関が原と岐阜そして岡崎

2011-08-20 16:02:24 | 日々思うこと
東京からやってきた相棒が関が原へ行ってみたいというので岐阜の大垣で落ち合った。

東海道は非常に不便で、名古屋から一度大垣で乗り換えなければその先に行かれない。もっと先に行こうとすると今度は米原で

また乗り換えて京都方面に向うことになる。

京都などへは新幹線を使うのでこのような面倒なことはしたことがなかったけれど時刻表を見ていて地方へ行くのは結構大変だと

感じた。

関が原の駅前で観光タクシーに乗って案内してもらった。ドライバーは香川の出だそうだがよく勉強していて親切に説明してくれた

細い道を家康の陣、三成の陣、丸山烽火場などと回る。結構千葉とか東京とか遠いところのナンバーの車もいたりしてNHKの大河

ドラマの影響もあるのかと思ったがカーナビがあるにしても迷いそうな気がする。


その後、岐阜に出て金華山下の長良川沿いにある川原町界隈を歩いた。

ここは戦災にあわなかった地区で船橋聖一の「白い魔魚」の舞台になったところでもある。

岐阜駅前の広場には金キラの信長像が立っていた。


翌日岡崎城を見に行った。ここへはJRを使ったけれど名鉄のほうが便利だった。

3年ほど前に櫻を観に行き、お城の前のホテルに2泊したがそのときは名鉄で行ったような気がする。

ここもいろいろ由緒あるお寺などがあるけれどばらばらに離れていて行きにくい。タクシーのドライバーが折角観るべきものが

沢山あるのに市のお偉方の宣伝が下手だと憤慨していた。そして彼は最近東尋坊に行ってきたのか「あそこは単に断崖絶壁が

あるだけなのにあんなにたくさん観光客が来ていてこの街にはこのようにいろいろ見るべきものがあるのだからもっとうまく活用し

て欲しい」と東尋坊のことを何度も例に挙げて慨嘆する。

街思いと商売の両方から来る嘆きなのだろうと感心して聞いた。
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