昨年の今頃、神戸へオルセー美術館展を観にいくついでに一泊してルミナリエを見た。
わたしは小さいころ神戸にいたので、本当に神戸が懐かしい。
震災があった後、母と訪れたけれども住み慣れた家はなく、新しいプレハブの家ば
かりですっかり変わり果てていて、どこがどうだか分からなくなっていた。
その折にも、母と歩いてこの光の美しさに圧倒されたものだった。
神戸での暮らしを覚えているのは父亡き後、母とわたしだけになっていたけれど、
その母も昨年亡くなった。
その後も「とてもきれいだった。もう一度行きたいね。」と言っていたのに、
結局一度しか連れて行かれなかったのが今となっては悔やまれてならない。
あまりにもあっけない亡くなりようだったから。
あなたも母も思いもかけないうちに、あの世へ旅立ってしまった。
まだまだなんていう先のことは誰にも分からない。
覚悟が必要なんだろうな。
わたしは小さいころ神戸にいたので、本当に神戸が懐かしい。
震災があった後、母と訪れたけれども住み慣れた家はなく、新しいプレハブの家ば
かりですっかり変わり果てていて、どこがどうだか分からなくなっていた。
その折にも、母と歩いてこの光の美しさに圧倒されたものだった。
神戸での暮らしを覚えているのは父亡き後、母とわたしだけになっていたけれど、
その母も昨年亡くなった。
その後も「とてもきれいだった。もう一度行きたいね。」と言っていたのに、
結局一度しか連れて行かれなかったのが今となっては悔やまれてならない。
あまりにもあっけない亡くなりようだったから。
あなたも母も思いもかけないうちに、あの世へ旅立ってしまった。
まだまだなんていう先のことは誰にも分からない。
覚悟が必要なんだろうな。
本当にそうですね。
明日生きてるかさえもわからない。
そんな危機感は、日常という時間の流れで薄れてしまって、生きていることが当たり前になっていますからね。
覚悟。
覚悟とは、犠牲の心ではありません。
覚悟とは、暗闇の荒野に道を切り開くことです。
と私は思っています。
毎日、流れに乗って生きているけれど、それがちっともいやじゃなくなってしまっています。
でも、今さらどうやって目標なんてもてるのかとも思えてきます。
彼がいて、わたしがいる。それが当たり前だったのですから。
年が明けたらまたどこかへ旅に出ようと思っています。
日常から逃げているわけではないつもりですが、いや、やはり逃げているのかもしれませんね。