漕げばロードの日和あり^^

ひねもすポタリポタリかな。
自転車活動や食べた呑んだ等あれこれを行雲流水のように書き綴っています。

民話に出てくる場所を探す

2016-02-08 22:39:14 | 中山道 野次馬道中記
以前、郷土資料を漁っていた時に、こんな民話を読んだ。
その昔、現深谷市東方辺りに半次郎という飛脚がいた。
半次郎は、とてつもない速さで走るので、韋駄天半次郎と呼ばれていた。

おぉ!地元の話じゃないの。韋駄天の異名を取る程の剛脚、あやかりたい^^
でも、拙が惹かれたのは、ここではないのです。


半次郎が中山道を深谷宿と熊谷宿の間にある橋を通り掛かった時のこと。
橋の袂で倒れていた河童を助けた。

この辺りに昔は河童がいた・・・隠れ河童フェチだった拙はクラクラきました。
でも何故、河童どんは倒れていたのだろうか?
訊くと川面から橋を見上げていたら魅力的な尻子玉を持った馬が通ったのだという。
ついふらふらと手を出したら、怒った馬に股間?を蹴られてしまった。

要は、悶絶しているうちに頭の皿の水をこぼしてシマッタ訳ですな。
細部は微妙に違うかもしれないが、大枠はこんな内容だったと記憶している。
さて、問題はここからなのです。
河童が棲む程だから、大きな川に架かる橋だと想像するが、そんな所あったっけ?
そんな訳で、旧中山道を熊谷宿から深谷宿に向かって自転車走らせ調べて参りました。


河童どんが悶絶していた場所は、たぶんここ筋交橋であるな。

丁度、熊谷宿と深谷宿の中間くらい。
旧中山道が、R17号線と久保島歩道橋近くで交差した先にある筋交橋。
バス停の名に気付かなければ、橋だと気付かないくらいの小さな溝に架かる橋だった。
当然ながら、呼んでも答える河童はおりませんでした。
ほんとうに、こんな小さな溝のような川に河童どんが棲んでいたのだろうか?
帰宅後に調べると、昔は、満水時には往来を人足が担いで渡す中山道の難所だったようだ。
そんな場所なら河童が棲んでいたとしても不思議ないと思うのだが、どうだろうか?


ところで半次郎、河童を助けたお礼に、いくら呑んでも尽きない徳利をもらったという。
こいつは酒飲みには、たまらないアイテムでありますな。
この徳利は後に割ってしまったか効力が切れただかで酒が出なくなったと書かれていた。
でも、ひょっとしたら今は復活しているかも。なんたって河童どんの神通力のこもった徳利ですからね。
その徳利があれば毎日酒が呑めるぞ^^
さて、韋駄天半次郎さんの家はどこじゃ?


ここが半次郎さんのお宅だった場所かしら?

籠原駅近くの旧中山道にある、明治天皇御小休所跡。
昔ここに、志がらきという名の茶屋があったようだ。
東方からちょっと外れているけれど、その茶屋の主人の名が半次郎さん。
この日、辺りを探しても徳利は見つからなかった。やはりここではないのだろうか?
次は機会をみて深谷宿方面に向かって探索してみたいと思う。


話は変わるが、志がらきの名物はゴボウ料理だったとのこと。
いったいどんな料理だったのだろう?気になるな^^