デンマーク・ハーフキッズ

デンマークについての情報やニュースを紹介、またデンマーク人と日本人のハーフの子供たちの子育て日記。

デンマークの車

2006-01-31 23:33:25 | デンマークについて
デンマークに行くといつも義母の車を私たち家族が乗り回している。実は夫が義母にプレゼントした車なので、私達が滞在している間は自由に乗らしてもらっているのだ。 さてデンマークはけっこう車社会である。コペンハーゲンに住んでいる人たちは車を持ってない人も多いようだけど、ちょっと離れたところに住むとやっぱり車があると非常に便利のようだ。おまけに高速は無料で、渋滞がないので(ただしラッシュアワー時のコペンハーゲン周辺を除く)、とにかく車での移動は早くて嬉しい。

でも車を持つことは実はなかなか贅沢なことである。何しろ購入の際、税金が180%もかかるのだ。だから例えば100万円の車を買うとすると購入価格は280万円になってしまう。日本で200万円くらいの車が多いように思うのだけど、もしこれがデンマークだったら560万円ということになり、ものすごい高級車が買えてしまう値段だ。 そんなわけかデンマークにはオートマ車はない。あるにはあるようだけど、私はこれまでかなり注意して見てきたけど、たった1回しか見たことがない。なぜ注意してみてきたかというと私がオートマしか運転できないからなのだけど。(右側通行だから運転はこわいけれど、全く運転できないというのはデンマーク滞在中ちょっとストレスがたまる。)

それから日本のようにいろいろな設備が搭載されていることも少ない。エアコンのある車も少なくて、たまたま暑い夏に滞在したときはかなり暑くてまいってしまった。窓を開けても停まるとすぐ暑くなってしまう。

ただ一度、デンマークで車に携帯電話をハンドルの横に置いて話せる装置を見たのだけど、あれは日本にも本当に欲しいと思った。運転していて携帯で話すのは非常に危険なので(実際法律でもだめだけど)、ぜひとも日本に欲しい装置だ。

さて義母の車はとても小さい2ドアの車で、走ると音もうるさくて、座り心地も日本に帰り私達の車に乗ると「あー、なんてうちの車は快適な椅子なんでしょう!」と思うようなものだ。車種はPONYという。初めて乗ったころはつい悪態をついていたけど、なんだかそのポニーなどという言葉の響きがおかしくて、だんだん愛着の出てきている私でありました。 【写真はポニーから見たデンマークの景色】

日本の家・デンマークの家

2006-01-30 23:42:21 | デンマークについて
これは夫としばしば話題になることであるのだが、どうして日本の家は30年で建て替えなのか?どうして日本の家は寒いのか?という疑問がある。

デンマークはレンガで家の基礎を作り、側面を作っていくらしいのだけど(夫曰く)、日本の家は木、あるいは鉄骨、あるいは鉄筋で作られている。地震のことがあるのでそのあたりはきっと設計上、日本は日本のやりかたがあるのだろうとは思うのだけど、その後が問題だ。
壁の断熱材がなかったり、床下が空洞になっていたり、窓回りが心元なく隙間風が
入るようであったり、床がフローリングで塗装してあって冷たかったりする。

デンマークの家は家の中で寒いということはない。そんなに暖房しているわけではなく、例えば義母の家は各窓の下にセントラルヒーティングの温かいお湯が来ていて、暖房はそれだけである。団地に住んでいるのだが、1階の入口に重厚なドアがあり(重厚すぎて開けるのが一苦労なのだけど)、階段部分は建物の中になっている。そして窓は二重になっている。デンマークではかなり古い建物でもちゃんと窓は二重に作られていて感動したことがある。窓にはちゃんとパッキンが取り付けられており、風が入らないように工夫されている。

そしてどうして日本の家は30年が寿命なんて言われているんだろう?
もともと日本の家だって30年だったわけではないと思う。築200年の民家などもたまにあるし、お寺やお城などは何百年も建っている。
本当に建築家の人に教えてもらいたい。どうして日本の家は30年が寿命なの???

今日もたまたま友人とその話になったのだけど、ひとつ言えることはまだまだ日本人の家に対する思いや意識がデンマーク人のそれに比べると低いのではないかということだ。デンマークは世界でもかなり高いレベルの意識を家に対して持っている。寒く暗い冬をほとんど屋内で過ごすために、そうならざるを得なかったというのがあると思うのだけど、とにかくデンマークの家は状態も内装もよくできていて、誰かの家に招待されるといちいち感動してしまうことが多い。センスもなかなかである。洋服のセンスも家のセンスに追いつくといいのにねぇ、と思ってしまうほどである。

まあ、賃貸の場合、自分達で内装を変えてはいけない日本ではなかなか意識やセンスが育たないのは仕方ないのかもしれない。でも家を買う場合も家そのものの構造、壁紙一枚、床の建材ひとつにこだわらない人がどうも多数のように見える。
服のセンスはよい日本人がどうしてセンスのいい家、暖かくてしっかりした家に住みたいと切望しないのか、よくわからないのだけど。

余談だけど、アメリカの家に住み、中国料理を食べ、日本人の妻を持つことが最高の人生と言われているけど、日本の家に住み、アメリカの料理を食べ、中国人の妻を持つのはどうなんだろうね? へへへ。

旅行:河口湖

2006-01-30 23:06:14 | 日記
1月最後の土日で河口湖へ一泊旅行に行った。河口湖で行われる
冬の花火のイベントがあり、それを見るのがメインの旅行で
あとは特に何も決めてなかった。
ちゃんと河口湖へ行ったのはなんと15年ぶりくらいで、久しぶり
に間近で見た富士山に感動・・・。こちらは年とともに春夏秋冬、
花鳥風月、そしていろいろな自然の様に感動するようになっているのに、子ども達は美しい自然を見てもなんともないようで、改めて私も子どもの頃は桜や美しい景色を見ても、心を揺さぶられるような思いはなかったなあと思い出した。

河口湖はけっこう凍っていて、こういう湖を見るのは面白かった。鴨が氷の上を歩いていたり、大人や子どもが氷の上に石を投げたり。投げられた石が遠くに行くとまるで鳥の鳴き声のような音になるのは初めての発見で、夫と驚いてしまった。

夜は民宿に泊まった。東京ではすっかり西洋化された生活をしているので、我が子にこういう純「和」体験をさせるのもたまには悪くないと思った。こたつ、石油ストーブ、畳や障子。すっかり忘れていた実家での生活(こたつから出たくなくて、誰がチャンネルを変えに行くかが大問題だったり、着替えのときにストーブの前にはりついていたり、こたつの中で足を蹴りあったり・・・)をいろいろと思い出すこと、思い出すこと。

お風呂と夕食を済ませてから、いよいよ花火見物へ。それは本当に寒かったけれど、冬の夜空に上がる花火はひときわ美しく見えた。4歳のショウミーの手をつなぎ、休みなく打ち上げられる花火を見たのは、楽しいというよりもちょっとせつないような気分になった。花火ってなんだか感傷的な気分にさせられるんだな~。

翌日はまた河口湖沿いの公園に行き、朝の富士山を楽しんだ。それから野鳥の森というところで氷のオブジェを見て昼食。
そして青木が原樹海のウォーキングガイドツアーに参加。ツアーは私たち家族だけで、ガイドのおじさんが木々の説明や溶岩の岩盤の説明などをしてくれた。春はもっと木々が変化があって面白いので、また参加してね、と言って子ども達に自分の車の中からキャンディーを出してくれた。(ついでに私も1ついただいた。)

あんまり何も決めず、ガイドブックも持たずに気の向くままの旅行だったけど、家族4人でこうして自然の中で遊んだり、思いがけず素敵なフレンチレストランを発見したり、人の少ない美しい景色を見たりするのは本当に楽しかった。

家族って便利。いつでも週末の楽しいことを一緒にやってくれるグループで、しかも変に気を使うこともなく、楽である。家族が仲良くてこうして楽しく毎日生きていけるのは人生で最高のことなのかな~と思った週末でした。

忘れられないレストラン

2006-01-27 23:29:35 | デンマークのあちこち
2002年の夏、デンマークを旅行した。オーデンセからの帰り、小さな港町ファーボー
Faaborgという町で昼食を取ることにした。
特にガイドブックに載っているほどの街でもなく(日本のデンマークのガイドブック
にはほとんどどこも載ってないけど)、当時上の子が1歳で1-2時間ごとに車を停めない
といけなかったのだ。

町をすぐに1周できた。私は食べることにとても興味があるので、レストランを決め
るのはいつも私で、そのとき、私が目を留めたのはホテルの中のレストランだった。
なんとなく心地よい雰囲気をかもし出していて、ほどよく落ち着いた、そして清潔で
シンプルな内装のそのレストランの入口付近に席を取った。ほかのお客さんも
いて、子どもが騒ぐかもしれないので少し離れた席にしたのだった。

夫はお肉料理を頼み、私はサーモンのお料理を頼んだ。運ばれてきたお料理を見る
とただ盛られているだけでなく、品よく盛り付けられており、ちょっとデンマーク
のとにかくたくさん、という盛り付けに比べると「あら?」と思った。
そして食べてみて本当に驚いてしまった。非常に、おいしいのだ。
素材の味を生かしつつ、山葵の風味のソースで、これまだに食べたおいしい料理の
中で5本の指に入るのでは、というほど。

シェフを呼ぶかどうかかなり迷って、結局はやめてしまったことを今では少し後悔
している。あれはどういうお料理だったのだろう? フレンチ・デニッシュなのか、
シェフのオリジナル料理なのか・・・。シェフはどこの国の人だったのか、どこで
修業したのか・・・。

残念ながらそれからあのレストランに行く機会には恵まれていないけれど、いつか
絶対またあのレストランに行こうと思っている。コペンハーゲンから車を飛ばせば
3時間弱で行けるのではないだろうか? もしあの料理を食べられるのならば、昼食
のために6-7時間のドライブをしてもその価値があると思う。

あまりおいしくないと思っていたデンマークのレストランだったけれど、このファー
ボーのレストランだけは本当に忘れられない。コペンハーゲンに高いお金を出せば
それなりのレストランはあるのだろうけど、こじんまりとしたレストランのあの
洗練された味は、大きな期待もなく入ったレストランだっただけに、海辺で素敵な
貝殻を見つけた気分だった。

Schools receive new mission statement

2006-01-26 22:03:03 | デンマーク・ニュース
A broad parliamentary majority agrees to shift schools' focus from personal
development to basic fundamentals.
25 January 2006

デンマークの教育のことは詳しくないけれども、個人の興味ややりたいことを
重視し、伸ばしていくような教育方針だったはず。
学習対象を自分で選ぶことが早くから許され、自己発見を促していたのでは
ないかと思うのだが・・・。
最近のデンマーク人の基礎学力が落ちていると聞いたことはあるけれど、
その対策なのでしょうか?

Viggoのこと

2006-01-25 13:46:20 | 私の家族たち
Viggoとは義父の名前で、義父と義母はだいぶ年齢の離れたカップルだった。
残念ながら彼は病気で夫が16歳のときに亡くなってしまっているのだけど、
写真で見ると若い頃はかなりのハンサム、映画スターかと思うほどだ。
私は会ったことがないので彼のことを「伝説のViggo」と勝手に呼んでいる。

Viggoは若い頃はローリングをやっていた。彼の兄のPeter Richardがロー
リングで36年のベルリンオリンピックでメダルを取っており、Viggoは38年に
ミラノで行われたヨーロッパチャンピオンシップに兄と組んで出場、3位になって
いる。次のオリンピックには弟のViggoが出場するだろうとデンマーク内では
思われていたようだ。ところが39年にヨーロッパで戦争が勃発、以来、48年
までオリンピックが開催されることはなかった。そうしてViggoはオリンピック
に出場する機会を逃してしまったのだ。
もし出場していたら、ヨーロッパチャンピオンシップでメダルを取っていた
ということはオリンピックでメダルを取る可能性が高かったという。

当時のことは義母もまだ結婚していなかったのでよくわからないのだけど、Viggo
はかなりもてていたらしい。彼の最初の結婚(義母とは2回目)は地元紙に載り、
確か「これで女の子達も騒げなくなる」というような内容が書いてあったと思う。

彼はパン屋さんでもあった。朝早く起きて、パンを作り、午後を練習の時間に
当てていたらしいのだけど、義母と結婚した頃はもうパン屋は廃業していた。

夫たちが生まれてからはあまり裕福でもなく、義父母は朝と夜を交代のシフトで
働いて子どもを育てた。そして定年になってすぐにViggoはガンが見つかり、2年
の闘病後亡くなった。定年のパーティーには楽しそうなViggoの姿が写真に残って
いる。彼は本当に人生を楽しむ人だったようだ。

Viggoは年を取っても、面白い話が大好きで、人と楽しくやるタイプで、夫曰く、
「かっこよかった」そう。スポーツマンの身体をしていて素敵だったそうだ。

こういう祖父がいたことを今度デンマークに行ったらショウミーにそろそろ教え
てあげようと思う。Viggoの記事が貼ってあるスクラップブックを義母に見せて
もらって、この人の孫だということを教えてあげたい。
私は会ったこともないViggoを誇りに思っているけれど、私の子供達にもそう
思ってもらいたい。きっとViggoは天国で、全く知らない東洋人が自分に興味を
持って自分の話をしているのを見て可笑しがっているだろうけど。


ボーンホルム島近海の化学兵器

2006-01-24 10:34:41 | デンマーク・ニュース
1947年にソ連海軍によりドイツ・ナチスの化学兵器をデンマーク・ボーンホルム島
の東、クリスティアンセーという小さな島の沖合いにある水深100メートルの海底に
投棄された。
現在ロシアとドイツがバルト海の海底に天然ガスのパイプラインを建設することで
合意したが、化学兵器を投棄した海域2箇所の近くを通ることにより、建設によって
海底の爆弾から有害物質が漏れ、海が汚染されかねないと危惧している。
海底に沈んだ爆弾の中身は、半世紀以上がたった今も極めて危険な可能性が高い。
バルト海で操業する漁船はすべて、神経ガス対策装備を搭載する決まりになってい
る。魚網にマスタードガス爆弾がかかり、デンマークの漁民が病院に運ばれる事故
も69年と85年の2回起きている。
ボーンホルム海盆に36,832~45,266トン、ボーンホルム島の少し左側に最大15,649
トン、またユランとフュン島の間の小ベルト海峡に5215トンの化学兵器が第二次大戦
後投棄されている。
【ニューズウィーク日本版、2006.1.25】

冬のチボリ

2006-01-22 03:03:17 | デンマークのあちこち
特に冬に行くとなるとあんなに嫌がってしまうデンマークだけど、最近なぜか
とっても行きたくなってきた。
といっても住みたいわけじゃなくて、旅行で行きたいだけだけど。
去年のクリスマスに行かなかったので、なんとなくあの寒い寒いデンマークの
冬が懐かしい気分になっている。(もちろん実際に行けば文句、文句なのだが。)

義母のアパートから見る冬景色がいつの間にか懐かしいと思うようになっている。
コーヒーを飲みながら窓辺の温度計を確認して、うわー、寒そう!と外をのんびり
見ていたりするのが、普段は忙しい東京の生活から離れての、なんとなくよい
ひと時だったりする。本当に今では夫の実家を第二の実家と思うようになって
しまった。

さて、ここからが本題なのだけど、冬のデンマークで私がとっても好きなのは
「チボリ」なのだ。
チボリは世界最古の遊園地なのだが、夏のチボリが有名で、夏は本当に日本の
遊園地かと思うほどの人出で、みんなアイスクリームを片手にアトラクションを
楽しんだり出し物を楽しんだりしている。コペンハーゲンに行った観光客なら
必ずといってもいいほど、行くはずだ。でもここは本当に夏季のみの営業で、
9月には閉まってしまう。(始まりは4月くらいだったかな?)

初めてデンマークに行った2000年のクリスマス、夫の友人達が集まったとき
に「チボリは行った? 冬のチボリはとっても素敵だからぜひ行ったほうが
いいわよ」と言われ、特にほかに行きたいところも思いつかなかったので行く
ことにした。(自ら選んでデンマークに行っていたわけではなく、単に夫の実家に
行っていたので、ろくにガイドブックも見たことがなかったのよね。)
9月以降閉まっているチボリがクリスマス前の何週間かだけ、オープンするという。

そう、冬のチボリは本当に素敵だった。入口を入るとちょっとおとぎの国に来た
ような気分になる。そしてあちこちでクリスマスの場面を人形たちが見せてくれ、
その気分を盛り上げてくれるし(これはショッピングモールなどでもあったりする
んだけど、ここの人形は本当に古いものもあって年季が入っている)、子ども達を
乗せた馬車が通ったりする。
そして小さな小屋ごとにお店になっているクリスマスマーケットの灯りが美しく、
一軒一軒覗くのがとても楽しい。寒くて死にそうなのだけど、その中で何か気に
入るものを見つけるとちょっと気持ちが温まる気がしてしまう。
しかし、毎度のことだけど、結局余りにも寒くてここに来ると必ず帽子を購入して
しまうのが我ながらちょっと馬鹿かもと思わざるを得ないが。

もうひとつ、チボリでは劇場があって、冬にはデンマーク王立バレエ団のくるみ
割り人形を見せてくれる。バレエ好きの私だけど、なかなかデンマークでバレエ
を見られない(バレエシーズンのときに行くことがないので)。でもここのくるみ
割り人形だけは時期的にちょうど見やすい。いつか子ども達を見に連れていきたい
なと思っている。

運良く雪が降ったりしたら、冬のチボリはもっと幻想的になる。デンマークの
暗い寒い冬の中で、私のほんとにお楽しみのチボリに今年の冬は行けそうで、
今からとても楽しみにしている。雪が降るといいなぁ。

雪が降った!

2006-01-22 01:06:59 | 日記
今日は東京に初雪が降った。朝起きるとすでに積もっていた!
ジジは「きー、きー」と喜んでいた(ジジは何でも言葉の最後の一文字を
拾って発音している)。ジジにとってもほぼ東京の初雪である。

お昼ごはんが終わってもなお雪は降り続き、私たちはマンションの下で
まずはお決まりの雪合戦。お互いにけっこう容赦なくやるので、最後には
顔も髪もべちょべちょにぬれてしまうほどだった。

ショウミーはがんばって雪の玉を作り投げるのだけど、ほとんど命中せず、
たまに頭から雪をかけられていたけど、今日は泣かなかった。こういう
ところは最近すごくお兄ちゃんになってしまった。
ジジはちょうど眠かったので雪合戦の間はぼーっと立っていた。あまりの
私達の激しさに呆然としていたに違いない。

その後、雪だるま作りに励んだ。夫は正統派で雪の玉を転がしながら作って
いたのだけど、雪がウェットでそれでは雪だるまにならず。私は雪山を
作って、その上にまた雪山を作ってなんとか雪だるまを作ったのだけど、
形が悪く、まん丸にならなかった。ショウミーが拾ってきてくれた石の目を
つけたらなんと犬っぽかったので、同じマンションの人が飼っている犬の
「ミルクちゃん」を作ることに急遽変更。
お耳をつけて、しっぽをつけたら、けっこうかわいい雪犬ができた。

夜になったら雪がやみ、木々に残った雪がなんだか桜のよう。その枝の間
から見える月がきれいで、冬の夜桜を見たような得した気分になった。