デンマーク・ハーフキッズ

デンマークについての情報やニュースを紹介、またデンマーク人と日本人のハーフの子供たちの子育て日記。

2007年デンマーク総選挙から

2007-11-29 16:46:57 | デンマーク 政治・歴史関係
 11月13日(火)、デンマークでの総選挙が行われました。今回、デンマークにおける選挙というものに初めて私は注目してみましたが、日本からだと残念ながらなかなか実像の見えないものでした。なんといってもデンマークは日本では報道されず、選挙結果はネットのニュースで「現政権が続行」という程度の情報は得られましたが、それ以外のマスコミではほとんど報じられることはありませんでした。(デンマークという国の日本における影の薄さを、今回も改めて実感することとなりました。)

 情報収集に努めてみたものの、デンマーク語のできない私にはかなり限界がある、というところでした。最終的に、デンマークの各政党の公約といったものを私の中で明確にすることはできませんでしたし、各政党の党首のカラーなどもあいまいにしか見えませんでした。これは少々愚痴になりますが、デンマークの政党も名前が非常に似ていて、また日本の左派右派というのとも土台が違い、政治思想の土台が違うため、全体を正確に理解するにはますます困難を極めています。おまけにそういったことを説明している文献が、日本語ではほとんどありません。

 それでも選挙の結果は明確に出ており、最初に書きました通り、現政権が続投ということになり、デンマークが大きな舵取りをして路線を変更することはなさそうです。今回一番の注目であった、新政党「新同盟」は思ったほど議席を伸ばしませんでした。この政党がなぜ注目されていたかというと、党首のナサ・カダー氏が移民であったからです。彼はシリアからの移民であり、2005年あたりのムハンマド風刺画問題の際に、デンマークとイスラム諸国との間に立って活躍したという経緯があります。移民受け入れによる問題を抱えるヨーロッパの中で、とりわけ厳しい外国人の流入に対する政策を採っているデンマークにとって、この新同盟による緩和政策が注目されるところであったと私は解釈しています。が、思ったほどの票の伸びはなく、それでも議席は確保したものの、5席にとどまりました。

 今回の選挙を見終えて私にとって面白いなと思ったのは、人々の保守的な心が意外と根強いものだということです。先ほどの外国人に対する政策の厳しさは、他国からの非難を受けるほどでもあります。デンマーク人自身もこの政策をやりすぎではと思っている人も少なくないようです。けれども、デンマーク人は最終的には保守に回りました。このことから思うのは、人間は昔も今も、自分の財産を守ろうという保守的な気持ちがどんなに強いかということです。17世紀から18世紀のイギリス革命、そしてフランス革命において、何が最終的に目的だったかというと「自分達の自然権(今で言う基本的人権のようなもの)を守る」というものであり、絶対君主からの絶対権力からの自由を求めたものでした。これをリベラリズムというわけですが、もっとかみくだいていくと、つまりは私的財産の尊重というもので、自分達の財産をどうやってでも守ろうというところに、その時代の人たちの革命への強い原動力となったわけです。ただし、これは当時の市民層でのことであって、都市下層民においては少々事情が違ったわけですが・・・。

 デンマークの今回の選挙はもちろん移民政策が一番の論点だったとはいえませんが、少なくとも選挙結果の一部の要素として、こういった人間の不変の保守性が表れたように思い、私は非常に面白いなと思いました。一方で、革新的に、協働的に生きていきたいと思いつつ、もう一方では保守的に、自分本位になるのが人間というものだと思います。時代を超えて、国を超えて、人々はそうやって自分を守り、家族を守ろうとして、日々やっているわけなのでしょう。

外国人の指紋読み取りスタート

2007-11-21 01:27:36 | 国際結婚
 今日から改正出入国管理・難民認定法が施行されました。つまり、外国人が日本に来た場合、必ず顔写真と指紋の読み取りを義務付けられました。これはどんな外国人にも適応ということで、外交官、特別永住者(戦前から日本にクラス在日韓国人ら)などを除く外国人全員ということです。

 夫は外国人ですが、すでに日本に17年ほど住んでいる永住権保持者です。驚くことにこういった一般永住者も該当するということで、これによって、次回から夫は必ず成田で顔写真を撮られ、指紋を読み取られることとなりました。あと他にどこに国で、外国人の指紋読み取りの義務化が行われているのかというと、米国だけです。日本はは米国からの受け売りでこの制度を始めたのでしょうか?それにしても、「全員」とは・・・。

 夫は多分まだこのことを知らないと思います(あんまり日本のニュースを読んでいない)。日本に税金を収めている夫は、知ったらきっと、ものすごく怒るだろうなと思います。テロリストを入国させないために、どこかで線を引かなくてはいけないのはわかりますが、本当にここに永住して、税金を納め、日本人となるであろう子どもを扶養している外国人に選挙権を全く与えないばかりか、今度は指紋だなんて、やはり屈辱的な感があります。またいまや日本人でもアルカイダの友人の友人であったり、そういった人から情報をもらったりする人がいるようですので、外国人ばかりを疑うのはどうかと思ったりもします。

 仕方のないことだと受け流すしかないかと思いますが、外国人の夫を持つ私は、今回の改正をなんとも言えない気分で見ています。これから毎回、どこに行っても顔写真と指紋を義務付けられる夫は、そのたびに嫌な気持ちになることでしょう。夫だけではなく、すべての日本に貢献している外国人が同じような思いとなることでしょう。

 そしてこれは将来、日本人が外国に行ったときに「日本人だから」指紋などを強制される可能性が出てきました。現にブラジルはアメリカ人の指紋読み取りを義務化しています。こうして対抗策を取り合って、世界全体が外国人入国の自由化に、逆行していく可能性も出てきたというのかもしれません・・・。

木の話

2007-11-20 07:58:58 | 思ったこと・気づいたこと
 アムステルダムにある「アンネ・フランクの隠れ家」の裏の木が、病気のために切り倒されることになったそうです。おそらく彼女が慰めを見出していたその木がなくなってしまうのは、木も命あるものなので仕方のないことなのでしょう。

 このニュースから私が思い出したのは、私が育った団地の前にあったケヤキの木のことです。小学生のころ、あの木に登り、あの木をだるまさんころんだの拠点の場所にし、そうしてあの木の陰で休憩したっけ・・・。私の部屋の窓からもあの木はよく見え、風がふくと木の葉の触れ合う音を心地よく聞いていたものでした。

 今の家は都内のマンションですが、この家の窓からは木が何本か見えます。春になると正面の桜の木でリビングからお花見、夏は葉が繁り、木々に囲まれた避暑地気分を少々楽しめます。今はその桜の木、そして手前にある名前のわからない木が紅葉して、日が当たると明るく光ります。冬はかなり葉が落ちて寂しい風景になるけれど、次第に木が芽吹いてきて春の訪れを待ち遠しくさせてくれます。こうした四季折々の窓からの風景が、私がこの家で一番好きなところです。そして木々に毎日、心をほっとさせてもらっている気がします。

 いつか購入したい木の椅子があります。ひとつはダイニングテーブル用にハンス・ウェグナーの美しいYチェアを、そしてリビング用にジョージ・ナカシマの小さなテーブルのついた椅子です。ずっと前、仕事で高松市にあるジョージ・ナカシマの家具を製作している桜製作所を訪れたことがあります。そのときからずっとほしい椅子がその小さなテーブルのついた椅子です。木の椅子は形は変わるけれど、やはり人をほっとさせてくれる優しい風合いがあり、またその椅子を作っている人たちの優しい心遣いなどを感じられて、いいものです。当時、仕事で何人かの物を作る方にお会いしましたが、私が好きな物を作っている方々は、本当に人間的に温かく、優しい方ばかりでした。そんなすばらしい方々が、こんな私に作っている場などを見せてくださったことを、今でも恐縮する気持ちで思い出します。

我が家に新時代の兆し・・・

2007-11-13 07:38:44 | 母親業・主婦業
 秋も深まり、いろいろと慌しい時期です。卒園・入学・そしてジジの入園を控え、先月あたりから動きが出てきています。いよいよジジが幼稚園!、というわけです。ある友人は先日、ジジと同じ年齢の子とお昼ごはんを食べながら、「もう一緒にいられるのはあと少しなんだね」と感情が高まって号泣してしまったそうです。その気持ちがとてもわかる気がしました。私も号泣こそしていないけれど、ジジとのさりげない日常のひとこまを、かけがえのない時間のように感じる今日このごろです。秋で感傷的になっているのかな?

 というわけで、来年の春からは皆がそれぞれの時間を持つようになります。夫は会社へ、ショウミーは小学校へ、そしてジジは幼稚園にと分かれていくわけです。さて、私はというと、新しい時代の幕開けに、感傷的などと言いつつも、やはりうきうき・・・。この6-7年間、子ども中心に生きていましたが、だんだんまた私の割合を増やしていけることになりました。これまでよりももっとメリハリのついた生活となるのは嬉しい限りです。

 少し前までは、子ども達が親離れしていくのは非常にさみしいと思っていました。もちろん今もそういう気持ちはありますが、私自身のやりたいこと、つまり大学生をやっているからでしょうか、だいぶ私も子ども達と私を分けて考えられるようになったようです。

 子ども達もずいぶんと楽になり、夫と私にとっても新しい関係の兆しが見えてきたように思います。子どもが小さい頃は一人では間に合わず、夫と2人で力を合わせてやっとなんとかなる、という状況でした。ジジが生まれてもっと忙しくなったりもしました。が、今は子ども達はかなり自分でいろいろとできるようになり、私達の子育ても一段落してきました。そして私達の見えてきた方向は・・・お互いの「解放」です。

 これもまた昔は信じられなかったのですが(どうして人間はこんなに変わるのか?)、互いから解放されて、自由に生きているカップルを見てもよく理解できませんでした。けれども今は私はそういう夫婦が、私にとっては理想のように思えてきました。ある部分は非常に重なっているのだけど、あとは好きなように生きている、「人生は短いのでやりたいことはやりたいよね」というわけです。とは言ってもやはり子どもに対してのあれこれは削れないのですが、それでもどちらかが子供達と寄り添っていれば、もう一方は他のことをどんどんやっていこう(人と会う、イベントに行く、学校に行く、出張に行く、旅行に行くなど)ということになりつつあります。

 こうして家族が互いに解放されて好きなことをしながら、それでいて、どこかでしっかり密な時間も確保できていれば、それがいいなあと思い始めています。そしてこうして解放されて自由でいること、それは意外と私にとっては大切なことなのだということを、7年を通して身をもって知った気がします。そして我が家は、これから家族=基地となって、私達4人はそれぞれに生きていくようになるのだろうな~、という新時代の兆しが見え始めました。とても楽しみです。

 

よい一日

2007-11-09 00:40:54 | 思ったこと・気づいたこと
 今日、夕食の準備をしていたら携帯の電話が鳴りました。友人が気になる人との食事の約束をしているのだけど、相手の仕事の終わる時間が読めず、一人で待つのがきついのでちょっとつきあってくれない?とのこと。こんなティーンエイジャーのようなことを言い出す友人がなんだかとてもほほえましくて、「まあ、とにかく家に来れば?」と誘ったのでした。

 結局彼女はその気になる人に「今日は会えない」と言われ、終電くらいまでうちの食卓でお喋りをして行きました。ひょんなことで突然の来訪者でしたが、こういう思いがけない夜もたまにはいいものだなあと思いました。

 これまでの人生で人間関係に悩んだことも多々あったけれど、最近は年齢のせいでしょうか、人との心地よい関係が増えてきたように思います。大人になってからの友人関係というのは、本当にいいなと思う今日この頃です。くっつき過ぎず、お互いが違う世界を持っていて、それでいていつも心が結ばれているような、そんな関係が大人の友人関係なのかもしれません。そして会ったときにはいろんな話をして、心がちゃんと触れ合うことができるような関係です。変な計算や疑い、競争がなく、シンプルに相手を思う気持ちは本当にいいものです。

 毎日、一日のどこかで、友人達との時間があるかどうかは、意外と私にとって大きなもののようです。それがたとえちょっとした時間であったとしてもスパイスとなり、その一日をよい日にしてくれる、大切な時間です。そして年齢とともに友人達がどんどん優しく温かくなっているように思います。年を取れば取るほど、友人関係はよいものになっていくのかなと思うと、今後の人生が楽しみです。
 

怒涛の3日間 <スクーリング:国際政治学>

2007-11-08 11:08:37 | 通信制大学・大学院
 この週末は初めての週末3日間(土、日、月)のスクーリングでした。最初の2日間は9時半から18時半まで、最終日は16時までで、最後の1時間はテストというスケジュールです。科目は国際政治学だったのですが、私にとってさらにきついことに、最終日は週に1回の夜の授業、政治学原論(18時半から21時半)と重なっていたことでした。

 初めてのこの3日間集中講座である上に、その後また授業があるなんて堪えられるだろうか、とさすがに不安な気持ちでスクーリングを迎えました。そういえば遠い昔の学生時代、水曜日だけは18時まで授業があり、本当に堪えられなかったなぁと思い出し、ますます不安な気持ちになりましたが、反面、そんな長時間の授業を行う教授も相当疲れることでしょう、と今回はそういう見方をするだけ、大人になったようです。

 さて初日、登場した先生は自己紹介は名前だけで、授業のレジュメを渡されて早速授業に入られました。まさにどこまでも淀みなく、一定のテンションでハイペースで進められた授業は、何度かの休憩をはさみつつ、9時半から18時半まで完璧に行われたのでした。スクーリングのたびに強く思うのは、学問は読むことと同時に、こうして人を介して教えてもらうことがとても重要だということです。キューバ危機に関する逸話なども面白く、外交というものの本質などに触れさせてもらった授業でした。

 18時半となり、初日を終えて、まだ十分エネルギーのありそうなO先生をよそに、私は本当に疲労困憊、4階の教室から下まで階段を下りて行く足がおぼつかないほど・・・。その日、得た教訓としては一日のだいたいのエネルギー配分の見当がついたことでしょうか。食事のあとには眠くなるので、翌日からはランチは軽めにして、できれば昼休み中に少しでも眠って、午後のエネルギーが蓄えようということにしました。

 家に帰ると夫が「今日は定食やさんで食べよう」と言い、家族で外で食事をしました。本当に疲れきっているところに、外食して子どもをうるさくしないように制しなくてはいけないのは、非常に精神的に負担でした。大人同士だったらこういう日は外食でよいのですが、子どもがいると逆に疲れることなのだと初めて知ったのでした。

 翌日はすっかり淀んでいる私とは裏腹に、O先生はその日も朝から淀みなく、さわやかに授業が始まりました。なんだか昨夜家に帰ったのが夢だったのかと思うような、ずっとそこに座っていたような変な錯覚に陥ったのでした。かろうじて先生のネクタイが変わっているのに気づいて、ああ、一晩寝たんだった、と確認している自分がおかしかったです。そして2日目は半分は国際政治学の理論、半分はこれまでの歴史というものでした。若き日の学生時代と違い、先生の話をできる限り正しく理解したい、できる限り聞き漏らしたくないと必死になってノートを取り、その日も耳は楽しく、手は忙しく、心は高まるという約9時間でしたが、ランチのあとの昼寝で初日よりもすっきり最後まで授業に臨むことができたようです。

 昨日の外食の疲れに懲りて、その日は簡単に鍋物の夕食を作ることにし、途中まで夫に指示してやっておいてもらい、帰宅してからすぐに夕食の仕上げに取り掛かりました。専業学生であれば自分の面倒だけ見ればいいのでしょうが、大人の学生はそうはいかず、いくつものわらじを履きこなせるかどうかが大切です。ときどき学業に専念したいと思わないこともありませんが・・・。

 そして3日目、最終日です。授業の合間に質問し、デモクラシーの比較政治についてのアドバイスなどを先生にしていただきました。非常に丁寧に対応してくださり、本当にありがたく思いました。こういう気持ちには学生時代にはならなかったですね。今は、教えてもらうことを心底ありがたく思い、昔は先生に気軽に話しかけていたのに、今は緊張しすぎてうまく話せない感じです。

 最終日の15時から16時はテストです。予め先生が提示してくれた6つのテーマの中から2つ選択して、論述します。私はキューバ危機と理論のほうのリベラリズムを選択、前日の夜、家でかなり準備しておきました。そして当日の昼休みにもまたもっと整理し、テスト中には書き写せばいい(ノート持込可でした)くらいのところまで仕上げておきましたので、わりと落ち着いた気持ちでテストに臨みました。しかし、始まってみると書きなれないシャーペンで書くということで(普段はペンで書いている)、書くペースもやや遅く、そしてかなり量があり、途中で手が痛くなってきました。すでに3日間書き続けた後で、1時間にわたり、全く休みなく超スピードで書くというのは本当に過酷なもので、私は途中で書けなくなるのでは?と思いもかけないところで、本当に焦ることとなりました。キューバ危機について書きつつ、私が危機じゃない、と心の中で思い、ちょっと可笑しくなってしまいましたが。しかし、本当に手を大切にしないと勉強やテストに支障が出るので、気をつけなくてはいけません。こんなことをまじめに言うのも、自分でもなんだか変なのですが。

 そうして、残り1分というところで準備していた論述形式の答案を書き終え、心からほっとして、先生にお渡しし、国政政治学のスクーリングが終わってしまったのでした。スクーリングはそこに至るまでにそれなりの自習やリポート提出を行い、その上でとても楽しみにして受講するので、終わるとなんだか少々さみしい気持ちがするものです。もっとその教科について学びたいと思いつつ、やはり次の単位習得に向かって進んでいかなくてはならず、その教科とのしばしのお別れに、後ろ髪を引かれるような、あるいは甘酸っぱい卒業のときの気持ちのような、おかしなことに私はそんな気分になるのでした。

 その日は夜はまた18時半から政治学原論があり、すべてを終わって帰宅するときには、無事にマラソンを走り終わったような気分で、私って今、なんだか青春しているなあなどと思いつつ、夜道を歩いたのでした。(青春の私の個人的な定義とは、年齢に関係なく、何かに夢中になって生きていること、かなー???)



挨拶は基本

2007-11-01 07:45:51 | 思ったこと・気づいたこと
 「挨拶をきちんとしよう!」という言葉を、子どものときも大人になってからもよく聞きます。日本人は挨拶が大好きなのかな?と思うほど、いつでもどこでも、挨拶の話やら躾けやら学級目標やら果てまたキャンペーンまであります。(他の国でこんなに挨拶、挨拶って言っているかしら?言ってないのでは?)

 親の立場になって思うのは、挨拶のできる子はかわいいということです。「ショウミーのママ、おはよう!」つたない口で「ありあとうございましたー」などと言える子はいい子だなと思ってうれしくなります。

 けれども最近、挨拶のできない人もけっこう多いことに気づきました。日本人の基本は挨拶と思っていただけに、これは私にとって少々ショックなことです。日本人も変わっちゃったのかなぁ? 例えば幼稚園の送り迎え時、子どもの関係の集まりなどで初対面の人やその場だけのお付き合いという場面がよくあります。そういうときに、関わりは浅いけれど、でも同じ場所を短時間でも共有し合うのだから、よろしくお願いしますという気持ちも含めて、気持ちよく挨拶・・・とならないのです。挨拶がないとなんだか爽快感がなく、後に残るのは淀んだ不明瞭な空気です。あるいはこちらが挨拶をしても、その組織で経験の長いお母さんなどは、ごく一部ですが「はぁ?」と少々下目使いでこちらを見るだけだったりします。

 よく観察してみると、やはり明るく挨拶のできない人は何かあります。人を小馬鹿にしていたり、自己中心的だったり、意地悪だったりするのです。逆に笑顔で気分よく挨拶してくれる人は、やはり心の温かい、シンプルでポジティブで楽しい人です。私の中の定義では、挨拶=いい人、です。目は心の窓と言われますが、挨拶もまた心の窓かもしれませんね。私の子ども達にも、明るい目をして明るい声で、自然に挨拶のできる人間になってもらいたいものです。去年、あるお母さんが「挨拶をしない」ということでちょっと非難をされていたのですが、つい最近その人が実はその当時パニック障害だったということを耳にし、挨拶は心の健康のバロメーターでもあるのだと思ったのでした。

 先日秩父に行ったときに、散歩中、出会う人たちが見知らぬ私達に挨拶をしてくれたのが、とてもうれしかったです。知らない土地での挨拶は心をあったかくしてくれるものだなあと思いました。昔、初めて行った外国で、人々がにっこり微笑んでくれる習慣にいたく感動したことも思い出しました。やはり挨拶は人としての基本の大切なことですね。それも口先だけの挨拶ではなくて、自然な心からの挨拶ができる人は素敵だなと思います。