デンマーク・ハーフキッズ

デンマークについての情報やニュースを紹介、またデンマーク人と日本人のハーフの子供たちの子育て日記。

夫との関係が悪くなったら?

2006-10-28 00:24:36 | 思ったこと・気づいたこと
 先日会った友人は彼女の夫が浮気をした経緯があり、それまでけんかもしたことがなかったのに、以来、どうしても関係を修復できないそうです。お似合いのカップルだったので、他人の私にはひたすら残念なことなのですが、当人達が一番苦しい思いをしているのかなと思います。彼のことをもう好きだという気持ちがない、と彼女は言います。それでも一緒に生活することはできるし、子どもがかわいそうだから今すぐ離婚はしない、でも老後2人きりになることを考えるととても嫌な気持ちになると言います。

 その後、もし、好きという気持ちがなくなったらどうしよう夫と話したのですが、夫も私も一緒には暮らせないよね、という意見でした。私は夫のためにはりきって夕食を作る気もしないし、休日に子どもを連れてどこかに出かけても楽しくないだろうし、食卓を囲んでいても自然な笑いは私からは出てこないだろうと思います。

 でももし、本当に夫を好きじゃなくなってしまったら、どうしたらいいんだろうと真剣に考え込んでしまいました。もちろん別れたいけれど、はたして別れられるか? 子どもにはいいパパなので、パパがいなくなるのは困る。一人になるのはいいけれど、うちの子ども達はパパもママも好きなので(ときに大嫌い!と言われることもあるが)、この形態がなくなることは子どもは相当辛い思いをするのではないか、などと離婚するわけでもないのに悩んでしまいました。

 以前は好きでないならすぐに離婚すべし、と思っていましたが、今では子どものことを考えるとそうも言い切れなくなってきてしまいました。子どもを持つと人生は自分だけのものではなくなるようです。

 今のところ彼女も離婚は選べないそうです。ただ子どもが15,6歳になったときには考えるつもりのようです。でもそれまでの間、冷たい空気で家族が過ごすことも子どもにとっても辛いことのようにも思えてしまいます。本当に難しい選択だな・・・と私は考え込むばかりです。

 いろいろ文句はあるとしても、家族が皆、仲良く互いに愛情をもっていさえすれば、それだけで充分幸せなこと。たとえ多少ダメなパパやママであっても、毎日気分よく笑ったり喋ったりできる家庭だったら、子どもにとってそれが一番なのかなと思います。本当に、夫と私がどうかいつまでもお互いを好きと思えますように、と願ってしまいました。

パンに乗せるチョコレート

2006-10-27 23:20:20 | デンマークの家具・物・たべもの

 友人からのおみやげのチョコレートで、これはパンの上に乗せる、薄い、薄い板チョコで、3当分できるように切れ目が入っています。

 チョコレートやジャムを塗る手間が省けて、朝ごはんにはとっても便利。チョコレートだけれど、デンマーク人は何かパンの上に塗るときには1センチくらいも塗るので(ちょっと大げさかな?)、このチョコレートの薄さはある意味ヘルシーと言えます(ほんとかな?)。ショウミーは大喜びで、このところ毎朝これを乗せて食べています。

 デンマーク人の夫はこれを冷たくしてパリパリした食感を楽しみながら食べるのだそうです。日本人の私には軽くトーストして、とろりとしたところを食べたい気もするのですが。

 デンマークにはこういうパンの上に乗せて手軽に食べられるものがけっこうあります。お昼ごはんのスメアボー(パンの上にパテやニシンの酢漬け、ハムやエビ、卵などを乗せて食べる)もそうですが、こういうのが日本のお手軽な食べ物、お茶漬けやカップラーメン、冷凍うどんなどに匹敵するのかな、などと思います。

食器の買い揃え方

2006-10-25 17:13:26 | デンマークの家具・物・たべもの
 義母の家に滞在し、義母の持っているお皿やコーヒーカップに再開すると、いつも何だか「帰ってきたなあ」という安心感を感じます。夫が小さいころに絵付けをしたお皿(多分、あれはドナルドダック)、小さなデミタスカップのようなやや古ぼけた3-4客のコーヒーカップ(ひとつはいつも私用に使わせてもらっています)、揃いの金の縁の普段使いのお皿たち。そういったものが何度も行くうちに見慣れ、使い慣れて、こちらも愛着を抱くようになってきています。

 そしてその食器の揃え方は、私にとって何を持ったらいいのかという参考になります。なかなか気にいったお皿を見つけて、経済的にもマッチしたものを買い揃えていくのは時間がかかりますが、私は義母の食器棚を覗き込んではいろいろと学ばせてもらっています。

 まずは普段使いの食器類ですが、これはパン皿の大きさのもの、26センチくらいの大きさのものを10枚くらいずつ揃え、毎日使います。他に大皿が数枚、これは深いボウル状もの、浅いものといくつかあり、デンマーク人の食事はだいたいこれで済んでしまいます。この他に昼食のスメアボー(パンの上にいろいろなものを乗せて食べる)のための小さなまな板のような木のボードを6人分ほど持っています。ソースをいれるためのポットも2つあります。

 それとだいたい同様のラインナップで、お客様用の食器があります。ただしこちらはなんとそれぞれ20枚ずつくらいあり、キッチンではなく、リビングにある棚に収納されています。パーティー用として他にもガラスのサラダボウル、ミックスナッツや手でつまめるお菓子を入れるためのガラスのお皿を数枚あります。そしてここからがすごいのですが、ケーキを置くための専用の皿(ガラスの蓋付)、温かい料理を置ける高い台座(これはスペースの省略にもなり、パーティーのときに便利です)、クリスマスのお菓子リス・アラマンのためのガラスの小ぶりな器、またすべてのお酒に対応できるだけの種類のグラス類と、ありとあらゆるシチュエーションに応じたものをすべて取り揃えています。

 これは和食器ではなかなか難しいことで、形の揃っている西洋のお皿でこそ実現のできるラインナップだと思います。そして購入するときはすべて同じシリーズで揃えているので、見た目も場所もすっきりしています。義母は普段使いのものは金縁のもの、お客様用のほうは青いラインの入ったお皿で統一しています。

 義母の食器類を見るたびに、本当に必要なものを必要な分だけ持っているなあと思わされます。あれもこれも買い込むのではなく、家族にとって、またゲストを招いたときに何が必要なのかを絞り込み、そうしてそれをすべてきちんと持っているというわけです。(私の場合はかなり代用して使い回しているのだけど。)すべてのデンマーク人がそういうわけではないでしょうが、長く家庭を運営している人たちは同じような考え方を持っているように見受けられます。

 私も食器については義母の基本を見習って買い揃えたいと思っています。が、なかなか日本の場合は作る料理のレパートリーが広く、食器の形もいろいろになってしまうので、ひとつのシリーズですべて揃えるというわけにもいかないのが困るところです。また洋食器、和食器と入り乱れてしまうので、量は増えてしまいがちだし、一緒に使ったときのコーディネイトなどが難しいのですが、そこを楽しむのが日本の食卓なのかもしれません。
 

ホームレスのいない国

2006-10-23 16:27:47 | デンマークについて
 民主主義にもいろいろあるようですが(日本も民主主義でしたっけね)、デンマークは投票率の高さ、各種団体を通じての個人の意見の反映のしやすさ、国民投票、こじんまりとした国家であることなどから、非常に民主主義の発達した国であるといえます。
 それゆえにある意味で社会主義的ともいえるほどの平等国家が成り立っており、デンマーク人の圧倒的多数が中産階級と認識しているようです。

 私が初めてデンマークに行ったときに非常に印象的だったことが、貧しい人がいない、ホームレスがいないということでした。たまたまNYから行ったので、街中でホームレスを見慣れてしまっていた私には特に驚きでした。それだけ社会的分配ができており、貧しい人を生まないような社会的システムができあがっています。

 税の分配という問題は非常に難しく、ともすれば不平等になりがちですが、デンマーク人は医療の無料化、高齢者のケアの無料化、学校の無料化などから、自分達の国の税制に少々文句をつけつつも、満足度が高いようです。

 日本人の私からすれば非常に発達した社会に見え、感嘆したものです。が、デンマークを知るにつれ、食べることに困らないにしても、やはり低所得者には厳しいものがあるのは日本と同様かなと思うようになってきました。

 ある家に立ち寄ったときに、家具がなくてびっくりしたことがあります。小さな、家族がぎりぎりのスペースを確保した家の中には、家具は最小限しかありませんでした。それも有名な家具で名高いデンマークとは思えないような、古ぼけたソファやセンターテーブルが置かれてあるだけのリビングで、ダイニングテーブルは持っていませんでした。当たり前のことだったのかもしれませんが、デンマークはみんな素敵な暮らしをしているかのようなイメージだったので、いろいろな人が、いろいろな生活ぶりの人がいるということを改めて思ったものでした。

 にしてもやはり、ホームレスのいない国であることは間違いはないようです。今後もこの水準を守れるかどうかがデンマークの課題で、最近の厳しくなりつつある移民政策も、こういったデンマーク人の危惧からも来ているのだろうと思いますが、非常に興味深いデンマークの政治、これからもっと私も勉強してみたいと思っています。

ショウミーの「分離」

2006-10-22 07:25:12 | 日記
 ショウミーが2歳のころまで私もよく育児書を読んだものでした。最終的に品川孝子さんという方の書いた、だいぶ前の(多分私がちょうど小さかったころに書かれたものが多い)育児書に出会い、古本屋さんなどで探し何冊か読み、それでなんとなくではありますが、私なりの育児の軸ができたように思います。それからは育児書は読まなくなり、その軸にぶれもなく、割とこれでいいんだと信じて育ててきていました。

 が、ここに来て基本的な軸は変わらないものの、ショウミーがだいぶ変化してきており、またもや新しい時代が来たなあと感じています。(育児にはいつも新しい時代が来る!のですね。)小学生の低学年の子どもを見て、3,4歳児との違いをいつも感じていたのですが、どうもショウミーもだんだんそちら側に移行しつつあるようです。

 年少だったころと比べて、年中のこのごろはだいぶショウミーがしっかりしてきました。幼稚園の準備をしてね、サッカーに行くから準備してね、と言うと必ずひとつは忘れ物があるにしても、着替えやバッグの中味などきちんと一人で準備をできるようになりました。幼稚園で先生が明日はお弁当のない日だと言うと、ちゃんとそれを私に伝えることができるようになりました。(おかげで私のうっかり忘れてしまうこともかなり減って助かっています。)

 それと同時に、ショウミーはだんだん私と分離し始めているようです。この状況はまさに「分離」という言葉がぴったりと思ってしまいます。これまでは「ショウミーはママのもの」だったのですが、どうももう私のものではなくなってきているのです。9月の始めにお友達の家にお泊りに行ったことがこの分離の始まりを象徴していたように思います。だいたいそのころから、ショウミーはけっこうまともな自分の意見を持ち、私に対しても意見や批判をするようになってきました。よく小学校の子から聞かれた、「ママだってやってるじゃん」「だってママがそう言ったからこうなっちゃったんじゃん」などの言葉がショウミーからも出るようになったというわけです。そして、そう言われてみるとけっこう彼が正しかったりします。

 これで私は親としてますます試されることとなったようです。これまで以上に毎日の生活態度に気が抜けないし、言動に注意しなくてはなりません。でも困るのはどうしても家庭内において、特に夫に対しては無防備な私になってしまうことが多く、つい感情的になったり、それを通り越して子どものような言い分になったり、ふてくされてしまったりするところがあります。そういうときの私を、最近のショウミーはクールに見ていて、「ママが悪いよ」なんて言われちゃうんですよね~。ショウミーや他人に対してはある程度きちんとした態度が取れるのですが、夫に対してはついつい子どもじみた態度になってしまいます・・・。
(でもこれも将来ショウミーが女の人とつきあったり暮らしたりするときに、きっと役立つにちがいありません(?)。まあ、女の人はこんなもの、と私を見て学んでおいて欲しいとも思いますし。言い訳ですが。)

 こうして子どもはどんどん成長していき、私達親も成長するのでしょう。3-4歳のころのショウミーが懐かしいけれど、こうしてショウミーも分離して、自分自身としてのはじめの一歩を歩み始めたわけです。同時に、ショウミーはジジに譲歩したり、他人にやさしくするような態度も取れるようになってきてもいて、そういった面でも成長が見られます。そろそろ七五三でショウミーは着物を着る予定ですが、親としての私にとっても、ちょっとした一区切りの行事になりそうです。

なんだかショック・・・日本の主婦って・・・

2006-10-21 01:39:45 | 母親業・主婦業
 今日、とある講座に参加したのですが(主婦のためのキャリアプランニングの第一歩、みたいな講座でした)、そこで小さなグループに分かれて参加者たちがお互いにインタビューをする、ということを行いました。

 質問は決められていて2つありました。なぜこの講座を受ける気になったのか、最近褒められたことは、という2つで、お互いにインタビューし合い、それを書き留めるという作業です。私のパートナーとなった方が最初に私にインタビューし、次に役割を交代して私がインタビューしました。

 その人は3人の子どもがいて、義理のご家族と同居されています。以前は仕事を持っていましたが、ご自身の交通事故を機に専業主婦になったそうです。その後、義理のお父様が倒れ、彼女は非常に気の合わない義理の妹さんと一緒に介護をしていたそうです。「何をやっても悪い結果しか出なくて、自分を否定するようになっちゃって。私がいいと思ってやったことがすべて周りから責められて、どんどん自己否定するようになっちゃってるの。褒められたことなんて全くないの。だからこの講座に参加して、しっかりした自分を取り戻したいって思ったの。」驚いたことに、初対面の私を前にして、しかも2分くらいしか話し出していないのになんと泣き出したのです。この人、こんなに抱え込んでいたんだ、と私はただただショックを受けたのでした。

 私から見れば彼女は私の耐えられないような困難な状況に対処していると思いました。そこで、それなら私が褒めてあげる、とどんなに彼女が自分を犠牲にしてまで家族のために貢献してきているか、それは人としてどんなに辛抱強く努力していることか、それは褒めるに値することだと思うよ、と私の思ったままに褒めたのですが、別れ際、私がうん、うん、と聞いてくれたので話しやすかった、そして褒めてくれてありがとうと笑ってくれたのでした。

 何なのでしょう、これは? どうして彼女はこんなに虐げられた気持ちでいなくてはならないのでしょう?と疑問に思いつつ、日本の女性はけっこう家族にこういう形で虐げられている人が多いのだという現実を見た気がしました。

 私はよく周りの人たちに、夜、一人で外出することができて「恵まれている」、夫が比較的早く帰ってきて、家族で夕食を取り、家事・育児を一緒にやってくれて「恵まれている」と言われます。私にとってはどちらも当然のことと受け止めているのですが、他の家庭の話を聞くと私のようなケースは確かに多くないようです。

 こちらが切れるくらいにコントロールの効かない子ども達、毎日毎日同じことの繰り返しの家事、ましてや義理の家族とうまく行かない場合はものすごいストレスがあるはずです。それをねぎらいや称賛、息抜きもなく、やり続けることが求められるとしたら、私はそれはちょっと違うと思うのです。家庭の運営も子育ても自分を「犠牲にした」とは私は思いたくありません。できるだけ心を軽く楽しい気持ちで行い、私がやりたいからこうしていると思っていたいのです。(まあ、日常の中ではもちろん疲れて「たまには休みたい」とも思うときもありますが。)

 でも現実の日本の社会では、主婦は自分を見失うくらいの貢献を求められるのですね。これでは50年前とちっとも変わっていないし、よくイスラムの世界では女性は虐げられているなどと聞きますが、日本も似たり寄ったりのようにまで思えてきました。一朝一夕で解決されるとは思いませんが、みんなで少しずつ意識を変えていこうではありませんか!と講座からの帰りの道すがら、そんなふうに考えていたのでした。

 以下は私流の解決策です。

解決策その1:子育て、家庭の運営、学校や地域を支えるボランティアなどを行っている主婦はプライドを持とう!

解決策その2:誰のおかげで食べさせてもらっているんだ、という台詞を堂々と夫や家族に言いましょう!(だって私がごはんを作らないと家の中に食べるものがないもんね。)

解決策その3:自分の時間も確保して、その中で勉強でも仕事でもいいので、自分が成長するようにしましょう!(これは私自身への言葉でもあります。)

解決策その4:夫たちはヨーロッパやアメリカのように、定時になったら基本的には家に帰りましょう。それが無理なら週に2日は残業なしデーを作りましょう。そして週に一度くらいは、妻が夜出かけて生き生きとすることを喜びましょう。

解決策その5:基本的には親との完全同居は避けましょう。災いの元です。そしてお互いにお互いの批判は決して表ではしないこと。影で言うのはとりあえず可。

解決策その6:国はできるだけ老人をケアするホームを作り、自立できなくなったらそういうホームに入りましょう。他国でできるのであれば、日本でもできるはずです。そのための費用は増税するとしても、自分も自立できなくなった後の行き場所の心配がないとなれば、貯金と思って払ってもいいのではないでしょうか。家族はできるだけしょっちゅう、ホームにいる親を訪問するように心がけましょう。

 まあ、実際に日本の家族の問題や主婦を取り巻く環境は、こんなに簡単なことではないのですが、ちょっと1つの発想として書いてみました。

自分の子どもをありのままに受け入れる

2006-10-19 21:35:13 | 思ったこと・気づいたこと
 以前、脳性マヒの子どもを持つ友人が「けっこう自分の子に何か病気があるということを認めようとしない人がいるんだよ。あるいは病気ということを隠す人もいるの」としんみり語っていたことがありました。私は自分の子どもなのに、どうして子どもの現実を見ないようにするんだろう、どうして隠す必要があるんだろうと不思議に思って聞いていました。

 そして先日、長い学業を終え、念願のカウンセリングの仕事を始めたという友人と久しぶりに会いました。彼女は今、私の住んでいる区で親が子どもについて相談をする機関で働き出しており、話題はおのずと子どものこととなりました。

 「どんな悩みが多いの?」とたずねると、やはり不登校などの相談が多いそうです。そしてその不登校の原因はさまざまなのですけれども、一部は学習障害やADHD、発達障害などに起因することもあるそうです。そして相談に来るころには「もっと早く来てくれていたら、こういう状況までにはならなかったのに」と歯がゆい思いをすることもあるのだそうです。

 「でもなんで早く来ないの?」という私の質問に、彼女も冒頭の友人と同じような答えでした。「なかなか自分の子どもが少し違うということを認めたがらない親が多いのよ。」「えー、自分の子どもだったら親が一番早くいろんなことに気づくはずだし、おかしいと思ったら私だったら早く何とかしてあげたいと思うけれどなー」と言うと、「あなたは昔から既成概念があんまりなくて自分のやりたいようにやるタイプだから(まあ、それは確かに・・・)。でも日本人の場合は小さいころからこうじゃなきゃいけないって思い込まされているから、自分の子どもが少しずれているとそれを受け入れられない人も多いのよ」という説明でした。

 そうか、そうだったのか、とやっと私はその心理が少し見えた気がしました。日本人の「ねばならない」という心理的概念が、出る杭は打たれるなどの言葉に表れているのでしょうし、私の周りでも母親だからこうじゃなくちゃいけないと思い込んでいる人が多いような気もします。そういう概念を持った人にとって障害を持つ我が子は「想定外」、そうあってはならない存在となるのでしょう。

 でも自分の子どもをあるがままに受け入れることが親だと私は思ってしまいます。たとえどんな子どもでも、親が100%受け入れてあげなかったら、誰が受け入れてくれるのでしょう。何も障害のない子どもであっても、それでいいんだよ、そのままでいいんだよ、そして成長していこうね(まあ、欠点はなるべく直してもらいたくもあるけど)、そういうふうに思ってあげられるのが親なのではないかなと思います。子どもだって親に受け入れられてないなんて、どんなに悲しいか・・・。

 これが日本人だから既成概念に縛られてありのままに受け入れられないというのが本当ならば、それでは重苦しい人生になってしまいます。自分がどう思うか、どう感じるか、そしてどうしたいのかという気持ちに忠実に生きていけたら、もっとみんなが楽に、幸せな気持ちでいられるのではないかと思います。少し前に世界一幸福な国はデンマークという調査がありましたが、対して日本は90位でした。このあたり、私は関連性があるとみているのですが、どうでしょうか。

芋掘り遠足

2006-10-18 18:31:37 | 日記
 今年もまた秋恒例の幼稚園の芋掘り遠足に行ってきました。子どもと一緒に掘るのですが、やってみるとなかなか楽しい行事です。私が小学校の低学年のころの遠足で、ジャガイモ掘りがあったことを覚えていますが、大人になってから掘るのもやっぱりなかなか楽しいものです。

 ショウミーはなかなかの芋掘り名人で、もぐらのようにすばやく手で土をかいて次々掘り出し、掘るたびに喜びの雄たけびで大笑いしていました。あっという間に割り当て分を掘り終わりました。

 その後、親子で昼食を食べ(家のお弁当は芋づくしのメニュー)、親達はしばしおしゃべりをし、子ども達はまた畑に出て、掘ったり転んだり、楽しそうに走り回っていました。

 気づくとショウミーは顔も手足も服も真っ黒になっていて、ショウミー自身が畑から掘り出されたかのようで可笑しくなってしまいました。そして、家に帰ってお風呂に直行となったのでした。

 ごしごし洗ってどろんこハリー並にきれいに元に戻ったショウミーと一緒に、掘った土のついたサツマイモをベランダでごしごし洗うと、きれいな紫色が出てきて、そのとても鮮やかな自然の色に何だか見とれてしまいました。

デンマーク語で遊ぶ会 第2回目

2006-10-17 11:21:07 | ハーフの子どもの教育
 日曜日は代々木公園で「デンマーク語で遊ぶ会」の第2回目を行いました。前回のメンバーに新たにもう一家族加わって(4歳の女の子)のピクニックです。

 気持ちのいい秋の公園で、まずはみんなで座って昼食を食べました。大人たちはお喋りしながらゆっくり食べていましたが、子ども達はそそくさと食べて早速遊び出しました。木の枝がたくさん落ちていて、かなり太く長い枝を振り回して楽しそうでした。

 しかし、私はすっかりお喋りに夢中になり、子ども達を遠目でチェックしてはいたものの、ほとんど輪に入って遊ばなかったので、今回はどの程度デンマーク語を使っていたかは不明です。新しく加わった女の子はデンマーク語を普通に話せるので、ショウミーとジジ達によい刺激になってはいたと思うのですが。(ついでに写真もほとんど撮っておらず・・・。)

 お喋りはデンマーク人の印象について、デンマークでの日本料理レストランについて、デンマーク人・日本人の結婚について(男性が日本人だった場合の離婚率はかなり高い、など)、両国の食べ物についてなどなど、同じような環境ゆえの共通の面白いトピックスが尽きず、非常に楽しいものでした。が、本末転倒にならないように、次回はもっと慎みたいと思います(笑)。

 次の企画の話も出て、この遊ぶ会もなかなか順調に続きそうです。うちの子ども達も毎回楽しみにしているようですので、無理をせず、自分達のペースでこのまましばらく続けていけますように。デンマーク語の上達がもちろん一番の目的ですが、日本人社会ではちょっと違う面も持っている子ども達が、将来ここを学校意外でのもうひとつの居場所のように感じてくれたら、それも非常にいいことだと思います。そこまで私達親が続けていけることがきっと大切ですね。