Kanaheiのデンマーク生活

糖尿病の勉強をしたくてきたデンマークでの紆余曲折な生活を日記として残しています。

寒そうな女

2012年05月06日 | Weblog

 先日H氏と昔の話をしていたときのこと。

 離婚後、恋人ができてもなかなか長続きせず、「なんでだろう…」と悩んでいたH氏に、彼の友達は「H、もっとこう、寒そうな女の子を選ばないと!」とアドバイスをしたそうです。

 寒そうな女とはH氏曰く「静かで、あまり”私!私!”と場を占める存在(元奥さんのように)ではなく、いつも隅っこにいるような、こう、ぎゅーっとしてあげたくなるような子」なのだそう。

 細い見た目とは裏腹に、「草食なんて男じゃねえ!」という、男子万歳なH氏。中身はまるでヴァイキングです。しかしここデンマークは男子のみならず女子も(というか女子の方が)強い。義務はほどほどに、権利は全力で主張するヴァイキング女子の中に「寒そうな子」をみつけるのは、なかなか難しいことなのだそうです。

 なんか、この「寒そうな子」を聞いて思うのが、日本もデンマークも男の人ってやっぱり「守って上げたい系女子」が好きね〜、と。「H氏おまえもか!」って感じです。
 
 ちなみに彼の好みの女性は、メグ=ライアン。時代を感じさせます。そして女性へのセクシーだと思うファッションについて「アウトドアシャツとオーバーオールとか最高にセクシー」とは、ヤッホー山男H氏の夢想です。ていうかアウトドア女?!寒そうじゃない!このへんに「寒そうな女」を選ばずに失敗してきた要因があるような気もします。
 
 H氏の目に私が寒そうに映ったかどうかは知りませんが、もしそうであったとしたら、正真正銘の冷え性で1年中寒がっており、静かですみっこにいるのはただ単に言葉の問題であって、中身はアマゾネス、という事実に彼が気づかないでいてくれることを祈るばかりです。


トップ写真は映画『MY MOM'S NEW BOYFRIEND』での特殊メイクのメグ。
Comment (1) |  Trackback (0) | 

初めての家族日本旅行その3〜熊野古道、小雲取越えと木曽路馬子宿〜

2012年04月30日 | Weblog


 3月29日、前日の険しい大雲取越えからのあちこち身体の痛みはあるものの、先に進むべく小雲取越えへ。


世界遺産でございます。

 このルートは大雲取越えとほぼ同じく15kmほどですが、大雲取越えよりもアップダウンが少なく快適なハイキングコースが続きます。が、そうは言ってもやはり最初の山に入るところは厳しく、でも前日の経験を生かし、地図を見ながら小休憩を取りつつ進みました。


またしてもへたれ中。


日本語が読めないガイジンな彼らは「…なんでリスが銃を持っているんだ…。なんの警告なんだこれは?」と。「山には色んな危険がいっぱいなのよ…」と教えておきました。

 このルートの素晴らしいところは、見晴らしの良さ!最初の休憩ポイントである桜茶屋跡に来ると、前日歩いた大雲取越えの山をむこうにみることができ、「お〜!こんなに歩いたのか!」とちょっと感動です。


右側の山が大雲取越え。


ヤッホー男と山ガールビギナー。


「はい、もーちょっと後ろにさがって〜」と、鬼の継母。

 爽快に林道を歩き、自然を堪能し、本当に気持ちよかったこのルート。前日に険しい方を歩いたから余計に楽に感じたのでしょうか…。無事に予定時間以内に目的地の本宮町に到着。お天気のいい中アイスを食べつつ休憩し、バスで熊野三大大社のうち一番大切な本宮大社へ。


全国にある熊野神社の総本山、熊野本宮大社。中は写真撮影禁止で、神聖な雰囲気です。

 本宮大社をさらっと拝んだ後、この日の宿、これまた世界遺産で日本最古の温泉、「壷の湯」がある(入らなかったけど)、湯の峰温泉へ。泊まった宿は湯の峰山荘という、大きな旅館だったのですが、この旅館の売りは温泉と温泉水を使った料理。とっても豪華でおいしかったのですが、やはり百福のおばちゃんの手料理にはかないません。

 H氏と息子達は初めて本物の温泉に入ったわけですが、内湯も露天もそれなりに楽しんだようでした。もちろん寝る前と朝湯も。


部屋からは桜が。


看板犬の犬達。触らせてくれるけどそこまで愛想は良くない。


お部屋食。

 3月30日、湯の峰温泉からはバスで紀伊田辺駅へ(2時間ほど)。
 ここまで3食全部伝統的和食が続いたので、やや和食にうんざりなH氏と息子達のために仕方なく、自家製ハンバーガーのお店でテイクアウェイ。紀伊田辺からまたしてもスーパーくろしお号に乗って、また紀伊半島西海岸を北上、新大阪でおり、今度は新幹線で名古屋へ。もともと乗り物が大の苦手な次男、このバス、電車、新幹線で完全に撃沈。子供がいると長距離の移動は大変だ…と実感。

 外国人や海外居住者が買うことのできる、鉄道乗り放題のジャパンレールパスを1週間分買っていたので、「せっかくだし色々まわろう」と欲張ったのがいけなかった。
 紀伊から東京への帰り道で、どこか立ち寄れるような観光地ということで、木曽路の馬子宿に行くことにしたのですが、けっこう遠い。ほとんどこの日は移動に費やすことになり、木曽路もほとんど見れず。それでもいかにも宿場町の宿但馬屋では、木曽踊りの講習を受けたりと(認定証までもらった)、楽しかったです。
 

囲炉裏がいい感じです。


木曽踊り認定。はじめは恥ずかしがってたティーンエイジャーの長男も、習い始めたら超本気。何気に認定が一番嬉しかったのは彼ではないかと。


宿場町の町並みが素敵、でもなぜかお店開いてないし雨降りだし。


 そんな感じで、京都、紀伊の熊野古道、木曽路と周り、「あ〜やっと立川のおばあちゃん家だ」と、みんな立川に帰って来て妙にほっとしたのでした。
Comments (4) |  Trackback (0) | 

初めての家族日本旅行その2〜熊野古道、那智大社と大雲取越え〜

2012年04月30日 | 旅の話
 3月27日、いよいよ熊野古道へ。

 日本の自然を満喫したいという、大自然男H氏のたっての希望により、熊野古道巡礼路を歩くツアーを企画。世界遺産に登録されたこともあり、ネットでだいぶ情報が得られるようになったとはいえ、それでも山歩き初心者の私にはわからないことだらけで、調べるのもかなり大変でした…。ていうか熊野古道、かなり広い!
 この日は京都からスーパーくろしおという特急列車で、およそ4時間かけて那智駅へ。特急と言えど、やはり新幹線と違って時間がかかりますが、紀伊半島を沿岸に沿って走るので、眺めがよく、気持ちよかったです。


スーパーくろしお内。


パンダ駅?!中で人が働いてるし!

 那智駅から那智大社までは7kmくらいでしょうか。天気のいい午後、国道を歩き、しばらく進むと大門坂入り口へ到着。ここまでは駅からバスもでているので、ちょっと熊野古道の雰囲気を楽しみつつ、少し歩きたい人はここからスタートするのをおすすめします。


那智大社への国道。

 大門坂は「これぞ熊野古道!」な、本当に美しい杉並木と石の道。ずんずんと登り、だいぶ「I hate 階段」な気分になって来た頃、ようやく熊野三大社のうちのひとつ、那智大社に到着します。


入り口。杖を借りれます。



 気温42度、真夏の南イタリアはマテーラに行った去年もそうでしたが、次男は道もわからず(そして意味もなく)先走って、また戻って来てを繰り返し、誰よりも早く力尽きるのですが、この時もやはり山道を行ったり来たり、他の人が登ってくるのを待ってイライラと消耗…。


木の穴に潜んで通行人を脅かしてみたり。省エネという言葉は彼の中にありません。


「なんでエスカレーターじゃないの…?」と、へたれ長男。


もちろんこういうのはスルーしませんよ。

 那智大社をなんとなく拝み、その後那智の美滝へ。


五重塔と滝。


マイナスイオン吸収中。

 この日の宿は那智大社にある美滝山荘。いわゆる純和風の民宿です。お食事は普通においしく、お風呂は熱め。この民宿の売りはその名の通り、那智の滝を客室から眺められることなのですが、私達の部屋はちょうど滝ではなく山側。でも山の無い国デンマークの人、H氏にとってはそれでも感動だったようです。


初浴衣。H氏、XLでも短すぎ…。


 3月28日、山歩き初心者で子連れにして、いきなり熊野古道の難所「大雲取越え」へ。
 事前にルートとだいたいの所要時間はネットで調べていたのですが、朝食時、宿の人に「大雲取越えを行くんですけど、どこかでお昼ごはんのお弁当とか買えますかね?」と聞くと、宿の人「え?!大雲取越え?じゃあもう今から出ないと小口(大雲取越えと小雲取越え二つのルートの中継地で、那智大社と熊野本宮を行き来する場合は小口に宿泊する)に暗くなる前に着けないですよ!急いで!」と、ちょいパニック。
 しかもお弁当を買える場所なんてないし、那智大社周囲のお土産屋さんも開店しておらず、慌てて宿に頼んでおにぎり弁当を作ってもらいました。

 お弁当をもらい、宿の人に急かされてバタバタと出発。那智大社となりの青岸渡寺というお寺の横から大雲取越えはスタート。


最初は元気。

 このルートはきついとは聞いていましたが、最初の30分くらいが死ぬほどきつかった…。とにかく傾斜が急な石段をひたすら登る(というかよじ登る)のですが、バックパッカーのH氏と長男は汗だく、バックパックほどではないものの、カメラや重いもの担当の私(体力無し)、4人分のお弁当と水の入ったリュックの次男(元気だけどまだ子供)。途中何度も休憩しつつ進んだものの、さすがにまだ10歳の次男は何度か座り込んで「もうやだ」と泣いてしまうほど。子供なので時間や距離の感覚が大人ほど無く、「あと少し」がどれくらい続くものなのかわからないので余計につらかったようです。
 なんとかなだめすかして、励ましつつ登らせ、やっと着いた最初の休憩ポイント。ここまでで持って来ていたペットボトル2本の水を飲み尽くしてしまい、残り13kmも続く難所のために、自動販売機を探すのですが…無い!!手洗い所の水道なども試したのですが、すべて断水。この先、自販機はおろか、水道も何もない山道です。甘かった…。完全に山をなめておりました。


へたれ中。

 子供達に水が無い不安を悟られないよう「もうちょっと進んでみよう。次のポイントで何かあるかもしれないから」と励ましつつ、でも内心はかなりパニック(私も喉がカラカラだったし)。その後、1時間ほど水を渇望しつつ、泣く次男をなだめつつ山道を歩き、次の休憩ポイントに到着。まさしくデスペラートなH氏が走って休憩場に自販機を探しにいったのですが、ここにもやはり何も無く、一同失望…。
 しかしその時、休憩場にいたおじさん(同じ宿に前日泊まっていた)が、なんと自分のお茶を1本分けてくれたのでした!!神様!!本当に命拾いとはまさにこのこと。

 なんとか喉を潤した後は、所々難所はあるものの(「亡者の出会い」という、道が険しすぎて亡霊が見えるほどという場所も通過。誰にも会わなくてよかった…)、この辺りからやっとうっそうとした杉の森を抜け、比較的ゆるやかな林道を歩きます。
 そして何やら道が湿って来たな、と思ったら、少し先に小川が。大自然ヤッホー男、ノルウェーやスウェーデンの山も歩いたH氏、「あの水、ちょっと試してみる!」と、川に降りていき、水を試飲!郊外とはいえ、東京生まれ、東京育ちの私にとって、自然の小川の水を飲むなんて考えたこともなかったので、H氏のワイルドさにびびりましたが、「うん!おいしい!飲めるよ!」とのことで恐る恐る飲んでみると、確かにおいしい。しかも超冷たい。
 「ここでお腹壊したら完全に全滅だな…」と一抹の不安はあったものの、ヤッホー男H氏を信じて、みんな小川の水をごくごく。ペットボトルにも充填完了。ちなみにお腹はその後もノープロブレムで、小口の民宿のおやじさんに聞いたところ、熊野古道の水は商品として全国に販売されているほど、おいしい水なのだそうです。よかった…。


昨年の台風による大災害の影響でまだゴタゴタしてるけど、小川。


生き返る次男。

 古道を歩きつつ目にしたのが、倒壊した建物や、木の瓦礫が散らばり、なにやらゴタゴタっとした川や道。そこでハッと思い出したのが、去年紀伊半島を直撃した台風のこと。東北大震災の陰に隠れてしまって、あまり海外では報道されませんでしたが、熊野古道のある紀伊南部はかなりの被害で、死傷者もたくさん出たそうです。
 そんな大被害を受けた熊野古道でしたが、全国のボランティアさんがやってきて、古道の復旧をかなりがんばってくれたそうで、私達が歩いた約半年後にはすでにかなり道も再整備されていました。まだ多少ゴタゴタしている箇所はありますが、それでもあの災害の後、短期間であそこまで整備をしたなんて、ものすごい大変だったはず。そんなことも知らずにのんきにやって来た我々、本当にボランティアと地元の方々には感謝です…。

 小川が川になり、だんだんと道も獣道からちゃんとした道になってくると、超さわやかハイキングコースに。ようやくお昼ごはんの休憩場に到着し、お弁当ターイム!死ぬほどつらかった前半だったので、おにぎりも死ぬほどおいしかったです…。


偏食の子供達も空腹には勝てなかったようで、たくさん食べていました。


京都で買った怪しいアウトドア帽。ヒッピーな色柄が気に入り、ついでにお香まで買った、元ヒッピー系なヤッホー男H氏。

 お昼ごはんで気力も復活し、あとは小口まで6km弱の下り坂。ここらへんから息子達も元気になり、走る、歌う(トトロの「歩こう〜」を覚えた)、跳ねる!歩きながら普段は話さないような、色んなことも話しました。


「恐竜の卵だ!」




今回の旅で完全に日本文化リスペクトの次男は、古道脇のお地蔵さんを見つけるたび、手を合わせてました。

 そしてやっと!小口に到着!!遅め出発、頻繁の休憩にも関わらず、大人の足で計算された大雲取越えの標準所要時間よりも15分も早く到着。もちろん、競争命のH氏と次男は嬉しくて自慢しまくりです。

 小口は山間の超〜小さな町です。過疎が進んでいるのか、町はちょっとゴーストタウン状態。しかもまだ片付けの進んでいない災害の被害があちこちに見られ、かなり淋しい印象です(夜、長男は災害の傷跡などがよほどショックだったらしく、恐くて眠れず泣いてしまったほど)。

 それでも泊まった民宿「百福」はそれはもう最高でした。特におじさんおばさん(なぜかヘアカラーは蛍光のピンク)は、本当〜〜〜に温かくて、田舎のおじいちゃんおばあちゃんの家に遊びに来ました、という雰囲気。
 ごく普通のお家の一間を借りて泊まる、という感じなので、お風呂ももちろん普通のお家的。でもH氏も息子達も超気に入って無理矢理3人で入っていたり(ていうかどうやってあの巨体が二人も入れたのか謎)、そして究極だったのが、リラックス部屋着としてジャージが用意されていたのです!しかもみんなお揃いの!!お風呂上がり、みんなで田舎の中学生みたいになり、さらにその上にはんてんを着て、健康サンダルをはいて散歩にいったり、めちゃくちゃヒュゲリでした。


超リラックス着で吊り橋を渡る。

 そしてなんと言ってもよかったのが、ピンクヘアーのおばちゃんによる手料理。たぶん日本滞在中に食べたものの中で一番おいしかった!魚も野菜もどれも新鮮で、特に紀州のまぐろはH氏絶賛。私もあんな透き通るようなまぐろは初めて食べました。
 魚が苦手な長男のために、予約の際にできれば魚は抜きで、と頼んでおいたのですが、「孫に好評なの」というおばちゃんお手製ハンバーグに、長男も感動。テーブルいっぱいに次々とおいしいものが並べられ、もう、本当に幸せでした。機会があれば、今度はキャンプとかしに小口に行きたいです(そしてあの民宿にも遊びにいきたい)。


偏食次男もかなり色んなものを食べた!

 おばちゃんは汗臭い私達の登山ウェアーや下着まで洗濯してくれて、翌朝にはお弁当とお茶もしっかり持たせてくれました。本当にあったかくて、おじちゃんは面白いし、熊野古道にも詳しいし、民宿「百福」、超おすすめです!


またくるよ〜!
Comment (0) |  Trackback (0) | 

初めての家族日本旅行その1〜東京&京都〜

2012年04月27日 | 旅の話
 こんにちは、忘れた頃にやってくるKanaheiです。

 自分でも何がそんなに忙しいのかよくわかりませんが、とにかくブログを落ち着いて書く暇がない!息子達がいる間はもちろん、わさわさと常に忙しいH氏といるだけで(一緒にいるときに私がネットに集中しているとすねてしまう)、わーっと時間が過ぎていきます。「子供ができてから自分の時間がない」という世のお母さん達の気持ちが、少しだけわかる気がします…。みんなすごいわー。

 さて、3月の後半からH氏&息子達と一緒に日本へ行ってきました。もはや「帰る」というより「日本へ行く」という方がしっくりくるのが複雑ですが、だだーっと2週間、楽しく過ごしてきましたよ。

 今回はH氏にとっては20年ぶりくらいの、息子達にとってはもちろん初めての訪日ということでしたが、事前にかなり綿密なプランニングをしておいたこともあってか、滞在中はかなりリラックス&スムーズにきました。


 3月24日、日本着。
 地元立川に到着後、迎えに来た母とH氏&息子達初対面。どうなることかと、かなり会うまでは心配していたけど、息子達を見た母はまっすぐに彼らのところへいって、両手で彼らの顔を包み込んで「いらっしゃい」と。言葉は一切通じないものの、息子達も母の態度で何かを感じ取ったようで、その後ずっと母のことを「おばあちゃん」と呼んでなついてくれていました。
 そしてH氏も会うまでは「僕のせいで君がもう日本に完全帰国することがなくなったって、会った瞬間にお義母さんにぶった切られるかもしれない…」と心配していましたが、息子達がいい緩衝剤になり、H氏もすっかり母と仲良しになってました。


日本の食事第一弾はラーメン!大好評でした。


長男念願のスタバ。


 3月25日、新宿へ。
 新宿副都心見学。都庁に登り、大都会トキオを見下ろす。その後、昼食は居酒屋で、夜は母と一緒に回転寿司へ。日本の庶民の味を堪能。



変なガイジンこども(次男)。高層ビルを地面から激写。


子供は寿司よりサイドメニューが気になるらしい。


 3月26日、京都へ。


初新幹線。

 「日本っていったら寺だよね?ニンジャだよね?」という、西洋人ありがち勘違いな息子達のために、宿坊に泊まることに。京都は花園にある、妙心寺という大きな禅寺の敷地内に、東林院という小さ〜な宿坊があるのですが、沙羅双樹の木(見頃は春過ぎ)と美しい日本庭園の、とても趣のあるところでした。


客室からの眺め。




沙羅双樹の木で有名なお寺だそうな。


客室。超ミニちゃぶ台にてお茶。


竹筒から水の音を聞いているところ。カランコロンと澄んだ音がする。

 宿坊、しかも禅寺なのでもちろん静かに過ごさねばならず(とか言いつつ、H氏と長男は玄関口で朝っぱらから大げんかをしたけど)、設備も必要最低限のものだけなので、多くを期待して来てはいけませんが、静かに庭を眺めて、ゆっくり過ごすにはとてもいいところでした。ちなみに門限は21時、消灯は22時です…。



布団で寝るのもおもしろいらしい。

 また、この東林院は精進料理のおいしいお寺ということで人気が高く、料理に関する著書も多い住職さんによる、お料理教室などもあるそうです。まあ…純肉食男子のうちでは、精進料理なんて作ろうものなら「拷問だ!」とか言われかねないですけど…。
 ちなみに朝ごはんは7時。早!でも朝から控えめだけどしっかりな精進料理をいただき、おなかすっきり気分もしゃっきり。次男はここで味噌汁の高野豆腐を肉だと思い込み、後で豆腐だと知らされてショック。
 

朝ごはん。


次男はこの宿坊体験をきっかけに、ごはん粒をちゃんと残さず食べることを学びました。

 実は京都へ行ったものの午後着だったので、神社仏閣を見る時間がほっとんど無く(滞在した妙心寺のみ)、あきらめて寺町通のショッピングに明け暮れてしまった我々。日本人の友達には「京都に行ったのに?!信じられない!」と言われますが、まあそうは言ってもそのへんはやはり子供連れ。またもう少し彼らが大きくなって、侍ニンジャ以外に興味を持つようになった頃にまた行きたいと思います。

 さて、この後はいよいよ日本旅行のメインイベント、熊野古道トレッキングです!
Comments (2) |  Trackback (0) | 

Pyt med det!!

2012年02月04日 | なるほどな話
 ステノに勤めていて色々いいことはありますが、何が一番すばらしいかって、同僚に恵まれていることです。

 外来にはまだ出ていないので、外来のナース達とはランチの時に会話する程度だけど、病棟のナース達とは職場外でも定期的に誰かの家で晩餐会をしたりと、けっこう仲良くやっています。
 みんな筋金入りのプロの糖尿病スペシャリストなだけではなく、本当に心の温かい良い人達で、仕事の上でも、人生についてでも、ちょっと年上の彼女達から学ぶことは本当にたくさんです。

 そんな同僚の中でも特に、MHは私の一番大好きなナース。年齢は50歳前後で、ほんわりしつつ、いつもかわいいジョークで場を和ませてくれる彼女は、まさに私の目標とする女性です。
 旦那さんと二人の息子(18歳と20歳)がいて、「あーもう、男3人の中に女が一人でいるって、いつもからかわれる宿命なのよー。彼らはいつもなにかちょっかい出す機会をうかがってるのよ…毎日!」と、愛する3人の男達に愛し抜かれてるしあわせさが、じゅわわーーっと滲み出ている感じです。

 彼女の話し方、話すことは、いつも愛情に溢れてて、悩みを相談するといつもいつも温かいヒントをくれます。そのすとんと素直な彼女のヒントで私はなんど救われたことか…。

 そんなMHと先日、うちの長男の問題を話していたときのこと。

 長男はもともと大人しい性格で、強気で前に出たり、不服なことに対して怒りなどの感情を表に出したりすることができないタイプです(ちなみに次男は正反対)。なにか不平等を感じることや、いじめまでいかずとも、誰かの無神経な言動で嫌な目にあっても、閉口してしまい、家に帰って来てしくしく泣いて落ち込んで、誰かがなぐさめに来てくれるのを、そして誰か(たいていは両親)が彼に代わって問題を解決してくれるのを待っていたりと、かなり消極的な子です。
 でも常に両親のどちらか(主に父)から「しっかり話を聞いてもらう」「なぐさめてもらう」「本人に代わって問題を解決」という感じだったので、だんだんとそういうのに慣れて、自分からは何も解決のために動かず、ただのメソメソ君にになりつつありました。

 私はH氏と息子達と暮らし始めてから、この長男のメソメソ&誰かに依存癖が気になって、H氏の意識改革(離婚親の子供への罪悪感から、必要以上に擁護、肩代わりしてしまう)のために、私カウンセラー?ってくらい話し合いをしてきました。
 「あなたは十二分にTのことを愛して正しく育ててきた。彼はこんなに優しい素晴らしい子に育って、学校でも優秀でしょ?全然”かわいそうな子”じゃない。ちゃんと自分がやってきたことに誇りをもって。かわいそうって言うたびに、Tはもっとみじめになって、本当にかわいそうな子になっちゃう。だから”かわいそう”はもう言わないこと」という説得の甲斐もあり、口癖かってくらい、二言目には”かわいそう”と発していたH氏も、今では長男のメンタルトレーナーのごとく、彼が自立して、きちんと自分の問題に向き合っていけるよう、なるべく自分で「どうするべきか」を考えさせるように働きかけていくよう変わってきました。
 とはいえ、長男も12年間、ずっとそういう風に育ってきたわけだし、しかも元奥さんは「メソメソ擁護派」なので(この前はメソメソ君が仮病とわかっていて学校休ませちゃったしね)、なかなかすぐには変われないわけです。

 で、そんなことをMHに話していたら、彼女は彼女の姑から教わったというあるヒントを教えてくれました。それは「Pyt med det」。デン語で「気にするな」とか「忘れちゃいな」とか、とにかく些細なことよ、というときに使う表現です。

「子供にはいつも、その悩みは些細なことなんだ、時として場合によって、どうしようもないことなんだ、って声をかけて、わからせていかなきゃいけないの。もちろん全てのことにたいして使うわけじゃないけど、つらかったり悩んでる真っ最中の中でも、心のどこかで”大したことじゃないんだ”ってこの言葉を置いておくことが大切なの」とMH。

 子供にとって、彼らの抱えている問題は、どんなものでも大問題で、それが彼らの小さな世界の中ではすべてなのです。大人になるにつれて「しょうがない」と諦めたり納得できることが増えてきますが、成長過程の子供にとっては、それがまだ理解できないこともあります。どうしようもないこと、がんばってもうまくいかないことに対して、いつまでも向き合って、立ち止まってしまう子供には「Pyt med det. Gå videre.(気にするな。先へ進みなさい)」 と、促してあげることが大切なんだと。

 MHは「Pyt。それは小さ〜なことだってわからせるのが大事なの。だから先へ進んでも、ちゃんと問題を最後まで解決できなくても大丈夫なんだって、教えてあげるのよ」と。もちろん、ちゃんと話を聞いてあげて、その上でのPyt med detなんでしょうが、なるほどな〜と思いました。こういう一言できっと安心して子供は前に進めるし、大らかになっていくのかな。

 昔、オペアとして働いていた時にもオペア母ヘレさんが、学校の仲間とうまくいかない長男トビアスに対し「そんなものよ、人生。いつも望んだようにいくわけじゃないし、いつも自分が選ばれるわけでもない」と話していましたが、これもまたPyt med detのようなことなのでしょう。

 どんなに子供の悩みをしっかり聞いてあげて、助けてあげたい、力になってあげたい、と思って頑張っても、大人、親だって全部を解決出来るわけじゃない。みんな大人も「まあそれはそれでしょうがない」と、色んなことを諦めたり、自分なりに妥協点をみつけて先に進んでるだけです。だから子供にもそれでいいんだよ、って教えてあげるのは大切なんです。

 H氏も元奥さんも、きっと離婚して、息子達への罪悪感、不憫に思う気持ちからずっと、彼らに向き合っていこう、話を聞いてあげよう、なんとかしてあげようと、真面目にがんばってきたんだと思います。でもこれからは、自立を促すメンタルコーチとしてメソメソ改善を、そして「気〜にすんなって!」と長男の背中もバシバシ叩いていこうかと思います。

 あ〜それにしてもプレティーンエイジャーは大変だ〜。

写真:
衛生面での配慮で布生地の家具を置いてはいけないとのことで、最近ステノの患者さん用の椅子がすべてイームズチェアに変わりました。
Comments (2) |  Trackback (0) | 

激動の2011年終る

2012年01月24日 | ご報告
 みかんがおいしい季節ですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか?

 すっかりブログを放置すること2ヶ月。うっかり年が明けてるじゃありませんか。私はというと、相変わらずこの郊外の町でH氏と隔週でやってくる息子達と、ほっこりやってます…と言いたいところですが、なんかかんかとあれこれ引き受けてしまう性格、しかもインディアン名「尻に火の点いた男」との生活なので、もちろんそんなことは許されず。日々、激動の生活を送っております。以下、この1ヶ月ちょっとをダイジェスト版でどうぞ。


〜11月後半〜12月前半〜

「Kanahei地球アゴラに再出演」
 2008年に世界サンタクロース会議のレポートを依頼され出演しましたが(まったくサンタとなんの因果もない私なのに)、今回のテーマは「看護」。デンマークのスペシャリストナースとして出演させていただきました。
 インタビューや仕事風景の前撮り、多忙を極めるスタッフの方とのやりとりや、放送当日はスカイプでスタジオとつなげての生放送なこともあり、とにかくあれこれと忙しかった…!
 しかも私の他お二方(日赤の災害救援のベテラン看護師、マダガスカルで働く78歳のベテラン助産師さん)がもう、すごい方々で。一緒に並ばせていただくのが恐れ多いのなんのって…。士農工商でいったら(?)私は確実に農な地位。デンマークのスーパーマーケットの格でいったら間違いなくALDI、もしくはLIDLです。
 まあそんな私ではありますが、色々と自分の看護観だったりとかを改めて考えさせられるいい機会にもなりましたし、「ステノブランド」を広めたい、今のステノのトップ達と広報部にいい印象を与える事ができたようなので、よかったです。
 ほんの少しではありますが、番組の内容などこちらで見れます→地球アゴラwith you


「ステノ看護部主催の忘年会」
 世界に名だたる糖尿病専門病院ステノの、これまた世界トップクラスのうちの同僚ナース達。今年はそんなスペシャリスト集団である看護部がステノの忘年会を企画したのですが、さすがスペシャリスト。やることがハンパじゃなかったです。
 まずは当日の看護部ドレスコードは「ニッセ」(北欧の妖精?小人)。私はただニッセ帽をかぶっていっただけでしたが、甘かった。みんな全身超気合いの入ったニッセコスチュームです。


熟女ニッセ軍団。

 そしてスラッシュアイスマシーンをレンタルしてのカクテル大量生産、「正しい手指消毒は1000人の患者の命を救う」と大真面目な看護部長のプレゼンで始る、手指消毒用アルコールのディスペンサー(男性器に酷似)交換デモンストレーション(大々的にビデオとパワポを使用してるけど、内容は極めて下ネタ)、奇妙な写真家がパーティを徘徊してると思ったら、実は依頼されて来ていたアンダーカバーのコメディアンだったりとか、最初から最後まで大爆笑の大成功忘年会でした。
 ていうか、日本でもそうだったけど、看護師の下ネタってハンパじゃない…。スペシャリストなステノナース達はそのへんもグレードが違いました。


下ネタ炸裂中。動き激しい。


〜12月後半〜

「H氏と二人で過ごしたクリスマスinローマ」
 ローマの歴史おたくのH氏。常々、大好きな街ローマを案内したいと言っていたので、今年は息子達が母親のもとでクリスマスを過ごしていていなかったので、二人で6日間、どっぷりローマで過ごしてきました。


街中でピエロと戯れる。

 普段は観光客で溢れかえるバチカンも、さくさく朝から回ったのでほとんど並ぶこともなくサンピエトロ寺院、クーポラ、バチカン美術館を回ることができました。
 見所はたくさんあるけど、ローマは意外と小さな街。6日間も子供抜きで過ごしたのなら、さぞかしのんびり出来たでしょう、とお思いになるかもしれませんが、尻に火の点いたおたくとのローマめぐりは、まさしく「パワー観光ぶっ通し6日間」。2000年の歴史もハイパーインテンシブ講座で、しかも滞在中の移動はすべて徒歩。そんな彼についていけた自分を自分で褒めてあげたい…と、Qちゃんの心境です。


12月25日、クリスマスのバチカン参詣。法王、遠すぎて豆粒大。広場内にある数台の巨大モニターでお顔を拝めます。


すごい人です。でも広場もでかいのでそこまでのパニックではない。

 そんなランナーズハイなローマ滞在でしたが、事件は12月24日、クリスマスイブのサンピエトロ広場で起きました。

 広場内には左右に噴水があり、そのそばに地面に埋め込まれた丸い石があるのですが、そこに立って回廊の柱を眺めると、4列の柱がすべて一番手前の柱に隠れ、1本の柱のように見えます。
 ローマおたくのH氏がその構造を説明するため私をそこに立たせ、柱を眺めつつ「ほほ〜なるほどね」と感心していると、ふとH氏、急に大真面目になり、「今日はクリスマスイブで、僕はプレゼントを用意したんだけど、でもこれはクリスマスプレゼントじゃないんだ」と。そして突然そこにひざまずいて、「いつも君の幸せを願ってる。これからもずっと幸せにしていきたい。だからこの指輪を受け取ってください」と、指輪を取り出すではないですかっ。


事件現場。

 まったく状況を飲み込めず呆然としていたら、彼のその行動にそばにいたアメリカ人ツーリストのおばちゃんが「オーマイガー!!なんて素敵なの!!」と叫び、それを聞いた中国人ツーリスト20人くらいが集まり、我々を包囲。カメラのズームではなく、思いっきり接写(顔から30cmくらいのところで)でバシバシ写真を撮り始めましたが、H氏はかまうことなく「結婚してください」と続けます。
 やっとのおもいで「もちろん」と返事をすると、さらに集まっていた観光客から拍手喝采。ひー!恥ずかしい!!とりあえずそそくさとその場を逃げ、柱の階段に腰掛けて落ち着こうと思いましたが、無理です。もうH氏、尻に火がついているどころか、炎上です。
 どうやら2ヶ月くらい前からこそこそと準備をしていたようで、そんなことは何も知らず、「まあ付き合ったばっかりだし」と結婚のけの字も考えていなかった私には、カウンターショック受けたほどの衝撃でした…。


婚約直後。

 その夜はコロッセオの真ん前、コロッセオとローマの夜景をこれでもかと味わえる5つ星ホテルのレストラン、「aroma」
 おいしいものは大好きだけど、美食家と呼べるほどの見識があるわけでもなく、高級グルメスポットまわりをするほどの財もない私ですが、今回はがんばっちゃいましたよ。もう、すべてにおいて大満足のレストランでした。H氏ともこんなに素晴らしい、大満足レストランは初めて、と本当にしあわせいっぱいに。
 レストランは、コロッセオを取り囲む小高い丘の上にあり、その最上階のルーフテラスのレストランは全面ガラス張りで、前日に予約したときに「眺めのいい席だったらうれしいな〜」とつぶやいていたのを、しかと聞いてくれていたのでしょうか。一番いい眺めの席を用意してくれていました。


この屋上がレストラン。

 ディナーはクリスマスの特別コースで、魚介メイン(伝統でイタリア人はクリスマスにキリストのシンボルである魚料理をコースで食べる)。レストランとかこういう雰囲気のいい場で食事の写真を撮るのはなんかあまり好きじゃないので、料理の写真は一切ありませんが、どれも繊細できれいな、そして絶品魚介料理の数々。
 ワインはソムリエに料理に合わせたワインのコースでお願いしたのですが(デザートワインを含めてたしか5種類ほど)、いやー、エロかった。どれも「う〜ん!」とうなるほどおいしかったです…。サービスも気取り過ぎず、ほわっとした、とてもいい距離感だったし、最後には残っているお客さんが私達とあともう一組だけだったので、ルーフガラスを開けて写真を撮ってくれたり(ガラスに光が反射して上手く撮れなかったから)。


背後にコロッセオとむこうにサンタンジョエロ城、サンピエトロのクーポラも見えます。

 クリスマス特別メニュー&ワインコースと、二人で軽く4000krいってしまいどひー!っとなりましたが、お土産にスターターに出されたスプマンテをもらったりもしたし、とにかくすべてをひっくるめてこれでこの値段なら仕方ない!と思わせる満足のサービスと味でした。
 ローマにいって思い出のディナーをしたい方、おすすめですよ〜。


泊まったB&Bのすぐ横にあったSanta Maria Trestevereという教会。ビザンティンの天井モザイクがすばらしい。
12月25日0時のクリスマスミサに参加しました。感動。


街中のイルミネーションも素敵でした。


「永住権でた!」
 らちがあかない移民局のために、会社の法律専門家に相談してクレームを出したり、国民オンブズマンや法務省に問い合わせたり、さらにはMagrethe Vestager(彼の推す政治家、現経済大臣)に手紙を出したりと、色々奔走してくれたH氏のおかげもあってか、クリスマスが終って12月28日、無事に出ました!
 新政府になって、色々移民に関する政策も変わり、また移民局の申請書処理の遅さがメディアで叩かれたこともあり、「年内に審査結果を出します」と公表されたのがクリスマス前。本当に〜?と、今までの経験上かなり疑っていましたが、ちゃんと出ました。
 ちなみに申請書を出したときに証明写真を添付しなければならなかったのですが、「どうせ申請書に張られる写真だし」と超どうでもいい写真を提出したら、うっかりその「どうでもいい写真」が、滞在許可カードに使われてるじゃないっすか!しかも画質が最悪で、南ちゃん並にニキビ跡顔、そしてなんかオウムの手配犯みたいになってます。ああ…この先ずっとこの写真が身分証に?いやあああ。これから永住権申請する方はご注意を〜!

 ちなみに永住権が出たこの日、私は古巣のビスペビャーで準夜勤のバイトをしていたのですが、夜中24時に家に帰ると寝室から明かりが。ドアを開けてみると…



 H氏と息子達がシャンパンと苺を用意して待っていてくれました。このシャンパンは、申請書を提出した2月以来ずっと冷蔵庫で冷やしてあったもので、この日やっとめでたく開けることができました。息子達もシャンメリー(子供用シャンパンジュース)で乾杯!


 そんなわけで2011年をめでたく締めくくり、迎えた2012年。とりあえず今わかってるだけでもH氏&息子達と日本へ旅行(イースター休暇)、結婚式(夏)、ステノ外来デビュー、H氏のMBAスタート(夏休み明け)、と考えるだけで気が遠くなるようなプランづくめですが、ほ〜どほどにがんばります!


ココはあいかわらず寝てばっかだけど。ローストドッグになるよってくらい薪ストーブに近い。
Comments (8) |  Trackback (0) | 

Before Christmas 2011

2011年12月07日 | Weblog
毎年、階下に住むお義姉さん夫婦は、親戚の子供をみんな集めて、子供だけのジンジャークッキー作りの会を開きます。
その間、大人達はのんびり過ごしたり、急いでクリスマスショッピングを済ませたり。
子供達はみんな従兄弟達とたっぷり遊んで、一緒に寝て、翌日お父さんお母さんが迎えにきたら、みんなで焼いたクッキーを食べつつお茶でヒュゲります。

この日はたまたまアナスの10歳の誕生日。
子供達全員で、寝ているアナスを誕生日プレゼントと歌で起こしにいきました。
夜はおじいちゃんおばあちゃん、階下のお義姉さん家族、元奥さんも一緒に、にぎやかにお祝い。
誕生日ディナーのメニューは誕生日の本人が決めますが、アナスの希望はニョッキ(トマトソースとカルボナーラソースの2種)とチキングリル。ニョッキはみんなに大好評でした。
デザートはココの顔と「ANDERS 10」と書かれたガトーショコラ。

Before Christmas 2011

Comment (0) |  Trackback (0) | 

Autumn 2011

2011年12月07日 | Weblog
Autumn 2011
Comment (0) |  Trackback (0) | 

Den Vestegensk(西部弁)

2011年11月30日 | デン語習得の道
 コペンハーゲン市内に住んでいたときは知らなかったけど、ここTaastrupに引っ越してきてから「真のコペンハーゲン弁」とは何かを知りました。

 デンマークなんて四国くらいの国土で、人口もたったの500万人ちょっとなのに、やたら方言があったりします。前はユラン半島のJysk(ユラン弁)とコペンハーゲン弁くらいの違いしかわからなかったけど、H氏および息子達の話す言語が今まで聞き慣れていたコペンハーゲン弁と微妙に違う、ていうか、ユラン人が「ぷぷっ」と笑っちゃうような(が、そのユラン人の方言はコペンハーゲン人にも笑われている)、超下町的表現&アクセントなのです。

 具体的にいうと、語尾に必ず「〜ikk?(発音はァイン)」が付き(東京&横浜人の使う「じゃん?」的な意味)、会話の中に「da」「sgu」といったちょっと荒っぽい強調語が入り、さらには友達同士やくだけた場面では「Hold kæft, man」や「Det er fandem ikke i orden」のようにスラング的なものを多用したり、英国のコックニー的な話し方なのです。
 
 職場の人達はほとんど北シェラン(お上品なエリア)在住で、ほとんど女性だし、年齢的にもきれいなデン語を話す人達なので、そんなH氏と彼の周りの人達の話し方があまりにも乱暴なので、最初はびっくりしたものですが、H氏曰く、「コペンハーゲン弁ってみんな言うけど、コペンハーゲン市内は地方から色んな人が集まってるから、いわゆる”標準語”っぽいのが話されてて、本当の意味での下町語ってのはVestegen(コペンハーゲン郊外西部)の言葉なんだよ」とのこと。

 そんな下町言葉のVestegenskですが、最近デンマークの国民放送局でやっている「Skråplan」というコメディー番組の登場人物の話し方が、まさにそれ。
 ちょっと英国BBCの「Little Briten」のような感じで、超ワーキングクラスな濃いキャラの人々がコペンハーゲン西部の生活を演じているのですが、これが西部在住の私としては超リアル。特に下のリンクビデオの「Borgerservice(市役所の福祉部的なところ)」とか、まさしくリアルライフ。(撮影場所も実際のHvidover kommune)
 私のお気に入りは市役所の表でタバコを吸っているカップル(女性は妊婦)。このルーザー感がたまりません。あと名前が米国風(ジョニー、ブライアン、トニーとか)なのもVestegenならではです。

Skråplan - Borgerservice - Afsnit 3



 ちなみに新政府の首相Helle Thorning-Schmidtや、経財相のMagrethe Vestagerなど、与党側は西部出身者多数。まあ庶民性が売りなのもうなづけます。

 そしてそんなVestegenに住み、生まれも育ちもVestegenな、バリバリ下町語のH氏とその家族と住んでいると、だんだん私のデン語も西部下町語になってきており、最近微妙…。あと何年後かには上下ベビーピンクのスウェットで下町語を話しながら、CITY2(Høje-Taastrupのショッピングセンター)を歩いていそうで恐いです。気をつけねば…。


The Julekalender (Dansk) Benny taler om Koch Sokker og Frankrig

もうすぐJulekalenderの季節。1991年のこれは今見ても面白いです。ユラン弁とコペン弁の違いが笑えるー。
Comments (2) |  Trackback (0) | 

長男と義務と責任と雷オヤジ

2011年11月14日 | 家族のこと
 もうかれこれ何度目でしょうか。5〜6回は同じことで注意、説教をされているにも関わらず、未だに約束を守らない長男に悩んでいます。

 犬を飼う時点で「雨が降ろうが朝早かろうが、1日3回の犬の散歩は義務」という約束で、息子達がうちにいる週は、朝=次男、昼(放課後、学校終ってすぐ)=長男と、当番制になっているのですが、言われたことをきちんとこなす(文句は言いつつも)次男と違って、さぼる&言い訳をするを繰り返す長男。
 2回目にさぼった時、雷オヤジH氏からガツンと注意されて泣きべそかいてたくせに、その次は散歩に行ったものの、玄関〜家の前の道までで30秒くらいで帰って来たり(そしてココは家でもらした)、「放課後すぐに」と言われてるのに友達と遊びにいってその後17時頃に行ったり。
 毎回それらがバレるたびに、父から説教、そして「ココのうんこが終るまで帰ってくるな」とか「学校から戻って来たら、靴を脱ぐ前にまずその足で散歩へ行け」とか「友達とはココの散歩の後遊びに行け」と、決まりが増えていくのですが、それでも相変わらず。

 そして今日。深夜勤明けで家にいる私に電話して来て、「僕のお願い聞いてくれる?今友達と遊んでるから、ココの散歩行って欲しいんだけど」と、新技登場です。丁寧に頼めばいいってもんじゃない!!しかし「なんで?」と聞いた私に「夕方まで友達と遊ぶから」と言ってのけた彼に、「…いいよ。でも毎回じゃないでしょうね?」と引き受けてしまった弱い私…。
 
 駆け出しティーンエイジャー、でもまだまだ子供で、しかも両親の離婚で超ナイーブな性格の長男。彼の行動でイライラさせられることは多く、次男や長男を溺愛しているH氏でさえ、時々「いいかげんにしろ!」とブチ切れているほどなので、私にとってはイライラどころじゃありません。
 しかも家族としての信頼関係がそこまで完成しているわけじゃないし、デン語の壁のせいで伝えたいように表現できず、傷つきやすさMAXの彼は必要以上にショックを受けてみせたりするしで、H氏からは「T(長男)とのことは、君がすべてのconflict(対立)を請け負う必要はない。難しい性格な上に難しい年頃だから、何かあったら僕に任せてくれ」と言われているので、何かあったらちょっと後ろめたさもありつつも、すべて長男への「それってどうなのよ?」ということはH氏に言って、対応してもらっていますが、そしてH氏は私の考えを理解&サポートしてくれているので、しっかり長男にも注意してくれているのですが…、でも今回もこれです。電話を切った後にふつふつと不満が…。

 以前もココの散歩のことで約束を守らなかったことに関し、「お母さんの家に行く予定だったから」と言い訳をした長男。実際は「宿題あるけど、買ったばかりのゲームで遊びたい。お母さんの家にいってやればバレないし、お母さんと約束があるように言えばココの散歩からも免れる」という、確信犯だったわけですが、彼はたびたびこの「お母さん」を隠れ蓑的に使って、家の手伝いや義務を免れようとするし、私には「お母さん」の領域までには口出しできないということをわかっているようなので、これまたずるい。
 それについて「約束で義務なのに、お母さんの家に行くからと言われると難しいし、私としてはどうしていいのかわからなくなる」と、元奥さんにもらしたことがあるのですが、それに関して元奥さんは「確かに年頃で難しいけど、でも義務は義務だから。家族ってそういうものよ。じゃあ手伝うから小遣いくれ、とか、あれしてくれとか、とか言うけど、そういう問題じゃない。家族のメンバーでいたいんだったら、助け合わないといけないし、そのためには義務は問答無用で守らないと!」と、彼女とも意見の同意を得たものの、仕事にプライベートに大忙しの彼女から具体的サポートを得ることはなかなか難しいのも現実です。

 と、そんな悩み&葛藤を仕事から帰って来たH氏と、階下に住む義姉に相談すると、やはり「義務は義務。言い逃れはできない」とのことで、結局今日も雷オヤジH氏の説教が長男にされるのでした…(H氏は今、長男と話をするため母親宅に迎えにいっている)。そして長男には後ほど、「じゃあ夜寝る前の散歩はお願いね」と、しっかり義務からは免れられないということをわからせるつもりですよ!


そんな事情はつゆ知らず、ぐーすか眠るココ。
Comments (3) |  Trackback (0) |