デンマーク・ハーフキッズ

デンマークについての情報やニュースを紹介、またデンマーク人と日本人のハーフの子供たちの子育て日記。

楽しみな夏のデンマーク

2009-03-31 07:02:02 | デンマークのあちこち
 今年の夏のデンマーク滞在がフィックスできました! 

 航空券はブリティッシュ航空のキャンペーンで2月に押さえ、今月はサマーハウスも確定して、これで無事に行けそうです。7月17日から8月10日まで滞在し、サマーハウスはスナボーSoenderborgに借りました。

 スナボーは南ユランのドイツとの国境近くに位置します。去年はユラン半島の最北端の町スケーエンのほうに滞在したので、今度はまるっきり反対のほうになります。

 スナボーには一週間ほど滞在するのですが、今年のテーマは「スレースヴィ・ホルシュタイン巡り」。19世紀中ごろ以降のスレースヴィ・ホルシュタイン問題を今、勉強しているので、今年はそれにゆかりのある町を訪ねてみたいと思っています。スレースヴィ・ホルシュタイン戦争にまつわる博物館なども見つけたので、ぜひそこも行ってみたい!と思っています。ホルシュタインについてはドイツ国境を越えてどこまで行けるかわかりませんが、できれば少しドイツの町も訪ねてみたいです。夫も歴史が好きなので、一緒に今回は19世紀から20世紀前半を見て回るのはとても楽しみです。

 そして子どもたちにはやっぱり海にできれば毎日連れて行ってあげたい。(そう思って、海の近くのサマーハウスを毎年借りています。)それから、友人の勧めてくれたミュージアムDanfoss Universeもよさそうなので、そこにも連れて行ってあげれたらと思っています。

 キラキラと輝く、美しい夏のコペンハーゲンも本当に楽しみです。デンマークの夏の空気そのものが、まず楽しみだし・・・。そして、デンマークの友達の皆さんにも会えることを本当に楽しみにしています。

 どうか、天気のよい夏らしい夏となりますように・・・!

 

「小1プロブレム」への品川区の対策・・・

2009-03-26 14:04:06 | 思ったこと・気づいたこと
 今朝の新聞で、品川区が「小1プロブレム(座って先生の話を聞けず、授業中立ち歩いたりするなど。授業にならないという状況がしばしば見られる)への対策として、独自の「幼児教育要綱」を作成し、幼稚園・保育園と小学校の一環教育を行うという発表がありました。集団生活のルールや初歩的な読み書き、計算などを教えるカリキュラムで、スムーズに小学校の授業や集団生活が行えるよう、導入していくそうです。

 私自身、小学校に授業参観に行くたびに、立ち歩いている子、授業などおかまいなしに好きなようにしている子、そしてそれを注意しない先生がいたりして、この小1プロブレムとやらには本当にびっくりしていました。私が小学生だったころも、授業中にお喋りや笑いが止まらなかったりして先生に怒られる、廊下に立たされるなどということはありましたが、私たちはとりあえず「いけないこと」をしていることはわかっていた、でも、今の子どもたちはそういう意識がないように見えます。赤ちゃんが好きなようにしている、その延長のような感じがします。

 今回の品川区はこうした状況を見かねての、自治体としては非常に熱心な取り組みだと思います。デンマークでも保育園の後、小学校に入学しますが、初年度は0年生と言って保育園と小学校の中間のような1年が存在します。保育園がひたすら遊びの毎日だったのに対して、秩序を持って学ぶことにスムーズに移行できるようにという配慮です。そこで子どもも学校というものに慣れ、教師もその子がどんな子か見ることができ、その後の1年生につながります。クラスはマックスで27人、教師は担任と副担任の2人がつきます。

 ただ、ちょっとここで思うのが、そもそもそういう問題なのかな?ということです。3学期に図工の時間を参観したときに、男の子の数名が後ろのほうでぶらついたり、ふざけたり、あげくに喧嘩っぽくなったりしていました。私はもう少しで「何やってんのよ!」と怒りそうになったのだけど、私のすぐ横でその子のお母さんがニコニコしているのを見て固まってしまいました・・・。さすがにその子の親の前で他人の私が注意するわけにもいかず黙っていましたが、私が思うに、小1プロブレムはこういう問題なのではないかということです。

 国や地方自治体が教育の問題に取り組むことは、私たちの時代以上に熱心になってきているように思います。一方で、親たちはどうなのでしょう?厳しければいいとも思いませんけれど、学校に上がる前に、いろいろと躾けておくことについて、今一度、私たち親は考えてみる必要があるように思います。もし、それができないというのなら、品川区のせっかくの試みも期待するほどの効果が出ないかもしれません・・・。

 授業中なのにガムをかんでいる、先生のやりかたに教室内で小声で文句を言う、先生がちゃんと座っていない子を注意しているのを見て舌打ちして「うるっせんだよ」と言う、親子で運動するリクリエーションなのに動きやすい服装ではなくてミニスカートで来る、行事のときに平気で通路に自分の荷物を置く・・・。これらのことはこの一年で私が見聞きしたことです。ねえ、これ、親がやっているんですよー。子どもたちじゃなくて、親がこういう感じなのですよ・・・。

ライ麦パン、できました!

2009-03-25 16:11:12 | デンマークの家具・物・たべもの


 夫だけでなく、子どもたちや私までもときどき恋しくなるデンマークのライ麦パン、rugbroed。(このデンマーク語の日本語表記がすごく難しい・・・。私の耳にはオーボーに近い音に聞こえます。)

 このところ、パン焼き器で毎朝パンを焼くことを楽しんでいる夫ですが、あるとき、ライ麦のパンがどうしても食べたいということで、以前手に入れてあった「ライ麦パンミックス」を使って、パン焼き器で焼いてみました。できたことにはできたけど、このミックス、ずっと前に買ってあったものなので、ちょっと古い味が・・・。うーん。

 そして、今度はライ麦の粗挽きの粉を購入し、レシピを見ながら材料をはかり、全部をパン焼き器に入れて焼いてみたら・・・!なんと、おいしい、おいしい、ライ麦パンができたではありませんか!!

 材料を入れるだけで、すっごく簡単。そして、あんなに食べたくてたまらなかったライ麦のパンが、とってもおいしくできました! これがどんなに嬉しいことか、わかる人にしかわかっていただけないと思いますが、我が家にとってはとても画期的なことなのであります。

 これで遠く離れた日本でも、かなりデンマークの食事を再現できることになりました。レバーペーストは適当に作っちゃえばいいですし、ニシンの酢漬けはイケアで手に入ります。小エビやサーモン、ハムを購入して、あとはゆで卵やキュウリ、パプリカ、もし欲しければマヨネーズたっぷりのサラダ(とデンマークではいう)を用意すれば、立派なデンマークのランチができそうです。

 それもこれも、今までパンが手に入らなかったので(お店の名前を忘れてしまいましたが、都内のドイツパンやさんでおいしいライ麦パンが買えるという話は聞いています)、気軽にできなかったのですが、これで我が家の食事もまた少し楽しくなりそうです。嬉しい・・・(泣)!

遺伝子?

2009-03-22 06:56:54 | 日記

 2週間ほど前のこと。いつも幼稚園の帰りに行っている公園で、ジジがおもむろに自転車の練習を始めました。幼稚園まで距離が少しあるので、私たちはいつも自転車や遊ぶものを持っていけず、うちの子供たちはいつも人の物を借りてその公園で遊んでいます。

 同い年の友達の補助なしの自転車姿に触発されたのでしょうか、その自転車を借りると一人で練習を始めました。そしてペダルに足をかけ、なんどもこぎ始めてはすぐ足をつくというのを繰り返していましたが、ちょっと乗れる雰囲気に。「ジジ、乗れるんじゃない?」とママたちが見守る中、「顔を上にあげてこいでごらん」と一言アドバイスすると、なんとよろよろとこぎ始めました!その間、ほんの15分ほど・・・。ママたちは「ジジ、すごい!」と温かい拍手!

 と、これは今から2年近く前の夏休み、ショウミーが自転車に乗れるようになったときと全く同じではありませんか!ショウミーも、同じ公園で他人の自転車を借り、そして15分ほど一人で練習し、乗れるようになったのでした。何も言わなくても、勝手に同じことをする・・・、こういうのは何なのでしょう、遺伝子の問題???

 どこから来たのかはわかりませんが、ショウミーとジジは、自分で何かをやってみる、物怖じせずにすっとやってみるという共通の性格があります。まあ、私があまり手もかけてくれないし、すぐ「好きなようにすれば?」と言われちゃうので、本人たちも自分でやるしかないと悟っているのかな?

 早速、翌週は夫に見せるため、代々木公園に行きました。スイスイと得意そうに自転車に乗ってみせるジジは、本当に嬉しそう・・・!

 暖かい日でそろそろピクニックもできそうな代々木公園。次回は家族4人で初めての代々木公園のサイクリングコースにチャレンジしてみようかな。これで新たに家族でのサイクリングのお楽しみが加わり、そろそろ春だし、私もわくわくしてきました。

デンマークの『高齢者の孤独』を読んで

2009-03-19 06:10:31 | デンマーク人
 たまたま見つけた新刊『高齢者の孤独』を読み終わりました。この本は25人のデンマークの高齢者が自らの孤独について文章で語ったもので、人生の折り返し地点を迎えた年齢の私としては、個人的にも興味があるテーマですし、また、個人主義のデンマーク人高齢者が何を考えているのか、ということにも前から興味がありました。デンマークは世界一幸福な国だとか言われていますが、中身はどうなのかという観点もいつも私が持っているところでもあります。

 25人の高齢者たちがそれぞれ自分について語るのですから、経験や感じていることもそれぞれ違うわけです。が、それでも彼らに共通することはいくつかあるように見えます。

・配偶者との死別の辛さ・・・これは皆が異句同音に語っているところで、私も以前日本の新聞の調査で「人生でもっとも辛いこと」が配偶者の死であることを見たことがありました。配偶者が亡くなった後、朝から晩まで一人であることをかみしめ、週末はもっと孤独をかみしめ、パーティーでは誰もが自分を避けているように感じ、ますます孤独を感じてしまう。立ち直れる人もいれば、あまりの辛さに立ち直れないでいる人もいる。

・家族と会えないこと・・・住んでいる場所によらず、自分の子どもたちは皆、それぞれの家族のことで忙しく、なかなか子どもや孫に会えない。私は子ども側の気持ちはわからないでもなく、確かに本当に週日も週末も忙しいのだけど、うーん、でもそれは子ども側が単に時間がないのか、あるいは会いたくないと思っているのかもしれないと思いました。

・友人がいないこと・・・もともと友人が少なかったり、あるいは友人と疎遠になってしまったりして、出かけたりお喋りしたりする人がいない、新しくグループに入れないということで、「誰もいない」生活を過ごしている。街では自分と同じように会話を交わす誰かを求めているそぶりの高齢者をたくさん見かける、せめて高齢者が気軽に立ち寄ってお茶を飲める場所があればいいのに(実際にはそういった場所を自治体で用意していることもある)、と願っている人も多い。

 ひとつはデンマーク人も日本人もあまり変わらない、と思いました。高齢者は今まで築いてきた人間関係を失い、活動範囲も狭まり、孤独に陥っていくのは核家族化が進んだ国であれば、あまりどこの国も変わらないでしょう。彼らのうちの何人かは「このような自分の楽しくない話で他の人を不快にさせてはいけない」と言っています。それから「他人に自分の気持ちを理解してもらおうというのは無理だ。自分の気持ちは自分しかわからない」とも言っています。これは個人主義から来るものだと思うので、ややデンマーク人はこうした気持ちを強く持っている傾向があるのかなとも思います。

 もうひとつはこの本の中で、誰も経済的な話をしないことに気づきました。誰もお金が足りず困窮しているなどという話をしませんし、写真で見る限り、こぎれいな家に住んでいます。ここがやはりデンマークの年金が十分であること、医療費が無料であることなどのすばらしいところなのでしょう。日本の場合は、高齢者の貧困は社会問題のひとつになっています。高齢と貧困はかなり辛い組み合わせだと思います。

 なかなか個人的に高齢者の方の意見を聞くことがないので、この本は貴重な人生の先輩の話として価値あるもので、いくつかのことを教えてもらったように思います。老いとともに一人になっていくこと、それを覚悟しつつ、今から自分の周りの人間関係をできるだけ構築しておくこと、趣味など人と共有できるものを持っておくこと、同時に自分一人の生活も充実させておくことなどをやっておかなければと思いました。まあ、これは老いに対する準備であるだけでなく、今現在、大切なことでもありますが・・・。

 さて、この本を読みながら、猛烈に気になってきたのが、義母のこと。一人で長ーい時間を過ごし、友人も多くなさそうな義母。息子の一人や孫たちとは遠く離れ、週末ごとに訪ねてくれるわけでもない・・・。そうでもなさそうに見えていたけど、もしかして、もしかして、ものすごーく孤独なのかしら? それである日、夫が電話してちょっと聞いてみたら、「全然、さびしくない!」とのこと。「デンマークの高齢者はみんないろんな活動に忙しくてさびしがっている暇はないわよー」とも。

 確かにこの本に出てくる人たちは、そもそも孤独だ、さびしいと思っている人たちであり、そう思っていない人はこの本には登場しないわけです。だから実際にどのくらいの人が孤独に陥っているかどうかは不明だけど、まあ、そういう人が少なくないことも確かでしょうし、義母が言うような状況も確かなのでしょう。

 まあ、でも義母がさびしがってなくて、本当によかったです。それでもすっかりストップしてしまっていた、毎月送っていた写真での私たちの生活リポートをこの本を機に再開しよう、と思っています。

 『高齢者の孤独』ビアギト・マスン&ピーダ・オーレスン編 
         ヘンレク・ビェアアグラウ写真
         石黒 暢訳
         新評論 1800円

「4時閉店!」と、デンマークの労働問題

2009-03-07 05:41:37 | デンマークについて
 去年のデンマーク滞在で、日本へのおみやげが買い終わっておらず、あたふたとショッピングモールに出向いたときのこと。その日は4時閉店の日で、お店に入ったのが10分前でした。デンマークでは曜日ごとに閉店時間が違い、よく入り口のドアに1週間の各閉店時間が張り紙されていたりします。そして、慣れるまではよく注意して、買い物のスケジュールを組まなくてはなりません。

 必死に選んでいる私に向かって、店員の50代始めくらいの女性が「早く選んでくれない?」「買うの?」などとせかしてきました。もちろん私もそんな時間のない買い物をしたくないのですが、もう他に買い物の時間がなく、そんなに言われなくても、ここはデンマーク、わかっているわよ、ちゃんと時間前には終わりにしますと思ったけれど、返事をしている場合じゃなく、とにかく必死に選んでいました。5分前に無事に2着の子供用のドレスを選び、レジへ。そして時間内にお店を出て行こうとする私たちに向かって、彼女はなんと「そんなに買い物したいんなら、明日来なさいよ!明日の朝9時から店は開いているわよ!」と捨てゼリフを吐いたのでした。

 ぞんざいな店員の態度には、すでにもう、慣れて腹が立たなくなった私ですが、これは腹が立つというよりも、ここまでひどいのかと愕然としてしまいました。そんな気持ちの私たちの周りで、次々とシャッターが下り、電気が消され、商品をしまうカートが行き交い、余計に追い立てられている気分に・・・。見渡すと他のお客さんはほとんどおらず、デンマーク人は4時閉店と聞いたら、3時半過ぎにはどうやら買い物を終了するように思いました。そういえば、しばしば閉店のときに居合わせる私たちですが、いつも他のデンマーク人はほとんどいない!

 しかし冷静に受け止めれば、これもまた「日本基準」がまったく成立しない、「デンマーク基準」の表れなのでしょう。徹底した個人主義を確立しているデンマーク人は、4時に閉店する「権利」があり、その権利を侵害することは恐らく人権問題と同質になるのでしょう。自分の権利を守り、相手の権利を侵害しない、という自由主義の法則にきちんと沿っているのだと思います。以前は日本基準で考えて、こういうことに腹が立ったけれど、デンマーク基準で考えれば当然のことと納得も、まあ、できます。

 この話を日本に戻って労働問題の教授にお話したところ、ヨーロッパではしばしばこれは「権利」であるだけでなく、「義務」なのだとおっしゃいました。デンマークにそのまま当てはまるかどうかはわかりませんが、たとえばドイツなどだと閉店時間を守らないと罰金を取られるそうです。恐らくデンマークもかなり厳密に営業時間が決められているので、何らかのペナルティが課されるのでしょう。教授の説明を聞いて、妙に納得。そう、この「義務」であるということが、デンマークの労働条件を守り、労働者を守り、引いては家族を守り、そしてまたその周囲の人たちを守っているのでしょう。本当の自由や権利を守るには、ときに冷淡なほどの厳しさを持ってしないと駄目なのですね。

 それでもどこかで、そうは言っても少しは日本基準で、相手への思いやりとかちょっとした譲歩とかしましょうよ~と思ってしまうのですが、そこが私の日本人の甘さの部分であるのでしょうね。デンマーク人に「甘い!」と一蹴されそうです。ただやはり、このときの店員の捨てゼリフは明らかに悪い態度であり、デンマーク人の「行き過ぎ」が顕著に表れているかなとも思いますが・・・。

 あ、でも日本でもレストランで、オーダーストップのあとには絶対何も作ってくれないということはしばしばありますよね。そこに行くとアメリカなどは、本当に臨機応変に対応してくれる気がします。「オーケー、大丈夫、大丈夫!」と。それでもアメリカ人もしっかり個人主義も根付いているわけで、世界にはいろいろな社会があるものですね。

 

友達夫婦の危機と「結婚」について

2009-03-04 05:14:59 | 思ったこと・気づいたこと
 夫の友人のデンマークに住むカップルが、今、別居するかどうかを話し合っているそうです。毎年、デンマークに行くたびに、家族ぐるみ、そして友達ぐるみで会っているカップルです。そして、思えば私が一番最初にデンマークに行ったときに、夫がデンマークに到着するまで何時間か彼らの家で待たせてもらったという、私にとってとても大切な、デンマークへの入り口となってくれた人達です。

 初めて会ったころはまだ彼らの子どもも小さく(4歳、7歳、11歳くらい)、彼らも忙しかったでしょうし、自分たちの関係を見直すような時間もなかったと思います。でも、あれから8~9年たち、子どもたちももう手がかからなくなって来るうちに、状況が変わっていったようです。

 何年か前に離婚を前提に、1週間交代でお互いの実家に戻り、別居を試みるということを彼らはやってみています。そしてその際に結婚カウンセリングを受けて、「お互いにありのままを受け入れましょう」「相手に期待してやってもらうのではなく、相手に何かやってあげようとすること」などというカウンセラーのアドバイスをもらい、彼らもおそらく自分本位であった部分などに思い当たり、修復の方向へと向かったのでした。

 それからまた時間がたって、その間、バスルームのリフォームなどを楽しそうに見せてくれた彼らでしたが、去年の夏に会ったとき、彼らの間に何かが消えてしまったように私は感じていました。彼らの間にあった暖かいキャンドルの火みたいなものが消えてしまったように感じたのでした。

 今は彼女はすでに自分のアパートを借り、出て行くつもりでいます。本当にこのままなのか、それともまた別居などを経て、やはりお互いの大切さを改めて思って戻るのか・・・。特に大きな理由がある離婚ではないので、周りの家族や友人たちは寂しい気持ちで見守っていることと思います。理由としては、彼女が彼と一緒にいることが楽しくないからと言っています。彼は彼女の家事に対する姿勢などに不満があるけれど、でもそれでもそんな彼女を受け入れてやっていきたいと思っているようです。

 私もこの8~9年の間に妻となり、母となり、それなりに結婚生活とやらを経験してきた中で、結婚とはなんだろうとしばしば考えます。当初思い描いていたような結婚は、子どもを持つといろいろと変化し、今では「当初思い描いていた結婚」が何だったか、思い出せないくらいです。

 私について言えば、結婚はその最初のイメージが壊れてからの「再構築」ができるかどうか、というものだった気がします。相手への不満、相手の短所、度重なる喧嘩、終わらない家事、夜泣きをする子ども、お金の問題などなど、いろいろなマイナス面を経験して、最初に構築したはずの結婚が壊れて、そこから再構築が始まり、今に至っています。(最初に構築したまま、今に至る結婚もあるのかもしれまんが・・・。)

 でも夫婦には安定などないのだとも思います。再構築はずっと続く作業で、次々出る問題、状況の変化、子どもたちの成長につれての変化などのたびに、夫婦の間が微妙になります。逆にそういったことを、話し合いやこちら側の考え方の切り替えなどによって乗り越えることによって、夫婦の絆が深まっていくのだとも思います。その友達夫婦は、子どもが成長して夫婦として新しいステージに入ったときに、いろいろと見えてしまったのかもしれません。

 それからもうひとつ思うのは、結婚する前も大切だということです。彼らはとても若くして結婚しました。ですから、十分に独身時代の自由を堪能できなかった。年齢だけではないけれど、一人の生活を十分に堪能したという実感があることは、私は大切だと思います。彼女は今、そういう自由に憧れ、つまらないことも多々ある結婚生活をやめたいという心境になっているのかもしれません。ちょうど『めぐりあう時間たち』のジュリアン・ムーア演じたローラのように、一人で切り拓く人生というものをつかんでみたいと思っているのかもしれません。

 私も自由に憧れるし、気ままな一人暮らしを1週間くらいやってみたいものだとも思うし、夫といていつも「最高に楽しい」と思っているわけではありません。この前見てきた『ベンジャミン・バトン』のブラッド・ピットのベンジャミンの新婚生活のような、素敵な毎日とはほど遠い生活をしています。それでも私がなんとか今の生活に満足しているのは、一人の生活は十分に楽しんだ、今は家族の生活を楽しもうと自然に思えるからかなと思います。

 家族ぐるみで仲の良いカップルの危機に際して、初めての経験ということもあり、いろいろと「結婚」について考えることが多い、今日このごろです。