デンマーク・ハーフキッズ

デンマークについての情報やニュースを紹介、またデンマーク人と日本人のハーフの子供たちの子育て日記。

嵐が去ってみれば・・・

2007-09-28 11:10:36 | 通信制大学・大学院
 昨日「国際政治学」のリポートを2通提出しました。昨日が締切日でぎりぎりになってしまったので、郵送では間に合わず、直接大学に提出に行きました(東京に住んでいて、すごく助かってしまった!地方の人はそうはいかず大変です)。

 これでちょっと一区切りとなりました。今月は本当にきつかった・・・。リポートは1教科分しか提出していませんが、勉強は2教科分やっていて(もう1教科のリポート提出は期日に間に合わず来月の予定)、これは通常の1.5ヶ月で1教科というペースからするとかなりのハイペース、実際やってみて、ほんとに追われてしまいました。

 しかし、休日はついつい予定も入れてしまって、そう、私が入れてしまうのだけど、あまり勉強ができないので、平日はすべての合間を縫って、勉強している感じでした。というと少々大げさで、実際にはそこまでやっていないのだけど、気持ちの上ではいつも時間を見つけて勉強しなくてはと焦っていました。

 そして最後の何日かはリポートのために、まさに何もかもぶっちぎり状態。夫と子どもに最低限の奉仕、食事づくりのみ行い、あとはもう忘れることに・・・。そしてリポートを提出し、嵐が去ってみれば、まさに家の中も私の頭の中も、戦いの終わった戦場さながらの様子というわけです。

 いろんな小さなものがあちこちに散乱、置き去りにされていて、片付けられるのを待っています。洗面所の鏡や窓ガラスは見るたびにげっそりしてしまうように汚い。これは主婦としての私のプライドにかかわることであるため(私自身としての私には大して問題のないことなんだけど)、由々しき状態です。いろいろなペーパーワークが山積み、特に返信の必要な大切な書類は非常に気がかりになっています。新聞は4-5日分たまり、これを読むのもけっこう時間がかかるし・・・。ベッドルームは夫がたたんでくれた洗濯物がクローゼットにしまわれずにこれまた山積み。我が家の飲みものの基本の麦茶も切らしていて、子ども達は水を飲んでいる状態です(笑)。

 次に、現状のことと同時に、これからの学習計画も早く見直さないといけません。気持ちが落ち着かないし、また次の勉強に進まなくてはいけません。必要な資料の図書館へのリクエストもすっかり忘れていたことにも先ほど気づいたところだし、卒論のことを考える時間をどこで取れるかも検討しなくてはなりません。それから10月の休日のプランもいろいろ企画していきたいし、そこに今度は子ども達の空手道場めぐりの計画やら、10月は行事が多いので、それをめぐるあれこれやらもあります。

 今日は一日、こういったことにかかりきりになりたいところなのですが、金曜日はジジの遊ぶ日、ということで、まずはジジ優先です。こういうところが学生の学生とは違い、大人の学生に課せられた条件であり、言ってみれば大人としての裁量を求められるところなのでしょうか。というわけで、まずはブログに書いて、心の整理をしているところで時間切れ。まずはジジのお友達と遊びに行く時間です!




カフェリエット Kafferiet

2007-09-28 08:10:17 | デンマークの家具・物・たべもの
 最近、何度か日本の雑誌で見かけて少しびっくりしてしまいました。たまたま、コペンハーゲンで美術館のはしごの途中、疲れて立ち寄ったカフェが雑誌に取り上げられるようなカフェだったとは。

 そのカフェリエット http://www.kafferiet.net/ は自由博物館Frihedsmuseetのななめのあたりにあります。外側からだとそんなにわからないのですが、中に入ると個性的な、女の子の部屋みたいな雰囲気です。ディテールに凝って、装飾されています。全部で10人くらいでいっぱいになりそうな店内は、小さなテーブルがひとつかふたつ、あとは窓に向かってのカウンターがありました。

          

 日本の雑誌に紹介されたのは、そのかわいらしさ、個性のあるカフェだからだと思うのですが、うーん、ちょっと観光客が入るには緊張してしまうかもしれません。私は本当にたまたまあたりにカフェが見当たらず、えいやっと入ったのですが、非常に狭い店内で、地元の人が多く、気軽に皆がコミュニケートしています。私はそういうところに入っていくのが気後れしてしまって、くつろぐつもりが何だか緊張してしまうのでした。

 けれどもかわいいカフェであることは確かなので、もし行かれる方はどうぞお楽しみに。ただ小さいカフェなので、大人数で行くよりも一人か二人の少人数で行くことをおすすめします。

ショウミーの事件、そして家族について考える

2007-09-21 17:19:20 | 思ったこと・気づいたこと
 この前のよく晴れたすばらしい3連休の中日、私達家族は高麗川のバーベキューに行っていました。コアになっている人たちが何かの折に企画してるもので、今回は総勢60人くらい(!)の大勢で、おいしいお肉、気持ちのいい青空、そして飲んで喋って楽しい時間を過ごしました。本当にいい天気で、空が広くて気持ちがよかったです。私も友達や知り合いを中心に、パーティー気分を楽しんでいました。

 しかし、その高麗川で遊んでいたショウミーたちが川に向かって石を投げ、なんと、それが泳いでいた11歳の女の子のまぶたに命中してしまうという事故が起き、そのすばらしい気分が一転、ショックと慌しい対応に追われることになってしまったのでした。

 他にも同じグループ内、またたまたま居合わせて一緒に石を投げて遊んでいた男の子たちがおり、皆で楽しく石を投げていたのですが、ショウミーはおそらく自分の投げた石がもっと遠くに着地すると思ったのか、コントロールができなかったのかで、運悪く、手前で泳いでいた女の子に当たってしまったというのがいきさつのようです。

 私の友人が女の子を連れて病院に連れて行き、女の子のお母さんとは病院で落ち合いました。けれども休日だったということで、他の病院に移動し、そこの形成外科で縫合という処置を行いました。傷自体は時間とともに治る程度だったと思いますが、今回、傷跡が残るのではないか、それが本人にどのくらいのダメージを与えるのかということが何よりの問題でした。

 本当にたまたま、今月からこういったケースに適用される保険に入っており、保険会社が示談(といっても相手が怒っているわけでも、何か請求してきたわけでもない)から担当してくれることになり、また慰謝料も含めて支払われることになり、それでだいぶ気持ちが軽くなったのですが、保険が適用されるかどうか判明する前は、また相手方の経過などを聞くまでは、本当にいろいろなことを考えてしまいました。

 何か子どもがらみのことが起きるだびに、「女は女に生まれてくるのではない、女になるのだ」という言葉を私は思い出します。「母親は母親に生まれてくるのではない、母親になるのだ」という言葉に置き換えながら・・・。

 自分の息子が悪意はないにせよ、他人の大事な子どもを傷つけたこと、それに対して私は誠心誠意、謝るしかありませんでした。もし逆だったら、私はどんな思いをするだろうと考えると、つらい気持ちになりました。一方で、もし顔だから責任を取れと言われても、一体、他人の人生に対して、何の責任が取れるというのだろう?取れるわけがないのに、と暗澹たる思いになりました。お金で解決するのでしょうが、「責任を取る」という言葉の重みと不可能さと難しさを改めて考えてしまいます。

 そうしてひたすら親として謝罪をしつつ、同時に気づいたのが、私がショウミーを守らなくてはいけないとどこかで私が考えていることでした。もし相手方がショウミーを、ショウミーの行為を責めてきたら、私は今度はショウミーを守るために、おそらく必死で戦うだろう、と。この気持ちに気づいたとき、加害者と被害者の線引きの難しさや、「加害者も被害者」という言葉などが浮かんできました。

 それから結局は人は自分の子だけが、どこまでも大切なのでしょうね。大げさですが、殺人者の親も、相手への謝罪をしつつも、やはりそれでも我が子には生きて欲しいと願うんでしょうね、相手がすでに死んでしまっているというのに。こういう親の何よりも強い気持ちがあるからこそ、人間は途絶えずに続いているのかもしれませんが。

 今回のことは「私にとっての家族」ということが明確になったことが収穫です。私にとっての家族・家庭とは、それぞれが自分の個性を伸ばす場であり、それぞれの人生を生きるために必要なものを供給しあう場であり、人生を楽しくする場であること、同時に真に互いにサポートし、守りあう場であること。それが私の家族・家庭の定義ということがはっきりしたのでした。

人生最良の日

2007-09-16 08:42:17 | 母親業・主婦業
 ぱらぱらとめくっていた森瑤子の本の中に、カトリーヌ・ドヌーブが「人生最良の日は私の子ども達が生まれた日」と語ったというくだりがありました。私も本当に同感です。

 少し上の世代の人によく言われるのが、今が一番、楽しいときよ、という言葉です。つまり、子ども達が小さくていつも私を必要としていて、私にくっついている、疎ましいくらいくっついているけど、これが一番人生で幸せなとき、ということでしょう。それも同感です。ただ、私はこの子育て期間のあとの人生も、とても楽しみにしているけれど。

 子どもが欲しいと真剣に思ったことのなかった私は、確かに最初はとまどいの連続、私という存在と私が母親であることとの間のジレンマを感じることも多くて苦しいと思ったことも多々ありました。けれども子ども達の柔らかい頬や体を抱き、「ママ」と呼ぶ声を聞き、彼らの笑顔を見ながら、今、彼らが本当の意味で唯一私の人生の「真実」かも、などと思ってしまいます。そして彼らとの日々は本当に面白く、感動や幸せを感じさせてくれる毎日です。そんな彼らが私のところに来てくれた日、それが私にとって人生最良の日だと思っているのです。

 でも落とし穴には気をつけなくてはなりません。子どもはあまりにも私から搾取するし、徐々に、徐々に私から離れていく存在でもあります。私が子どもを持つことによって失っているものも、たくさんあるのは事実で、そのあたり、私自身、ちゃんと冷静に自覚しなくてはいけない、ともときどき思っています。



 

祭りだ、ワッショイ!

2007-09-10 00:52:02 | 日記
 
 この週末はまさにお祭りの週末でした。土曜日、午前中、ショウミーの幼稚園でお神輿をかつぎました。毎年恒例の行事なのですが、ショウミーの幼稚園の周辺は本当にお祭りの盛んなところで、地元密着型の幼稚園なのでお神輿をかついで神社まで行き、神主様にお払いをしていただくという、なかなか神聖なものです。

 そして午後は幼稚園の子ども祭りで、これは園庭で一通りの縁日を親達が行います。私は今年はヨーヨー係で、皆とおそろいのサムライブルーのTシャツを着て、お客さんの子ども達にヨーヨーを釣ってもらいました。そんなに大変ではないのだけど、「がんばれ!」「おー、上手~!」「もう一回ね、今度はキャラクターを釣っていいんだよ!」などと少々大げさに声をかけるのが疲れました(笑)。でも子ども達が喜ぶ顔をたくさん見れて、他のお母さん達とお喋りをして(ばっかり?)、ラムネは飲み放題で、やはりお祭りは催す側に参加するのも楽しいものです。

 その後は一度家に戻り、必要なことをばたばたと行い、夕方からの神社やその町内のお祭り、夜店に行きました。残念ながらショウミーはここから私達と別行動で、友達と行動していましたが。でもジジはカキ氷を食べたり、くじを引いたりして、一緒にお祭りを楽しみました。

 今日、日曜日は友達と家に泊まっていたショウミーと合流し、今度は子どもの山車を引き歩きました。2時間も歩くのですが、少し歩くとすぐ休憩で、おいしいものを食べたり飲んだりして、暑かったけれどもあっという間の2時間でありました。また私はお喋りばかりしていたので、早かったのかもしれませんが。

          

 山車が終わるとそれで地元の一通りのお祭りの行事はおしまいで、今日はその後、ブラジルフェスティバルにかけつけました。向こうで友達に合流し、友達の友達などにも会ったりして、ブラジル音楽をBGMにまたまた楽しいお祭り気分でした。とても暑かったので、友達お手製のサングリアがおいしかったです。そこでたまたまイギリス人の人がいたので、私が最近かねてから思っていたことを話してみました。それはどうもイギリスとデンマークが、いろんな面でとても似ている気がしていて、その人にどう思うか聞いてみたのでした。するとその人も同意していました。気候、国民性の数々、社会制度などがけっこう似ていると思うのですが、どこが同じで、どこが違うか、比較文化してみると面白そうです。

          
          ライブを聞くショウミーとファー

 さてさて、そうして2日間、走り回ってこなしたお祭りスケジュールですが、こういう経験が子ども達に日本人であることを刷り込んでくれるのだと思います。将来、ハーフの彼らが日本人であることをこういう体験が支えてくれるのかなと思うのです。お祭りの音、情景、その温度、匂い、そういったものが彼らの心の底に積み重なっていくのかな、と。最近は彼らに武道をやらせたいと考えており、やはりそれも日本人として仕込んでおきたいという私の思いでもあります。

 しかし、あまりにお祭り騒ぎに没頭し、私のリポートを書くために、資料がいくつか必要なことに今朝気づくも、時すでに遅し・・・。とてもリポート提出日に間に合わないことが判明、次回の締切日まで延期することとなりました。そのせいで10月に受ける予定だったテストが、12月23日、クリスマスの前日ということに・・・。これで私のクリスマス気分は台無しになりそうです。(延期して余裕ができたせいで、サングリアがよりいっそうおいしかったのだけど。)

          
          暮れかける中、サッカーに興じる子ども達。
          売店の裏のごみがたくさん集積しているところで楽しくやっていた。
          

電話、そして反省

2007-09-01 17:12:05 | 国際結婚
 先日、そろそろ夫が帰るころだなという時間に、電話のベルが鳴りました。メールが行き渡ってからというものの、我が家の電話は家族以外からはほとんどなく、そしてその、時間通りの電話はもちろん夫からと思って、いつものように「もしもしっ」と嫌そうな声で出てしまいました。

 ちょうどその時間帯は、子ども達がけんかを始める一方で(夕方は子ども達も疲れて不機嫌)、こちらは夕食の仕上げにかからなければならず、電話に出るのも容易ではなかったりします。それで帰るコールを毎日してくる夫に、感謝もしつつ、つい「こっちは忙しいのよ!何なのよ?」的な声で出てしまうというわけです。

 ところがこの電話は夫ではありませんでした。子どものサッカー関係のお母さんからの電話で、しかも初めて話す人、でした。慌てて声のトーンを上げて、いきなり感じよく話し始めたのですが、なんともお恥ずかしい気持ちになってしまったのでした。

反省その1)初めてかけるときには緊張するのに、しかも新入社員のときから、電話は相手に顔が見えない分、感じよくしなくてはならないと教え込まれていたのに、これでは相手がきっと話しづらかったことでしょう。すみません。

反省その2)昔、夫からの電話かな?と浮き浮きしながら電話を取ったころは、「もしもし?」をもっと朗らかな声で言っていたのではなかったかしら?夫は家族とはいえ、せっかく妻に電話をしてくれているのに、私があんな声だったらどんな気持ちになるかしら?逆だったら、家に帰る気持ちもしぼんでしまうに違いありません。ということで、深く反省・・・。

反省その3)仕事をしていたころ、向こうの席のおじさんが相手によって言葉遣いを変えているのを、なんて人として品がないのだろうと思っていました。下請けさんにはものすごく高圧的に話す人に限って、取引先には慇懃無礼なくらいの持ち上げ方をするものなのですね。私の場合はそこまでひどくはないけれど、夫に対して、人として失礼ではなかったか、そんなことをする私は品がないのではないか?とこちらも深く反省したのでした。

 結婚して、夫も私に対して邪険に扱うようになったと思うけど(この話はまたいつか)、私もだいぶひどい態度を取っていたことに、この電話1本で気づくことになりました。この6年半の間に、だんだんと夫へのリスペクトを失っていたのかもしれません。

 翌日から早速、夫からとわかっている電話にも、ちゃんとできるだけかわいらしい声で(?)、「もしもし?」と出るようにしました。とはいっても、もちろん、余りにも結婚前のような話し方をするのも恥ずかしいので、できるだけ感じのよい出方をするという程度ですが。

 と、不思議なことに、電話だけでなく、夫に話すときになぜか自然に、以前よりも優しい話し方ができるようになったようなのです。電話はほんのひとつの事例であり、きっと私の態度や言葉全体が、自分勝手なものだったと気づいたからかもしれません。このまま優しい妻を心がけられたら、結婚10周年にスィート・テン・ダイアモンドとかもらえるかもしれない・・・!? いや、きっと無理でしょう。何かほんのちょっとのきっかけがあれば、夫に真正面から歯向かうだろうことが目に見えているし、夫に10粒のダイアモンドを買うような資金があるようにも思えないものね・・・。でもとにかく今回は反省、です。