デンマーク・ハーフキッズ

デンマークについての情報やニュースを紹介、またデンマーク人と日本人のハーフの子供たちの子育て日記。

スナボー観光 デュボル歴史センター

2009-10-30 07:18:58 | デンマークのあちこち

 スナボーに到着して、まず最初に観光したのがこのデュボル歴史センター Historiecenter Dybboel Bankeです。ここは1864年の第二次スレースヴィ・ホルシュタイン戦争の戦場となった場所で、2ヶ月半あまり防衛線としてここでデンマーク軍はがんばったのですが、プロイセン・オーストリアの総攻撃を受け、陥落して降伏せざるを得なかったのでした。その後、ロンドン会議が行われ、一時は休戦となるも、プロイセン、デンマーク両国は国境をめぐって互いに合意できず、再びプロイセン軍の攻撃を受けることになります。アルス島に上陸したプロイセン軍に対し、デンマーク軍は敗退、プロイセン軍は北上を図り、7月20日、デンマーク軍は降伏、10月30日にウィーン条約を締結しました。

 これによりデンマークは三公爵領(プロイセン、ホルシュタイン、ラウエンブルグ)を失い、国内の充実を目指しての大きな転換期となります。思うに、一般的にどこの国でも、戦争に負けると国内にあったおごり高ぶった考え方が払拭され、国として自己を見つめ直し、より平和的な国力(経済力、人材力、生産力など)を目指すようになるのでしょう。

 デンマークにとってはこの1864年がそういう意味での転換期で大きく取り扱われていますが、この戦争が世界史的にはあまり大きなものではなく、この後に続く、普墺戦争のほうがビスマルクがドイツ統一への道筋を作ったということで、重視されています。

 さて、実際にその戦場だった場所に立ってみると、800人がここで戦死しているものの、やはり当時の戦争が素朴だったことを感じざるを得ませんでした。逆に、20世紀の二つの世界大戦がどんなに悲惨だったか、特に第二次世界大戦がこうした戦場で行われただけでなく、都市などへの攻撃により、多くの一般市民が犠牲者となったことのひどさを、実感しました。昔はこういう切り離された場所で行われていたことに、まだ素朴なものだったと感じたのでした。

          
          掘られた塹壕

          
          スズを使って、当時のやり方で手作りで弾を作れます。

          
          棺も置いてありました。

                  
          当時のパンケーキ作りも体験できます。フライパンが重い!

           
          できあがるとシュガーをたっぷりかけてくれて、あつあつを食べます。
          これが今まで食べたパンケーキの中でもっともおいしかった、という絶品でした。
          今度キャンプでぜひやってみたいです。 

 資料館では映像で当時の説明があったり、写真や軍服などの展示があります。また、すぐ近くにはデュボル・ムレ Dybboel Moelleというこのあたりのシンボルとなっている、大きなミルがあります。今では使われておらず、博物館として19世紀からの戦争の写真が展示してあります。中でも1920年再びこの地域がデンマークに返還され、クリスチャン10世のセレモニーに参加したときの写真や絵が多く展示されていました。

不便さの中で

2009-10-18 03:29:35 | 思ったこと・気づいたこと
 デンマークには法律で定められた閉店法というものがあり、日曜日などは原則お店の営業を禁止されています。これは日常生活として、もちろん不便でありますが、観光客などは特に気をつけていないと少々大変な目にあうことになります。私たちもある町に着いたときに、ちょうど日曜日でお店どころかインフォメーションセンターまで閉まり、丸一日ぼんやり過ごしたことがありました。翌日、お店が開き、活気のある通りを見て、ほっとしたものでした。

 ちょうどこの閉店法について詳しく書かれたブログがありましたので、興味深く読みました(西村美紀ブログ 「普段着のデンマーク」)。これによると、2012年にはこの閉店法を廃止するという計画があるそうです。もし実現した場合、デンマーク人の生活は便利になりますし、売り上げも伸びるかもしれませんので、メリットが大きいと思います。

 けれども一方で、デメリットもあるように私は思います。現在は日曜日は消費行動が取れないために、人々は違う時間の使い方をしていて、それがある意味とてもよいことのように思えるのです。それが家族や友人とのかけがえのない温かな時間を生み出し、消費とは違う、クリエイティブな時間を作り出しているのではないかと思うのです。日曜日にお店が開くようになったからといって、すぐにそういう時間がなくなるわけではありませんが、落ち着いた時間が少し損なわれることはありえるでしょう。また、お店で働く人達が日曜日に仕事に出ることになってしまうことも、もうひとつのデメリットでしょう。デンマークでは共働きで皆が忙しく、それでもやはり日曜日にお店が開くことは、やっぱりメリットになるのでしょうが・・・。

 話は変わって、私のある友人が今年、あれよあれよという間に結婚しました。彼女はODA関係で働いており、その出張先のアンゴラにいた日本人と恋に落ち、半年ほど離れ離れの生活を送っていましたが、夏前にめでたく結婚し、仕事を辞めて彼の赴任先のアンゴラで生活をしています。

 今月、日本に一時帰国しており、アンゴラでの生活をいろいろと聞いたのですが、アンゴラはとにかくいろいろな意味でのインフラがまったく整っておらず、日常生活がとても大変だそうです。停電がたびたびあり、いつ電気が戻るかわからず、もちろん夜間も困るし、昼間もパソコン環境としては非常に危険で困るそうです。夕食を作っている際に停電になると、作っている途中でストップし、いつ戻るかわからない、洗濯機も回している最中に停電になるとアウト・・・。そんな生活の中で電気が戻ってきたときの嬉しさといったら、叫んでしまうほどだそうです。

 買い物もままならず、車はかならず賄賂目当ての警察に停められる、あげくにアパートの上階床下の配管からの水漏れがあり、床上30センチほど浸水し、何もかもぬれてしまったり、家具の立て付けが悪く、扉を引いたらそのまま重い扉が倒れてきて、鼻をひどく打ちつけてしまってしばらく立ち上がれなかったなどなど、彼女の大変な生活の話は続きます。

 でも彼女はけっこう幸せそうでした。「新婚で、こういう過酷なスタートを切ったら、絶対二人の絆も強くなるわよ。そしてこの先何があっても、このときのことを思い出せば笑って乗り越えられるんじゃない?」と私が言うと、彼女はまんざらでもないという微笑を浮かべて、同意していました。何もないところで、サバイバル的な生活をしている二人は、さぞかし、お互いの存在を喜び、非物質的な幸福感を味わっているのではないでしょうか。

 もうひとつ、不便といえば私の今の生活は、ある意味不便です。時間やお金が自由にならなくて、いつも制限されているし、頭の中にまで子どもが「ママー!」としつこく呼んで侵害してくるので、思考さえもいつも制限されます。この中で勉強と思うと、本当にきつくもあるのですが、逆に限られているからこそ、いい面もあるのです。集中するしかないし、切り替えるしかない、勉強だけの生活でない分、子ども達との時間で癒されたりリフレッシュしているのかなと思います。逆に勉強だけだったら、私は耐えられないかもしれません。

 いろいろ思いつくままに、不便さの中だからこそのよいことを書いてみました。便利なことももちろんよいに決まっていますが、不便さもまたよし、と最近なんとなく思っています。不便さがあるからこそ、人間同士のつながりを強くし、それがほんわかとした、本物の幸福感を作ってくれているということがあるのではないかなと思います。

デンジャラス・ツアー

2009-10-14 10:36:47 | デンマークのあちこち
 今年のデンマークのサマーハウスは、ユラン島の最南部に位置するスナボーというところの近くに借りました。去年は最北部のスケーエンだったので、今度は反対です。
 
 今回の1週間は題して「デンジャラス・ツアー」!ちょうどマイケル・ジャクソンが亡くなった直後で、日本では毎日マイケルの画像が流れ、うちの子ども達もすっかりマイケルファンに・・・。やはりマイケルは時代を超えて、世代を超えて、スーパースターなのだと子ども達の興奮する姿を見つつ、ひしひしと感じました。そして、ショウミーのデンマークで迎えた8回目のバースディ、デンマークのスーパーで見つけたソロになってからの5枚組のCDをプレゼントのひとつに贈り、サマーハウスへのドライブではそのCDを聞きまくり、題して「デンジャラス・ツアー」となったわけでした。

 フレデリシアを南下して、約1時間半ほどでスナボーSoenerborgの町に着きます。サマーハウスはスナボーの隣の隣の町、イェーンスンEgernsundにあり、家は60㎡くらいですが、お庭が800㎡くらいあり、遊びきれないほどの広さです。隣の町のブローガーBroager(ちょっとこのカタカナ表記は怪しいです)はスーパーや郵便局などがあり、一番近くの買い物エリアになります。この町の教会は双子の尖塔を持っていて、遠くからでもよく見えて、これがこの町の目印になっていました。

          

          
          今回デンマークに野球セットを持っていって、お庭で存分遊びました。

 いつも通り海の近くに借りたので、ちょこちょこ時間があるときは海へ。とっても静かなプライベートビーチのような海があり、クラゲをよけながら、子ども達は入って遊んでいました。

          
          海へ降りる道

          
          向こう側に見えているのがドイツです。5㎞もなさそうです。

          
          水はいつものように水道水のように透き通っていました。

          
          多分近所のサマーハウスに滞在している、ドイツ人観光客だと思います。

 すっかり遠のいた夏の記憶ですが、これからがんばって、一気にアップしていきたいと思います。

大学院合格!

2009-10-06 06:09:47 | 通信制大学・大学院
 先週合格発表があり、運よく、大学院に合格することができました。

 来年の4月からは早稲田大学大学院で、歴史的側面からしっかりとデンマークについて研究できることになります。落ちたら落ちたで、これまで通り独学で研究していこうとは思っていましたが、やはり、専門の先生方の中でビシバシ鍛えられるのと独学の差はあったと思いますので、こうして受かって本当にほっとしています。

 本人としては、よく受かったなぁと半分驚き、そして、我ながらとりあえずここまで来たんだ、という感慨半分でしょうか。学生時代は落第生だった私でしたが、人は本当にやりたいことがあれば、実は能力にそんなに大きな差はなく、あとは本人が努力するかどうかなんだなあなんてことを考えています。そうそう、エジソンも99回の失敗とたった1回の成功でしたっけ?途中何度もくじけそうになったけど、あきらめないで続けることが大事なのだと、今回しみじみ思いました。

 2月でなくて、9月が受験日だと知ったのは今年の3月のこと。卒論を仕上げてから、じっくり受験勉強に取り組めばいいわと思っていたので、ショック&急遽スケジュール組み直し・・・。研究計画書はなぜか2000字と思い込んで一度書き上げ、先生に見ていただくためメールで送ったあとに8000字だったと気づき、こちらも急いで書き直して再提出。一次試験の後はほとんど毎日「落ちた」夢を見たり(それがなぜか就職試験に落ちていたりする)、一次発表の前日は一時間ごとに「受験番号何番!?」となぜか焦って目覚めていました。最後の二次試験の面接では、口内炎でしゃべると痛く、足は靴擦れでよろよろそろそろ歩く私。3分間での研究内容説明という基本的な質問にも、頭が真っ白になり、しどろもどろでなんとか小学生並みの説明を行い・・・と最後までサザエさんのような受験生でした。

 受験勉強は本格的にはデンマークから戻ってからでしたが、ほとんどまったくの自己流で行いました。このあたりは、通信制大学で学んだことが役に立ったかもしれません。自分で孤独に悩み、道を見つけていく訓練をやむなくしなくてはならなかったので、これが大学院の入試にあたってはとてもいい効果があったように思います。

 この受験、なんといってもキツかったのは、夫が最後不在だったことです。まったくこの人はいざとなるといない~!思い起こせば3回の引越しのうち2回は、引越しの前日まで出張で、つまり私が全部引越しのパッキングをやったのよね~。そして今回も何のジンクスなのか、8月のお盆前にデンマークから戻ってからはブラジル出張でいないわ、9月1日からは単身赴任でいないわ、逆に夫の生活の準備の手伝いに時間を取られたりして、本当に大変でした。合格したからよかったものの、落ちていたらきっと一生夫のせいになっていたでしょう(ああ、だから夫はあんなに喜んでくれたのね?)。

 合格した先週の火曜日はスキヤキで家族でお祝いをし、昨日もおばに高級京料理のお店でランチをご馳走してもらったりとお祝い気分でしたが、そろそろ、気持ちを引き締めて、大学の論文に本格的に取り組まなくてはなりません。早速今週末には最後のテストがありますし、また普通の勉強中心の生活にしばらく戻さなくては・・・。それにしても論文、大丈夫かなぁ???またもやチャレンジですが、できるところまでがんばろうと思います。

 そして、今回一番気が重いのは、これでデンマーク語からは逃れられなくなったことです。そもそも語学がとても苦手なのに、ある程度デンマーク語を読めるようになることが必要になってしまいました。このデンマーク語の覚悟をどこかで決めて、今度こそちゃんと取り組まなくては・・・。ここまで追い詰められないとやらない性格なのでチャンス到来なのですが、この覚悟はまだもうしばらく決まりそうもありません・・・。
 

 

トーマスのマリッジカウンセリングの勧め

2009-10-01 05:28:07 | 国際結婚
 コペンハーゲン市立博物館を出ると雨が降っており、小走りに一番近くのカフェに入りました。7月だというのに、雨が降ると寒いデンマークで、カフェの外の椅子にはご自由にどうぞとブランケットがかけられています。

 トーマスは今年は最悪の年で、結婚も別居中、仕事もくびになることが決まっており、すでに会社に出社しなくていい状況のようで、今回はトーマスに一番多く会っていたと思います。(最後はお互い、会い過ぎ、と笑っていました。)結婚前から私も仲良くしてもらっているので、今回は「暇でしょう(笑)?」と彼だけ特別に、Sudoku数独を日本からおみやげに持って行ってあげました。

 さて、そんなトーマスとあれこれ近況を話しているうちに、トーマスが私たち夫婦もマリッジカウンセリングを受けてみたら?と身を乗り出しました。トーマス達は3-4年前に一度マリッジカウンセリングを受けて、お互いをよく認め合うこと、感謝すること、相手を思いやることなどのアドバイスを受けて、とてもよかったそうです。今回も別居にあたって、カウンセリングを受けたようです。そして、デンマークで出版されている結婚についての本も(タイトルを忘れてしまった)、併せて勧めてくれました。本屋さんに行くと、手前のほうによくそういう結婚についての本や男女の違いについての本が、ずらっと並べてあります。

 でも私は、マリッジカウンセリングにはなんとなく行きたくない、と思いました。「多分、いろんなアドバイスはもらえると思うけど、そういうのは自分で考えてみれば、本当はどうしたらいいのかわかるんじゃないの?」「それに、そもそもカウンセリングが本当に必要なほどの関係になっていたとしたら、もうその関係は終わっちゃっていて、修復不可能じゃない?」というのが私の意見です。もし、夫と本当に危機的な状況になっていて離婚したければ、もはや私はカウンセリングなんて受けて、他人にアドバイスなんてもらいたくもないと思うことでしょう。

 「逆に2人でじゃなくて1人で受けて、私の夫への不満とかを思いっきり聞いてもらって、私に、あなたは正しい、あなたは偉い、彼は間違ってる、あなたはがんばってる!って言われるようなカウンセリングだったらぜひ受けたいかも。」などと言う私に、「いや、2人で受けに行って、お互いの思っていることを言い合って、第三者にアドバイスをもらうことに意味があるんだよ」とあくまで真剣に勧めるトーマスです。

 そして、しばし夫と私の会話を聞いていたトーマスが、「ね、ほら、君たちは相手の話を聞いてないんだよ。」と突然カウンセリングをしてくれました。「聞いてる、って言いたいんでしょう?でも、ほら、ちゃんと聞いてない。相手が何か言っても、but,but,butって言っているじゃない?心の中で相手を否定しながら聞いているんだよ。」「まず、ちゃんと相手の話を本当に聞くこと。それから自分の意見を述べるのはいいけど。」

 確かに・・・。私も夫も、いつも相手の話を聞きながら、でもさぁ、でもね、いや、そうじゃなくて、と心の中であるいは言葉でさえぎっていたのは確かです。そうしてカチンときて、ちょっとした諍いが始まるということはよくあったのは確かです。ふんふん、ありがとう、トーマス!いいアドバイスをしてくれました。「じゃ、私はカウンセリングにはやっぱり行かないわ。トーマスがカウンセラーになってね!」ということになったのでした。

 それからずっと考えてみたけれど、やっぱり私は他のカウンセリングには行くことがあるかもしれないけれど、マリッジカウンセリングには行かないタイプの人だと思いました。マリッジカウンセリングは、多分結婚を修復したいと考える人が行くのであって、結婚をもうやめようと思う人は行きたくないのではないかしら?私が結婚を続けたいと思う限りは、よく考えればきっと夫と2人で解決していけると思うこと、もしそう思わなければ、たとえ行ったとしてもそれは一時の小康状態を保つだけで、遅かれ早かれ、悪い状態にまた戻っていくのだと思います。

 とはいえ、今回のトーマスのアドバイス、名付けて「but, but, but」は我が家の家訓として、ときどき思い出しています。そして気心の知れたトーマスなら、ぜひ私たちのマリッジカウンセラーとしてお願いしたいところ。トーマス、頼りにしているよ!そういう意味では悪い状況になる前なら、体の定期健診みたいに、結婚の定期健診としてのマリッジカウンセリングはありかもしれませんね。