Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

肝動注

2007-09-14 | 医療・病気・いのち
 肝動注療法といって、消化器癌の肝転移に対して、肝臓へ行く動脈から直接抗がん剤を送り込むことがある。肝臓以外に転移巣がない場合や、肝転移が予後を左右すると思われた場合に、施行することが多い。
 足の付け根の動脈から、細い管の先端を肝動脈まで送り込んだ状態でおいておき、もう一方の端は右下腹部の皮下に埋め込んだポートにつなぐ。そして定期的にそのポートから抗がん剤を注入するのである。
 これとて結局は抗がん剤治療なので、一旦腫瘍が縮小してもまた大きくなってくるし、必ずしも予後の改善は期待できない。しかし、中にはこの方法で肝転移があるにもかかわらず、1年、2年と命を永らえることもあるので、本人や家族と相談した上で、行うことがある。
 どの治療方法まで行うかは、本人の気力や生き方と密接な関係がある。そして、この肝動注までやるのとやらないのとどちらが正解とは決められないのである。

言の葉

2007-09-14 | 想い・雑感
言葉はナイフにもなるし 楯にもなる
言葉は人を傷つけることもあるし 守り癒すこともある
人は言葉によって考え感じる
そして同じ言葉でも人によって受け取り方が違う

人と話すときには
言葉に十分注意する必要がある
特に追いつめられた気持ちになっている
患者さんやその家族と話すときには特に気をつける必要がある
と思っている のだが
なかなか難しい

先日看護師の一言に
いたく傷ついた家族がおられた
いよいよ夫の お父さんの 最後が近いという状態だが
その家族はそれを冷静に受け入れようと必死だった
冷静になろうとしていると言うことは
冷静でないことの裏返し
まあ冷静になれないほうが自然である
そんな時の突き刺さる一言というのは
普段なら何とも思わないような言葉だったりする

そこを理解せずに
感情的な言葉を言われると
感情的な反応をする看護師や医師がいる
まだまだだなあ
などと端から見ていると思うのだが

もともとぽろっと要らぬことを言ってしまう私などは
アチャーと思うことがしょっちゅうである
人のふり見て…である