「チンギス紀」シリーズの1,2巻が刊行されたと夕刊に載っていた。北方謙三氏。
歴史にはとんと弱い。日本史も駄目だけれど世界史はもっと弱い。
卒業して1年、どんな映画だったか記憶にないけれどまだ友人だった夫と
観にいったとき「えッ、何時の時代?」とつぶやいたら「歴史に弱いなぁ」と
隣の彼もつぶやいた。
理系の毎日試験管かフラスコか顕微鏡か知らないけれど(何しているか知らなかった)
そんなものを相手にしている人に言われたくないと内心穏やかではなかった。
もしかしたら可愛く「ぶりっ子」してるなんて(そんなことするのは絶対あり得ないけれど)
想像もしないのか?(笑)
日本史の授業は教科書に書いてあることばかりで話に膨らみがなかった。
天下の受験生だったので”鳴くようぐいす平安京”だの”いい国つくろう鎌倉幕府”
などとつまらないことを暗記したりもした。
義経が平泉から逃れてチンギスハーンになったなんて話は誰も信じないけれど
ちょっと挟んでくれていたらもっと興味が持てたかもしれない。
自分の無知を今頃先生のせいにして申し訳ない。ごめんなさい。****
何時だったかどうしてだったか忘れたけれど息子が「仁徳天皇陵を今なんというか
知ってる?」という。「仁徳天皇陵は仁徳天皇陵なんじゃないの?」とわたくし。
「最近は”大仙陵古墳”っていうんだよ」と息子。
早速「もういちど読む 山川日本史」を買ってきた。確かに約半世紀のずれが
分かって今日では学術的には所在地の地名からそう呼ばれるようになったとある。
その後、堺に行ったとき360度眺められる市役所の最上階の展望室からこの
陵が見られた。説明では「仁徳天皇陵」となっていたように思う。
そりゃあ堺では仁徳天皇陵だよね。
受験と関係ない歴史は昔よりは面白いと感じている。
夫に言って見たかったな。「あなた、仁徳天皇陵を今なんて言うか知ってる?」
ご主人(代弁者) 「その呼び名は○○(息子)のDNAに伝えてあるよ(*´з`) 」
茉那さんは「負けじ魂」旺盛ですねぇ?
きっと お好きな人の前ではそうなんですね。
最新情報をひとつ、
宮内庁では、現在も仁徳天皇陵としているそうです。
もっと調査が進んだ暁には、「昔は仁徳天皇陵を大仙古墳と呼んでいました」
なんてこともあり得るかも・・・よ。(笑)
こんなに狭い日本でも、まだいろいろ出土したりするのですから、結構歴史も面白いものなんですね。
学校の授業は受験中心ですからなかなか横道にそれた話などできないのでしょう。
自分で楽しんで歴史書を読む余裕がわたくし自身にもなかったのが正直なところです。
宮内庁は確かに今も仁徳天皇陵と言っていると思います。
陵墓の発掘を許可しないので中に何が隠されているのか・・・帳の奥深くに収まっているほうが神秘的ではありますけれどね。
「大仙古墳」の名称も味気ない気がします。