デンマーク・ハーフキッズ

デンマークについての情報やニュースを紹介、またデンマーク人と日本人のハーフの子供たちの子育て日記。

森 瑤子さんのエッセー

2007-08-30 15:27:05 | 母親業・主婦業
 今ちょっと調べてみたら、作家森瑤子さんが無くなったのは93年、もう亡くなってから15年近くたっていることがわかって、ちょっとびっくりしました。今の若い人はあまりよく知らないかもしれませんが、80年代の若者だった私の世代やもう少し上の世代には一世を風靡した作家です。当時、私は外国の香りのする彼女の文章に、そして東京のおしゃれな遊びの世界を感じさせる文章に、憧れながら読んでいたところがありました。

 そして今、彼女が小説を書いて有名になった年齢と私自身が同年齢になって、また同じように外国人の夫を持ち、子どもを持ったという境遇になってみて、彼女のエッセーを読むと単に面白いだけでなく、深く共感するところがあります。

 夫との諍いや「夫はときに敵である」という関係も本当によくわかりますし、子ども達にふりまわされる姿も私自身と重ねて読んでしまいます。何かに没頭していても、時間が来れば食事の支度をしなくてはいけないもどかしい気持ち、専業主婦時代の焦燥感と、プロの作家になってから家族から非難を浴びながら仕事をする中で「家庭の中で、主婦をやりながら、女は自立できるのだと思う。」という気づき・・・。今の私がつらつら考えていたり、がっくりしたり、思い直したりしていることを、彼女の文章の中に読むことができるのでした。

 彼女は作家でしたが、彼女のエッセーのほうは、そういう意味で、女の人が歩む道のひとつの道しるべなのだとこの年齢になって気づきました。もちろん、彼女の華やかな外見や変化に富んだ生活が、より彼女をイコン化したのだとも思いますが。当時、一世を風靡した、と思っていましたが、実は彼女のペンは女性の普遍的な人生を書き出していたのかもしれない、と思うようになりました。

 特に私が好きな彼女のエッセーは「マイ・ファミリー」です。

ハーフの自覚

2007-08-29 17:43:35 | 国際結婚
 先日近所を子どもたちと歩いていたときに、ショウミーが突然「あ、外人!」と言ったのでありました。見ると小学校高学年くらいの女の子で、おそらく白人と日本人のハーフの子がそこに立っていました。

 私たちも新しい環境に行くとしばしば「この子、何人?」「この子、外人なの?」と子どもたちに聞かれます。そのたびに親としてどう答えたものか、ハーフのうちの子どもたちをどう説明したものかと、その質問してきた子どもの年齢を鑑みながら、私は言葉を返しています。

 夫は外国人、子どももハーフ、結婚以来、私もそれなりに「外人」という言葉に敏感になったり、家族の中に外国人がいるこの状況が日本の中で普通に捉えられるように、と考えていたつもりでした。

 それなのに、ショウミーの口から「外人!」という言葉が出るとは!

 あきれるというか、子どものあっけらかんとした「自分が普通」という思い込みに感心するというかなんというか・・・。しかも自分とそっくり同じタイプの顔を見て、外人だなんて・・・。そしてショウミーが他の見知らぬハーフの子に対しては、一種の興味、あるいは自分との差異を感じているらしいことにびっくりしました。私のハーフ教育(そんな名前はないけれど)もどこ吹く風というわけです。

 これからショウミー自身が「外人」と呼ばれたり、「何人?」と聞かれたりしながら、だんだんハーフの自覚ができるのかもしれません。こういう国籍の違い、外見の違いをどう子どもが捉えていくのか、自覚していくのか、などなどこれから私もショウミーの成長とともに見ていきたいと思います。なかなか面白いです。

時代は廻る ~夏休み編~

2007-08-27 10:32:38 | 日記
 あと1週間で夏休みが終わります。楽しかった夏休み、あっという間の夏休みでしたが、ここに来て気づくのは、私がまったく子どものころと変わってないということです。こういうところはお母さんになっても変わらないのかもしれません。あるいは時代は廻って、自分の子どもと一緒になって、昔の子どものころの自分に戻っているのかもしれませんが。

 とにかくこの夏休みはけっこう勉強に追われており、そういう追われる気分も懐かしい気がします。一日何ページと自分で決めたノルマが達成されることはなく、これじゃあ、子どものころと同じ、進歩がないなあと思ってしまいます。それから幼稚園からの課題で、子どもの夏休みのことを毎日書き留めなくてはならないのですが、それも10日分ほど溜まっているし・・・。来年は小学生になったショウミーと一緒になって、やっつけで宿題や課題をやっている自分が目に見えるようです。
 
 予定のない日は、朝はのんびり起きて、子どもと一緒に洗濯などを済ませてからは、「今日何するー?」「今日お昼、何食べようかー?」などとちっともお母さんらしくない私。お昼ごはんのメニューが浮かばず、子どもの言うものを「はーい、了解!」なんて作っている私はお母さんではなく、お姉さんかと自分でも思ってしまいます。あげくにみんなでテレビを見ながら食べてしまったりして、すっかりだれています。

 でも、この夏、自然の中で子どもたちとたくさん遊んだこと、子どもたちとずっとくっついて、たくさん泣いたり怒ったり、ふざけたり笑ったりしたこと、ショウミーが初めて野球を見たこと、ジジが初めてサーカスを見たことなど、本当に楽しく、夏らしい夏を過ごしたと思います。私の日焼けは、年齢と比例してだんだん黒くなっているようです(もう美白なんてものとはすっかり決別しちゃっています・・・)。

 夏が終わるのがせつないと思うようになったのは、私の場合、子どもを持ってからかもしれません。
 

カジュアルな発表会

2007-08-24 12:23:23 | デンマークについて


 デンマーク人の友人家族の長男ヤコブくんは10歳。彼が習い始めて半年というサクソフォンの発表会に、ある夜、私たちも招待されて行きました。

 会場となっているのは、彼らの住んでいる町グラストラップの自由時間センター(とでも訳せばいいのでしょうか)内のカフェです。この自由時間センターはプールあり、そのほかの運動もでき、楽器を演奏できるような部屋があり、という余暇を楽しむためのコミュニティ施設です。

 あらかじめ、「カフェ・コンサート」というタイトルのついた手作りのA4サイズのプログラムを配られ、カフェで私たちはお喋りしたり、コーヒーを飲んだりして待っていました。そしておもむろに先生が現れて、ごく短いスピーチをし、発表会が始まりました。

 ピアノや吹奏楽器、チェロやヴァイオリンなど、いろいろな楽器を子どもたちが順に披露していきます。先生たちは傍らにたたずんだり、バック演奏をつとめたりしています。その先生たちのまなざしを見ると、生徒たちへの温かい気持ちを垣間見たように思いました。子どもたちは皆、真剣な様子で、緊張しながらもそれぞれのかわいらしい演奏を聴かせてくれます。

 ヤコブももう一人の少年と一緒に、短い曲を2曲披露していました。私たちはみんなにこにこして、ヤコブの演奏を聴きました。小さな男の子だったヤコブの、成長していろいろなことができるようになる姿を見るのは、私にとってもとても嬉しいものでした。

 日本での発表会なるものを経験してきた私は、このカジュアルな発表会にちょっと拍子抜けはしたものの、非常に簡単でしかも温かい手作り感のあるいいものだなあと、演奏を聴きながら考えていました。日本での私の子どものころのピアノの発表会は、下手くそな私の演奏であっても、それなりの服装を整えてなぜか最後には全員花束をもらう、というものでした。お花は今考えると、高いものですよね。会場費や先生への謝礼など、親はその費用が大変だったのではないかと思います。今の子どもたちのバレエなどの発表会は10万円かかると聞いたこともあります。高いですね。

 それに比べて、このデンマーク方式、気軽に子どもたちの成果を見れていいものだと思いました。親たちはやはり子どもの晴れ姿は見たいもの、こういった手作りの発表会は無駄なお金をかけないで幸せになる、というデンマーク人の長所だと思います。

デンマーク人のやりそうなこと!

2007-08-18 07:13:46 | デンマーク・ニュース
 先日の新聞記事で、ミャンマーの軍事政権を暗に非難する広告を、デンマーク人芸術家のグループが出したというものがありました。

 7月23日付のミャンマー・タイムズという新聞に掲載された広告で、内容は北欧の人々にミャンマー旅行を呼びかけるといったもの。そしてデンマークの広告主の名前が問題で、Ewhsnahtrellikと書いてありました。これは逆から読むと、Killer than shweとなり、ミャンマーの民主化運動を弾圧してきた、軍政トップのタン・シュエ国家平和発展評議会議長を名指しした非難です。

 そしてデンマークの古詩というふれこみで載った、その広告内の一節の頭文字をつなげるとfreedomとなるそうです。

 この芸術家グループの一人は「最悪の体制のもとでも、検閲をくぐり抜けて独裁者に打撃を与えられることを示したかった」と述べたそうです。

 なんともデンマーク人らしいなあと思いました。

 第二次世界大戦下のドイツ軍工場に対するサボタージュ、地下新聞の発行、そういった精神が、今でもデンマーク人のマスコミや表現者の中に強く根付いているのでしょうか。今年のはじめに問題になった風刺画問題もそうですが、何かにレジストすること、それを表現すること、このあたりにデンマーク人はどうも誇りを持っているようです。もちろん笑えるうちはよいことではありますが、笑えないようなことはいけませんよね?どこまでが笑っていい範囲か、その判断が大切ということでしょう。

ワーキングホリデー制度

2007-08-16 14:25:13 | デンマーク・ニュース
 なんと今年の10月からデンマークと日本の間で、ワーキングホリデー制度が始まるそうです。びっくりしました。デンマーク・日本はロイヤルファミリーつながりがあること、デンマークの家具や食器の市場として日本は大きいことなどが背景としてあるのでしょうか。日本から見ると、社会や福祉のシステムに興味があるからでしょうか。そんなにびっくりする必要もないのでしょうけど、とにかく思いがけない、私にとっては嬉しいニュースです。

 これでハーフのうちの子どもたちが将来デンマークに滞在したいときに、その時点で日本国籍を選択していても、ビザが取りやすくなったのではないかと思います。年齢制限が何歳までかわからないのですが、最近は30歳までと伸びる傾向があるようですので、21歳で日本国籍を選択したあとも、だいぶ猶予ができそうです。(本当はハーフの子どもたちがひとつの国籍を選択するのではなく、ダブルで国籍を保持できるともっとよいのですが。)21歳はまだ学生の年齢です。学業を終えた後に、何がしかの経験をデンマークで得たいと彼らが考えたときに、その手立てがあるということはとにかく幸運なことです。

 もちろんハーフの子どもたちだけでなく、日本人の子どもたちもデンマークへの道が開けたわけで、それが将来両国にとってどんな影響があるのか、楽しみでもあります。

 最近、私が勉強するようになって、私の子どもたちの将来に対する気持ちに少々変化が出てきました。以前は親として、大学に行かせてあげたい、その費用を出してあげたい、留学もさせてあげたい、などとサポートすることを考えていました。でも最近はそんなにやっきになって、サポートしなくてもいいのではないか、そういう親の考え方が逆に子どもに受身の姿勢を作ってしまうのではないかと思うようになってきました。

 サポートしなければ、子どもは自分で何とかするしかなく、そのとき初めて真剣に自分の目の前の目標や将来について考えるように思います。自分で手段を作り出す、そのくらいの情熱がなければ、大学に行っても何を学べるというのでしょうか、というのは厳しすぎるかしら? このあたり、親としては子どもに苦労させたくないなあという気持ちもやはりあり、今後迷うところかもしれません。実際、デンマーク人の子どもであった夫も、それなりに自分の進路について選択をしてきたけれど、やっぱり学生時代はまったく受け身だったと言うところをみると、どう育てても子どもは未熟で受け身になる傾向が強いのかなとも思ってしまいますが。

 ただ、子どもが自らやる気を出したときにものすごくその子どもが伸びるだろうこと、そしてそういう子どもの気持ちをサポートするような制度が整うこと、それがとてもよいことだと思います。今回のワーキングホリデー制度のニュースを、明るい期待を持って読みました。

初めてのスクーリング参加

2007-08-07 09:53:53 | 通信制大学・大学院
 先週は、6日間の大学の夏期スクーリングに始めて参加しました。科目は西洋経済史で、担当の教授の専門研究分野である「19世紀アメリカ南部綿花プランテーションとイギリスの委託荷販売制度」についてでした。すでにリポートを2通提出してあり、このスクーリングの最後に行われるテストをパスすると単位がもらえるという仕組みになっています(他にも単位の取り方はいろいろあります)。

 学校は楽しいなあ、というのが率直な感想です。毎日4時間の授業ですが、これを行うほうはかなりのエネルギーが必要だと思います。にもかかわらず、先生は6日間、テンションを落とすこともなく、面白く講義をしてくれました。おかげで、最初は「興味を持てるだろうか」と少々疑問だったテーマだったのでしたが、現在の海外貿易の基礎形成期について、またアメリカ綿花プランテーションの詳細について知るところとなり、新しい世界が広がった思いです。

 考えてみれば、何十年も研究している教授が、まるでテレビでも見るように座っているだけで面白い話をしてくれる、しかも質問すれば答えてくれるし、わからないと言えばわかりやすく解説してくれるなんて、なんという贅沢なのでしょう。専門的な研究の話を聞けるのは、本当にエキサイティングな体験だと思います。またそういった教授が自分の考察を受け止めてくれるのは、こちら側の学ぶモチベーションを本当に高めてくれます。

 スクーリングに参加してもうひとつよかったのが、同じ受講生と話ができることでした。まだはじめたばっかりの私に、先輩(中には10年やっているという方も!)の話は非常に参考になりました。単位の取り方、先生についての情報、苦手な科目をどうやって単位を取ればよいか、など教えてもらいました。クラスには若者から(ノートを貸してあげた・・・。若者はやっぱりいかにして簡単に単位を取るかということが大切なのかな?)、定年したおじいちゃんという年代の人まで(年が上になるほど質問をする)、いろいろでした。中には同じように小さな子どもを持ちながら勉強をしている人もおり、そういう人との出会いが楽しくもあります。

 これまではできるだけスクーリングではなく、自宅学習で単位を取っていこうと思っていましたが、こうなってみると、やはりなるべくスクーリングで取りたいなあと思うようになりました。

 今回担当していただいた教授の印象的な言葉がいくつかありました。学問はやればやるほどわからなくなる、学問は誰もやっていない隙間をねらってやるとよいなどでした。そして授業を通して伝わってきたのが、学問に対しての信念・信条(ご自分の学説)を熱く持ち続けている先生の姿勢でしょうか。そして、次世代の研究者(になるかもしれない私たち受講者)へ、先生の研究やその魂を伝えようとしているのが伝わってくる授業でした。

 海外映画ではしばしば、こうした大学においての先生の情熱みたいなものが描かれたりしていますが、映画ほど劇的ではないにせよ、それは「ここにもあり」とうれしくなった1週間でした。(これからもがんばろう!!)