大阪・義士の寺とフエルメール展

2019-04-02 13:07:25 | 日々思うこと

 

新年度は寒い幕開けとなった。

4月1日朝、ホテルのレストランに降りていくと黒いスーツを着た

大勢の若者がいた。新社会人だと思う。これからいろいろなことが

あるであろう。・・・・とにかくおめでとう!*****

 

大阪も寒かった。新大阪から乗ったタクシーの運転手に大阪城の

桜を聞いてみたらまだ三分咲きで昨秋の台風で桜の木がかなり

被害を受け、今春の桜は駄目かなと思っていたくらいだったという。

立ち寄るのをやめて目的地の「義士の寺」に向かってもらった。

幸い住職が在宅していらっしゃって、応接間に迎い入れられて

「大阪の義士の寺」と「千代子さん」という二つの言葉だけを

頼りに訪問したことを告げると、関係をご存じだった。

(千代子さんはご住職のお母さんとのこと)

夫の祖母(義祖母)の実家と縁戚で、そこからこのお寺に娘が嫁いで

いた。その女性の孫にあたる方がご住職だった。

何故「義士の寺」なのか、この寺の11代目が赤穂からきていて

内匠頭が参勤交代のたびに立ち寄ったのが縁らしい。討ち入り後

浅野本家から内匠頭の墓碑の建立を依頼されて寺内に四十七士の

慰霊碑が建立されて「義士の寺」となったということであった。

疑問が解けたので思い切って訪問してよかったと思う。***

 

翌日、市美術館でフエルメール展を観た。

前日電話で聞いたら開館前はチケット売り場が混むのでそのあと

10時過ぎに来館するのがよいと親切に教えてもらった。

確かにゆっくりと鑑賞できた。フエルメールの作品は6点。

前に見たものもあったけれど6点揃うのはめったにないことである。

市美術館は大坂冬の陣、夏の陣で真田幸村などが本陣を構えた茶臼山に

建てられて、丘の上にあった。

 

鑑賞を終わって新大阪でランチをしているときに新元号を聞いた。

「令和」・・すでに太宰府には人が集まっているらしい。

天満宮には2度行ったけれど「坂本八幡宮」は知らなかった。

「道真」ではなくこれからは「大伴旅人」が太宰府の人になるのかな?

 

 

 

 

 

コメント (4)
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