映画「アンジェラの灰」を昨夜夫とDVDで見ました。ロバート・カーライルとエミリー・ワトソンの演技がすばらしく、ストーリーもよかったと思いました。私は原作を読んでいませんが、読んだ夫によるともっと原作は悲しいそうです。
ときおり夫と話していてふと思うことがあるのですが、この映画を夫が「こんな悲惨なことが重なるなんて・・・」と言っているのを聞くと、デンマークと日本の戦前戦後の温度差があるなあというところです。
この映画の中で子ども達が次々と亡くなっていったこと、食べるものがないこと、学校に履いて行くちゃんとした靴のないこと、子どもが家計を助けるために働かなくてはならなかったことなどは、1943年生まれの私の母の子ども時代の環境とほぼ重なります。戦中・戦後の悲惨な時代、非常に貧しく苦労した人たちの話は私たち日本人にはファミリアですが(今のティーンエイジャーについては分かりませんが)、ナチスに占領されたとはいえ、国土を焼失し自国民が空襲で殺されたり、戦争で家族や親戚が亡くなった人の少ないデンマークでは、日本ほどの辛い体験がなかったのではないかと思います。
現在の豊かさからはかけ離れた悲惨だった母の実体験をベースに育った日本人の私と、貧しくはあっても悲惨までは行かなかった義母に育てられたデンマーク人の夫との間に、こういう部分では温度差を感じます。苦労した母の生い立ちが私の基礎の部分に横たわっていることを感じ、この映画が私にとっては私の一部分であり、夫にとっては歴史にくるまれた「物語」として捉えるものであるように思えました。
時代がずれますが、日本には「おしん」もあったし、原爆や戦争にまつわる話や映画なども豊富です。戦争、貧しさ、悲劇、そういったものを根底に持つ国民であり、そこからものを見ることができる国民だと思います。デンマークではこういったものの見方をする人はもう少し前の世代になるのでしょうか?日本もだんだんこういう視点が薄れてきていると言われています。この映画を見て、夫と私の根底にあるものの違いを感じると同時に、日本人の私の視点を大切にしていきたいと考えました。
ときおり夫と話していてふと思うことがあるのですが、この映画を夫が「こんな悲惨なことが重なるなんて・・・」と言っているのを聞くと、デンマークと日本の戦前戦後の温度差があるなあというところです。
この映画の中で子ども達が次々と亡くなっていったこと、食べるものがないこと、学校に履いて行くちゃんとした靴のないこと、子どもが家計を助けるために働かなくてはならなかったことなどは、1943年生まれの私の母の子ども時代の環境とほぼ重なります。戦中・戦後の悲惨な時代、非常に貧しく苦労した人たちの話は私たち日本人にはファミリアですが(今のティーンエイジャーについては分かりませんが)、ナチスに占領されたとはいえ、国土を焼失し自国民が空襲で殺されたり、戦争で家族や親戚が亡くなった人の少ないデンマークでは、日本ほどの辛い体験がなかったのではないかと思います。
現在の豊かさからはかけ離れた悲惨だった母の実体験をベースに育った日本人の私と、貧しくはあっても悲惨までは行かなかった義母に育てられたデンマーク人の夫との間に、こういう部分では温度差を感じます。苦労した母の生い立ちが私の基礎の部分に横たわっていることを感じ、この映画が私にとっては私の一部分であり、夫にとっては歴史にくるまれた「物語」として捉えるものであるように思えました。
時代がずれますが、日本には「おしん」もあったし、原爆や戦争にまつわる話や映画なども豊富です。戦争、貧しさ、悲劇、そういったものを根底に持つ国民であり、そこからものを見ることができる国民だと思います。デンマークではこういったものの見方をする人はもう少し前の世代になるのでしょうか?日本もだんだんこういう視点が薄れてきていると言われています。この映画を見て、夫と私の根底にあるものの違いを感じると同時に、日本人の私の視点を大切にしていきたいと考えました。
なかなか勉強する時間がないけれど(何しろうるさい子供たち!)、デンマークの歴史についての本も読んでみたいと思っています!