新年度は寒い幕開けとなった。
4月1日朝、ホテルのレストランに降りていくと黒いスーツを着た
大勢の若者がいた。新社会人だと思う。これからいろいろなことが
あるであろう。・・・・とにかくおめでとう!*****
大阪も寒かった。新大阪から乗ったタクシーの運転手に大阪城の
桜を聞いてみたらまだ三分咲きで昨秋の台風で桜の木がかなり
被害を受け、今春の桜は駄目かなと思っていたくらいだったという。
立ち寄るのをやめて目的地の「義士の寺」に向かってもらった。
幸い住職が在宅していらっしゃって、応接間に迎い入れられて
「大阪の義士の寺」と「千代子さん」という二つの言葉だけを
頼りに訪問したことを告げると、関係をご存じだった。
(千代子さんはご住職のお母さんとのこと)
夫の祖母(義祖母)の実家と縁戚で、そこからこのお寺に娘が嫁いで
いた。その女性の孫にあたる方がご住職だった。
何故「義士の寺」なのか、この寺の11代目が赤穂からきていて
内匠頭が参勤交代のたびに立ち寄ったのが縁らしい。討ち入り後
浅野本家から内匠頭の墓碑の建立を依頼されて寺内に四十七士の
慰霊碑が建立されて「義士の寺」となったということであった。
疑問が解けたので思い切って訪問してよかったと思う。***
翌日、市美術館でフエルメール展を観た。
前日電話で聞いたら開館前はチケット売り場が混むのでそのあと
10時過ぎに来館するのがよいと親切に教えてもらった。
確かにゆっくりと鑑賞できた。フエルメールの作品は6点。
前に見たものもあったけれど6点揃うのはめったにないことである。
市美術館は大坂冬の陣、夏の陣で真田幸村などが本陣を構えた茶臼山に
建てられて、丘の上にあった。
鑑賞を終わって新大阪でランチをしているときに新元号を聞いた。
「令和」・・すでに太宰府には人が集まっているらしい。
天満宮には2度行ったけれど「坂本八幡宮」は知らなかった。
「道真」ではなくこれからは「大伴旅人」が太宰府の人になるのかな?