デンマーク・ハーフキッズ

デンマークについての情報やニュースを紹介、またデンマーク人と日本人のハーフの子供たちの子育て日記。

研究者とライカ好きの夫の共通点

2007-12-31 02:03:02 | 思ったこと・気づいたこと
 最近参加し始めたある研究会で、私は初めて研究者という人たちの世界を垣間見て(内容は難しすぎて理解できないのですが)、実は新しい発見にわくわくしています。これまでの私の出会った会社員とはかなり違う、研究者、教授という人たちは私にとってちょっとしたカルチャーショックです。例えば、先輩の研究者に対するやや否定的な質問や訂正を行うときの、彼らの話法は非常に上手です。会社内でもそういった意見を言うときのテクニックのようなものはありますが、研究者たちのそれはなんと高度なことでしょうか。このあたりに彼らはやはり頭脳明晰な人たちなのだと驚嘆してしまいます。また、彼らは質問によって相手を追い詰めていくことも上手です。決して相手の意見を否定しないのですが、質問によって相手の守備をがたがたに崩していくあたりは、まさに家庭内においても見習わなくてはと思ってしまうところです。

 そんな彼らはそれぞれの研究においては、ものすごく、ものすごく深く研究されていて、さすが学者だなあと私などは感心して眺めているばかりです。区切られたある範囲をとことん深く掘り下げ、同時にあらゆる角度からも見ています。そこで私の頭にいつも浮かぶのは、この人は何のためにこんなに深く研究しているんだろう?という疑問です。恐らく彼らに教室の中で出会えば、彼らのその専門の学問に対する情熱が「伝えよう」とする気持ちとともに表れていると思います。事実、教室の中ではしばしば先生方の熱い思いに触れて、感動することがあります。しかし、こういう研究会の中は事情が違い、発表をし、それを立証することが重要です。学生相手に熱い思いを語る状況とはかなり違うわけです。

 さて、こういったことをこんなに深く研究しているからには何かご自分なりのミッションがあるのだろう、と思うのですが、それが何となく想像できる研究者と、全く不明の研究者がいます。そして後者の場合、なぜゆえに、こんなに深く研究し、何をしようとしているのかなあと私はひたすら不思議に思ってしまいます。きっと、私などには簡単には見えてこないところでおありなのだとは思うのですが・・・。

 そして、昨日の朝食のテーブル。先日、シャッター部分の修理を終えて、カナダから戻ってきたばかりのライカが、どんなにすばらしいカメラかを食卓で褒めたたえる夫に、ふとその後者の「ミッションが不明の研究者」の姿が重なりました。「ねえ、それでライカはいいんだけど、そんなにたくさん写真を撮って、時間とお金を使ってそれで一体どうしようっていうの?その写真、何の役に立つわけ?限られた時間とお金でしょう?だったらそれだけの何かに役立つという価値がないと、って思わない?」「そうなんだよ、それが問題なんだよ。」それはまさに夫の悩みでもあったのでした。

 趣味で何かを集めたり、何かに没頭することはそれだけで自己満足でき、楽しいことと思います。人生すべてきっちりと役立つことしかしてはいけない、なんてことは全くなく、好きなようにしていいのだと思います。でも自分のしていることがどこかで何かの役に立つとか、何か意味のあることをしていると思いたいのも、普通、自然なことだと思います。ミッションが先でなくてもいいけれど、自分の楽しいことが何かの役に立つかな?と人は探すようになるのではないでしょうか。

 夫は今、狭い世界ながらも写真をデンマークの家族に送るということでは「非常に意味がある」と満足していますが、もう少し何かないか、探しているようです。研究者の研究と比べれば規模も重要度も雲泥の差ですが、夫の写真のミッションはどこに・・・???(うーん、ちょっとないかな?)
 

波・・・

2007-12-29 08:17:40 | 通信制大学・大学院
 通信教育で勉強するのは、何か波の間隔と近い気がします。波が来たらうまく乗り、波と波の間は一息つく、という感じです。でも波は次から次へと来るから、一息つきつつもすぐにまた次の波への体勢を整えなくてはなりません。気持ちの休まるときがないけれど、でも岸に上がって休んでしまうとそれだけ終わりが遅くなってしまいます。波にさらされ続けるか、あるいは岸に上がるかは自分の選択なのですが、一度岸に上がってしまうとまた波の中に入れるだろうかと思うと、なかなか抜け出すことはできません。

 そしてこれは普通の学生のように夏休みや春休みもないのです。冬休みはないけれど、しかしときはお正月、お正月くらいは心置きなく休んでもいいのではないか、とお正月以外は休まないスーパーマーケットの経営者のような気持ちの今日このごろ・・・。

 毎回テストが終わると1-2日、のんびりリラックスして心と身体のリセットを行いますが、今回は4月からの通信教育が始まって以来の初めての「お正月休み」です。ところが、ああ、でも労働経済学のテキストをちらりちらりと横目で見つつで、今ひとつ、心の負担は取り除かれず、そして妙なことに「ゆっくり休もう!」と思うのですが、休んで3日もたつと逆に落ち着かない気持ちに・・・。なんだか勉強をしているほうが気持ちが落ち着くみたいです。いやいや、いかん、休まねば、と思う自分がいて、そう思う自分が変にストレスになっているのでした。というわけで、家族優先のお正月ではありますが、暇な時間ができたら少し勉強しよう(!)と思います・・・。

クリスマス、無事終了!

2007-12-28 00:53:50 | デンマークの行事


 12月はテストが2度あり忙しかったけれど、ちゃんと無事にクリスマスも楽しめました。クリスマス会も2度ほど大きいパーティーに参加し、また我が家でも幼稚園ママたちとのランチパーティー、そしてテスト終了日に行った、少々強行だったけれど楽しかった恒例のパーティーと二度ほど行いました。例年のデンマーク大使館でのクリスマス会が今年は完全に大人向けで参加できなかったことがこころ残りではありますが、テストを抱えつつも、楽しく過ごすことができたかなと思います。

 そして24日はクリスマス本番です。今年はデンマークには行かなかったので、日本でできるだけデンマーク風に祝いました。

 その日は午後からお料理をスタート。夫の母に教えてもらった鴨のレシピを取り出し、おなかに詰め物(りんごとプラム)をして焼いたり、茶色いポテト(お砂糖を焼いてあめ色にしてポテトに絡める)などを作ります。そしてデザートのリスアラマン(お米のおかゆのようなデザート)も母から教えてもらってあったのですが、なぜかレシピを失くしてしまい、これは適当に調べて作りました。(このリスアラマンのレシピは実はすでに2度教えてもらっているのですが、なぜか毎回失くしてしまいます・・・。何ででしょう?)夫と一緒にキッチンに立ち、鴨の焼き具合を気にしながら、手分けをしてお料理を作り終えました。

          
          鴨を切り分けたところ。

 お料理が一通りテーブルに並び、いよいよクリスマスのディナーのスタートです。キャンドルに火をともし家族でテーブルにつくと、華々しさはないけれど、静かな、ヒュグリな気分になりました。私はクリスチャンではありませんが、こうして4人揃って元気にクリスマスのご馳走を食べられること、そしてプレゼントがたっぷりあって子供達が期待に顔を輝かせていることに、神様に感謝したい気持ちになりました。家族の団結が感じられるのが、欧米のクリスマスなのかもしれないという実感を初めて持ったように思います。

 肝心の鴨はものすごーくおいしかったです。焼き具合がちょうどよかったのか、塩加減がちょうどよかったのか、デンマークで食べるときよりおいしかったように感じました。リスアラマンももちろん子供達がアーモンド(今年は生の丸ごとのアーモンドが手に入らず、お菓子で代用したのですが)を食べあてて、プレゼントのお菓子をもらいました。このころになると子供達のプレゼントへのはやる気持ちもマックスとなり、もう待ちきれないようです。

          
          待ちきれずハイになり、おかしなポーズまで取る2人

          
          ツリーの下に置かれたたくさんのプレゼント。

 デンマークの習慣の、ツリーのまわりを手をつないで歌を歌うのもそこそこに、すべてを終えていよいよプレゼントの時間となりました。子供達は大小のたくさんのおもちゃはもちろん、図鑑やいろいろなデンマーク語の本、サッカーシューズ、自転車用ヘルメット、ポケモンカード、DVDなど一人10個くらいのプレゼントをもらいました。このためにファーモアはデンマークから、なんと16キロもの重さの大きなパッケージを送ってきていたのでした。そして夫と私もそれぞれのリクエスト(私はデスク用の引き出し)のプレゼントとサプライズのプレゼントとを交換しました。買うほうはいろいろと大変ですが、やはりプレゼントをもらうのは大人の私もとても嬉しいもので、リクエストのプレゼントは本当に欲しいものなので嬉しいし、サプライズは思いがけないものをもらえて楽しいものです。

 翌日は今度はこちらも恒例の、日本式のクリスマスディナーを行いました。どうしても私が食べたい鶏のもも!そして私が子供の頃に本当に楽しみにしていた、子供用シャンパンを子供達に出し、イチゴの乗った白いクリームたっぷりのケーキ!こちらも懐かしい、私にとっては大切な思い出のディナーです。これを食べて、ようやく今年も我が家のクリスマスが無事に終わったのでした。

やっと、クリスマス気分!

2007-12-24 07:51:57 | 日記
 今月はテストが2教科あり、昨日、最後のテストが終わりました。山はしっかりはずれ(私の山掛けは当たったためしはないのですが)、テストの出来のことを考えると少々暗い気持ちになりますが、でも、とにかく「やったー!私のクリスマス到来!ホリデイ到来!」という気分です。やっぱりテスト前はぴりぴりしてしまって、些細なことでも夫につっかかってしまったりしていたので、夫もテストの終了を喜んでいることでしょう・・・。あぁ、とにかく、とにかく、気分は本当にやっと晴れました!

 以前にも書いたかもしれませんが、通信教育で辛いことはとにかく休みがないことです。「自分のペースで学習できる」ということなのですが、3年で編入して2年間で卒業という通常のコースを設定すると、そのペースとやらはけっこう休みなしになります。通学制の大学のようにはっきりと休みの期間が設定してあり、気持ちや体勢をリセットし、また違うことを考えたり行ったりできる期間があることはいいなぁと思ってしまいます。一応、これでテストが終わって気分はすっきりですが、またすぐに次の教科が私を待っているのではあります。

 まあ、でもとにかく今日はクリスマスイブです。鴨を焼いたり、じゃがいも料理を作ったりと忙しいですが、子供達や夫と今日は楽しく過ごしたいと思います。プレゼントはたっぷりあるし、鴨はお肉屋で待っていてくれるし、天気はよいし、テストが終わってすっかり上機嫌な私。昨夜、早速友人達とクリスマスパーティーを行って、すでにグルッグとシャンパンをしっかり飲んだせいかな(笑)???

少し大人になったショウミー、日本の謝罪文化を身につける

2007-12-17 11:04:00 | ハーフの子どもの教育
 先日ショウミーが同じ年の子ども2人と遊んでいたときのこと。どういうきっかけかはわかりませんでしたが、一人の子が急に怒り出し、「そんなんだったら、もう止める!もうショウミーとはやらない!」と叫びました。普段だったら言い返すショウミー、そしていつものように喧嘩が始まるかなと私は思って見ていました。すると予想に反して、ほんの数秒の間を置いて、ショウミーは優しい声で「ごめんね・・・」と言ったのでした。言われた相手としては拍子抜けしたらしく、それ以上怒ることもできず、すぐにまた楽しく遊びを継続していました。

 弟ができて3年余り、ショウミーは繰り返される理不尽な弟の態度に怒りまくっていましたが、ふと気づくと最近は「いいよ」と譲ってあげていることが多くなっています。そういう中で人生はしばしば理不尽なものでしかたないんだ、ということを学んでいっているのだと思います。

 そして昨日、また他の子どもとカードで遊んでいたときに、いろいろとその子がずるをしても怒ることなく、いろはがるたで最近覚えた「負けるが勝ち」と言いつつ笑っている姿に、ショウミーも少々大人になり、そして日本人になっているなあと思ったのでした。

 日本人は謝罪文化を持っていると思います。何でも謝るという習慣はどこから来ているのでしょう?小さいときから私達日本人の親は常に「謝りなさい」と言って育てています。そしてある年齢くらいから、子供達は「謝ると終わる」「謝ると許してくれる」「謝るとリセットされる」あるいは「謝ると人間関係が円滑に進む」ということを理解していくのでしょう。最初のエピソードは、ショウミーが謝って相手の気持ちをなだめること、つまり人間関係を円滑に進めることをすでに知っているということなのでしょう。

 逆にデンマーク人はしばしば「決して謝らない」という国民性だと言われています。彼らにとっては謝るということは、「人間関係を円滑にし、物事を進めるため」ではなく、本当に厳しい意味での個人の罪を認め、罪を償う必要の出てくることなのだと思います。人々の罪を受けてイエスが磔になったというキリスト教的文化を背景に、罪に対する厳しい見解や対応を彼らは持っているのかもしれません。

 そのあたり、謝罪するということの意味がどうも日本とデンマークでは違うように思います。日本では悪く言えば「謝ればいい」という意識があり、謝罪=償いも兼ねているように思います。そして責任を強く問われることもなく、謝ればそれで済んでしまうという面が多々あります。一国の首相の取った行動も、そういう形で終了していますし、どうも年金問題もこの1週間ほどで、そういう傾向に方向転換されています。「責任を取る」、それが謝罪だという、厳しい追及や断罪は日本的ではないようです。

 ショウミーがこうしてすでに6歳にして日本の謝罪文化を身につけているのは面白いなと思います。それはそれでよいのですが(やっぱり悪いことをしたときに謝る人にはならないといけないと思うので)、謝ればよい、という日本文化の域を出る、違った思考ももってもらいたいなぁと思っています。

 

クリスマス・クリスマス・クリスマス!

2007-12-13 10:40:31 | デンマークの行事
          今年のアドベンツクランツ


 今年もクリスマスの月、12月となりました。いつもはわりと殺風景な我が家も、12月だけは色とりどりのリビングとなり、なんとなくわくわくするものです。まあ、本場デンマークには及びませんが、それなりに私達もヒュッゲな空間を楽しんでいます。理想はいろいろと毎日、毎週クリスマスの小物などの手作りにいそしんで過ごすことですが、やっぱり今年も手作りできたのはキャンドルだけということになりそうです。

          
          今年のカレンダーキャンドル

          

          
          毎日ひとつずつ開ける、カレンダープレゼント

 デンマークから毎年このカレンダープレゼントが一人に24個、送られてきます。合計48個で、私達がやるとしたら大変ですが、ファーモアやファーボア(おばあちゃんと叔父)にとってはきっと一年をかけて集める楽しいプレゼントでしょう。中身はこれまで開けたところでは、ズボン、レゴ、凧、写真を入れるファイル(忍者タートル&スパイダーマン)、本、そして今朝などはブーブークッションと様々で、子供達は本当に毎朝大喜びです。すべてのプレゼントに必ず何かお菓子も入っているのも、嬉しそうにしています。
 デンマークではあまり貯金をする必要がなく、おそらくファーモアはすべての収入を子供達に捧げているに違いありません(笑)。また特にファーモアは子どもの喜ぶ物を発見するセンスがあるようです。

          

 これはデンマークに住む友人が送ってくれた、星をかたどったカードです。送られてくるときは折りたたまれていて、広げるとこういう形になります。デンマークにはこういう非常にうまく工夫されたカードがあり、いつも感心しています。

 とにかく、子供達にとっては最高に楽しく、大人たちにとっては楽しくも忙しいクリスマスの12月が始まりました。今週末にはどこかで時間を見つけて、私の大好きなクリスマスのお菓子、クライナーを作りたいなあと思っています。そろそろクリスマスの伝統的な鴨の丸焼きを作るため、鴨もお肉屋さんにオーダーしなくてはならないし、まだ子供達のクリスマスプレゼントもすべて整っていないし、夫のクリスマスプレゼントも決まっていないしで、あと10日余り、クリスマスに忙しい毎日ですが、きっとあっという間に終わってしまうのでしょうね。

          

ショウミー、空手を習い始める

2007-12-08 07:06:10 | ハーフの子どもの教育

 11月末からショウミーは空手を習い始めました(上の写真では正面で正座をしています)。私自身は全く空手のことなどわからず、まさか自分の子どもが空手を習うとは思わなかったのですが、約一年早く、ショウミーの幼稚園のお友達が習っており、なぜかその子のお母さんに「ショウミーには絶対、空手いいと思うよ。絶対合ってるから」と言われ続けており、ショウミー本人もそのうち「やりたい」と言い出したので、10月に見学に行ってみたのでした。

 華道や茶道などと同じように、空手にもいろいろと流派のようなものがあり、見学に行ったのは極真会館という流派です。(なぜか空手は○○流のところを○○会館と言ったりする。)それまでは寸止めだった空手を、実際に相手の身体を打つルールで始めたのがこの流派だそうです。といっても、子どもは防具をつけて打ちますが。

 見学に行って、私はすっかり空手の格好よさに魅了されてしまいました。まず、子供達の道着姿が素敵、そしてはりつめた空気が気持ちよく、先輩(先生のことをなぜか先輩と呼ぶ)の型で風を切る音がするのが本当に格好よかったです。というわけで、親子で即入門を決めたのでした。

 さて、そうして入門したショウミーですが、かなり張り切ってやっている様子です。もともと身体の強い子なので、多少キックされても揺るぎなく、恐れもせずに受け止めていました。しっかり通って心も身体も鍛えてもらって、自分の中に揺るぎない何かを植えつけていって欲しいものです。週に3日も道場があり、私の送り迎えが大変ですが・・・。

          

 ハーフの子どもということで、将来どこかでアイデンティティの問題に悩むことがあるかもしれません。そういうときに、もしかしたらこうした日本的な武道が彼を支えてくれることがあるかもしれないというのも、今回、実は私はちょっと期待として持っています。また、こんなにお金をかけて習わせるのだから、もし将来海外に留学などした際には、自分でマーシャルアーツの道場で空手でも教えるバイトをして、お小遣いくらい稼いでちょうだいという思惑もありますが。芸は身を助けるということで。

 よく私の母やおばが言っていましたが、子どもの外側にお金をかけてはあげないけれど、内側にはできるだけかけてあげる、と。私も物やお金を与えるのではなく、子供達の内側に蓄積されるようなことにはできるだけのことをしてあげたいと最近は思うようになり、母たちの言っていた意味がよくわかるようになりました。

          

 

紅葉の秩父を見に

2007-12-04 00:33:40 | 日記


 11月の3連休、紅葉を見にまたまた秩父に行ってきました。もうとても寒かったけれど、子供達は長瀞の岩畳、秩父の不動の滝を目指しての山登り(時間的には短いけれど、本当に山道で足を滑らしたら「死ぬ!」と思うような道でした)、羊山での羊とのふれあいや散歩など、自然を満喫。1泊したホテルではショウミーはお風呂で泳ぎも満喫していました(笑)。そして翌日はなぜかドライブ中、野生のサルにしょっちゅうお目にかかりました。私も秩父の秋の景色を見て、とっても和んできました。紅葉の中の柿の色の鮮やかさがとても印象的でした。また朝の寒さで霜が降りていて、木々や風景が白くなっているのもどこかデンマークの冬の景色のようで、静かできれいでした。