デンマーク・ハーフキッズ

デンマークについての情報やニュースを紹介、またデンマーク人と日本人のハーフの子供たちの子育て日記。

義母と叔母の定年

2008-07-02 06:53:24 | 私の家族たち
 私にとって叔母は子どもの頃から大きな存在の人でした。華があって、芸術が好きで、彼女のやることは憧れでした。私の母の妹ですが、2人は仲良くしょっちゅう行き来していて、叔母も私を一番かわいがってくれていたと思います。そんな叔母も昨年、定年を迎えました。

 定年後の叔母はとてもアクティブです。それまで時間を裂けなかった趣味の着物や絵を習ったり教えたりに忙しく、高校時代から続いているというお友達と小旅行やら歌舞伎やらとこちらも忙しく遊んでいます。彼女は3人の子ども達と2人の孫がいるのですが、皆、車で15分以内というところに住んでいますし、一番下の娘は同居しているので、家でも一人の時間は少ないようです。

 一見、忙しく充実した定年後を彼女が過ごしているように見えるのだけど、なんと言うのでしょうか、ときどき彼女の寂しさが見え隠れすることがあります。ちょっとしたことで私に電話をしてきたり、仕事や子育てがなくなっても「ちっとも寂しくないわよ」と言ってみたり、今までは忙しくて先延ばしにしがちだった会う約束を、即座に手帳を取り出して「いつにする?」と言うあたりに、なんとなく、寂しいのかな、どこか心に穴が空いたような気持ちなのかなと思うのです。

 彼女は今までいろいろな肩書きの中で生きてきました。子ども達も優秀だったので、進学校のお母さん、国立大学の、その後は国立大学院のお母さん、看護婦のお母さん、彼女自身の出世した肩書き(部長クラスでしたか?)、そして彼女の夫の出世による社長の奥様という肩書きもまだあります。が、そういうものが外れていく中で、最後に彼女自身に何が残るかということに今、向き合い、とまどい、ほんの少しもがいている感じがするのです。

 一方、夫の母、義母は対称的な定年後の生活をしているように思います。基本的に彼女は「生活」をしていますが、あまりアクティビティはしていません。つまり、毎日の普通の生活、食べて、掃除をして、テレビを見て、クロスワードパズルをして、タバコを吸ってコーヒーを飲み、編み物をし、買い物や支払いのための銀行に行く、という毎日を過ごしています。そして時折孫のために何かを買いに行ったり、クリスマスや孫の誕生日前には大きなプレゼントの箱を送ったり、誰かのバースデーパーティーに呼ばれたり、ピンセの昼食会に行ったりします。

 一人でヒュゲをしてコーヒーとタバコを楽しみながら、窓の外の悪い天気を見ている義母に、毎日予定を立ててあちらこちらに出かけない義母に、私は正直言って、最初はちょっと面食らってしまいました。私にとって、毎日はプランの連続で、いろんなことが詰め込まれているもの。もし何もしなければ、時間を無駄にしてしまったと後悔してしまいます。

 でも叔母が定年後の心の穴を埋めようとしているのを見て、ふと気付きました。義母はきちんと自分を持っているのだと。義母は寂しさを受け入れ、孤独を受け入れ、その中で生きていく潔い心構えを持っているのだと思いました。それは非常に強いということで、彼女の場合は何の肩書きがなくても、何の仕事がなくても、ただのそのへんの普通に見過ごされるおばあさんという存在であっても、自分は自分なのだという尊厳が彼女の中にあるのだということに気付きました。

 それがデンマーク人という個人主義の徹底した国民性からきていることもあるでしょう、西洋人のプロテスタント的な考え方からきているということもあるでしょう。ゆりかごから墓場まで国家が見てくれるけれど、内面の部分では自分しかいないのだという長年の訓練が、今の義母を作っているのかなとも思いますが、私も最近になって、そういった義母を誇りに思うようになってきました。私はどちらかというと叔母のタイプなので、義母のことをはじめは理解できなかったのですが、今は私にとって学ぶことが多い女性だと思っています。

 それからちょっと面白いなと思うのが、2人の孫に対する姿勢の違いです。叔母は自分のスケジュールの空いているときに、孫の相手をします。義母は何を差し置いても、孫とのことが優先されます。このへんからも義母の潔さ、自分にとって大切なものを選び抜いて満足しているところと私は見ています。

 私自身は2人を足して2で割ったような定年後が理想です。何者でもない自分をありのままに受け入れ、自分との対話の中で生きている義母と、いつも目標や、他者との関わりの中で生きている叔母、どちらの要素もあるといいなと思っています。

きんぴら好きは遺伝

2007-02-08 06:55:02 | 私の家族たち
 昨日の夕食にきんぴらを作ったところ、ショウミーとジジに大好評でした。2人とも本当においしそうに、お代わりをして食べていました。そこでふと思い出したのが、子どものころ、「好きな食べ物は?」と聞かれて、「きんぴら!」と答えていたことです。

 私はなぜかきんぴらが大好きで、これがあるとご飯が何杯でも食べられたものでした。食卓にきんぴらがあると、やったー!と思ったことを覚えています。母のきんぴらは鶏肉が入っているものと入っていないものの2種類あって、どちらもそれぞれのおいしさがありました。

 昨日の子ども達の食べている様子を見ながら、ああ、この子達は私のDNAを受け継いでいるのね、母もこのきんぴらが子ども達に伝えられていることを見たら、どんなに深い思いを抱くことだろうな、という思いにふけってしまいました。無心においしい、おいしいと食べている子どもの姿に昔の自分を見たような気がしてしまいました。

 というわけで、我が家はこれからきんぴらが常備食となりそうです。夫のきんぴらについてのコメントは「食べられる・・・」でしたが、多数決で仕方ありませんね。国際結婚だからでしょうか、子ども達が日本の料理を喜ぶと、デンマーク料理に喜ぶよりも、妙に私が嬉しくなってしまうのですが、これもまた遺伝子の問題なのでしょうかね?

 

ヴィゴのスクラップブック

2007-01-30 22:23:54 | 私の家族たち


 以前見たことがあったのですが、今回のデンマーク滞在時、改めて夫や子ども達とこのヴィゴのスクラップブックを見ました。これはかなりたくさんのローリングをやっていた夫の父、ヴィゴの記事が入っています。以前、ヴィゴのことはブログに書きましたが、彼はヨーロッパ1のローリングの選手で、メダルを本当にたくさん取っていたのですが、ちょうど第二次世界大戦が始まり、出場するはずのオリンピックがなくなってしまったという不運がありました。

 それでもヴィゴは我が家の誇りで、ショウミーにはおじいさんがどんなにすばらしい人だったか、どんなにかっこよかったのか、という話を私たちはしています。実際、ヴィゴはパン屋さんをやる傍ら、本当にいろいろな大会で他を寄せつけない、圧倒的に強いローリングの選手だったのでした。「最初はゆっくり、後のほうからついていくんだ。そして後半、ぐっと追い上げる!そうすると相手に心理的なプレッシャーも与えて、勝てちゃうんだよ」と息子である夫に話してくれたそうです。

 子ども達もこの会うことのなかった祖父を、いつか誇りに思ってくれたらいいなと思います。同時に、ヴィゴのような華々しい記録はないけれど、がんばって同時期の戦後を生き抜いてきた私の祖母などの話も伝えたいものですね。

義母と私のもったいない度

2006-09-05 23:06:24 | 私の家族たち
 デンマーク人の義母と私の共通点、それはもったいない度が同レベルということです。夫とのもったいない度がかなり同レベルで、デンマークで育った夫と日本で育った私の生活に対する姿勢が同じなので面白かったのですが、どうも私達の育った家庭背景がかなり似通っているようです。そして義母と何週間も一緒に生活することを繰り返しているうちに、どうやら夫の原点である義母とももったいない度が一致することが判明。これはどちらかの家で長く一緒にいる場合、とても便利なことです。

 義母はお皿を拭く布を擦り切れるまで使います。やや擦り切れていても使います。私も同様に擦り切れても使ってしまいます。

 彼女は買い物でもらった袋、プレゼントなどの包装紙やリボン、ひもを捨てません。全部きれいに伸ばしたりして取っておきます。私もそうなので、お互いの家で勝手に袋を捨てたりはしません。そして「これいるよね?」と渡します。

 お鍋やボウルからお皿に開けるとき、重いときにはよく義母と私はお互いに助け合うのですが(お鍋係と掻き出し係)、義母も私もできるだけお鍋からきれいに取ろうとします。ちょっと待って、もう一回!などと言いながら必死になってやるわけですが、最後に「これでよし!」というタイミングが同じで可笑しいのです。私がもういいかな?と思うころに義母も「いいわ」と言います。

 テーブルの上で使った紙ナプキン。これも私達は捨てません。もちろんよく使われ汚れたものは捨てますが、けっこうきれいだったりすると義母は引き出しの中にしまい、私はカウンターの上に置いておくのです。そして何か汚れ物を拭いたりする場合に使います。ここでちょっと義母がもったいない度が高かったのは、私は1枚丸ごと使うのですが、彼女は必要な分だけ切り取って使うのです。(今では私も見習ってそうしていますが。)そしてなんだかとっても得をした気分になるのでした。

 年齢も離れ、違う文化で育っている義母と一緒にいても何とかやりすごせるのは、こういう小さなところにずれがないからかなと思います。あまりこういうところがずれていると、お互いにかなりのフラストレーションになりますよね。

 そうそう、ちびた鉛筆をしつこく使い続けるところも私達は似ています。私のこのもったいない度は私の母親から受け継いだものなのですが、義母と一緒にいると私の母と一緒にいるような、ちょっと懐かしい気分になったりするのでした。

義母と日本

2006-06-28 10:17:55 | 私の家族たち
 先日夫が実家に電話をしたときに、義母が「ワールドカップは日本を応援している」と言ったそうです。あえなく負けてしまいましたが、私はそれを聞いてなんだか嬉しく思いました。義母はKawaguchiはいいキーパーだ、Kawaguchiはデンマークにいたので知っている、と川口に注目していたようです。

 義母はもうすぐ70歳で、英語の話せない世代です。学校も7年生までしか行っておらず、ある意味、狭い世界でまじめに生きてきたごくごく普通のデンマーク人だったのに、ある日突然、息子の一人が今まで彼女が視野にも入れていなかったような日本に行ってしまった。きっとそのうち戻ってくるのではとなんとなく期待をしていたと思います。けれども息子は日本語を覚え、日本で生活し続け、あげくに日本人と結婚してしまいました。彼女は息子の人生に口を出すようなことはしませんが、内心、やはり少し複雑な気持ちにはなったことと思います。

 さてそんな彼女が65歳のころに初めての孫が生まれました。以来、1年か2年に一度のペースで日本に来るようになりました。英語ができないので、来るときは必ずスカンジナビア航空でダイレクトに来ます。そして全く言葉のわからない国で、全くデンマーク語のできない息子の妻や、リスニングはできるけれど話せない孫たちと一緒に過ごします。日本の観光にはほとんど興味がなく、ひたすら孫との時間を楽しんで2-3週間滞在し、また帰って行くのです。それでも孫達との輝くような時間や彼らの柔らかい肌に触れること、それからジジが生まれたときにそばにいたことなどは、今の彼女にとって本当に最高の時間であるようです。

 息子の日本行きによって、ごく普通だった義母の、リタイアした後の人生が彼女にとって思いもかけない方向に行っていることは違いありません。私の息子が私のよく知らない国、シリアやチュニジア、あるいはトリニダードトバコなどに行って家庭を持ったと想像すると彼女の気持ちがちょっと理解できるような気がします。(そして、ああ、うちの子供たちにデンマーク語をなんとか喋らせなくちゃ!と思います。)私と結婚したのは夫の意思なのではあるけれど、私は日本的に考えてしまい、義母にはどうしてもちょっと申し訳なく思ってしまいます・・・。多分日本に住んでいるので、夫と孫を義母から引き離していると感じてしまうのでしょう。

 義母は観光や買い物、食事などにそんなに興味がないので、あまり日本は魅力がないかもしれませんが、せめてこうなったら義母にできるだけ日本を楽しんでもらうしかない、と考えています。今のところ、義母が日本で気に入っているのは、温暖な気候(これは確かに寒がりの義母にとってはいいはずです)、なぜかファミリーレストランのサラダ(いろいろ入っていて、おいしいそうです。確かにデンマークのサラダはもっとシンプル)、それから免税店で買える安いタバコくらいのようですけれど。

 人生は終わってみないとわからない、とは私の祖母の言葉です。義母を見ていると祖母の言葉にひたすら納得してしまう私です。

 

義母とのなれそめ

2006-05-02 01:08:05 | 私の家族たち
 義母が日本で過ごすのも残り4日となりました。約3週間の滞在はあっという間に過ぎていきそうです。義母は実は私とは正反対の性格で、恐らくこのアジアのはねっかえり娘(という年齢ではありませんが、義母からすれば小娘でしょう)に初めはびっくりしたことでしょう。

 義母と初めて会ったのはコペンハーゲンの空港でした。迎えに来てくれたのですが、西洋人イコール大げさなリアクションをイメージしていた私は、そして特にアメリカに当時住んでいたので、義母の挨拶もそこそこの感じには正直拍子抜けしたものでした。今になると義母のとまどいは理解できるのですが、未来の嫁としてはちょっとさみしい気持ちになったのを覚えています。

 そして当時私はちょうど妊娠中で、初めてご厄介になるお宅なのに、あれも食べたくない、これも食べたくない、そして朝食が済むと疲れてベッドで休んでいる・・・と相当なわがままな人に思えたことでしょう。(その後、何度も義母の家に滞在し、今では私は本当は何でも食べられる人だとわかってくれたと思いますが。)そのときはなぜかみかんだけがおいしく食べられて、義母がキッチンにみかんを切らさないように用意してくれたり、外出するときはプラスティックバックにみかんを数個入れて持たせてくれたりしていました。確か次の年にデンマークに行ったときにも、みかんを買っておいてくれたように記憶しています。私はみかんしか食べられないという印象だったのかなと思うとちょっと笑ってしまいますが。

 それだけでなく、妊娠中で気持ちが不安定なことと、もともとの気性の荒さ(?)ゆえに義母の前で夫としょっちゅう喧嘩をしていたのでありました。きっと義母はなんでこんな子を結婚相手に選んだのかと自分の息子を嘆いたに違いありません。

 これが義母とのなれそめですが、もう5年以上前のことなのですね。とても懐かしく思います。義母と私は共通言語がない分、理解しあうのに時間がかかりましたが、今では私にとって大事な人になっています。「お母さん」というのとは違うのですけど、それでもいろいろと学ぶべきところのある、また私をさりげなくサポートしてくれる存在です。いつからか義母の家に行くと、なんだか実家に帰ったような気持ちになるようになりました。実家のない私の、ぬくぬくとしたそして世界で唯一の子供に戻れる場所、です。
 

花見ざんまい春休み

2006-04-04 13:24:11 | 私の家族たち

本当に毎日花見ざんまりの春休みとなりました。
今年花見をしたところ、代々木公園、新宿御苑(写真)、中野通り、四谷駅周辺の土手、大泉中央公園、そのほか近所の花見どころ・・・。

子供が幼稚園にあがって1年、夏休みと春休みの過ごし方がなんとなくつかめたような気がしています。春休みはお花見やあたたかくなった公園で思い切り遊ぶ、夏休みはひたすら水を求めて同じく公園などで遊ぶというのが私達の「正しい過ごし方」のようです。
問題は冬休み・・・。寒すぎて外遊びを長くできないし(というより私は全くしたくない)、おとなしく家で絵を描いているようなタイプの子供たちではないので、やっぱりデンマークに行くしかないのかな、へへへ。これまた冬はあんまり気が進まないのだけど。

子供が幼稚園に行きだすといろいろな予定が入り、普段は子供と完全に向き合うような時間が少なくなってきます。そういう意味ではお休みのときは一日中、一緒に生活や時間を楽しむ貴重な機会なのですね。
体当たりの毎日で本当に体力勝負だけど、両手にひとりずつ小さくて柔らかい手をつないで、ネコを追いかけたり、桜の花を拾ったり、アリを眺めたりする時間を私はとても楽しく思います。
子供の匂いをたくさん吸って、くっついてくっついて過ごすのはあと何年かなあ?

大人になってからはすっかり都会の中(そして夜型)で生きていたけど、子供のころに戻って季節や自然を感じながら生きていく時間を子供のおかげでもつことができて、私は自分がより人間らしい生活を取り戻していることをとってもハッピーに感じます。

毎日あれもやりたい、これもやりたいと思いつつ、そんな子供たちとの生活ですっかり疲れて、早いときは8時半とかに寝てしまうのが困ったものですが・・・。

Viggoのこと

2006-01-25 13:46:20 | 私の家族たち
Viggoとは義父の名前で、義父と義母はだいぶ年齢の離れたカップルだった。
残念ながら彼は病気で夫が16歳のときに亡くなってしまっているのだけど、
写真で見ると若い頃はかなりのハンサム、映画スターかと思うほどだ。
私は会ったことがないので彼のことを「伝説のViggo」と勝手に呼んでいる。

Viggoは若い頃はローリングをやっていた。彼の兄のPeter Richardがロー
リングで36年のベルリンオリンピックでメダルを取っており、Viggoは38年に
ミラノで行われたヨーロッパチャンピオンシップに兄と組んで出場、3位になって
いる。次のオリンピックには弟のViggoが出場するだろうとデンマーク内では
思われていたようだ。ところが39年にヨーロッパで戦争が勃発、以来、48年
までオリンピックが開催されることはなかった。そうしてViggoはオリンピック
に出場する機会を逃してしまったのだ。
もし出場していたら、ヨーロッパチャンピオンシップでメダルを取っていた
ということはオリンピックでメダルを取る可能性が高かったという。

当時のことは義母もまだ結婚していなかったのでよくわからないのだけど、Viggo
はかなりもてていたらしい。彼の最初の結婚(義母とは2回目)は地元紙に載り、
確か「これで女の子達も騒げなくなる」というような内容が書いてあったと思う。

彼はパン屋さんでもあった。朝早く起きて、パンを作り、午後を練習の時間に
当てていたらしいのだけど、義母と結婚した頃はもうパン屋は廃業していた。

夫たちが生まれてからはあまり裕福でもなく、義父母は朝と夜を交代のシフトで
働いて子どもを育てた。そして定年になってすぐにViggoはガンが見つかり、2年
の闘病後亡くなった。定年のパーティーには楽しそうなViggoの姿が写真に残って
いる。彼は本当に人生を楽しむ人だったようだ。

Viggoは年を取っても、面白い話が大好きで、人と楽しくやるタイプで、夫曰く、
「かっこよかった」そう。スポーツマンの身体をしていて素敵だったそうだ。

こういう祖父がいたことを今度デンマークに行ったらショウミーにそろそろ教え
てあげようと思う。Viggoの記事が貼ってあるスクラップブックを義母に見せて
もらって、この人の孫だということを教えてあげたい。
私は会ったこともないViggoを誇りに思っているけれど、私の子供達にもそう
思ってもらいたい。きっとViggoは天国で、全く知らない東洋人が自分に興味を
持って自分の話をしているのを見て可笑しがっているだろうけど。