院の2つの市立病院があります。市が2年後の4月には常磐病院を民間に移譲する方向を示しました。

常磐病院院長が「日々の新聞」のインタビューに答えています。

95年に市が「一市一病院構想をまとめました。それ以来、常磐病院での医師の確保は難しくなり」、05年に「一市一病院二施設を打ち出されてからは、どんどん医者が辞めて行きました」。「10年ほど前まで…医者は25人ぐらいいましたが、いまは11人」。

昨年4月から、一市一病院二施設になり、「一つの病院にするなら…同じ名前にしてほしい」とお願いしたものの、「いつの間にか共立が本院、常磐が分院になっていました」。「一市一病院になっても、医者の交流はまったくありません」。「名ばかりの一市一病院二施設です」。

院長自身は、いわき市の人口密度が分散していることから、「常磐病院はいわきの南を担う病院」と主張し、「もっと救急をしっかりやろう」と、「夜遅くまで仕事をし、当直もして、みんなと同じ苦労をするようにしています」。

総務省が示した「公立病院改革ガイドライン」に基づくいわき市立病院の「改革プラン」(骨子案)は、こうした現場の声はまったく無視しているかのようで、驚くばかりです。

いわき市の地域医療をどう守るか、こうした医療現場、住民、行政が真剣に、知恵を出し合うときです。



きょうは職員の「社保委員会」があり、小名浜人工島問題と介護保険改定状況の勉強会をしました。



人工島民間貸付懇談/美人サンタ/ボーリング

2008年12月24日 | 日々の活動
小名浜の全港湾労組執行部のみなさんと懇談しました。

あと10年以上後にできる予定の人工島(小名浜港東港地区)について、県が民間貸付を検討し始めていることについてで、宮川県議といっしょに意見交換しました。

労組からは、「公共」埠頭と「雇用」の視点からの提起。

私たちとしては、提起された課題はそのとおりであり、同時にこの問題は、大規模公共事業偏重と規制緩和路線の2つが重なった問題ではないか、と提起しました。



私の職場のとなりのデイサービスには、「美人」サンタクロースがプレゼント袋をかついで登場。

クリスマスにちなんだ歌をみんなで歌い、その後は「卓上ボーリングゲーム」。
私が第一投。



その後にみなさんがボールを転がす姿は元気そのもの。
楽しいひとときでした。

かたやきょうは、来年2月、いわきで開催予定の東北地方の医療生協組合員活動交流集会参加申し込み締切日。

受入れ生協として、年末・年始は休めるでしょうか?

「雇用と暮らし守れ」街宣/年賀状

2008年12月23日 | 日々の活動



「雇用と暮らしを守れ」の街頭宣伝行動をしました。

党地区委員長・副委員長、高橋市議、地域党支部のみなさんが署名とチラシ・リーフレットの配布、加えて、志位和夫党委員長の党創立85周年記念講演のダイジェストDVDを手渡ししました。

私は宣伝カーから、労働法制緩和と派遣労働、消費税が大企業減税の埋め合わせにしか使われていない実態、負担ばかりを国民に押しつけてきた自民・公明による「構造改革」の正体、「侵略戦争は濡れ衣」と言い放った「田母神問題」と、戦争に断固反対を貫いた日本共産党の立場など、1時間にわたってずいぶん自由に語ってしまいました。



おとといから着手した年賀状づくり。
パソコンを前にこの一年間にブログに掲載した写真から6枚を選び出し、大きさと配置を決め、印刷し、投函しました。
こんなに早く仕上げたのはしばらくおぼえがありません。

交流集会推進委員会/緊迫感/楽寿会

2008年12月22日 | 日々の活動



医療生協の東北ブロック組合員活動交流集会・浜通り推進委員会がありました。

第4回。来年2月の開催日が近づきつつあり、話もだんだんと細かくなってきます。

「受付の集合時間が早すぎないか?」、「手作り土産の販売時間は?」、「利ざやの少ない物品販売に人をさくより本来の仕事に人の配置を」、「分科会の発言時間はタイマーでなく腕時計で十分じゃないか」、「仕事を分担する郡山の人たちにも来てもらう必要はないのか?」、「当日までに、これこれの作業があり、それぞれをいついつ何時から何時まで作業する、という全体像を示してほしい」などなど。

手作り名札の作業日を年明け早々に設定しましたが、なんだか緊迫感が漂ってきました。

夕刻には社会福祉法人・楽寿会の役員会に参加。
その後は恒例の年一回の懇親会。「筋を通す共産党」「小池晃参院議員の発言はたいへんいい」とちょっとだけ話題になりました。