デンマーク・ハーフキッズ

デンマークについての情報やニュースを紹介、またデンマーク人と日本人のハーフの子供たちの子育て日記。

新しい生活

2011-04-07 09:26:39 | 思ったこと・気づいたこと
 昨日桜の咲く中、下の子ジジの入学式が行われました。そして、今日からは私の新しい生活、ふたつの意味での新しい生活となります。

 ひとつめはジジの入学によって幼稚園の送り迎えがなくなり、私は時間的にすごく自由になったことです。思い起こせばこの約10年間は送り迎えの連続でしたが、これでやっと解放です!これで8時には子ども達が出かけてくれて、以後、お昼過ぎまで、そしてもう少したてば14時半ごろまえは自分の時間になります。とはいえ、私の大学が5月から始まるので、午後は授業に出かけなくてはなりませんが、それでも毎日午前中はすべて自分の時間です。

 大学院生活が始まったものの、実は去年はあまりまとまった時間を勉強に当てられず、本当に本当に私ったら落ちこぼれてしまいました。もともと2年ではなく3年間で修士論文を書こうと思っていましたが、この分だと3年でも危ない感じです。一にも二にもデンマーク語の高い壁に阻まれて、ちっとも勉強が進みませんでした。外国語は誰でも最初は本当に大変なんですよね?皆さん、最初は気が変になりそうになったなどと言いますものね。
 
 というわけで、今日からが私の大学院生活の改めてのスタートです。やっと時間をかけられそうで、嬉しいです。頭は人並み(かそれ以下)なので、時間をかければできるというわけでもありませんが、この一年、子どもの生活が優先されて勉強が一番にできなかったことが、焦りにつながっていたので、その焦りが少し解消されるのは嬉しいです。

 もうひとつの新しい生活は、やはりこの地震からの私の気持ちの上でのスタートです。今回の地震で、私は多くのことに気づかせてもらったと思います。今も毎日、新聞を読むと涙が出てしまうけど、でも感傷的になること、悲観的になること、落ち込むことなどはやはりよいことを生みださないと思います。被災された当事者の方とは違う立場の私は、常に、常に前向きに物事を捉え、少しでもこの地震をきっかけに学び、明るく元気に、できることをやらなくちゃ、です。私の子供達の未来のために、日本の子供達の未来のために、私達大人はいろいろこれから考えて、行動していかなくちゃいけないですもんね。新しい時代に向かっての新しいスタートなのだと思います。

 今までなんか違うなあと思っていたこと、もっとこうだったらいいのではと思っていたことを、ちゃんと変えられるようにならなくてはね。何が一番大切なのかをよく考えてみなくてはね。そういうことに、私達を目覚めさせてくれたのが、今回の地震です。また、今回、いろいろ気づいたことや思うこと、これからもそれをブログに書いていきたいなと思っています。そして、2011年の春が、振り返ったときにとても大切な春になりますように・・・。

 

地震のこと、電気のこと、デンマーク大使館のこと その①

2011-04-02 01:07:42 | 思ったこと・気づいたこと
 東北を中心とした地震から3週間がたちました。改めてここに書くまでもないのですが、日本はこれまで経験してこなかったようなことがどんどん起きています。輪番停電、放射能漏れへの恐怖、たくさんのイベントの中止、先日の日本代表対Jリーグのサッカーの試合などのスポーツや芸能人・有名人のチャリティ活動といったことももちろんありますが、ここ、東京でも一人ひとりの生活にさまざまな影響が出ています。

 何より、私達の気持ちが、ぐっと地面に引き付けられているような感じが毎日しています。毎朝、新聞を開く前に重い気持ちになります。新聞に載っているのは全面ほぼ地震関係のことで、知るべき現実を突きつけられます。友達からはご両親と連絡が取れないという話を聞き(後で取れて本当にほっとしました)、原発からの避難圏に入っているのに、仕事の都合上避難できないという義両親の話を聞き、また、親戚の避難先を探していて、などという話も聞きます。そうか、こういう状態なんだ、と気持ちが地面に引き付けられます。

 普通の生活をしっかり送ろうと心がけているのですが、友人達も私もこのところミスが多く、多分これも一種の軽いショック状態なのかもしれません。なんだかやけにぼーっとしちゃっていて、友達に何度「縦書きだよ」と言っても横書きで書いてきたり、卒園式では仲のよい友達との写真はおろか、自分の子どもの写真まで皆撮り忘れているし、私もいろいろなことの考えがまとまらず、一向に家事やら勉強やらが進まないという状況が続きました。先週の半ばくらいからは、このぼけーっとした状態は少しずつ抜けてきて、ありがたいことに回復傾向にありますが・・・。でもまだ、都会的な楽しみ、例えばショッピング、映画、友達とのディナーなどには行くような気持ちにはなれないでいます。デパートの売り上げがかなり落ちているということですが、納得です。
  
 さて、今、私の周りで一番よく話題に挙がるのが節電でしょうか?我が家は23区内で停電から逃れているという状況ですが、それでも子ども達も含め、できるだけ電気を使わないようにしています。しかし、家庭での節電も必要ですが、やはり企業、工場、店舗などの使用を抑えるほうが効果的だろうと思います。今出てきている案、企業が業種ごとに休みの曜日を変えるなどが実現したら、かなり効果的なのでは? それからデパートなどはそれでもかなりの暖房をつけ、従業員が半袖で仕事をしているというところもまだあるようで、そうした空調の温度設定などももう少し気遣うとよいのにと思います。

 実際にさまざまな照明の暗い場所を体験してみて、暗くて寂しいなと思うこともありますが、例えばマンションの廊下や駅などですと、今まで明る過ぎたのではと思うことがしばしばです。我が家の中はもともと暗くて、人がいる場所しか電気をつけないのですが、それはその方が落ち着くからです。駅などでもちょっとほの暗い感じが神経に優しいような気がするのですが、どうでしょうね?場所によっては照明を落とした場所で人々が親密な気持ちになるというよさもあることでしょう。この際なので、少し明るさと暗さのことを考え直してみるといいのではと思いました。照明のことだけでなく、そもそも、電気をできるだけ使わない生活をするべきだったのだと思います。ましてや、オール電化などというリスクの分散のない住宅なども、いけないとは言いませんが、私はこわいなと思うのです。電気がない生活をしようなとどは私ももちろん思いませんが、電気がなくなることもあるということを、子ども達にもきちんと教えたいと思います。

 本当に、このような事態になって、私は今改めて、いえ多分初めて真剣にエネルギーのことを考え始め、福島の人、あるいは原発の近くに住む人の思いを知り始めています。

(長くなりましたので、大使館の話はその②へ)

 

今回の地震のこと

2011-03-16 06:21:56 | 思ったこと・気づいたこと
 東北を中心とした3月11日の地震から6日目になりました。長く続いた揺れはまるで舟の上にいるようでした。ずっと余震が続いていて、こんなこと初めてです。とりとめがなくなりそうですが、今、思っていることを書きます。

 昨日、スーパーやドラッグストアに行ったら、米、牛乳、紙パックのジュース、缶詰、レトルト食品、カレー、紙おむつ、生理用品、トイレットペーパー、ティッシュペーパーなどの棚が空っぽでした。スーパーのレジの方と話したら、買占めが行われているとのこと。ガソリンが不足しているので、物はあっても運べず、そのために商品の補充ができない状態、そしてオイル・ショックのときのようなトイレットペーパー類の買占めが行われているそうです。

 こうなってくると被災地でなくても、物が本当に必要な人に届かなくなってしまいます。友達も米を探してスーパーを何軒も回ったと言っていましたし、私も生理用品を求めて今日は何軒も回ることになりそうです。もし手に入らなければ、友達同士なんとかやりくりするしかないでしょうね。

 テレビは通常番組は日本テレビやテレビ東京などでは放映していましたが、今日からは各社番組の内容には考慮しつつ、徐々に通常の番組を放映していくようです。通常番組ではないので、最初の2-3日はまったくCMを見ることがなかったのですが、昨日あたりから見かけるようなりました。見るとなんともいえない違和感を感じます。

 地震についての報道ですが、必要な報道はなんなのかと考えてしまいます。一時は各社ショッキングな報道を競い合っているような感じを受けてしまいました。事実をしること、被害の重大さを認識することは離れた地域に住む私たちに必要なことですが、どのチャンネルを見ても同じような映像を繰り返すのは、どうなのでしょうか。こういうときに各社役割分担をするのは難しいと思いますが、局によって、輪番停電関係、東電関係、安否情報関係、インフラ関係など多少分野ごとに特徴をもって報道してくれたら情報がまんべんなく報道されるのに、と思いました。

 また政府とマスコミでうまく連携して、例えばさきほどのガソリン不足による配達不可能な状態への対処、皆が不安に思っている都内周辺、あるいは現地につながる交通の状況について、市民がどうすべきかなどの適切な指示が報道されるとよいのですが、各社ひたすら同じことの報道でした。あまりにも同じ報道で、海外であった大きな動きというようなニュースもまったく入ってこず(それどころではないという意見もあるでしょうけれど、海外の動きに影響を受ける人もあるはず)、あえてこちらから情報を取りにいかなければ、情報の孤島のような状況になってしまっていました。

 何にしてもこういうときに、その人の、そしてその国の性格というものがよく見えますよね。日本人は決断や変革、自己主張に弱い面がありますが、こうしたときにはそれはよいほうに作用し、皆できるだけ冷静に騒がず、トラブルやパニックを起こさず、すみやかに行動しようとしていると思います。また、こうしたときに改めてよい友人が誰なのか、改めて実感したりします。あるいはその人がどんな人なのか、改めて感じ入ったりしています。そういう面では温かい気持ちになることも多く、やはり人は人によって助けられるのだということをしみじみ思わずにはいられないことがしばしばです。facebookやメールを通じての他国に住む友人からのメッセージにも同じものを感じています。

 まだまだ書きたいことはありますが、そして、非常にとりとめがありませんが、とりあえずここでアップします。最後に私が嬉しく思った記事を貼ります。

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「がんばれ日本」 海外メディアがエール
米ロ印なども
2011/3/13 23:21
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 東日本巨大地震被害の拡大が伝えられる中、海外メディアでは秩序を維持する日本社会を称賛し、復興努力を期待、激励する論調が相次いだ。

 【ロンドン=岐部秀光】英紙インディペンデント・オン・サンデーは13日付1面で、日本国旗の上に日本語で「がんばれ、日本。がんばれ、東北。」と書いた巨大なメッセージを掲載。英語でも「Don’t give up,Japan.Don’t give up,Tohoku.」と異例の大見出しをつけた。地震被害や復興への取り組みも詳報した。

 【ニューヨーク=共同】米紙ウォール・ストリート・ジャーナルは12日付で「不屈の日本」という社説を載せた。「大自然からの打撃に遭っても生き延びる備えを、日本人がどれほどきちんとしているか指摘せずにいられない」と、日本の防災システムや建物の耐震設計を称賛。大地震で被害が出たハイチや中国と比べ「誤解してはいけない。日本の産業力は今も偉大だ」と力説した。

 【モスクワ支局】ロシアの独立紙ノーバヤ・ガゼータ(電子版)は「我々はあなた方と共にある」と題する特集を組んだ。この中でタス通信のゴロブニン東京支局長は「(日本にとって)第2次世界大戦直後に匹敵する困難」と指摘しつつ「日本には最悪の事態に立ち向かう人の連帯がある」と強調した。

 【イスラマバード=共同】13日付パキスタン英字紙ネーションは社説で日本の防災意識の高さと規律正しさで救いがあったと指摘。「日本は第2次大戦の荒廃から見事に復興した。また新たな奇跡を起こしてくれるだろう」と結んだ。

 【ムンバイ=黒沼勇史】「日本以外で(この地震が)起きたらこれだけの対応は見られないだろう」。13日付インド経済紙ビジネス・ラインは、栃木県のホンダの拠点を訪れていた印タイヤ大手幹部の目撃談として被災地の粛々とした対応への驚きを伝えた。ヴィカス・スワルプ駐大阪総領事は他の新聞への寄稿で阪神大震災後の復興を紹介し「日本人はこの悲劇から立ち直る」と断言した。

 

日本人の季節感

2010-09-21 10:36:35 | 思ったこと・気づいたこと
 先日、おばと会ったときのこと。新宿高島屋に行くとちょうど生け花の展覧会をやっていたので、ランチの前にちょっと寄ってきました。おばはお茶やお花、着物などについて多少の知識のある人なので、花の名前や茶花についてなどちょこちょこレクチャーを受けながら見るのは、私にとっては楽しいことでした。

 生けられた花を見ながら、素人の私でもふと気づいたのが、今ちょうど盛りの花が生けられているとなんだか少し遅い感じがしたことです。ホウズキやヒマワリは確かに今咲いている花なのだけど、器に生けられているのを見ると、なんだかいまさらな感じがしてしまうのです。ところが東京ではまだ少し早いコスモスなどが生けられていると、すごく粋に見えます。

 着物の柄も同じですよね?桜の模様の着物は、いつも一歩先を行くように着るのが粋だと言われています。咲く前に咲いた柄を、満開の頃には散る桜を、あるいはもっと先に行って青葉の頃の柄を着るのが粋に見えます。日本人は洋服でも季節を前倒しして着るのが普通ですよね?今日などは最高気温が30度ですが、皆、薄い色の夏のドレスなどは着ていなくて、どことなく秋の始まりを感じさせる、シックな色合いが多いように見えます。

 そこに行くとデンマーク人のわが夫などは、寒いと言って(デンマーク人なのに)5月や6月にも平気でウールのセーターを着るし(さすがに着てみたら暑かった、間違えたなんてこともあるようですが)、11月になっても短パンを履いていたりします。一人浮いた夫を見ながら、私はしみじみ、日本人って本当に季節を大切にする国民なんだなと思うわけです。

 私は平均的日本人とうちの夫との真ん中くらいで、寒ければ4月にセーターを着たりはしますが、そんな私でも生け花を見れば、無意識のうちに季節と照らし合わせて、粋だ、粋じゃない、などと思うんだなぁと自分の中の日本人に改めて気づいたのでした。

 でもやっぱり日本の季節感は素敵だと思うし、四季こそが日本のいいところだと思います。少し話はそれますが、日本の学校も海外に合わせて8月や9月に始まったらいいのではとも思いますが、それでも3月の寒い時期の卒業や、桜の咲く何もかもが新しい気持ちになる4月の入学式はどうしても捨てがたい・・・。

 なかなか時間がないけれど、これからもっともっといろいろなことを学んで(日本の文化は深ーい!)、より季節感を楽しめる大人になりたいです。ほんと、時間が取れるようになったらお茶とかぜひ習いたいわー。

「タイは貧しいの?」

2010-09-12 06:25:21 | 思ったこと・気づいたこと
 この夏はデンマーク、タイ、そして日本と3つの国を体験して(日本は体験とは言わないけれど)、その違いを面白く思いました。町の様子の違いでは、デンマーク人は初めてタイに行ったらどう思うんだろうと想像してしまったし、人の違いは私にはデンマーク人とタイ人の違いは大きく、これもまたデンマーク人はタイ人をどう思うのかなと考えてみたり・・・。食事ではアジアの一員の私としては、タイには何でもある、いろんな材料を使ってる!と感動してみたりしました。デンマークは普通の家の食事や普通のレストランでは、どうしても私にはいつも単調な同じお料理のように感じてしまうのです。(もちろん、特にお肉などはおいしいのだけど、同じなのです・・・。)

 さて、タイに着いて、その人々の優しい笑顔(よく言われる微笑の国、ですものね)、優しい振る舞い、かゆいところに手が届くような親切さに触れ、食べ物も安くておいしくて、ついつい賞賛の声を上げていたと思います。子ども達にも「ジュースはタイは本当においしくて安いので、いっぱい飲んでいいよ」、夫とも何もかも高くて値段を気にしつつ過ごしていたデンマークと比べて、つい「安い!」と感嘆していました。そして背景には、ごちゃごちゃとした道や路地が、また整然としたデンマークと違って、いろいろと「構わない」雰囲気を醸し出してもいたこともあるかと思います。
 そして、タイに着いて2日目、ショウミーから「タイは貧しいの?」という質問が・・・。

 私の頭の中は一瞬にしてぐるぐる考えてしまいました。タイは貧しいのか?タイは貧しいのか??? 答えはGDP及び国民一人当たりのGDP的にはイエス、でも本当に貧しいかな、貧しいって何だろう?と考え込んでしまいました。

 タイの人達はこんなにおいしいものを食べている、日本よりも新鮮でプリプリした魚介類を食べていて、日本よりも甘くておいしい果物を食べている。タイのスーパーだってコンビニだって何でもある、日本は物がありすぎる国だから日本と比べると物の種類が少ないかもしれないけど、デンマークと比べればもしかしたら種類が多いかもしれない。虫除けスプレーなんて日本よりも種類があるし(まあ、それは必要に応じてだとしても)。レストランが高いからといってなるべく自宅で食べるデンマークの生活に比べて、タイでは気軽に皆が外食することができる。タイはむしろ、豊かだという印象です。

 もう少し言えば、バンコクも深刻だった確か世界でワースト2だった大気汚染もかなりよくなってきているような感じであったし、銀行、コンビニなどもたくさんあり、お店に関してはデンマークよりも便利だと思います。

 何より人々が余裕があるというのか、他人と気軽にコミュニケーションを取り、細かに気を使ってくれ、他人の子どももすごくかわいがるのは、日本人と比べてもデンマーク人と比べてもなんだか豊かな気がします。子ども達が駐車場でサッカーをやり、駐車しようとしている車の運転している人に、サッカーの邪魔になるからここから向こうに停めてよ、などと頼んでくるのは、人の取りかたによっては我儘な注文かもしれませんが、私にはむしろ寛容な社会の現れのように聞こえ、心が豊かなだなあと思いました。

 けれども、観光客が行かないような農村に行けば、きっと食べることに事欠くほど、教育に事欠くほど貧しいところもあることでしょう。タイ人が外国に行くことなども、一般的には経済的に簡単なことではないことでしょう。そういう意味ではデンマーク人と日本人は豊かで、タイ人は豊かではない、あるいは貧しいのかもしれません。

 でも待てよ、本当にそうかな?デンマーク人は休暇に外国に行く人も多いけど、日本人はいまやそんなに行ってないのではないか、現に私の周りの家族たちに限って言えば、10家族のうち1家族くらいしか海外旅行になんて行っていない感じです。それも我が家のように、国際結婚をしていて行かなくてはならない理由がある家族が大半で、日本人同士の家族はほとんど行ってないようです。日本人は相変わらず働く時間が長く、デンマーク人のような長期休暇も取れず、通勤時間も1時間以上はザラ、相変わらずの満員電車でこの暑さの中も必死に働いていて・・・。では日本も豊かではないのか?そう、私は日本人がとっても豊かだとは思えません。特に精神的にはむしろ貧しい部分も多いように思います。デンマーク人も冷たい対応がよく見られ、そういった部分では精神的に豊かな印象はないですし・・・。

 ということをぐるぐる考えて、さて、ショウミーにはとりあえず少し説明してから、「どの国も、デンマークもタイも日本も、それぞれ豊かな部分と貧しい部分があるんだよ。だから決してタイだけが貧しいわけじゃないの。ただタイ人が外国に行こうとすると、お金の価値が違っていて、ちょっと貧しくなっちゃうかもね」と締めくくったのですが、この質問が引き金になって、今も私の頭の中に残っていて、豊かさと貧しさについてときどき考えています。

鳩山首相辞任に思ったこと

2010-06-05 05:52:51 | 思ったこと・気づいたこと
 ニュースを聞いたとき、まずは私はすごく驚いてしまいました。もちろん民主党内での辞任要求があったにせよ、まさか辞めるとは思っていませんでした。たった8ヶ月間、やりたいことをやって(実際にはいろいろと足を引っ張られていたとしても)、はい、失敗しました、じゃ、辞めますってこと?「普天間問題については失敗をしたのは申し訳ない。でも私はこれで終わりではなくて、ここからまた普天間問題に新たに取り組んでいく強い気持ちがあります。ですからどうぞ皆さん、もう少し長い目で支援してください」というような言い方はありえなかったのでしょうか?(ちょっと違うけど、友達と「私たち母親は子育てに失敗しても、絶対母親であることを辞められないわよ!」と話した。)

 今回二つのことを強く思いました。

 ひとつ目は、国民の態度についてです。この鳩山政権は多くの日本人に支持されての誕生でした。民主党が挙げた政策は、すべてが順調に成功を見せたわけではなかったのは確かですが、国民、それからマスコミというものは、政権を支えていこうというよりも、粗探しばかりして、悪口ばかり言っていたように思います。日本人はお酒を飲んで上司の悪口を言うという習慣が私が働いていたころはありましたが、まるでそんな感じです。マスコミには、もちろん役割は批判し、いろいろな見解を示し、あらぬ方向に行かないように監視するという役割もあるとは思いますが、もう少し、建設的な「提案」をマスコミをはじめ、学識者、ジャーナリスト、批評家たちが行ってもいいのではないかと思いました。また、6月4日の朝日新聞に「惜しいなあ・・・鳩山政権」というページが設けられましたが、すでに遅しという感じです。もっと早く、こういう評価してあげるようなことをして、支えてあげたらいいのに・・・。

 鳩山さんは理想を掲げました。本当に国民のことを考えた人だと思います。ただ理想だけでは政治が行えず、その具現化にはいろいろな根回しや策略など、実現のための実務的な段階が必要だったとすれば、なぜ、その鳩山さんの弱い部分を補強するために、国民が、マスコミがもっと支えられなかったのでしょうか。ケネディの「政府があなたに何をしてくれるかではなく、あなたが政府に何をできるかを考えて欲しい」という言葉を今回思い出しました。

 いつも誰かが何かをやろうとすると、日本人は批判的になってしまうのでしょうか?それを自分がよいと思うなら、人間は完璧な人はいないのですから、その人の足りない部分を支えて何とか目的のために一緒にやってみようという気持ちが大切なのではと思いました。たった8ヶ月でよい結果がどんどん出てくるわけはないはずです。2年間くらい失敗を含めて、長い目で見ますよ、だから頑張ってみてくださいね、などというのはありえないのでしょうか・・・?

 そして、もうひとつが、日本人は民主主義教育を学校で受けていないということです。デンマークの思想家ハル・コックが、民主主義はそのときどきで変化していくものであり、真に民主的な、対話のできる人間を作ることこそが民主化であると述べていますが、まさにそういうことだと思います。

 自分たちがどんな人生がいいと思っているか、日本や世界がどんなふうだったらいいかと思うか、それをどう実現していったらいいか、それが政治なのだと私は思います。その政治を行うためには民主主義がツールとして必要で、その民主主義の教育を私たちは学校でもっと教えてもらえればよかったのにと思います。そうして、その見つけることが難しい、「何がいいのか」という目標を、それからさまざまな困難を乗り越えて実現する手立てを、皆で話し合って見つけていくこと、そういうことができるようにならないといけないと思いました。

 普天間問題は沖縄の人を傷つけて終わったというのは確かです。が、鳩山さんが真剣に焦点を当てたことにより、私たちがその問題にこれまでよりもずっと関心を持ち、基地問題からこれからの日米のありかた、日本の安全保障のありかたなどを考える、ひとつの大きなきっかけになったと思います。せめて、このきっかけを生かし、私たちももっと真剣に学び、考え、将来につなげていけたらと願っています。私自身、どんな安全保障のありかたが望ましいのかまだわかりませんが、少なくても、それについて悩むようになりました。

 鳩山さんの辞任の挨拶に「5年、10年たてば必ず、国民の皆さんは鳩山の言っていることはこういうことだったのか、とわかっていただける時が来ると確信している」とありましたが、鳩山さんの出てきたことを、私たちが無駄にせず、本当に、引き続き大きな日本の転換期になるようにしたいと思います。

主夫&主婦

2010-04-06 01:13:06 | 思ったこと・気づいたこと
 またまた「うーん」と思ってしまいました・・・。今日無事にシャトル打ち上げが成功し、宇宙飛行士の山崎直子さんが11年にも及ぶ準備の末、飛び立ちました。彼女これまで本当にがんばったのでしょう、飛び立つときの笑顔はとても素敵でした。

 このニュースはとても素晴らしいのですが、気になるのが彼女のご主人の報道のされ方です。彼女のご主人の大地さんは、ご自分の国際宇宙センターの管制官という夢をあきらめて、家族を支えるためにアメリカに渡り専業主夫をしているのだそうですが、今日のニュースで、必ずそのことが強調されています。「専業主夫として支えた」と何度も聞きながら、日本は相変わらずの感覚なのだと思わずにいられませんでした。

 これがもし男性宇宙飛行士でしたら、一緒に渡米した妻のことを「専業主婦として支えた」なんて枕詞がつくでしょうか?あるいは、男性がどの職業に就いても、そのことを報道するときに「内助の功」という表現は使われるかもしれませんが、妻が「専業主婦として支えた」なんて言われることはないと思います。

 少し前に見た山崎直子さんのドキュメンタリー番組でも、主夫として支えた大地さんにかなりスポットが当たっており、大地さんはどんなに専業主夫になって辛かったか、自分を見失い、一時は死すらも考えたなどということを言っていました。

 大地さんの苦しみ、それはすでに多くの女性たちが味わってきた苦しみだと思います。多分ずっと昔から、そして現在に続くまで、何かしたいと思ったときに主婦たちが主婦であることに閉じ込められ、家族に閉じ込められて味わってきた苦しみです。女性たちは引き受けるべき苦しみとして、なんとか受け止めてきたのでしょう。そしてどこかで自分との折り合いをつけ、やってきたのだと思います。あるいは専業主婦にならなかった女性たちは、仕事と家庭の両立で、いつもいつもぎりぎりのところで日々やりくりし、そういう意味でも必死で自分との折り合いをつけてきていたと思います。

 私もショウミーが急に我が家に来ることになり、心の準備ができてなかったこともあり、3年間は辛い気持ちでした。自分は何をしているんだろう?仕事をしてないなんて、私のアイデンティティはどこにあるというんだろう?(一応、私は一生働くつもりだった。)夫は思い切り仕事もできて独身時代と変わらないのに、どうして私だけ180度変わらないといけないの?夫だけ出張とかまで行っちゃってずるいなんて思っていたものでした。下の子を妊娠して、こういう気持ちがふっきれましたが、それまでは胸の中がいつもぐるぐるしていました。

 家庭のことを引き受けて、家族を支えている大地さんは尊敬できると思います。でも、彼のしていることはすでに多くの女性がしていることで、マスコミでことさらに「主夫」を強調されると、日本の男女の役割意識はこれっぽっちも変わっていないのかしら、とがっかりしてしまいます。まあ、それだけ大地さんの苦悩は、女性よりも深いというわけなのでしょうかね・・・。うーん・・・。

不便さの中で

2009-10-18 03:29:35 | 思ったこと・気づいたこと
 デンマークには法律で定められた閉店法というものがあり、日曜日などは原則お店の営業を禁止されています。これは日常生活として、もちろん不便でありますが、観光客などは特に気をつけていないと少々大変な目にあうことになります。私たちもある町に着いたときに、ちょうど日曜日でお店どころかインフォメーションセンターまで閉まり、丸一日ぼんやり過ごしたことがありました。翌日、お店が開き、活気のある通りを見て、ほっとしたものでした。

 ちょうどこの閉店法について詳しく書かれたブログがありましたので、興味深く読みました(西村美紀ブログ 「普段着のデンマーク」)。これによると、2012年にはこの閉店法を廃止するという計画があるそうです。もし実現した場合、デンマーク人の生活は便利になりますし、売り上げも伸びるかもしれませんので、メリットが大きいと思います。

 けれども一方で、デメリットもあるように私は思います。現在は日曜日は消費行動が取れないために、人々は違う時間の使い方をしていて、それがある意味とてもよいことのように思えるのです。それが家族や友人とのかけがえのない温かな時間を生み出し、消費とは違う、クリエイティブな時間を作り出しているのではないかと思うのです。日曜日にお店が開くようになったからといって、すぐにそういう時間がなくなるわけではありませんが、落ち着いた時間が少し損なわれることはありえるでしょう。また、お店で働く人達が日曜日に仕事に出ることになってしまうことも、もうひとつのデメリットでしょう。デンマークでは共働きで皆が忙しく、それでもやはり日曜日にお店が開くことは、やっぱりメリットになるのでしょうが・・・。

 話は変わって、私のある友人が今年、あれよあれよという間に結婚しました。彼女はODA関係で働いており、その出張先のアンゴラにいた日本人と恋に落ち、半年ほど離れ離れの生活を送っていましたが、夏前にめでたく結婚し、仕事を辞めて彼の赴任先のアンゴラで生活をしています。

 今月、日本に一時帰国しており、アンゴラでの生活をいろいろと聞いたのですが、アンゴラはとにかくいろいろな意味でのインフラがまったく整っておらず、日常生活がとても大変だそうです。停電がたびたびあり、いつ電気が戻るかわからず、もちろん夜間も困るし、昼間もパソコン環境としては非常に危険で困るそうです。夕食を作っている際に停電になると、作っている途中でストップし、いつ戻るかわからない、洗濯機も回している最中に停電になるとアウト・・・。そんな生活の中で電気が戻ってきたときの嬉しさといったら、叫んでしまうほどだそうです。

 買い物もままならず、車はかならず賄賂目当ての警察に停められる、あげくにアパートの上階床下の配管からの水漏れがあり、床上30センチほど浸水し、何もかもぬれてしまったり、家具の立て付けが悪く、扉を引いたらそのまま重い扉が倒れてきて、鼻をひどく打ちつけてしまってしばらく立ち上がれなかったなどなど、彼女の大変な生活の話は続きます。

 でも彼女はけっこう幸せそうでした。「新婚で、こういう過酷なスタートを切ったら、絶対二人の絆も強くなるわよ。そしてこの先何があっても、このときのことを思い出せば笑って乗り越えられるんじゃない?」と私が言うと、彼女はまんざらでもないという微笑を浮かべて、同意していました。何もないところで、サバイバル的な生活をしている二人は、さぞかし、お互いの存在を喜び、非物質的な幸福感を味わっているのではないでしょうか。

 もうひとつ、不便といえば私の今の生活は、ある意味不便です。時間やお金が自由にならなくて、いつも制限されているし、頭の中にまで子どもが「ママー!」としつこく呼んで侵害してくるので、思考さえもいつも制限されます。この中で勉強と思うと、本当にきつくもあるのですが、逆に限られているからこそ、いい面もあるのです。集中するしかないし、切り替えるしかない、勉強だけの生活でない分、子ども達との時間で癒されたりリフレッシュしているのかなと思います。逆に勉強だけだったら、私は耐えられないかもしれません。

 いろいろ思いつくままに、不便さの中だからこそのよいことを書いてみました。便利なことももちろんよいに決まっていますが、不便さもまたよし、と最近なんとなく思っています。不便さがあるからこそ、人間同士のつながりを強くし、それがほんわかとした、本物の幸福感を作ってくれているということがあるのではないかなと思います。

嫌いな人

2009-07-15 19:34:10 | 思ったこと・気づいたこと
 少し前にいつものガールズのメンバーで食事に行ったときのこと。そのうちの一人がちょうどたまたまその日まで「自己啓発セミナー」に参加していたそうで、その夜の話題は私達には珍しく、シリアスに人生を語り合ってしまいました。そういったセミナーはアメリカなどではたくさんありますが、目的は本当の自分探しのようなものだと思います。

 「みんなは嫌いな人っている?」とその友人に聞かれて、残りの3人は基本的にはいないと答えたら、彼女は「私はいっぱいいるの」と言い、私はびっくりしてしまいました。いつも残りの3人はぶーぶー文句ばっかり言っているけど、その友人が一番寛容な態度を取っていたのです。彼女から人の悪口を言うのを聞いたこともなかったのに、その彼女が嫌いな人がいっぱいいるだなんて・・・。

 そのセミナーによると、嫌いな人というのは自分の心の鏡なのだそうです。彼女が嫌いな人は家族のうちの一人も含まれ、本当に憎しみを感じていると言います。ほかにも何人も嫌いな人がいて、皆を許せないと言うのでした。確かに、その友人は自分自身のことも嫌いだと以前から漏らしていましたが、自分を好きになれない、自分のほとんどが嫌い、そしてその気持ちが自分の周囲の人をまた憎ませてしまうのだそうです。(そういえば最近の世間を騒がす事件も、こうした理由がけっこうあるように思います。)

 彼女は本当に頭のよい人で、実はすごいエリートの家庭の出身で、彼女自身もある国際的な援助組織で働いていたエリートでした。そして、彼女いわく、家庭内でも周囲の人間関係でも、相手が求める自分を演じてしまった、いい子でい続けちゃったために、今こうして本当の自分を好きになれず、それが周りの人への嫌悪感と結びついている・・・。自分の育ったエリートの家庭に反発を感じていたがために、いざ自分が同じ立場になると、大切なキャリアであったのに自分に耐えられず、その仕事を捨てたそうです。

 さて、対して私は、本当に単純な人間なのかもしれません。私だって家庭の問題では苦労もしたのに、どうもそういうのが私の心の中で消滅しちゃっているのですよね。完全にではないけれど、一番忘れまいと思っていること以外は、けっこうスコーンと忘れちゃってる・・・。人間は忘れることがひとつのサバイバルの能力だそうですが、まさに、忘れてる。ちょっと忘れすぎて思い出せないほど、忘れています。そういう人はきっと単純で馬鹿っぽいので、仕事で成功などもしないし、周囲から一目置かれるなんてこともないのですが、その分、心は軽く生きていけるのかもしれません。

 その場ではかなり怒ったり、抗議したりもしますし、何かされれば「大っ嫌い!」(特に夫へは毎日)と思いますし、「許せない」などと思ったりしますが、でも何度考えてみても、私には本当に憎むほど嫌いな人はいないのでした。要は彼女の逆で、そのときそのときで表出させて、それで本人は過去のこととして忘れてしまうのでしょう。(本人にとってはいいことですが、逆に周りから見たら不愉快に思うこともあるかもしれないとは思います。)

 でもとにかくその友人は、このセミナーにより自分の本当に姿に気づきつつあり、そんな自分をちょっと受け入れられるようになったそうです。そして、少しずつ自分を許し、また周囲の人を許す気持ちになれてきている、同時に感謝の気持ちも出てきている、と明るい笑顔で言っていました。それを聞いて、私も本当にうれしかった・・・。

 月曜日は彼女の誕生会でまた集まったのですが、今まで誕生日をちっともうれしいと思ったことがなかったそうですが、今年は生まれて初めて、誕生日をうれしく思い、お母さんにも産んでくれてありがとうと感謝の気持ちを電話では言えなくて(笑)、メールで伝えたそうです。

ありがとうも言わずに

2009-04-14 09:33:18 | 思ったこと・気づいたこと
 朝日新聞の『暮らしの風』という冊子で、脳科学者の茂木健一郎さんのエッセーが連載されています。3月号では「ありがとうも言わずに」というタイトルで書かれており、卒業・入学のこの時期、読んで本当にしみじみとした気持ちになりました。

 エッセーの内容は、茂木健一郎さんが高校のときに教わった数学の先生について書いており、その先生に数学の精神そのものを情熱を持って教わったこと、そして卒業の日に力を込めて話してくれた「お前らいいか。いつか、今日の卒業がどれくらいありがたいことか、わかる日が来るから」という言葉、高校の同じ仲間との濃密な空間・・・。そして卒業以来、一度も会っていない先生に、今こそこの場を借りてずっと言えずにいた言葉、ありがとうを言いたいと締めくくられていました。

 エッセーの中で、茂木さんは子供というものは、「ありがとう」といわずに成長していってしまうもの、と書いていますが、本当に、本当にそうです。私は親になって、自分の子供たちの入園や卒園、入学などを体験してから、自分がどんなにありがとうを言い忘れていたかを気づき、ときどきとても心苦しく思います。

 私がここまで来れたのは、どんなにたくさんの人に助けてもらったことかと子供を持って初めてわかりました。両親、担任の先生、幼稚園中、学校中の先生、近所の人たち、いろいろな場所での先輩や大人たち、みんなみんな、私を陰になり日向になり、見守ってくれていたのだと実感しています。

 卒園式でくったくのない笑顔を見せる子供たちは、すでに小学校への期待で胸がいっぱい、しばらくの間は決して後ろを振り向くことはないでしょう。そして、それでもいつか心のそこに眠る幼稚園の楽しい記憶が思い出されることを、大きな気持ちで先生たちは知っているのでしょうけれど、大人たちばかりが、大きな未来のある子どもたちを喜び半分、せつない気持ち半分で見送ります。

 私も今まで自分のことだけを見て、ずっと来たのだと思います。そして、子供を持って改めて今までお世話になった人たちみんなに「ありがとう」と言いたくても、もう、言うチャンスはほとんどありません。

 でもこうして人間は順番に、見返りを期待しないで、ただただその子のために何かしてあげるものなのでしょうね。こうやって、脈々と人から人へと続いてきたことを、季節柄、ひたすら感慨深く感じています。