今ちょっと調べてみたら、作家森瑤子さんが無くなったのは93年、もう亡くなってから15年近くたっていることがわかって、ちょっとびっくりしました。今の若い人はあまりよく知らないかもしれませんが、80年代の若者だった私の世代やもう少し上の世代には一世を風靡した作家です。当時、私は外国の香りのする彼女の文章に、そして東京のおしゃれな遊びの世界を感じさせる文章に、憧れながら読んでいたところがありました。
そして今、彼女が小説を書いて有名になった年齢と私自身が同年齢になって、また同じように外国人の夫を持ち、子どもを持ったという境遇になってみて、彼女のエッセーを読むと単に面白いだけでなく、深く共感するところがあります。
夫との諍いや「夫はときに敵である」という関係も本当によくわかりますし、子ども達にふりまわされる姿も私自身と重ねて読んでしまいます。何かに没頭していても、時間が来れば食事の支度をしなくてはいけないもどかしい気持ち、専業主婦時代の焦燥感と、プロの作家になってから家族から非難を浴びながら仕事をする中で「家庭の中で、主婦をやりながら、女は自立できるのだと思う。」という気づき・・・。今の私がつらつら考えていたり、がっくりしたり、思い直したりしていることを、彼女の文章の中に読むことができるのでした。
彼女は作家でしたが、彼女のエッセーのほうは、そういう意味で、女の人が歩む道のひとつの道しるべなのだとこの年齢になって気づきました。もちろん、彼女の華やかな外見や変化に富んだ生活が、より彼女をイコン化したのだとも思いますが。当時、一世を風靡した、と思っていましたが、実は彼女のペンは女性の普遍的な人生を書き出していたのかもしれない、と思うようになりました。
特に私が好きな彼女のエッセーは「マイ・ファミリー」です。
そして今、彼女が小説を書いて有名になった年齢と私自身が同年齢になって、また同じように外国人の夫を持ち、子どもを持ったという境遇になってみて、彼女のエッセーを読むと単に面白いだけでなく、深く共感するところがあります。
夫との諍いや「夫はときに敵である」という関係も本当によくわかりますし、子ども達にふりまわされる姿も私自身と重ねて読んでしまいます。何かに没頭していても、時間が来れば食事の支度をしなくてはいけないもどかしい気持ち、専業主婦時代の焦燥感と、プロの作家になってから家族から非難を浴びながら仕事をする中で「家庭の中で、主婦をやりながら、女は自立できるのだと思う。」という気づき・・・。今の私がつらつら考えていたり、がっくりしたり、思い直したりしていることを、彼女の文章の中に読むことができるのでした。
彼女は作家でしたが、彼女のエッセーのほうは、そういう意味で、女の人が歩む道のひとつの道しるべなのだとこの年齢になって気づきました。もちろん、彼女の華やかな外見や変化に富んだ生活が、より彼女をイコン化したのだとも思いますが。当時、一世を風靡した、と思っていましたが、実は彼女のペンは女性の普遍的な人生を書き出していたのかもしれない、と思うようになりました。
特に私が好きな彼女のエッセーは「マイ・ファミリー」です。