デンマーク・ハーフキッズ

デンマークについての情報やニュースを紹介、またデンマーク人と日本人のハーフの子供たちの子育て日記。

ショウミー、明日から新学期

2009-08-24 23:49:08 | ハーフの子どもの教育
 ブログを更新できないままに、あっという間に日がたってしまいました。私の楽しみであるブログにさく時間がなく、デンマークのことでたくさん書きたいことがあるのに、ストレスが溜まります(笑)。この間何をしていたかというと、約10日間、積まれた本のプレッシャーに焦りつつ、本当は私の勉強をしたいのに、ショウミーの宿題に追われ、そして子ども達と楽しい夏のひとときを過ごしていました。

 それにしてもどうして日本は夏休みに宿題があるのでしょうね?夏は遊んではいけないのかしら?この年になると、一回一回の夏が本当に貴重だと思うものだし、子どもだって8歳の夏は人生に一度しかなく、親と過ごす夏だって限られているのに・・・。夏休み、漢字だとか計算だとか、それから無理やり書く読書感想文などよりも、もっともっと大事なことがあるはずなのにと思ってしまいます。ましてや我が家の場合、デンマークから帰ってから10冊ほど読書感想文を書いたりするのは、本当にきついです。

 私が子どものころはここまで宿題がなかったように記憶しています。祖母の家で、いとこ達やはとこ達と遊び、お墓や神社で遊び、野菜を収穫したり、遊びすぎて日射病になったり、と普段できないような遊びをするのが本当に楽しかったことを覚えています。

 デンマークから戻って最初の1週間は、暑さに慣れないことと時差ぼけとで、たいていぼーっと過ごしてしまいます。特に最初の数日は、午前3時ごろから子ども達が大騒ぎをしつつ遊んでいるのは、ほとんどホラーの世界です。(わかるかな?暗い中、子ども達が遊んでいるのは、なんだかすごーく怖い感じなのです。)

 今年は戻って2週目の先週からは、ほぼ毎日、本当に日本の夏を堪能しました。ショウミーの幼稚園時代の友達と再会して野球、秩父へのママたちと子ども達3組での旅行、恒例の葉山へのいつものメンバーでの旅行。今年は名古屋から友人が来て、子ども達に映画を見させて、その間2人でお茶をする、なんていうのにも初挑戦。ジジも含め、子ども達5人で楽しく映画を見たようです。

 秩父では川遊び、そして葉山では思いっきり海で遊び、私は受験生とは思えないほど、真っ黒になりました。でも前日まで研究計画書に取り掛かり、2日連続で3時間睡眠という辛さでしたが、意外と遊ぶときは寝不足にもかかわらず遊べるものだなぁなんて思ってしまいました(笑)。

 そして、今年の夏ほど、母親であることを自覚した夏はないかも、という夏休みだったように思います。本当に私のすべき勉強は山積み、でもなかなかそちらに行けず、ひたすら子ども達の楽しい夏休み作り(だって8歳と5歳の夏は人生で一度きりですもんね)、そしてショウミーの宿題の嵐(もちろん自由研究なんてやる余裕、まったくなし)に追われていました。

 おまけに夫は土曜日から9日間のブラジル出張が入っていて、不在。戻ってきてからはすぐに御殿場転勤&単身赴任(といっても週に2度は帰ってきますが)という予定になっており、受験前は全面的に夫に子どもを任せようと思っていたのに、逆に全面的に私に任されてしまいました。ますます、追い詰められた状況に・・・。

 でも、いいんです。もちろん、もちろん、合格したいけれど、でもやっぱり私は母親で、将来は状況が変わってくるでしょうが、今はどうしても子どもを優先、この短い子育て期間を子どもとともに思いっきり楽しむことのほうが、受験より大切なのですものね。(・・・でも、でも、本当はやっぱり合格もしたいけど。)

 そんなこんなで、明日からショウミーの新学期です。今の子ども達は夏休みが短くて、これまたとても残念ですね~。

2年生になって・・・各教科編 ②

2009-05-17 08:23:33 | ハーフの子どもの教育
(続き)

●道徳

 日本には宗教教育などはないので、この道徳が心の教育として重要なものなのかもしれないのですが、そしてできるだけよい人になろうとすることが大切なのではありますが、道徳の教科書を見てうんざりしたのは私だけでしょうか?
 まず道徳の教科書はなんと100ページもあります。正確に言えば104ページ。そして40話にもわたって、これでもか、これでもかという感じで「道徳」を教え込まれます。まずは1話、ご紹介したいと思います。

「のぶくんはポスター係りになりました。教室に飾る絵を描いてみんなに楽しんでもらうのが仕事です。係りを決めるときにやりたい人が少なかったので、自分がやってもいいかなと思って手を挙げました。のぶくんは何を書くかいろいろと考えて、大好きな虫に決めました。そして何度か描いて掲示板に飾ってもらいました。ある日、まさとくんが掲示板を見て言いました。「ぼく、のぶくんの新しい虫のポスター楽しみにしているんだけどなあ」掲示板にはずいぶん前に描いたクワガタのポスターが貼ってあります。のぶくんはまさとくんの残念そうな様子をみてはっとしました。それからのぶくんは一生懸命絵を描きました。カマキリのポスターです。色を塗りながらまさとくんのことを考えていました。出来上がった絵を先生に渡しました。「先生、ポスターです。飾ってください」「カマキリね、上手に描けたわね」先生はポスターを見ておっしゃいました。近くにいたまさとくんが大きな声で言いました。「のぶくんのポスターだね。カマキリだ。かっこいいなあ」すると声を聞いたみんなが集まってきました。「わあ、つよそう」「本物そっくりだね」といって喜んでくれました。のぶくんはカマキリのポスターをみんなと笑顔で眺めました。」

 こんな話が永遠に続きます。人としての基本的な部分がとても大事なのではありますが、いい子とは何かという洗脳をしようとしているように思えてしまいます。あるいは戦前の教育みたいではっきり言って、なんだか気味悪く思ってしまいました。中には昔の日本の童話やイソップ童話などもあり、そういうものはひねりがあって、物語としても面白くていいのですが、他の話はあまりにも型にはまっていて気持ち悪く感じます。

 こういうことを教科書で学ぶよりも、実生活の中で、いろいろなケースに遭遇する中で、そのたびに子どもと周りの人とで試行錯誤して行くのがいいのではと私は思うのですが・・・。いちいち丁寧に子ども自身が考えて、それなりの答えを見つけていくことを、学校や家で日々行っていくことのほうが大切かなと思います。

 それともこんな40話もかけて、ありとあらゆる方向から道徳を教えないといけないという状況なのかな、親が普段の暮らしの中で子どもにそれを教えられないから、こんな教科書ができちゃったのでしょうか???それもあながち違うとは言い切れないかもしれません。子どもの道徳の前に、親の道徳?だったりして・・・。

 

2年生になって・・・各教科編 ①

2009-05-17 07:39:41 | ハーフの子どもの教育
 私が子どものころといろいろと教え方も変わっており、へぇ~と思うことも多く、私自身興味深いので、次に各教科の内容を書いてみたいと思います。

●国語

 「相手にわかりやすく伝えるために、順序を考えて話す」「最後まで聞き・・・」など、話すこと、聞くことにだいぶ力を入れている様子です(親にもよく子どもの話を聞くようにと常々言われています)。算数にしても何にしても、まずは国語力が大切ということで、週に8時間を国語の授業に当て、朝もモジュール授業で漢字などをやっているようです。漢字は2年生で習うのがなんと160字。まあ、私たちもやってきたのでしょうが、それにしても日本の子どもの学習は濃いと思います。デンマークの小学校なら考えられない?!

●算数

 内容は時刻の読み方や観念の理解、3桁の計算、長さの単位の理解、三角形を並べていろいろな形を作るなどの図形の理解、そしてお決まりの九九などですが(去年までは3年生で九九を習った学校もあったようです)、教科書が昔とだいぶ変わっています。全体に目で見て理解できるような構成になっています。絵や図で感覚的に捉えられるようになっている感じです。もっと昔は堅苦しかった算数の教科書ですが、楽しく学べるように工夫されているのですね。
 セットでもちろんドリルもついています。昨日友人から聞いたのですが、子どもは大人と違って応用力がなく、たとえば何分の何というようなことを説明を聞いてやっと理解できても、その数字が変わると全く理解できなくなってしまうのだそうです。だから繰り返し、数字を変えて同じ問題に取り組むことが大切だそうで、ドリルは応用力の基礎となる、とても大事なものだそうです。なるほど・・・。

●生活科

 私には馴染みの薄い生活科ですが(3年生からは理科と社会に分かれていきます)、ここでは季節の変化を観察したり、地域探検や地域の人との交流、公共施設の利用の仕方、野菜や生き物を育てる、自分の成長や自分のよさを見つけ自分を高めていこうとする力を養ったりします。4つの野菜の中から好きなものを選んで育てるということで、ちょうど先週ショウミーは「ナス」を選んできたそうです。
 面白いと思ったのは、自分を高めていこうとする力を養うという点です。自信、自己愛、向上心???でもこの年齢のときに、心の中に残ったことは一生基礎となったりすると思うので(私自身、いくつか残る私へのほめ言葉や私の強く感じた思いなどがあり、今でも自分の基礎になっていることを感じます)、大切なことでしょう。


2年生になって・・・全体編

2009-05-17 06:47:07 | ハーフの子どもの教育
 これまでのゆとり教育が見直されることになり、移行期にあたる今年、平成21年度です(新学習指導要領の実施は平成23年度からで、2年間が移行期にあたります)。言語活動、理数教育、外国語教育、そして道徳教育などを充実させる目的で、授業数が週1コマ増えます。この結果、夏休みが短縮される、行事が減らされる(秋の遠足中止、学芸会が3年に1回になるなど)、あるいは地域によっては土曜日の午前授業再開(毎週ではない)というような変化が出てきています。

 さて、ここで楽しい行事などが減らされることについての私の文句は置いておいて、2年生になったばかりのときにもらってきたプリント「2年生はこんな子どもです」がなるほどと思ったので、ご紹介したいと思います。

・いろいろなものに興味・関心が高まる→確かに最近、ショウミーはどんどん学校で新しいことを仕入れ、どんどん世界が広がっている様子。

・体力が増して、運動能力がのびる→確かに大人と同じような運動能力に到達してきている。物によっては私をずっと追い抜いている。

・理屈を言うようになる→これも当てはまる。理屈というか、言葉で反抗するようになってきて、こちらの態度を見透かされていたりする。

・グループで遊ぶようになる→スポーツを通して、集団で遊ぶ楽しさを、ショウミーは特に堪能している。

・男女の意識が芽生えてくる→これは幼稚園時代からあった。

・器用になる→日常のことは何をやらせてもさくさくやっている。

 そして、次に「2年生はこんなに成長します」というのも載っており、こちらもなるほどと思いました。

・行動範囲が広がる→空手も一駅分歩いて、一人で行けるようになっている。歩きながら通りすがりのおじいちゃんと交流、独自の人間関係までを築いている様子。

・うちの人に言われなくても自分から勉強する→これは単に遊ぶ時間を作りたいからというのもあるでしょうが、確かに一人で計画を立てて、さっさとやっていることが多い。

・友達や先生の話をきちんと聞くことができる→ショウミーについては、聞けないときも多々あり。

・協力して活動することができる→クラスでは子どもたちの中で上手に役割分担をするようになったと先生が言っていた。

・学校の用意が自分でできて、だんだん忘れ物をしなくなる→1年のときは忘れ物のワースト3に入っていたショウミー。最近は連絡帳にやっと「忘れ物に気をつけてください」と書かれなくなった。

 1年生のときにはまだみんな幼稚園生が抜けきらず、ふにゃふにゃ、ぐちゃぐちゃしていたのに、2年生になったとたん、1年生をエスコートして学校案内などしたりして、急にしっかりしてきています。まるでもう何年も小学生をやっていますというような感じで、子どもたちのたった1年での成長ぶりに、本当に驚くばかりです。

 ショウミーも日々何かしら新しいことを仕入れ、あらゆる方面で発見し、どんどん吸収しているのが目に見えるような毎日を過ごしています。本当に今日は何ができた、こんなことを知ったなどと話すショウミーの目はキラキラと輝いています。同時に、友達との間で傷ついたり、友達間でよくない事件が起きたりということも経験して、勉強以外でもたくさん学んでいる様子です。

 本当にこのくらいの子どもは一日一日が大切なのだと、私もショウミーを見ながら強く思うようになりました。一日が大人の1週間分くらいかもしれませんね。

デンマークの子育てと反抗期

2008-11-26 15:13:50 | ハーフの子どもの教育
 幼稚園で私たち役員企画の最期のレクチャーが「子どもの性格」についてでした。その中で反抗期が実は3回あるとのことで、1回目は2―4歳、2回目は7-9歳、そして3回目が通常第二反抗期といわれる14-16歳だそうです。

 反抗期は小さいうちは手に負えるとして、やはり14歳ごろの反抗期は親にとって恐怖。多少の反抗はあるにせよ、無視、家庭内暴力、家庭崩壊、部屋への引きこもり、非行、ドラッグや喧嘩などなど、想像するだけで途方に暮れてしまいます。

 でも子どもによって、この反抗期がある子とない子がいるのも確か。昔から何が違うのかなと不思議に思っていました。きっとそれまでの育て方がそこでひどい反抗をする子になるか、しない子になるかが決まるのかなと考えていました。親がきちんと躾けていれば、常識を超えるような反抗はしないんじゃないかな、と。

 夫は反抗期がなかったといいます。夫の周りでも、ひどい反抗をしているような子はいなかったようです。私と夫は同世代なので、どうしてデンマークの子どもは反抗する子が少なくて、日本の子は多いんだろうかということも、もうひとつ不思議に思っていました(現在のデンマークの子どもはどうかは分かりませんが)。

 さて、このレクチャーの中で、講師の方が言っていたのが、反抗は成長の表れ、その子が自分というものを持ち、意見を持ったときに、「親のその考えはおかしいんじゃないか」と思い反抗するということでした。それを聞いて、まさにぴんと来たのが、デンマーク流の子育てでは反抗のしようがないのではないか、ということです。

 以前も書きましたが、デンマークではごく小さいときから、親は子どもを一人の人格として扱い、頭ごなしではなくきちんと説明して何かを教えていきます。なぜそれがいけないのか、なぜ今そうしなくてはならないのか、そうしたことを言葉で懇々と説明していきます。そして子どもに「どう思うか」「どうしたいのか」というようなことも、きちんと言葉で説明させます。こうしたことの積み重ねで子どもが大きくなれば、反抗期などあるわけがないと思いました。

 友人のデンマーク人も、ティーンエイジャーの自分の子どもと向き合うときには、一人の大人として扱っています。頭ごなしではなく、きちんと話し合い、ときには親のほうが譲歩する、子どものプライバシーには踏みこまないというような態度で接していました。

 子どもがしたいことを最大限認め、自分より愚かな者としてではなく、対等に公平に渡り合おうとする子育てであれば、子どもは親に反抗する材料がなく、あるのは意見の違いなのだと思います。もちろんその違いから発展して、親子が衝突して子どもが反抗的になることはデンマークにだってないわけがないのですが、日本ほどの言葉の、あるいは身体の暴力的なものまでには至らないのだと思います。

 日本はどうでしょう。親は根拠のない命令、自分と子どもの無意識のうちの同化、親が自分本位の子育てをしているのではないでしょうか?そういう親ならば、いつか子どもが論理的に自己主張したくてもできず、親に対して、過度な反抗という手に出るしかないのかもしれません。

 とはいえ、14歳あたりが大人への入り口として微妙な年齢であることは、きっと世界共通で、デンマークだって他の国だって、それなりの問題はいっぱいあることでしょう。でも、私も一人の親として、子どもにフェアに向き合うこと、きちんと話し合うこと、自分の子どもであっても他者であることを忘れないことなど、これからの子育ての中で、こういうところは個人主義のデンマーク流子育てを見習っていきたいとレクチャーを聞いて思ったのでした。(そうしたら、うちの子ども達はひどい反抗期はないかな?・・・ああ、ほんとにありませんように!!)

日本の小学校リポート

2008-04-18 17:44:48 | ハーフの子どもの教育
 こういうタイトルをつけるとなんだか我が家が外国から来たかのようですが(笑)、ショウミーが小学校に行くようになり、はや10日。私が子どもの頃とはいろいろと違った印象を持ち、まるで本当に海外からの帰国組のような気分になったりします。驚きや発見が新鮮なうちに、今日は気づいたことを書いてみたいと思います。
 
●忙殺・・・● 小学校に入ったとたんに、毎日ものすごいプリントの数です。だいたい平均4-5枚はあるでしょうか?何があるかというと、色刷りの省庁や都や区からのリーフレット類。例えば今日もらってきたものだと、文部科学省の「大切ないのちとあんぜん」というリーフレットです。「あなたは学校やお家で楽しくのびのびと生活していますか」というタイトルで、「お家の人や先生にすすんであいさつやへんじをしていますか」「友だちとなかよく、元気にあそんでいますか」「生きものを大切にしていますか」などという設問があり、はい・いいえのどちらかに○をつけるようになっています。
それからPTAからのプリント。活動の内容について、協力のお願い、イベントの案内などなど・・・。
そして最後に学校からのお便りや連絡の類のプリント。週に一度、金曜日に次週についての詳細が書いてあるプリントをもらいますが、その他にも「明日は耳の検査なので、耳の掃除をしてくるように」「登下校の際の注意(これの類はもう何枚もらったか)」などというプリントをもらいます。加えて、4月はやたらと提出書類が多くてびっくりしました。いったい何度、住所やら名前やら非常の際の連絡先やら健康状態やらを書いたことでしょう。兄弟のいるお母さんはダブルで書いており、本当にため息をついていました。これでもショウミーの小学校は名前書きが楽でよかったのですが、本当におはじきひとつひとつに名前を書いた、という他の小学校のお母さんもいました。

●校長先生登場● 私が子どもの頃はどうだったのでしょうか?ちょっとわからないのですが、今は保護者会のときには必ず校長先生が何か前に出てお話をなさいます。これは少子化から来ているのかな?クラスが少ないので、校長先生も回りきれるようで、校長・教頭先生と密な交流ができる感じがします。あるいはショウミーの学校のの校長先生が、特に熱心に子ども達のことを考えてくれているのかもしれませんが。

●クラス人数● 現在日本では学級定員が40人かと思いますが、ショウミーのクラスは非常にラッキーなことに27人という少人数です。実際にクラスを見回してみると、これくらいだと先生の指導も行き届くだろうこと、発言の機会が確保できるだろうことなどから、どうもこれくらいが妥当な人数なのではないかと思います。私が小学生のころは45人近かったのですが、6歳の子ども達を指導するにあたって、いったいどうやって指導していたのかなと不思議に思わないではいられません。デンマークの場合も28人定員ですが、このくらいだと決め細やかな対応が取れるのではないかと思います。

●放課後ひろば● これは設置されている学校が限られているようですが、ショウミーの学校には「ひろば」という放課後の学校内でも遊びがあります。学童保育とは違い、これは審査がなく、誰でも簡単な登録をすれば利用することができるもので、授業が終わってから「ひろば」の教室、あるいは校庭で、係りの人の監視のもとに遊べるというものです。近所の公園ではボール遊び禁止、道で遊ぶのは言語道断という現在、この「ひろば」は思う存分身体を動かしたり、何か作ったりできる、子ども達の最高の遊び場です。親にとっても安心で、家にいるよりも仲間たちと楽しく遊んできてくれたほうが嬉しいものです。また下の子との兼ね合いもあるので、私にとっては本当にこの「ひろば」は大助かりで、本当に感謝、感謝の「ひろば」です。まあ、昔はこういうのがなくても、どこででも安全に遊べて必要なかったのでしょうね。

●保護者会● 行ってみたら大方の保護者の方たちが、スーツなどのきれいな服装をしていることにびっくり!わざわざ汚い格好をしていく必要もないけれど、こんなにきれいにしていくの?といつものジーンズ姿の私・・・。
また役員が大変と聞いていましたが、ショウミーの学校はクラスで3人だけ役員を選出すればよく、何とか係りなるものが全くなくて楽ちんで、ちょっと拍子抜けするほどでした。いろいろな係りがあって半数くらいはやらなくてはならない学校、全員がなんらかの係りをやるという学校、とどうも学校によって全然違うようですね。何事につけても、公立でも学校によって、担任によって、いろいろと違うようです。そういえばショウミーの学校は給食のランチョンマットなども必要なく、限りなく簡素化してくれているのかもしれません。

 以上のようにいろいろとありますが、とにかく日本の小学校ではかゆいところに手が届くどころかあまりにも細かい指示が多く、さすが「子どもの国」だなと思わないでもありません。はさみを筆箱に入れてはいけない、道具箱のこの位置に入れる、などということまで先生が黒板に書いて説明していたりするほどです。あればいいのじゃない?という大雑把な私にはちょっと窮屈に感じるところは否めません。それから家庭内でのしつけにあたる部分への言及が多く、大人である親に対する大きなお世話ではないかと思う一方、あるいはあまりにもしつけができてないということなのでしょうか。

 けれども逆に先生達の温かい気持ちや、子どもたちが勉強を好きになるようにと心を砕いているところもまた伝わってきています。詰め込み型で行こうというよりも、スムーズに入っていけるようにと、導入部分に非常に決め細やかな心遣いをしてくれています。デンマークの小学校を見学したときも教師達にそういう気持ちを感じて感動しましたが、日本の小学校でも同じものを感じて、先生はどこでも同じなのだなととても嬉しい気持ちになっています。
 
 また授業の内容などもそのうち気づいたことを書いてみたいと思います。


 

 

ショウミーの大進歩

2008-03-13 23:04:40 | ハーフの子どもの教育

 デンマーク語の通信教育を始めてそろそろ7ヶ月となり、ここに来て、やーっとその成果が発揮されました! 先日、ファーモア(おばあちゃん)と電話で話し、きわめて初歩的ではあるにせよ、初めて自力で会話をしたのでした。

 元気ですか?、ママがプレゼントありがとうと言ってたよ、僕は○○してるよ、などという、だいたい3つか4つの単語で作る文章を話していました。日本語を覚えるときもそうですが、最初に1語、そして次に「わんわん、来る」などの2語、そうして「ショウミーが大きいのを食べたい」などと、だんだん文章が構成されていくようになり、この3語くらいの文章構成ができるようになると、言語の基礎部分ができたということではないかと思います。ショウミーが一言、一言区切りながら、ともかくもデンマーク語を話そうとしているのを聞きながら、ひとつ階段を上ったんだなあと思ったのでした。これまでは単語しか出てきませんでしたから・・・。

 とはいっても、デンマーク語でコミュニケーションをきちんと取れるほど話せるようになるまでは、かなりの道のりです。こうした通信教育でどこまでできるのか、本当に何年もたってみないとわからないところです。(まあ、通信教育だけでは足りないことはわかってはいるのですが・・・。)それでも、こうしてデンマーク語を自発的にとにかく話してみようというところまで来たのは、大きな進歩といえます。だいぶショウミーの頭の中でアクティブな単語が増えてきて、それを組み合わせられるようになったのでしょう。

 4月からの入学に備えて、夫が机を作ってくれました。長い板をいくつも組み合わせただけの簡単な机ですが、ショウミーとジジが二人仲良く並んで、意外とまじめにそれぞれのノートに取り組んでいて、今のところ二人ともデンマーク語を勉強することを楽しんでいるようです。ジジも少々進歩して、最近は私にデンマーク語の単語を教えてくれるようになったのが、なんだか可笑しいです・・・。

 

小学校の説明会

2008-02-02 07:31:41 | ハーフの子どもの教育
 昨日、ショウミーの小学校の説明会がありました。ショウミーは一番近所の公立の小学校に行くのですが、1時間あまりのその説明会で私はちょっとがっかりすることが多かったです・・・。とは言っても私自身、普通の公立の小・中・高と行っており、なまじデンマークや他の国の学校の話などを知らなければ、こんなもの、と落胆するようなこともなかったのかもしれませんが。

 まずこの説明会は非常に不可解なことに始まりの時間が2時でした。幼稚園は普通2時に降園で、説明会参加のためには幼稚園を早退しなければなりません。どうして2時半開始などの時間的配慮がなされてないのでしょうね。(ちなみにデンマークや米国では保護者会を夜行うことも多いかと思いますが、それは夫婦が夜の7時ごろには帰宅しており、どちらかが子どもの面倒を家で見ていられるからというベースがあるから可能なのでしょう。一般的に父親不在の日本では、なかなかできないことです。)

 そしてなぜか事前に配られたプリントには、「小さなお子さんは各ご家庭でご配慮ください」という注意書きがありました。私はこれをすっかり見落としていて、前日にたまたまスーパーマーケットで会ったお母さんに教えてもらったのですが、どうも進行のさまたげになるので、下の子は連れてこないでくださいということのようでした。私は構わず連れて行ってしまいましたが、見事にほぼ全員(60名くらい)上の子(新1年生)も下の子も連れてきておらず、びっくりしてしまいました。皆さん、お子さんはどうしたのでしょう???

 説明会は配布された「入学のしおり」に沿って進行したのですが、このしおりの中に面白い(または理解できない)いくつかのことが書かれています。まず「入学前にこれだけは」というページがあり、「名前を呼ばれたら「ハイ!」とはっきり返事をする」などはよいのですが、「自分の名前をひらがなで書いたり、読んだりできる」というのは、ひらがなくらい読めたり書いたりできて当たり前と先生は思っているよ、という話は聞いていましたが、改めて「ふーん、そうなのか」と思いました。もちろんたいていの子どもはこのくらいすでにできていることなので、そんなに気に留める必要もないのかもしれませんが。他にも「自分の持ち物と友達の持ち物の区別ができる」「和式・洋式トイレ両方を使うことができる」「忘れ物は取りに戻らない(あわてて危険だから)」などというくだりもあり、ちょっと笑ってしまいました。

 そして特筆すべきは「持ち物」でしょうか。2ページにわたり、入学式までに準備するものの詳細があるのですが、ちょっと紹介してみたいと思います。
・消しゴム(以前、かわいさを子ども同士で競って争いになるようなことがあったので、なるべく無地のものにしてください。)
・筆箱(金属製や布製ではなく、シンプルなもの)・・・どうして布製がいけないのかは不明。
・下敷き(無地)・・・絵があると授業に集中できないそうです。そんなことないと思うのですが。それともたった1枚の動かない絵に負けちゃうような、つまらない授業なのでしょうかね。
・はさみ(お子さんの手に合ったもの)・・・なぜそんな当たり前のことを?
・上履き(足の健康のために吸圧シューズをおすすめしています)・・・これは1足2000円ほどで高い。え?普通の白い上履きではだめなの?だったら普通のスニーカーなどを買って上履き用としたいところ。おすすめという言葉の意味もよくわからない。
 ここまで細かく、ひとつずつの持ち物に規制がされるのはどうなんだろうかと思いました。すべて「支給」ということであれば、一律皆で同じものを使ってもいいかもしれませんが、自分が学習するときに、どのようなものが使いたいかをそれぞれが選べないようになっているのは、ちょっと窮屈だなあと感じてしまいます。

 また「小学校の一日」というページではこれも2ページにわたって、一日の行動をこうしましょう、ああしましょう、と細かく書いてあります。それはなんと30項目近くとなっており、ちょっと「うるさいなぁ」と私まで思ってしまいました。「教室に入ったら、勉強しやすいように学習の準備をしよう」から「正しい姿勢で学習しよう」「雨の日は教室やオープンスペースで静かにすごそう」「丈夫な身体をつくるため、好き嫌いなく食べよう」「「心をこめて、いただきます、ごちそうさまのあいさつをしよう」「自分の仕事を最後までがんばろう」「進んで仕事を見つけて実行しよう」→これは会社員にも共通すること?(笑)、「気持ちよいあいさつをして一日をしめくくろう」などなどまで。そして最後には「地域を明るくしよう」という見出しの中に「地域での行事に進んで参加しよう」「地域の一人として誇りを持って行動しよう」・・・。
 いかがでしょうか?もちろん、ひとつずつの項目はもっともなことが書いてあるのですが、6歳の子どもにこんなにあれもこれも「○○しましょう」と言いすぎではありませんか?また「好き嫌いなく」「進んで仕事を見つけて」などという学習とは関係のないことに言及していることも多く、改めて学校は学業だけではなく、生活習慣や団体行動なども学ぶ場なのかと知りました。

 とにかく、「こうして日本人が作られていくのね」と昨日の説明会ではいろいろと実感させてもらいました。多分これを夫に話したら、そもそも日本の学校に懐疑的な夫のこと、また文句を言うだろうな~と思いますので、夫には少し軽めに話さなくては・・・。

 ここまで比較的批判的な書き方をしてしまいましたが、それでも日本の学校もいいところはいっぱいありますし、私は基本的には日本の学校が好きでもあります。またいずれ、そういったいい面についても書いてみたいと思います。

 またクリスマスプレゼントで、デンマークの入学準備のための、ちょっとかわいらしい本をファーモアからもらっていますので、次回、それについて書いてみようと思っています。日本との面白い比較になるかな?

少し大人になったショウミー、日本の謝罪文化を身につける

2007-12-17 11:04:00 | ハーフの子どもの教育
 先日ショウミーが同じ年の子ども2人と遊んでいたときのこと。どういうきっかけかはわかりませんでしたが、一人の子が急に怒り出し、「そんなんだったら、もう止める!もうショウミーとはやらない!」と叫びました。普段だったら言い返すショウミー、そしていつものように喧嘩が始まるかなと私は思って見ていました。すると予想に反して、ほんの数秒の間を置いて、ショウミーは優しい声で「ごめんね・・・」と言ったのでした。言われた相手としては拍子抜けしたらしく、それ以上怒ることもできず、すぐにまた楽しく遊びを継続していました。

 弟ができて3年余り、ショウミーは繰り返される理不尽な弟の態度に怒りまくっていましたが、ふと気づくと最近は「いいよ」と譲ってあげていることが多くなっています。そういう中で人生はしばしば理不尽なものでしかたないんだ、ということを学んでいっているのだと思います。

 そして昨日、また他の子どもとカードで遊んでいたときに、いろいろとその子がずるをしても怒ることなく、いろはがるたで最近覚えた「負けるが勝ち」と言いつつ笑っている姿に、ショウミーも少々大人になり、そして日本人になっているなあと思ったのでした。

 日本人は謝罪文化を持っていると思います。何でも謝るという習慣はどこから来ているのでしょう?小さいときから私達日本人の親は常に「謝りなさい」と言って育てています。そしてある年齢くらいから、子供達は「謝ると終わる」「謝ると許してくれる」「謝るとリセットされる」あるいは「謝ると人間関係が円滑に進む」ということを理解していくのでしょう。最初のエピソードは、ショウミーが謝って相手の気持ちをなだめること、つまり人間関係を円滑に進めることをすでに知っているということなのでしょう。

 逆にデンマーク人はしばしば「決して謝らない」という国民性だと言われています。彼らにとっては謝るということは、「人間関係を円滑にし、物事を進めるため」ではなく、本当に厳しい意味での個人の罪を認め、罪を償う必要の出てくることなのだと思います。人々の罪を受けてイエスが磔になったというキリスト教的文化を背景に、罪に対する厳しい見解や対応を彼らは持っているのかもしれません。

 そのあたり、謝罪するということの意味がどうも日本とデンマークでは違うように思います。日本では悪く言えば「謝ればいい」という意識があり、謝罪=償いも兼ねているように思います。そして責任を強く問われることもなく、謝ればそれで済んでしまうという面が多々あります。一国の首相の取った行動も、そういう形で終了していますし、どうも年金問題もこの1週間ほどで、そういう傾向に方向転換されています。「責任を取る」、それが謝罪だという、厳しい追及や断罪は日本的ではないようです。

 ショウミーがこうしてすでに6歳にして日本の謝罪文化を身につけているのは面白いなと思います。それはそれでよいのですが(やっぱり悪いことをしたときに謝る人にはならないといけないと思うので)、謝ればよい、という日本文化の域を出る、違った思考ももってもらいたいなぁと思っています。

 

ショウミー、空手を習い始める

2007-12-08 07:06:10 | ハーフの子どもの教育

 11月末からショウミーは空手を習い始めました(上の写真では正面で正座をしています)。私自身は全く空手のことなどわからず、まさか自分の子どもが空手を習うとは思わなかったのですが、約一年早く、ショウミーの幼稚園のお友達が習っており、なぜかその子のお母さんに「ショウミーには絶対、空手いいと思うよ。絶対合ってるから」と言われ続けており、ショウミー本人もそのうち「やりたい」と言い出したので、10月に見学に行ってみたのでした。

 華道や茶道などと同じように、空手にもいろいろと流派のようなものがあり、見学に行ったのは極真会館という流派です。(なぜか空手は○○流のところを○○会館と言ったりする。)それまでは寸止めだった空手を、実際に相手の身体を打つルールで始めたのがこの流派だそうです。といっても、子どもは防具をつけて打ちますが。

 見学に行って、私はすっかり空手の格好よさに魅了されてしまいました。まず、子供達の道着姿が素敵、そしてはりつめた空気が気持ちよく、先輩(先生のことをなぜか先輩と呼ぶ)の型で風を切る音がするのが本当に格好よかったです。というわけで、親子で即入門を決めたのでした。

 さて、そうして入門したショウミーですが、かなり張り切ってやっている様子です。もともと身体の強い子なので、多少キックされても揺るぎなく、恐れもせずに受け止めていました。しっかり通って心も身体も鍛えてもらって、自分の中に揺るぎない何かを植えつけていって欲しいものです。週に3日も道場があり、私の送り迎えが大変ですが・・・。

          

 ハーフの子どもということで、将来どこかでアイデンティティの問題に悩むことがあるかもしれません。そういうときに、もしかしたらこうした日本的な武道が彼を支えてくれることがあるかもしれないというのも、今回、実は私はちょっと期待として持っています。また、こんなにお金をかけて習わせるのだから、もし将来海外に留学などした際には、自分でマーシャルアーツの道場で空手でも教えるバイトをして、お小遣いくらい稼いでちょうだいという思惑もありますが。芸は身を助けるということで。

 よく私の母やおばが言っていましたが、子どもの外側にお金をかけてはあげないけれど、内側にはできるだけかけてあげる、と。私も物やお金を与えるのではなく、子供達の内側に蓄積されるようなことにはできるだけのことをしてあげたいと最近は思うようになり、母たちの言っていた意味がよくわかるようになりました。