Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

蘇る

2007-09-16 | 想い・雑感
 自動車事故にあった男性が救急隊員から死亡と判断されたが、解剖される前に出血という生命反応を確認され助かったという出来事が、ベネズエラであったそうだ。死を疑いないものとする状態だったのだろうが、救急隊員が死を判断し、病院の遺体安置所に運ばれたというのが、日本ではあり得ないことでおどろいた。

 以前は心臓の鼓動や呼吸が止まった状態で病院に搬入された人をDOAと言っていた。Dead On Arrival(到着時死亡)の略である。しかし心肺機能が停止した状態でも蘇生によって回復する可能性はあるので、Deadという表現は適してないとのこととなり、現在ではCPAと呼ばれるようになっている。CardioPulumonary arrest(心肺停止)の略である。
 CPAの患者にたいし蘇生を行い、もう蘇生の可能性無しと判断されたときに初めて死亡を宣言されることとなる。病院到着時に、はっきりと死亡しているのならば、もともと蘇生の意味は無いわけである。

 事故の男性は、救急隊員から蘇生の可能性無しと判断されてしまったのだろうが、死亡の確認は十分に行う必要がある。柩の中や、墓の中から助けを求める必要の無いようにね。

失って

2007-09-16 | 想い・雑感
幼い頃は大人にあこがれ
若き時代が過ぎ去ると若さを懐かしむ
現在の自分を違う状況においてみたくなるのは
よくあることだが
子供が大人になっていくのは未来に起こりうる事なのに対して
年齢が高くなったあとになって
若き時代に戻ることは出来ない
当たり前だがちょっと寂しい
ただ 今をしっかり歩むことだと言い聞かせる

失った後にその大切さを思い知らされることというのはある
親との別離という物はその最たるものだろう
健康もそうである
一時的な病気であっても健康のありがたさが身に滲みるが
元の状態に戻れない病気というのは健康な時期を振り返るとつらくなる

事故や脳梗塞の後遺症で自由がきかなくなった体
手術の後遺症で何らかの痛みを抱え込んでしまった体
進行癌で命までも怪しくなってしまった状態
喫煙で冒されてしまった呼吸機能
不摂生から糖尿病のコントロールが出来ずに失ってしまった視力

つらい状況だが
生きているからつらい
そして生きている間はしっかり今を生きる
ということしかないのだと思う

過ぎ去った過去やまだ来ぬ未来の事ばかり考えても
今を生きることは出来ない