デンマーク・ハーフキッズ

デンマークについての情報やニュースを紹介、またデンマーク人と日本人のハーフの子供たちの子育て日記。

ウサギと亀

2008-01-23 08:07:46 | 通信制大学・大学院
 ミクシィで私の通信制大学のコミュニティがあり参加しているのですが、トピックスで「これから入学しようとしているのでいろいろと教えてください」というのがありました。先輩にあたる在学生が細々とした質問に答えており、その中のひとつに「どのくらい勉強すればよいのでしょうか?」という問いがありました。

 何かを学ぶために「どのくらい」なんてあるのかなと思いながら在学生の回答を読むと、「私の場合は、月・火で課題を洗い出し、水・木・金で参考文献を探し、土日でリポートを書く。それを毎週行い、最大で月に4科目分リポートを提出しました」とあり、私はもうびっくり、ショック!というくらいの衝撃を受けたのでした。テキストを読まないんだ・・・と。

 私の場合は1教科200~400ページくらいのテキストを、一応すべてノートを取りながら読んでおり、だいたい読むのに1ヶ月余くらいかかります。それから課題に取り組み、リポートを作成するわけで、教科にもよりますが、1教科1ヶ月半のペースです。私って本当に亀だったようです。

 今さらながら、物ごとに取り組むときの人々の姿勢がいかに多様であることを思い知りました。そういう軽やかなウサギさんたちの中で、改めて自分がのろまな亀に見えますが、やっぱり私は自分のやりかたを変えられないとも思いました。ここまで試行錯誤で自分の学び方を手探りしてきており、また、こうして1ページ1ページ、1行1行学んでいくことの楽しさや喜びは何にも換えがたいからです。

 先日会ったある友人などは、若いのに自分の道をオリジナルに探ってきており、非常に努力している人です。私は彼女の内面のそういった自分を信じる強さがすごいなと内心尊敬し、そういう人が魅力のある人なのだと思っています。私もそういう自分を信じる気持ちを、今回の大学での学習を通して遅まきながら学んでいるところです。

 最後に勝つかどうかはどうでもよいのですが、亀は亀らしく、止まらないで歩き続けることが一番大切、と自分に言い聞かせた一件でした。

最近あった小話いくつか

2008-01-21 10:49:51 | 日記
 暮れにお墓参りに行ったときに、時間が余り、すぐ上にある私の卒園した幼稚園に行ってみました。相当な年月がたっているにも関わらず、ほとんど変わっていない幼稚園の園庭に立って、しばし感慨にふけってしまいました。ちょうどそこに幼稚園の先生がいらっしゃって、「下の畑の大根、抜く?」と子供達を誘ってくれました。大根を抜き、蕪を抜き、白菜やキャベツまで収穫し、そしてみかん狩りなどまでさせていただいて、思いがけず楽しい畑での時間を過ごしながら、私が幼稚園のときにここで育てられた小さい赤い蕪を食べたことを思い出しました。あのときの辛かった味まで思い出しつつ、ますます感慨にふけったのでした。

 食べ物がたくさんで我が家では冷蔵庫に入りきらず、冬はベランダによくお鍋ごと出したりしています。お正月、やはり入りきらず卵を1パック丸ごと出していました。するとなんと夜の間にカラスがすべて食べてしまいました。ケースは再生紙で作られたしっかりしたものだったのですが、そのケースをすべてくちばしでつついて破き、中の卵を10個、きれいに持っていっていました。割れた卵がなかったことに私は妙に感心し、夫は怒っていましたが、私はもう可笑しくて可笑しくて・・・。カラスにとっては思いがけず、すばらしいお年玉だったことでしょうね。

 先日病院に行ったときに、同じマンションに住む60代の女性にばったり会いました。彼女は昨年、大使などをなさっていたご主人を亡くされたばかりなのですが、数分の会話の中で「やっぱり子どもには迷惑をかけられないでしょう。だから自分でいろいろやらなくてはね」「子供達も仕事で大変だから、ときどき孫の面倒をみてあげているのよ」と言っていました。それを聞いて私はなぜか腑に落ちない気持ちに・・・。
 私だって将来、子どもに介護をさせたいとは思っていませんが、それは彼らの貴重な人生を拘束してしまいたくないという思いからです。でもご主人を亡くされたばかりの彼女がどうしてこんなに気丈なことを言わなくちゃいけないのかなあと、そこに腑に落ちない気持ちになったのでした。
 そして、そこで気づいたのが「子供達にめいっぱい迷惑をかけ、世話になりたい」という私の気持ちなのでした(笑)。もし子供達が将来お金持ちになったら、私にもいろいろ買ってもらいたいし、旅行代も出してもらいたい。もし子供達が将来近所に住んでいたら、困ってるときにはすぐにちょこっと来てもらいたい、もし夫が死んで私が落ち込んでいたら、孫の面倒ではなくて、私の精神的な面倒をしばし見てもらいたいなどと考えていることでした。介護が必要になるくらいになったら結構ですが、それまではめいっぱい世話になろうという魂胆・・・。それを夫に言ったら「ティピカルな君の考え方」と言われてしまいましたが。でも本当に将来ショウミーとジジが「ほんっとにうちのママってだめだよねぇ、ひっどいよねぇ」とあきれているような、そんな母親になろうと私は思っているのでした。まあ、すでにうちの子供たちはそう思っているところもありそうですが・・・。

オープンな家族

2008-01-13 18:57:45 | 母親業・主婦業
 現在、ショウミーが6歳、ジジが3歳で、食卓での会話は夫と私という構図がメインであるものの、最近は子供達も会話に加わるようになってきました。毎晩、夕食のテーブルでは今日あったことなどを話し合う場になってきています。子供達との会話は「超」面白く、ジジの食べ方にあれこれ言わなくてもよくなる1-2年後は、きっともっとこの毎日の夕食の場が私にとって楽しくなるだろうと思っているところです。

 ここに来て、最近少し考えたのが、子どもの前でどこまで大人の話をするか、ということです。やはり夫にはその日に感情を害された話などを聞いてもらうわけで、そういう話を子どもの前でしていいのかどうか、というわけです。私が小さい頃は、大人たちはときどきこそこそと話をしていたり、子どもはあっちに行ってなさいということがありましたが、今思えば、そういうときに大人たちは誰かへの文句や悪口など、ネガティブな話をしていたのに違いありません。

 さて、少し考えた結果、我が家では基本的にはたいがいの話は子どもの前でもOKということになりました。誰かに何かを言われて私が傷ついたこと、怒ったことなどを子どもの前でも話そうと思ったのでした。もちろんあからさまな悪口はいけませんが、これはよく考えてみると何も子どもの前でなくても、人として悪口はできるだけ言わないようにしなくてはならないわけですから、子どもの前だけ言わないのではなく、悪口はいつも言わないようであればいいわけです。そうではなくて、人としての感情、こう思った、こう感じた、嬉しい、悲しい、怒ってる、どうしたらいいのかと悩んでいる、迷っている、などを正直に子どもに見せておこうと思ったのでした。

 そういう食卓での会話で、子供達は自然に人間らしい気持ちを学んでいくのかなと思います。また私達が正直に話すことによって、子供達も思いを正直に出して、私達を何でも話していい相手と思ってくれるのかなと思います。いつか親に話せないようなこともたくさん出てくるとは思いますが、私達がよい話し相手でありたいこと、対等に会話できる相手であることを知っておいてもらいたいのです。

 まあ、そもそも私の性格的に隠しておけないので、こういった方針になるということもありますが・・・(笑)。いつも何でも友人のように話し合える、オープンな家庭であり続けられたらいいなと思います。私の親達はそうではなかったので、特にそう願っています。

「民主主義 デンマーク風刺画事件を追って」

2008-01-09 23:35:20 | デンマーク・ニュース
 NHKの33カ国共同制作番組「民主主義」の中で、デンマークの風刺画問題のドキュメンタリー番組が放送されました。あらゆる角度から民主主義を問うという主旨の番組でしたが、このデンマークについての番組は個人的に特に興味深く見ました。

 このブログの中でも風刺画問題を以前書きましたが、この番組を見て、思いを深くした部分、認識を新たにした部分がありましたので書いてみたいと思います。

 まずはじめに、番組の中で「デンマーク社会におけるアラブへの嫌悪感が問題だ」というムスリム側の意見に、私は深く納得してしまいました。これは何もデンマークに限ったことではないと思いますが、私達西側の人々はアラブに嫌悪感を抱いているというのは決して言い過ぎではないように思います。嫌っている人には自分も嫌われる、というのが人の常だと思いますが、こうしたことがアラブ対欧米という図式の中でもあるのではないでしょうか。もちろん、自分を正しいと思うことは自然であり悪くないのですが、相手を間違っている、悪い、おかしい、と決めつけているのではないか、果たして私達はアラブ社会をどれだけ理解しているだろうかと思いました。

 また同じくムスリムの指導者の一人が、「われわれのやり方が最も正しいのだ、自由と言うが本当の自由は存在しない。信号が赤なら止まらなくてはならない」というようなことを言っており、これもあながち間違った意見とは思えませんでした。私自身、今、民主主義の定義がわからなくなってしまっていますし、日本に民主主義があるのか、自由があるのかと聞かれたら、ないかもしれないと思ってしまいます。ムスリムの世界の女性差別については認められませんし、アラブの国々には一般に民主的ではなく、それは受け入れがたいことではありますが、かといってすべてアラブの考え方が間違っているとは言い切れないとも思います。ここでいう、何が正しく、何が間違っているかはやはり個人差や文化の差なのだと思いました。

 そういった民主主義、報道の自由、表現の自由を標榜しているデンマークと、ムスリム国家は互いに触れてはいけない、アンタッチャブルな存在なのだというのが、番組を見て私は改めて認識することとなりました。文字をメインに報道を追っていましたが、今回映像で当時のデモや大使館への放火、国旗への放火、当時の登場人物たちなどを見て、事態は私が想像していたよりも重いものでした。

 個人間でも同じですが、自分とどうしてみても合わない人とはつきあわない、関係しないに越したことはありません。程よく互いに距離を置くことが一番よいと思います。同じ国土の中でそれを強いられているデンマーク国民の努力は大きく、それについては本当に評価されるべきと思いますが、今回の風刺画については相手の領域に土足で入り、合わないのがわかっているにも関わらず挑発をしたことだったのではないでしょうか。触れてはいけないことに触れた、それは挑発だったとしか思えません。そして善悪の決着などつけられない価値観の問題であるのに、こうした行動を取ったデンマーク人を、私は非常に子どもっぽく思えてなりませんでした。もちろんここに至るまでの彼らのフラストレーションは加味しなくてはいけませんが、それでも最終的には彼らの態度を子どもの喧嘩のように思ってしまいました。日本でも個人としては挑発的な発言をする政治家もしばしばいますが、デンマークでは反対意見もあったにせよ、結果として国を挙げて、というあたりに正直驚いています。

 それとも私が、相容れないイデオロギーを少なくとも受け入れようとしていたデンマークを理解していなくて、子どもっぽい意見を言っているのかもしれないと思いつつ、以上、私の見解を書いてみました。

 同時に、息子を2人殺されたというムスリムの活動家が、その殺された息子の写真を見せるシーンを見て、そもそも平和な日本に住んでいる私がムスリム人に意見する資格などないのではないかとも一瞬、思いました。私の考えている民主主義やら、イデオロギーや価値観などは、そもそもすべて甘い認識なのだろうなと思わざるを得ないシーンでした。

 また初めて元ユランズ・ポステンのフレミング・ローズのインタビュー映像を見て、この人は本当に渦中で怖かっただろうなと思いました。ここまで広がるとは予想をしていなかったことだったでしょう。そういう意味では、彼は勇気を持って、原論の自由とは何かを示したことは確かな事実だと思いました。その見返りも含めて。

「恋に落ちる確率」

2008-01-05 08:27:45 | デンマーク 映画・芸術関係
 普段は映画をなかなか見れないのですが、久しぶりに2本見ました。ひとつは「ナインス・ゲート」という夫が選んだジョニー・デップ主演のDVDです。意外と面白くてよかったです。ジョニー・デップならではの奥行きのある演技、不思議な展開は早くて、引き込まれてしまいました。こういう映画だと我が家では夫と映画の楽しみを共有できます。(普段はかなり映画の趣味が合わないのです。)

 さてもうひとつの映画が、私チョイスのデンマーク映画「恋に落ちる確率」です。

 原題はReconstruction(再生、再建)ですので、ちょっと邦題の確率という言葉が違うニュアンスをかもし出してしまうようには思います。一人の男の人が人生の岐路で選ぶ相手に迷うという設定なので、そういう意味では選んだ後の人生に対する確率という言葉は的確なのかもしれないのですが、見る前はタイトルのイメージでもっと軽い恋愛物を想像していました。

 あいまいなストーリーですし、結論がこうという映画ではないので、かなり個人の解釈の幅が広がる映画です。見終わったときはよくわからなくて気持ち悪いと思ったのですが、一夜明けて、じわじわと解釈できるようになり(笑)、私なりになるほどねぇと思っています。

 全員とはいいませんが、男の人って本当に自分本位というか、永遠の子どもなのですね。この映画の主人公のアレックスも30代で仕事も結婚も覚悟を決められず、その瞬間瞬間で生きているんだなあ、と。何事も決めようとする女の人に対して、決めようとしない男の人のひとつの典型を見た気がしました。もちろん実生活でそういう人生を歩んでいる人は少数派で、実際にはどこかで覚悟を決めて人生を歩んでいる人が多いと思いますが、男の人はどこかファンタジーの世界で生きているところがあるように思います。よい言い方をすれば夢があるわけで、だからこそ世界が発展してきたということもあるのでしょうけれど。

 アレックスは素敵な女性2人の間で揺れて(現実の人生と甘い夢の世界の人生の間で揺れて)、最後は一人になってしまうのですが、監督が男の人でそういう男の人の気持ちをよく描写していると思います。そして最後がハッピーエンドではなく、寂しい終わり方であること、映画全体が現実ではないことあたりが「ちゃんとわかっているのね」と好感が持てました。それでハッピーエンドだったりすると「わかってない!若すぎる!」と女性の反感を買うことでしょう(笑)。

 それにしてもアレックス役のニコライ・リー・コースは私の好み。名前はデンマーク人だけど、典型的なデンマーク人の風貌とは違うように思うのですが、違う人種の血も入っているのかな? 以前「しあわせな孤独」のときも素敵だったけれど、今回はいっそう魅力的になっていました。