デンマーク・ハーフキッズ

デンマークについての情報やニュースを紹介、またデンマーク人と日本人のハーフの子供たちの子育て日記。

デンマークの男女

2010-02-08 23:33:13 | デンマーク人
 私のパソコンが壊れてしまいました。データは大丈夫のようなので、なんとか全部取り出し、おそらく新しいパソコンを買うことになると思います。パソコンには寿命があるそうで、なんとも困ったことですが、去年の卒論の真っ最中などではなくて、ちょうど春休み期間、タイミング的には不幸中の幸いといったところでしょう。ということで、写真などにもアクセスできないので、今日は今回のデンマークで強く感じたことを文章で書きます。

 デンマークに行くたびに感じるのが、男性との関係がなんだかとても居心地がいいことです。ある程度仲良くなると、「異性だとあまり意識しない」、けれども「ほどよく異性として意識する」という、とても心地よい関係になり、これは日本とはちょっと違う気がします。

 「異性だとあまり意識しない」というのは、まずは彼らが男性であるということの前に、同じ人間だという感じがします。彼らは人間として、料理もするし、育児もするので、ごく自然にそういうことについての話ができます。そして、同じ人間だという意識があるため、どんな話題も話し合えるし、相手が私に女性として期待しているところがなくて(女はこうあるべき、みたいな観念を押し付けられない)、気が楽で、私も自分の言いたいことをどんどん言うことができます。みなで大いにしゃべり、笑い、議論もし、とても自由な気持ちで過ごすことができて、楽しいのです。

 一方、「ほどよく異性として意識する」というところは、それでも彼らがやっぱり女性を好ましい存在と思ってくれているのを、ほどよく感じることからきていると思います。ちょっと服装を大げさにほめてみたり、外で寒いと言っていると、さりげなくブランケットを持ってきてくれたり、「そんなわけで、まあ、女というものはまったく理解できない、わけわからないものだけど、でもどうしても不可欠で愛すべき人たちなので、受け入れるしかないね」と思ってくれているところが伝わってきます。ごく親しければ、お互いにハグをしたり、くっついて歩いたりするのも、何の思惑もなく自然にできます。

 いつも大抵、グループには男女は一緒にミックスされていますが、そのお互いの関係がとても平等なので、窮屈な感じがしません。日本だったら、いつも変に気を使って、気軽にしゃべったりなかなかできませんが、デンマーク人はだれだれの夫とか妻とか、そういう感じではなく、さらっとフランクな関係を築けるように思います。日本でも女性だけだとそういうことがありますが、男女ミックスのグループでは変に相手を意識して、男性陣とあまりしゃべらずに終わってしまうことが多いのです。

 これはおそらく、デンマーク人は小さなころからやっているのかもしれません。よく町で中学生や高校生くらいのグループが、男女ミックスでものすごく仲良く遊んでいる光景を見ます。男の子たちはちょっぴり女の子に気を使っていますが、でも基本は対等で、楽しくじゃれあっていたり、しゃべりあっていたりします。日本ではその年頃には変に異性を意識して、逆に距離のある関係、あるいはなんだか妄想ばかりの関係やら、すぐ恋愛に結びつくだけの関係になりがちなように思うのです。文化の違いですからいたしかたありませんが、もっと風通しのいい男女の関係が、日本にもあったらよかったのにと思ってしまいます。

 ある友人が言っていたのですが、日本は男女を意識するのがすごく早いそうです。確かにそう言われてみると、すでに幼稚園児たちが、だれだれを好きだとか、女とは遊ばないとか、そんなことばかり言っています。こういうところから、変な意識が芽生え、本当は仲良くしたいのに、気持ちよい楽しい関係が築けないのかもしれません。なんだか人生の楽しみがかなり減っているような、とても残念な気がします。

デンマークでの心温まる小さなこと

2009-09-11 06:34:56 | デンマーク人
 ちょっと私の心が最近がさがさなので、デンマークでの、小さな心温まる出来事を今回はひとつ書いてみたいと思います。

 夏のデンマークではあちこちでちょっとした無料のイベントがありますが、今年はラッキーなことに、2度もデンマークロイヤルバレエ団の無料のバレエに遭遇してしまいました。そのひとつがチボリででした。(バレエのことやチボリのイベントについてはまた後日書きたいと思います。)

 夕暮れ、家族は皆「バレエはいいや」と言うので、私は一人で見ることにし、野外劇場に行くとすでにベンチにはぎっしり。デンマーク人はバレエが好きで、自国のバレエ団に誇りを持っているように見受けられますが、そのときもみんながとても楽しみに待っている雰囲気でした。
 
 運良く一席空いているように見えたのですが、両隣のおばさん2人が、隣同士でそれぞれのご主人を差し置いてたまたまおしゃべりを始めていました。そこを割りいっては座りにくく、どうしようかなと困っていたところ、後ろの列に座っていたほかのおばさんが「ほらここ、座りなさい、空いているわよ」と指をさし、私が座るのを促してくれ、察した両隣のおばさんたちも、あら失礼という感じで私を手招いてくれました。座ってほっとしている私に両隣のおばさんたちは、にっこりしてくれました。

 バレエが始まると徐々に日が暮れて、急に寒くなり、バッグからそっとスカーフを出して肩にかけようと思いました。でもがさがさ、ばたばたすると悪いので、そっと後ろに手を回してかけようとしていたのですが、なかなかスカーフの端っこが捕まえられず、手間取っていました。と、隣のおばさんがさっとそのしわのある、ぼってりした手を伸ばして、私の肩にかけてくれたのです。ありがとうございます、と小声で言うと、またにっこり。

 こんなこと、たいしたことない話かもしれません。でも、いつもデンマークで人に関心を払われず(デンマークでは徹底した個人主義で、他人に過剰にかまうことはないため。過剰にかまうのはかえって失礼と思っていると思います。)、どこかで私もちょっぴり気が張っているところで、こういう小さな親切に出会ったのはほとんど初めてで、本当に嬉しく感じてしまったのです。

 「68年の世代」、そのころはデンマーク人は今のデンマーク人とは違ったと聞きます。その当時のデンマークを知る人は、デンマーク人は人懐っこくあったかい人達だというのを何度も聞いたことがあります。私に親切にしてくれたおばさんたちは、ちょうどそのくらいの世代に見えました。そして、私はそのときどき聞かされていた、見知らぬ他人に関心を持つ、他人を気にかける「人懐っこいデンマーク人」に初めて出会い、心がゆるんで温かくなったのでした。(もしかしたら、初めてというのは少し大げさな表現かもしれませんが・・・笑。)

デンマーク人の子どもはなぜ静か?

2009-08-25 00:37:20 | デンマーク人
 デンマークで会った友人が、デンマークの男の子のイメージは静かなやさしい感じというようなことを言っていました。よくよく観察してみると、確かにそうです。デンマーク人の男の子たちは、一般にあまり乱暴な振舞い方もしないし、話し方も普通に穏やかに話しているようです。(もちろん、不良っぽい話し方をするのがかっこいいというわけで、そんなふうな言動を取る子もたくさんいるでしょうが。)

 さて、このことをきっかけに、滞在中、デンマーク人の子どもはどうして静かなのかしら、と考えていました。対して、日本の幼稚園生、小・中学生は大変うるさく話し、また乱暴な言葉遣いや偉そうな言動が当たり前になっているように思います。うちの子ども達も同様です。

 デンマークや北欧では(ほかのヨーロッパについてはわかりませんが)、母乳を与えている母親に対する食事制限が厳しいと聞きます。これは子どものメンタル面に悪いから、興奮させてしまうから食べちゃだめ、という食品がたくさんあるそうです。デンマークでは赤ちゃんのときから、おとなしい、騒がないという印象がありますが、果たしてその母乳のせいなのかもしれません。

 もう少し大きくなっても、レストランで子ども達がはしゃいで走り回る、という光景にはほとんど出くわしません。でも日本ではそういう光景、よく見ますよね?そしてもっと大きくなると、デンマークの子ども達は、いつも普通の音量で、ごく普通に話をしているように見えます。日本の子どもはいつも大声を出すことが普通のふるまいだと思っていて、それは中学生になっても、高校生になっても、とにかく大声で相手をけなしたり、皆を面白がらせるようなことを言うということが習慣になっているように見えます。まあ、私は日本人なので、そういう会話の可笑しさや面白さは確かにあるとは思っていますが、でもそのうるささは、遭遇する場所と状況によっては耐えられないときがあります。

 ほかの友人にこの話をしたら、それは人種的なものだと言っていました。遺伝子の中にそういう過剰反応するものが入っているのだそうです。本当かな?うーん、遺伝子なのか、文化なのか、それともそういう教育をされているのか・・・。それはちょっとわかりませんでしたが、もしかしたらそうなのかもしれません。

 ところがある日、この謎がちょっと解明しました。というか、少なくとも私の中では、なるほどと納得できたことがありました。ファクセの近くの海岸で、がけ崩れによって一部が海に落ちてしまった教会を見に行ったときのこと。そこは観光地なので、多くの団体の観光客も訪れていました。彼らはおそらく七十代以上のおじいさん、おばあさんで、きっと元同僚か何かだと思うのですが、集団の彼らのそれはそれは静かなこと。デンマーク人は普段はこうして、小さなグループでも、大集団でも、同じ音量で話し、ちっとも人数の多さを感じさせないのだと思いました。日本人だったらどうでしょう?言うまでもなく、よく言われているように、グループが大きくなればなるほど、大声で怒鳴りあって話し、ちょっとお下品なくらいの振る舞いをふることが多いのではないでしょうか?

 そう、静かなのは彼らの文化なのだと思いました。そういえば親が子どもを叱るときに、ぶったり金切り声を上げたりせずに、穏やかに、ひたすらひたすらひたすら忍耐強く、子どもに言い聞かせるのも、「静か」の一部なのだと思いました。うちの子ども達がうるさく騒ぐのは、私が子どもを叱るときに大声で思いっきり叱り飛ばしているからなのだと気づくにいたったのでした。

 遺伝子もあるかもしれません。その上で文化として、こうして老若男女を問わず、静かに会話することを基本としているデンマーク人。子ども達はこうして大声を上げることを聞かずに育つので、彼らもまたそういう静かに話す子ども達になるのでしょう。

 ときには大声で可笑しいことをいい合い、ふざけるのも確かに楽しいものです。でも、いつもいつも大声で話す社会は、やはり人を無意味に疲れさせるものだとも思います。デンマークに行くとほっとするのですが、それは、本当に音に関して疲れない国だからかもしれません。パーティーや一部の人を除いて、皆、本当に普通の音量で話していて、男の子の乱暴な話し方や女の子のキーキー声が聞こえず、いつもリラックスできる気がします。

デンマークの『高齢者の孤独』を読んで

2009-03-19 06:10:31 | デンマーク人
 たまたま見つけた新刊『高齢者の孤独』を読み終わりました。この本は25人のデンマークの高齢者が自らの孤独について文章で語ったもので、人生の折り返し地点を迎えた年齢の私としては、個人的にも興味があるテーマですし、また、個人主義のデンマーク人高齢者が何を考えているのか、ということにも前から興味がありました。デンマークは世界一幸福な国だとか言われていますが、中身はどうなのかという観点もいつも私が持っているところでもあります。

 25人の高齢者たちがそれぞれ自分について語るのですから、経験や感じていることもそれぞれ違うわけです。が、それでも彼らに共通することはいくつかあるように見えます。

・配偶者との死別の辛さ・・・これは皆が異句同音に語っているところで、私も以前日本の新聞の調査で「人生でもっとも辛いこと」が配偶者の死であることを見たことがありました。配偶者が亡くなった後、朝から晩まで一人であることをかみしめ、週末はもっと孤独をかみしめ、パーティーでは誰もが自分を避けているように感じ、ますます孤独を感じてしまう。立ち直れる人もいれば、あまりの辛さに立ち直れないでいる人もいる。

・家族と会えないこと・・・住んでいる場所によらず、自分の子どもたちは皆、それぞれの家族のことで忙しく、なかなか子どもや孫に会えない。私は子ども側の気持ちはわからないでもなく、確かに本当に週日も週末も忙しいのだけど、うーん、でもそれは子ども側が単に時間がないのか、あるいは会いたくないと思っているのかもしれないと思いました。

・友人がいないこと・・・もともと友人が少なかったり、あるいは友人と疎遠になってしまったりして、出かけたりお喋りしたりする人がいない、新しくグループに入れないということで、「誰もいない」生活を過ごしている。街では自分と同じように会話を交わす誰かを求めているそぶりの高齢者をたくさん見かける、せめて高齢者が気軽に立ち寄ってお茶を飲める場所があればいいのに(実際にはそういった場所を自治体で用意していることもある)、と願っている人も多い。

 ひとつはデンマーク人も日本人もあまり変わらない、と思いました。高齢者は今まで築いてきた人間関係を失い、活動範囲も狭まり、孤独に陥っていくのは核家族化が進んだ国であれば、あまりどこの国も変わらないでしょう。彼らのうちの何人かは「このような自分の楽しくない話で他の人を不快にさせてはいけない」と言っています。それから「他人に自分の気持ちを理解してもらおうというのは無理だ。自分の気持ちは自分しかわからない」とも言っています。これは個人主義から来るものだと思うので、ややデンマーク人はこうした気持ちを強く持っている傾向があるのかなとも思います。

 もうひとつはこの本の中で、誰も経済的な話をしないことに気づきました。誰もお金が足りず困窮しているなどという話をしませんし、写真で見る限り、こぎれいな家に住んでいます。ここがやはりデンマークの年金が十分であること、医療費が無料であることなどのすばらしいところなのでしょう。日本の場合は、高齢者の貧困は社会問題のひとつになっています。高齢と貧困はかなり辛い組み合わせだと思います。

 なかなか個人的に高齢者の方の意見を聞くことがないので、この本は貴重な人生の先輩の話として価値あるもので、いくつかのことを教えてもらったように思います。老いとともに一人になっていくこと、それを覚悟しつつ、今から自分の周りの人間関係をできるだけ構築しておくこと、趣味など人と共有できるものを持っておくこと、同時に自分一人の生活も充実させておくことなどをやっておかなければと思いました。まあ、これは老いに対する準備であるだけでなく、今現在、大切なことでもありますが・・・。

 さて、この本を読みながら、猛烈に気になってきたのが、義母のこと。一人で長ーい時間を過ごし、友人も多くなさそうな義母。息子の一人や孫たちとは遠く離れ、週末ごとに訪ねてくれるわけでもない・・・。そうでもなさそうに見えていたけど、もしかして、もしかして、ものすごーく孤独なのかしら? それである日、夫が電話してちょっと聞いてみたら、「全然、さびしくない!」とのこと。「デンマークの高齢者はみんないろんな活動に忙しくてさびしがっている暇はないわよー」とも。

 確かにこの本に出てくる人たちは、そもそも孤独だ、さびしいと思っている人たちであり、そう思っていない人はこの本には登場しないわけです。だから実際にどのくらいの人が孤独に陥っているかどうかは不明だけど、まあ、そういう人が少なくないことも確かでしょうし、義母が言うような状況も確かなのでしょう。

 まあ、でも義母がさびしがってなくて、本当によかったです。それでもすっかりストップしてしまっていた、毎月送っていた写真での私たちの生活リポートをこの本を機に再開しよう、と思っています。

 『高齢者の孤独』ビアギト・マスン&ピーダ・オーレスン編 
         ヘンレク・ビェアアグラウ写真
         石黒 暢訳
         新評論 1800円

当方デンマーク人男性、歯のモデルいたします!?

2008-12-03 16:48:58 | デンマーク人
 治療のため、今朝は予約をしていた歯医者さんに行きました。一家でお世話になっている歯医者さんなのですが、おはようございますと挨拶すると、心なしか担当の歯医者さんがぴかぴかの笑顔で迎えてくれました。

 すぐに診察室に来たその歯医者さん、開口一番、「今日はご主人の歯のレントゲンを見せてあげますよ~」と言います。傍らの衛生士さんがこれまた笑顔で、「最近は先生はいつも他の患者さんにも、これが治療の写真ですっていつもご主人のを見せているんですよ」と笑顔。そしていそいそと小さなレントゲン写真を持ってきて、早速、見せてくれました。

 確かに素人目に見ても、根っこの治療がきれいに行われた歯のレントゲンで、しかも夫の名前が書かれています。歯医者さんは一冊の分厚い本(図鑑のような)を持ってきて、私にあれこれ説明をしてくれました。この先生は説明がとっても好きで、しかもいつも専門用語で、まるで私が歯の研究者でもあるような感じで、丁寧に説明してくれたり、歯と全身の健康について話してくれます。(ちなみに、デンマークにキリスト教を導入したハラール青歯王は、確かに虫歯で歯が青みがかった可能性もあるだとうとのことです。)

 その本を書いている一人、なんとかというスウェーデンの歯の研究者がこの前、私たちのそのかかりつけの歯医者さんのところに来て、夫の治療後のレントゲンを見たところ、絶賛していたそうです。それだけきれいに治療ができているのですが、なぜそんなに私たちの歯医者さんが嬉しそうかというと、ちょっと興味深い説明をしてくれました。

 それは、欧米人(詳しくは人種によって、違うのかも)と日本人の歯の違いについてです。欧米人は歯が細長く、そして根の部分も細く長いそうです。対して、日本人の歯は、比較的四角っぽい形をしており、根も短いそう。まるで体型と同じだそうです。そのため、欧米で抜歯をする器具はありとあらゆるものがあるそうですが、日本の場合、抜歯の道具はひとつでほぼ足りてしまうそう(多分、ペンチ?)。

 これまでその歯医者さんは多くの患者さんの根の治療をしてきたわけですが、どうもそういった本とは何かが違うと思っていたそうです。そこに飛び込んできたデンマーク人の夫の歯を治療してレントゲンを見てみると、まさにテキスト通りの美しい治療!というわけで、歯医者さんは達成感を初めて感じたわけでした。そして、夫の歯のレントゲンが、モデルとして扱われるに至ったのでした。

 色や体型だけでなく、歯まで人種によって違うとは面白いと思います。歯の根っこが何本に分かれているかも、人種によって違うそうです。そういう人種の違いを研究したら、その人種のルーツなどもわかって面白いでしょうね。

 しっかりレクチャーを受けたあと、いよいよ私の治療が始まったのですが、始まる前、自分の歯のレントゲンを見て、まるで私の体型を見ているようで、かなりがっかりしてしまいました。確かに夫の歯のレントゲンはモデルができるかも・・・。

 

デンマーク式育児

2008-08-21 07:29:58 | デンマーク人
 デンマーク式育児として、冬のさなかベビーカーを外に出して昼寝をさせる(もちろん防寒はしっかりしますが)とか、自立心を養うだとか、日本人に比べておしゃぶりを多用するとかいろいろありますが、今回は特に「キレない育児」について考えさせられました。

 日本人は自分の子どもに対して、怒ったり、怒鳴ったり、ぶったりすることがよくあります。私自身、キレない日はないほど、怒りまくっています。でもデンマーク人は、友人たち曰く、「諭す」育児だそうで、そう聞いてから観察していると、なるほどその通りの育児です。

 まずデンマーク人には、頭ごなしでということがありません。子どもが何かしたくないと言った場合、「いいからやりなさい!」ではなく、「こういうわけだから、必要なの、だからやりましょう」ということになります。子どもが悪いことをした場合も同様です。ほとんど罵声を浴びせている私と打って変わって、彼らは「今のはこうだったから、こういうふうに悪いことになってしまうでしょう。これからはこういうふうにするのはやめましょうね」と冷静に説明します。これは、はじめから相手を小さくてもひとつの人格と認めたやり方だと思います。

 そしてデンマークでは親から子どもへの暴力が、法律で禁止されています。行き過ぎた虐待を防ぐためだと思いますが、デンマークで子どもをぶつのを目撃されると、親が逮捕されることがありますので、私もデンマークでは外では決してぶたないように気をつけています。こうした規制が、親をより「キレない」状態にしているのでしょう。キレる→力任せにおしりなどをたたく→子どもが泣く→とりあえず子どもが謝る→気が済んだところで親が許すという構図ではなく、キレない→ぶたずにひたすら耐えて、子どもに説明をする→子どもが理解する、という構図になります。

 よく見てみると、デンマークの大人達は決してキレることがありません。内輪では感情的になることもあるのでしょうが、いつも冷静沈着、育児に対してもそうですし、夫婦の中でもそう見えます。日本人だと友人の前でも夫婦のちょっとしたこぜりあいというのをときどき見かけますが(うちもだけど)、デンマーク人がそういうことをしているのに、まだ私は遭遇したことがありません。

 また友人に聞いた話ですが、この前の8週間にもわたる、保育士や看護士のストライキにも、皆、さして大きな不満も言わず、冷静に対応していたということです。日本だったら、毎日、ワイドショーで取り上げられて、キャスターやコメンテーターが扇動し、日本中大騒ぎになっていたことでしょう。親達もそれこそ怒りまくってしまうのではないでしょうか?冷静さ、クールさは一方で、冷たさや極端な個人主義の表れかなとも思うのですが、やはりこれもよい面であり、悪い面でもあるのでしょう。

 デンマーク式育児に話を戻しましょう。こんこんと説明している彼らは本当に辛抱強いと思いますが、さて、このように説明して育てると、冷静な大人ができあがるのでしょうか?そのほうが落ち着いた、穏やかな大人ができあがるのでしょうか?また子どものほうから見れば、頭ごなしに怒られるよりも、もっと心に刻み込まれるのでしょうか?また「やめなさい」と言われても、やはり子どもはほとんど親を無視してやめなかったりします。これに対して、日本人はやめるまであきらめずに子どもに詰め寄っていきますが、デンマーク人は途中であきらめて、やめなくてもスルーすることも多そうで、実際どうしているのかなと疑問に思います。このあたりはまた次回、観察してみたいところですが、この育児における冷静さ=理性は、彼らのすべてに共通するキーワードのひとつかもしれません。

 デンマークも夫が小さい頃は、親にぶたれるのは当たり前のことだったようです。ここ20~30年でデンマーク社会が大きく様変わりしている中で、育児についてもある意味、洗練され、理性的になってきたのかもしれません。

 でも私はどうしても感情をストレートに表し、頭ごなしに怒鳴りつける、昔の恐い親父式の育児になってしまいます・・・。親子が感情的になってぶつかり合うというのが、身体にしみこんでしまっているのかな?この違いはそれぞれの国の自分の子どもへの考え方の違いかもしれませんね(日本人は関与型、デンマーク人は個人主義型でしょうか?)。よしあしは別として、育児はその人がいいと思った通りにやるしかないとは思いますので、デンマーク人の育児を念頭には置きつつ、感情型育児で行くしかなさそうです、私は・・・。
 

どうぞ、召し上がれ?

2007-04-13 06:53:57 | デンマーク人
 先日のイースターイベントの際、ちょっと面白いトピックスがありました。それは食事のマナーについての話で、デンマーク人は皆が揃って食べるということを誰かが言い出し、他の人もそれに同調していました。デンマーク人は皆がテーブルに座ったところで、いっせいに食べ始める、対して日本人はお母さんが「温かいうちに食べなさい」などと言って、お母さん抜きでしばしば食べ始め、お母さんはキッチンから運び終わってからテーブルにつくといったような話でした。

 しかし、夫のデンマークの実家では、夫の兄はときどき先に食べてしまうし、クリスマスのディナーのときですら、招いたゲストが義母がまだテーブルについてないのに食べ始めてしまうしで、私にはどうもデンマーク人の揃って食べるという印象がありませんでした。反対に私の実家では、できるだけ「いただきます」と皆でいっせいに食べ始めたものです。今の私の家族でも、子ども達がフライングをすることもありますが、基本的には皆で「いただきます」です。

 その場の結論としては、要はマナーの問題、ただし傾向としてデンマーク人、日本人には食事を始める際に先に挙げたようなものがある、あとは人によって違うということね、となりました。

 この話で思い出したのですが、前回デンマークに行ったときにも同じような発見がありました。デンマーク人は予定を間近にならないと入れないのんびり派、という私のイメージに皆が異議を唱え、いや、デンマーク人はものすごく予定を組むタイプ、すごく前から予定を入れてあるし、予定が決まっていないと嫌なようだ、と教えてくれたのですが、これもデンマーク人と日本人のイメージが、私はまったく逆のもので考えていたのでした。

 こういう国民性を探り出し、分析して、意見交換するのはけっこう楽しいものです。そしてなぜか私の持っているイメージがいつも皆とずれています(笑)。これからも何か気づくことがあったら、ぜひ皆にぶつけてみて、修正してもらわなくては!ですね。

個性的な人

2007-02-20 07:17:56 | デンマーク人
 デンマークでクリスマスの買い物をしていたときのこと。おもちゃ屋に入り、子ども達へのプレゼントを探していたときに、ちょっと個性的な人を見かけました。

 彼は非常に背が高く、なかなかのハンサムな人でした。そして片足のズボンのすそをまくって、星がついた銀色のモールのようなものを2重3重に巻きつけてアクセサリーにしていました。こういうのはかっこいい人がするとなかなかキュートで、女性にとってほほえましいものですよね? 彼はとてもゆっくり歩いて、店内をあれこれ見て回っていました。そして携帯で誰かと話すとき、大口を開けて笑った顔がくしゃっとしてやさしそうでちょっとドキドキしてしまう感じでした。

 そして私が何より彼がとても素敵だと思ったのは、彼のそのすそをまくっている片足が義足だったことです。彼自身がきっとそこをチャームポイントだと思って、アクセサリーをつけて目立たせていたのかなと思うのです。彼のその粋な心とルックスに、私はしばし温かな幸せな気分にしてもらったのでした。

さみしい光景

2007-01-07 23:01:06 | デンマーク人
 デンマークでの楽しい話題を書きたいと思ってはいますが、それはまた今度ということにして、今日はちょっと違う話をしたいと思います。

 義母の住む団地の中にショッピングセンターがあり、スーパーが2軒、花屋、電器屋、パン屋、靴屋、ランドリー、銀行、不動産屋、パブ(ここで昼間からおじさんたちが飲んでいて、ちょっと柄は悪い)などが入っており、生活に必要な物はすべて調達できるようになっています。しゃれているとは言えないようなお店ばかりですが、近くですべて揃うのは大変便利です。

 さて今回そのショッピングセンターの一角が、新しくなっていることに気づきました。ガラスごしに中を見ると、大きなテーブルが置かれ、窓にはクリスマスの飾りが少し施されています。奥にはカウンターやキッチンがあるのが見えました。そのときは誰もいませんでしたが、張り紙を夫が読むと、そこは老人達の集まる場所ということでした。

 デンマーク人は定年後、いろいろなアクティビティで忙しいと先日、本でちょうど読んだところでした。老人のためのセンターで催されるいろいろなプログラムに週に何日か参加し、楽しく忙しい日を送っているというような記述があったことを思い出し、なるほど、こういうことか、こういう明るいダイニングのようなスペースでゲームをしたり、コーヒーを飲みながらお喋りをしたりするのね、と思いました。日本ももちろんこういうプログラムはあるでしょうけれど、こんなに明るい部屋で、ましてやショッピングセンターの中という便利な場所にあるのは見たことがないなあ、さすがデンマーク・・・。 

 そして数日後、またそこを通りかかったときに、ちょうど老人達が集まっているところに遭遇しました。コーヒーやたばこと共に、6-7人の人たちがトランプをしているところでした。それを見たとき、私にはそこが非常に「さみしい光景」だということに気づきました。私のイメージしていた楽しさはそこにはなく、あるのは孤独な老人の寄り集まりでした。クリスマスの時期に、こうして一人で、こういうところに参加せざるを得ないのは、どう考えたらいいのか・・・。そんな時期にこういうところに来ている彼らの表情は、部屋の明るさに似つかわしくないものでした。

 誰か訪ねる人がいれば、誰か訪ねてくれる人がいれば、きっとこういうところへは来ないだろうと思います。それでもこういう場所がなければ家の中で、もっと孤独になってしまうのかもしれないとすれば、この場所は非常に重要な場所なのでしょう。

 デンマーク人の孤独は深刻だと思います。もちろん日本の老人の孤独も深刻ですが、デンマークでは寒さのために外出が厳しいことが、より孤独を増すことになっていると思います。クリスマスのきれいなきれいな窓辺を見ながら、こうして窓辺を飾れる人はきっと幸せな人だ、家族や友人がいて、訪ね合って暖かい時間を過ごすのだろうなと思いました。逆に、クリスマスだというのにキャンドルやライト、ニセなどの飾りつけも何もない窓辺の人は、きっと誰も訪ねて来ず、クリスマスの楽しい気分とは関係のない、孤独な生活をしている人なのかもしれない・・・。夫と散歩をしながら、あちこちの窓辺を見上げてはそう思い、私は今、自分に家族がいて一緒にクリスマスを祝えることを改めてありがたく思ったのでした。

デンマークから戻りました

2007-01-06 02:32:20 | デンマーク人
 デンマークでクリスマス、年越と過ごし、1月3日に日本に戻りました。今年の日本での生活が皆さんよりも3日遅れで始まったような、なぜか出遅れた気分でいます。この3連休で普通のペースを取り戻さなくてはと思っている次第です。

 今年は記録が始まって以来の暖冬とはいえ、やはり外出がままならない冬であり、人とのつながりの大切さやありがたさを改めて感じるものとなりました。

 さて、今回のデンマーク滞在でいくつか印象に残ったことがあります。おいおい、写真つきでまたご紹介していきたいこともあるのですが、今回はデンマーク人の印象について書いてみようと思います。

 デンマーク人について、もちろん一言で語るなどということはできないのですけれども、以前からいくつか私が持っていた印象があります。
1.お酒好き、パーティー好きという社交的な面を持っている。
2.非常に自己主張が強く、決して謝らない。
3.半面、控えめな態度、謙遜、相手への思慮深い言動も目立つ(ヤンテの掟系)。

 今回ここに新たな面が2つ加わりました。
4.忙しいスケジュールの人たち。
5.人生に対して真摯で前向きな姿勢を持つ。

「忙しいスケジュール」については、実は前々から夫と義母の物事の進め方のスローペースに私はすっかり呆れかえっていました。例えば今回のデンマーク行きについては、私だったらすぐに会いたい人に連絡を取り、アポイントを取るだろうに、2人ときたら「それはデンマークに着いてから話しましょう」などという悠長なことを言っており、結局は会いたい親戚に会えずじまいで終わりました。ここでは長くなるのでまた違うときに書きたいと思いますが、夫は何事においても物事を悠長に構えていて結局はすべてが間に合わず、というタイプです(ただし仕事のときだけは違うのだそうです。本当かなあ?)。
 
 今回これを数名の方に話してみたところ、デンマーク人は本当にパズルのようにスケジュールを埋めていて、夫たちのような人は珍しいとの異口同音の意見をもらいました。さあ、どうでしょうか? でも確かに夫の友人達は一日にいくつもの予定を入れていたりします。それに寒くて外に出られない冬には、人との約束が何よりの過ごし方というのは、私もそろそろ実感しつつあるので「デンマーク人=忙しい」という図式は渡しも肯定しつつあります。逆に暇だと長い冬を乗り切れないのではないかとも思います。

 もうひとつの「人生に対する真摯で前向きな姿勢」は今回の滞在で非常に感銘を受けたことです。

 私は今、通信の大学に入学するかどうか迷っているのですが、その話をあるデンマーク人の友人に話したところ「ぜひ、やってみるべきだよ!カーステンも今、MBAを始めたんだよ。大丈夫、きっとできるし、やりたいと思ったらぜひチャレンジしてみるべきだよ」と笑顔でエンカレッジしてくれたのでした。そして他の人も、同じようにエンカレッジしてくれ、自分の体験談を話してくれました。学校と仕事と子育ての両立は非常に大変だった、でも自分もできたからきっと君もできるはずだよ、と。またもう一人の人は「私が何か役に立てることがあったらぜひメールをしてね」とメールアドレスを教えてくれました。

 誰に話してもこういう反応が来るのは嬉しい驚きでした。単に「すごいわねー」とか言うのではなく、ちゃかしたりすることもなく、心から応援し、知っている具体例を挙げ、チャレンジすることを推奨してくれる姿勢を私は新鮮に感じました。それだけ厳しい自然の中で、彼らが切り開いてきた自負と自信があり、それがデンマーク人の強さなのでしょうか。同じようにチャレンジしようという人に、だからこそ共感してくれるのでしょうか。

 今回の滞在では記録が始まって以来の暖冬とはいえ、やはり外出がままならない冬であり、人とのつながりの大切さやありがたさを改めて感じるものとなりました。